王子と三人の使徒。ー(上)
※ここから少し長い説明回なので、面倒な方は流し見程度でお楽しみ下さい。
魔導車での移動を終え、離宮まで運ばれた俺は、一旦王子と別れて応接間に通されていた。
離宮は想像よりも遥かに大きく豪奢な城で、元居た世界なら世界遺産に登録されていてもおかしくない威容と歴史を感じさせた。今居る応接間も、天井が高く広々とした空間にベルベットの絨毯、壁には恐らく名画と思われる風景画が飾られ、腰掛けているソファーや中央に置かれたテーブルも一目で高級品と分かる精巧な設えだ。
……ただ一つ言いたいことがあるとすれば、待っている間にと出された紅茶だけは頂けない。
別に毒が入っていた訳でもなく、特段不味いという事も無いのだが、これだけ贅の限りが尽くされた空間で出されるには、少し物足りないと感じてしまう。茶葉そのものは悪くないが、淹れ方がイマイチな印象だ。……まあ、黒き神の使徒と言うのはやはり印象が良くないようだし、茶を淹れてくれた使用人が手を抜いたという事も十分に考えられるか。流石に王子の目もそこまでは届かないだろうしな。
「それにしても、まさかあそこまで境遇が似通っているとは……」
ぬるくなった茶を飲み干した後、思わず声に出して呟いたのは、魔導車の中で王子から聞いたダールベルグ侯爵令嬢の境遇に対する驚きだった。
『薄々は分かっていたのでありんしょう? あの虚な瞳。あの女に拾われる以前、そして捨てられた後の主人様と、よう似ていんした』
待機させたままだった荊姫が、心象風景では無くわざわざ妖気を収束させ現世に顕現する。俺の心象を見透かしたような相槌まで添えて。
「……自分がどんな顔をしていたかなんて知らん。ただ、彼女の様子を見て勝手に同情していただけだ」
他に誰も居ないこの場では勝手な顕現を咎める事も出来ず、俺は微妙な顔で彼女にジトッとした視線だけを向けた。
『それはそれは、お優しいことで。けどあの雪女のようなご令嬢、随分と綺麗なお召し物でしたえ? 肌艶も色こそ薄いものの、悪ぅないようでした。昔の主人様が受けていた扱いに比べれば、よっぽど上等でありんしょう?』
「ゆ、雪女は失礼だろう……。それに状況を考えれば、令嬢として扱われているだけマシとは言えない。寧ろあの召喚の儀のような場で矢面に立たされて来た分、俺なんかよりずっと心痛を重ねて来た筈だ」
昔の俺はただ、命じられるまま陰で汚れ仕事をやっていただけだ。そこには意思も感情も無く、淡々とした作業で日々を浪費していたに過ぎない。
『随分と、あの雪女に肩入れするのでありんすね』
「さりげなく呼び名を雪女で確定させるな。……荊姫の方こそ、やたら当たりが強くないか? マオさんと居た時もそうだが、封印が解かれてから、妙に機嫌が悪いように思うんだが……」
『………はぁぁぁ。主人様は幾星霜の時が流れようとも、朴念仁のイケずでありんす』
心底呆れたように溜息を吐き出した荊姫は、そのままプイッとそっぽを向いてしまう。
「い、幾星霜は言い過ぎだろう……。あ、そうか! すまない……。血をやる約束をすっかり忘れていたな」
俺はようやく彼女の不機嫌の理由に思い至り、慌てて上着を脱いで、シャツのボタンを三つほど開ける。そして襟を開き、片方をはだけさせて肩口を露出させ、荊姫の方へと向けた。
「今なら他人の目も無い。ほら、好きにしてくれ」
『んんっっ!? あ、主人様、ななっ、なんてはしたないお姿……ジュルッ………はっ!? ご、ごほんっ! そそ、そういう事ではありんせん!!』
「え? 違うのか?」
はぁはぁと息を荒げて吸い寄せられるように俺の首元へ顔を埋めさせた荊姫だが、その牙を突き立てる直前、ガバッと身を引いて首を左右にブンブンと振る。……とても飲みたそうに見えるんだが。まあ本人がそう言うならそうなんだろう。
『ついこの前まで、あの女に捨てられてあれほど死にたい死にたいと願っていんしたのに……あの紅い阿婆擦れに誑かされたかと思えば、今度は新しく現れた雪女の方へフラフラと!! ウチのことは散々放ったらかしにしておいて、主人様の女たらし!! スケこまし!!』
「人聞きが悪いにも程がある!!」
何という事を口走るんだこの式神は……。二人きりだから良いものの、もし誰かに聞かれでもしたら……
「女たらし……?」
「スケコマシ??」
「『あ』」
綺麗に間抜け面でハモった俺と荊姫は、いつの間にか開いていた応接間の扉から顔を覗かせる、スポーツ少年(仮)とギャル(仮)の二人と、バッチリ目が合っていた。
===+===
「すごーいっ!! 超スタイル良くない!? あとこの着物どうなってんの!? めっちゃ綺麗なんだけど!」
『それはどうも。この姿は顕現する為の仮初でありんすが、褒められて悪い気はしんせん』
まるで惑星のように周りをウロウロしながら目を輝かせるギャルに、当の荊姫は満更でもなさそうな様子で口を扇子で隠して澄まし顔をしている。……アイツ、絶対にやけてるな。
「お、おい、お前あの滅茶苦茶エロ可愛いお姉さんとどういう関係なの?」
「エロ…は? いや、どういうも何も、ただの式神と主人だが……」
応接間に入って来るなりいきなりガッと肩を組み、こそこそと話しかけて来たこのスポーツ少年(仮)に、俺は混乱していた。
近い……。危うく腕を取って投げ飛ばしそうになったが、敵意も悪意も無いことはすぐに分かったので、何とか自重した。
「ご主人様、だと!? じゃ、じゃあ、あんな事やこんな事とか、命令し放題ってことか!?」
「いやその言い方は語弊が……。命令にも一応制約があるし。……と言うか、あんな事やこんな事って何だ?」
「そりゃお前、あれだよ、その……え、エロいこと、とか?」
「ますます意味不明なんだが……。式神相手に欲情なんてする訳無いだろ」
「おいおいここで隠すのは無しだぜ! 男同士だろ!? あんなエロ可愛いお姉さんが側に居て、何も思わない方がよっぽど意味不明じゃん! ……なあ、本当はしたことあるんだろ? エロい命令」
おかしい。見たところ同じ世界から来た筈なのに、セビア王子よりも遥かに会話が通じない。
『下品な視線は気持ち悪いでありんすが、その坊主の言う通りでありんす。こんな良い女が側に侍っているというのに、他の女にばかり目移りするとはどう言う了見でありんすか?』
「誤解を助長するような事を言うな」
いつの間にか背後に戻って来た荊姫は、俺の頭に胸を乗せるようにしてしなだれ掛かって来る。責めるような口調ながら、その声音は明らかに面白がっていた。
「え〜、やっぱこの子そういう感じ? まあよく見たら結構可愛い顔してるし、モテちゃうのも仕方無いか〜」
「くっそぉ!! こんなエロ可愛いお姉さんがキープ枠だと!? なんて贅沢な奴なんだ!?」
『そうなんでありんす。主人様ときたら、昔から本当に女癖も女の趣味も悪くって』
「何なんだ、この混沌は……」
本人の意見など聞かずに言いたい放題な連中に辟易して、俺は取り敢えず現実逃避する為に目を閉じた。……いっそ殺意でも向けてくれたら、こちらも遠慮なく葬れるのに。
……と、俺が色々と面倒になって物騒なことを考えていた所に、コンコンと扉をノックする音がする。勝手に覗き見していた誰かさん達と違って良識的なその振る舞いは、やっと待ち人が来た事を俺に知らせた。
俺は荊姫に目配せで姿を消すように命じる。別に彼女の存在を隠すつもりは無いが、いきなり見覚えの無い女が居れば驚かせるだろうし、交渉の場までこの混乱が続いては面倒この上無いと思ったからだ。
『あいあい』
散々俺で遊んで満足したのか、存外素直に荊姫は頷き、妖気の粒子となって姿を消した。
「わっ!? 消えた!?」
「式神ってマジだったんだなぁ……」
この状況にも動じていなかった豪胆(能天気?)な二人も、流石に人一人がいきなり消えれば驚くようだ。だが、これ以上外で貴人を待たせるのも憚られたので、俺は特に説明などせず、中に居る者達を代表して入室を承諾する言葉を扉の向こうに投げかけた。
「どうぞ」
「失礼する。随分と、親睦が深まったようだな」
「セビア王子……。俺は寧ろ絶対に超えられない溝が深まるばかりに感じているんだが……」
側近一人とお茶汲みのメイドを連れて応接間に入って来たセビア王子に、俺は正直に疲れた顔を向ける。………おや? ……まあ良いかさして重要なことでも無い。
「うわっ!? すっごいイケメン!!」
「え? 男? こんな綺麗な顔で!?」
ギャル(仮)とスポーツ少年(仮)は、王子の姿を認めると大きく目を見張った。仮にも貴人相手に随分な態度だな……と思うものの、二人はどう見ても一般人だし、普通の学生は位の高い相手に対する礼節など知らなくて当然だと納得もする。色々あったとは言え、俺も対等な口調で話しているし、他人のことを言えた義理では無い。
「皆、待たせてすまない。私はセビア・アルメリア。この国の第一王子だ。目覚めたばかりの“黄金の神の使徒殿達”には、我々の事情で召喚したことだけ告げられていると思うが、改めて詳細な説明と協力の要請を、国を代表して私からさせて貰いたい」
セビア王子はそんな彼らの態度に眉ひとつ動かさず、寧ろ完璧な微笑みを浮かべて、丁寧に挨拶して見せた。
……なるほど。黄金の神の使徒殿“達”、か。恐らく今行われているこの邂逅が、マオさん風に言うなら本来のオープニングだった訳だ。
「ほへぇ〜、王子様なんだぁ! ゲームから出て来たキャラみたい! めっちゃアガる〜! あ、アタシは『天音凛理』。日本人とイギリス人のハーフで、家族や友達にはリリーって呼ばれてるから、皆もそう呼んで!」
ギャル(仮)、もとい天音は、弾けんばかりの笑顔で天真爛漫にそう自己紹介した。
こちらの世界では馴染みの無さそうなワードがいきなり大量に飛び出して側近とメイドの方は困惑しているようだが、セビア王子は流石のポーカーフェイスでにこやかに頷いている。
「くぅっ、可愛いぃ! やっぱギャルもアリだな……」
「……虎藤詩音だ」
「うわっ、名前カッコ良っ!? てかこの空間、顔面偏差値高すぎだろ……。肩身狭いわ〜」
「……ゴホンッ。ん、んんっ!」
一人で意味不明な呟きを漏らしているスポーツ少年(仮)を見兼ねて、俺は先に名乗って見せたのだが、どうやらその気遣いは全く伝わっていなかったようなので、咳払いと同時に肘で小突く。
「うぇ? 何だよ急に?」
「ガクッ!? お前……一人だけ自己紹介していないだろ。流石に失礼だぞ」
ダメだ。やっぱりこいつは話が通じない。
「おおそっか!? 悪い悪い! 俺は『朱鷺銀二』。家族とか幼馴染は銀二って呼ぶけど、なんか爺臭い名前だろ? だから友達には、トッキーとか普通に苗字の朱鷺で統一して貰ってる。皆もそっちでよろしく!」
ようやく自己紹介したスポーツ少年(仮)、もとい朱鷺は、快活に笑って躊躇なく手を差し出した。
セビア王子は僅かに目を見張ったが、すぐに微笑みを浮かべてその手を取る。……尚、後ろに控えている側近は不快げに眉を歪め、メイドはあわあわと顔を青くしていた。それはそうだろう。いくら対等な交渉相手とは言え、どう見ても庶民的な子供でしかない朱鷺が、いきなり主君相手に握手を求めたのだから。
だが、そこは流石のセビア王子。側近が何か言う前に、すぐ後ろへ流し目を送って無言の圧で『控えていろ』と命じていた。……上に立つ人間と言うのは、本当に大変だな。立場は逆だが、俺も何度主人に無礼を働いた輩を殺そうとして止められたことか……。当時も謝罪の念は絶えなかったが、こうして似たような状況を俯瞰で見せつけられると、改めて本当に申し訳ない。
「長い話になる。茶を用意させたから、一先ずゆるりと掛けて聞いてほしい」
セビア王子に促されるまま俺たちがソファーに腰を下ろすと、メイドがポットからカップに注いだ四人分のお茶と、控えめな量の焼き菓子をテキパキとテーブルに並べる。
「ありがとう!」
「へっ!? お、恐れ入ります……」
茶を並べ終えたメイドに、天音が元気よく礼を言う。王子がもてなす客人に、まさか礼を言われるとは思っていなかったのか、それとも天音の勢いに気圧されたのか。
「最初に、我々の都合で貴殿らをこの世界に召喚してしまったことを謝罪させて欲しい。急を要したとは言え、勝手な真似をしたことは重々承知している。本当に、申し訳ない」
そう言って、王子は一度立ち上がり、深々と頭を下げた。側近はこの行程を事前に聞いていたのか、腹の中で何を思っているかは別として、王子と共に頭を下げる。
「わわっ!? そんな謝んないでよ! 多分、なんか凄いピンチなんでしょ? アタシで何か出来ることがあるなら、力になるからさ!」
「そうだぜ! 確かに驚いたけどよ、助けを求めて呼ばれたって聞いちゃ、放っとく訳にはいかねぇよ!」
「…………」
主人に仕えて以来、あまり俗な言葉は使って来なかったんだが………マジかコイツら。
俺のような世捨て人ならともかく、まともな日常を送っていた人間なら、いきなりその日常を奪われて正気でいる方がどうかしている。善良とかそういう次元じゃない。ある種のサイコパスなんじゃ無いか?
「何と言う寛大な言葉……感謝す、っ!?……ぷふっ!」
「「へ?」」
二人の言葉に感動した面持ちで顔を上げようとしたセビア王子が、感謝の言葉の途中で吹き出した。天音と朱鷺は神妙な雰囲気だった王子の突然の変化に、思わず目を丸くする。……まあ、大体理由は想像がつく。
「……何だ」
「い、いや! すまない。リリー殿とトキ殿の言葉に感謝しているのは本当だ! 今のはその、シオン殿が凄い顔をしていたから、つい……ふふっ」
「正直にどうも……」
まあ、かなり怪訝な顔をしていたのは自覚がある。同じ謝罪を受け入れる場面でも、俺の時とと二人の対応では百八十度違うしな。思わず笑いたくもなるだろう。
「んん〜? なーんか王子様とシオちぃ、もう仲良さげじゃない??」
「そうか? 寧ろシオンの方はなんか刺々しくね?」
天音は察しが良いようで、今のやり取りから俺とセビア王子の間に既に交流があることを見抜いたようだ。……いや待て。シオちぃって俺の事か? まあ別に何でも良いが……。
朱鷺はイマイチピンと来ていないようだが、仲が良い訳で無いのも事実なので、特に訂正する必要性も覚えない。
「分かって無いな〜トッキー。こういうのはね、ツ・ン・デ・レ、って言うんだよ?」
「えぇ……マジかお前、そっちの人? まあ王子は顔綺麗だし、別に俺は男同士とかも偏無いけど。ただ俺は女の子が大好きだから、悪いがそういう目では見ないでくれ」
「……断じて違う」
「「ひっ!? ア、ハイッ!」」
訂正する必要性を激しく覚えた為、割としっかり殺意を乗せて否定してやれば、二人は素直に頷いてくれた。誤解は早く正すに限る。
「混乱させてすまない。シオン殿は、召喚された際に意識があったのだ。だから、先じて挨拶させて貰う機会があったというだけの事。その際に、多少の悶着があったのだが、一応今は和解している。その話は、また追々しよう」
あれを『多少の悶着』と一言で片付けて良いのかはともかく、これ以上話が逸れないよう、上手くオブラートに包んだ言い回しをするのは流石だな。
「セビア王子。取り敢えず、俺たちを呼んだ理由から聞かせてくれ」
話を先に進めたいのは俺も同じな為、率先して次の話題へ促す。天音と朱鷺は放っておいたら、延々と無駄話を続けそうだからな……。客人を招いているホスト側のセビア王子より、俺から声を上げた方がスムーズだろう。
「うむ。貴殿らを召喚した最大の理由は、“今代の魔王”復活と同時に、“魔界の門”が開かれる前兆が現れたからだ」
「魔王って……マジ? あのゲームのラスボス的な?」
「魔界の門とか、聞いただけで何かヤバそうだな……」
「………」
天音と朱鷺の実感を伴わない感想は、至極真っ当な反応だ。魔王だの魔界だのというワードが出てくれば、そこに意識が行くのは当然だろう。……だが、俺は別の部分も気になっていた。
『最大の理由』、と言う言葉の裏には、『最大ではないが重要な理由』が隠れているようにも思える。それに、魔王の前に付けられた『今代の』と言う枕言葉。まるで、何世代にも渡って継承されているかの如き口ぶりだ。
「ラスボス、と言うのが何かは分からないが、魔王が強大な力を持った存在だと言うことは確かだ。………だが、それ以上に厄介なのは、その魔王の手によって封印が解かれる『魔界の門』だ。文献には、門が一度開けば、魔王にも匹敵する凶悪な魔界の軍勢が押し寄せ、現存する文明が崩壊するまで世界を蹂躙すると記されている」
「嘘っ……」
「ヤベェじゃんそれ!?」
口を両手で覆って絶句する天音と、大声で驚愕を露わにする朱鷺を横目に、俺は話の腰を折らない程度に質問してみる。
「わざわざ魔王が鍵を開ける、と言う事は……“魔王自体は魔界の住人では無い”のか? それに、文明の崩壊が目的と言うのも腑に落ちない。占領して人類を奴隷や食糧にすると言うならともかく、完全に文明を破壊すれば、奪える物も無くなってしまう。それでは、魔界側にメリットが無いのでは?」
「ど、奴隷……?」
「食量って、おま……」
俺が質問した途端、ソファーの端と端へ距離を取るように身を引いた天音と朱鷺に、俺はじとっとした視線を送る。
「何を引いてるんだ……。元の世界でだって、人類同士でさえ歴史上行って来た事だろう。食人の文化があった地域も存在する。学校の授業で習うはずだが?」
「「いや、そう言う事じゃなくて」」
ブンブンと首を振る二人にはこれ以上言葉を重ねても意味が無さそうなので、俺は答えを求めてセビア王子に向き直る。
「魔王自体が魔界の住人では無い、と言うのは貴殿の指摘通りだ。正確に表現するなら、その肉体は、と言うべきだが」
「肉体……と言うことは、まさか魔界の住人の魂を宿して、人として生まれて来るのか?」
「っ! その通りだが、よく思い至ったな……」
「それは……まあ、な」
俺はセビア王子の視線から逃れるように目を逸らし、歯切れ悪く頷く。……まさか、この世界にもそんな存在がいるなんてな。
だが、これで一つ、別の疑問が解消された。
魔導車での会話では魔王の正体まで言及する時間が無かったから、何故、彼女が『魔王の現し身』などと呼ばれ、あそこまで強く迫害されているのか分からなかったが……つまり、そう言う事なんだろう。
「……そうか。まあ、貴殿の察しの良さは今更だな。さて、もう一つの疑問についてだが、正直に言えば、魔界側に一体どんな利があるのか、我々も分かっていない。私も同じ疑問を覚えて文献を漁ったり、識者を募って議論も行ったが、答えは出なかった。今のところは、魔王の意思によって彼らがこの世界を蹂躙した、と言う歴史上の事実しか分かっていない」
「なるほど。つまり魔王という呼称には、文字通り魔界の王、或いは魔を統べる者と言う意味合いがあるのか。独裁者の意思による命令と言うことなら、一応説明が付く」
「個人の意思で容易く世界が滅ぶなど、全くもって恐ろしい話だがな」
肩を竦める王子に習うように、俺も脱力してソファーに身を預ける。敵方が何を欲しているのか判然としなければ、交渉の余地も無い。
そうなると、取れる手段は限られてくる。即ち、滅びに抗い戦いを挑むか、滅びを受け入れ蹂躙されるか、そのどちらかだ。そして、当然後者を選ぶことはあり得ない。結論は自ずと決まって来る。
「ここまで話せば、皆ある程度理解しているだろう。我々が貴殿らを召喚したのは、来たる滅びの時を回避する為。最善は言うまでも無く、魔王の討伐。魔界の門が開かれる前に今代の魔王を討ち、可能なら未来永劫再来せぬようその魂まで消し去るか、封印を施したい」
淡々とそう告げたセビア王子の表情は、どこか無機質だった。それが使命に対する固い意志を表しているのか、それとも異なる理由か、俺の観察眼では分からない。
「な、何か凄い話だけど……アタシたちに、そんな事出来るの? それに、魔王って身体は人間なんでしょ? 力にはなりたいけど……アタシは、人殺しまでする勇気は無い、かな」
「で、でもよ、わざわざ選ばれたって事は、俺たちにもきっと何かすげー力があるんじゃないか? それに人っつったって、中身は世界を滅ぼそうとしてる“化物”なんだろ? ……何の罪も無いこの世界の人達が殺されるのを、黙って見過ごす方が気分悪いと、俺は思う」
人の身で生まれた魔王の討伐と言う話に忌避感を示し、ソワソワと腕をさする天音。
彼女とは対照的に正義感を漲らせ、魔王に対する怒りすら覚えている朱鷺。
正反対ではあるものの、両者ともに“人として”、真っ当な反応だ。
「……今代の魔王に、世界を滅ぼす意思が無かった場合は、どうするんだ?」
だから俺は、“人ではない者”として、疑問を呈する。
「「え?」」
「………」
意表を突かれたと言わんばかりに目を見開く天音と朱鷺の方には見向きもせず、俺は口を閉ざしたままのセビア王子と視線を交錯させる。
「魔王は人として生まれて来る。だが、そいつが魔王だと判明するのは、そもそもどの段階だ? 仮に生まれたその瞬間に判明したとして、口も聞けない赤子を有無も言わせず殺すのか? 逆にある程度成長してからだとしても、人の世に馴染み、愛着を持ち、滅ぼす意思を失っていた場合はどうする? 或いは、そもそも魔王の記憶が継承されず、滅ぼすという発想すら抱いていなかった場合は?」
「お、おいおい!? シオンお前、いきなり何言い出すんだよ! その言い方じゃまるで……」
「可能性の話だ。あり得ないとは言えないだろ」
正気に戻そうとするように俺の肩を揺する朱鷺の手を、俺は軽く払う。
俺は、自分が“化物”であることを自覚している。その忌み名に違わない悪行も数え切れないほど犯して来た。だから、魔王が俺と同じように悪に染まった存在なら、断罪されることに文句は言わない。
………だが、もし、もしそうでは無いとしたら?
たまたま魔王の魂を持って生まれただけで、人の世に巣食う悪人達などよりずっと善良な“人間”として生きることを望んでいるのだとすれば。
何を持って、そんな存在を“化物”などと定義するのか。誰も傷つけていない、誰も傷つけたくないと願う者の命を、何の権利があって奪おうと言うのか。
俺はそれを、問わずにはいられない。
「魔王を、庇おうとしてるの……?」
天音がポロリと、そう漏らした途端、王子の側近が懐から短剣を抜いて身構えた。
「やはりっ、貴様魔王の眷属か!?」
「きゃっ!?」
「ちょ、落ち着けって!?」
「ちっ……」
慌てふためく天音と朱鷺が巻き添えを喰らわぬよう、俺は立ち上がって騎士の目前まで歩み出た。
「もし俺が魔王の眷属なら、お前はここに立ってはいない。今頃あの聖堂で、ただの肉の塊になって転がっていただろうな」
「っっ!? き、貴様っ!? 近衛騎士団長である私を愚弄するかぁっ!?」
格好が文官の物だから疑問に思ていたが、やはりセビア王子の近くに居た騎士の一人か。
あの場に居た者達の顔は、大体覚えている。恐らく王子の指示で鎧や長剣は置いて来たのだろう。だがそれなら、力で敵わない事など当に理解していそうな物だが……何を粋がっているのだか。
「自己紹介されていないんだ。お前が何者かなど知るわけが無いだろう。が、少なくとも力の差も分からず正面から喧嘩を売るような間抜けだと言うことは、今分かった」
「なっ!? こっ、このっ、ぐぎぎぎっっ!?」
………何だ? この違和感は。短剣を構えていると言うのに、俺が目の前で煽っても一向に手を出して来ない。
それに、本来ならすぐにこいつを止めるべきセビア王子が、微動だにせず無言で俯いたままだ。仮に今の会話で俺を魔王の眷属だと断定したのだとしても、聡明な彼が、側近の無謀を放置するとは思えない。つまり……。
「試しているのか? 俺を」
「………ふっ。ここまでだな。納得したか? ルード近衛騎士団長?」
不機嫌さを隠さず問いかけた俺に、セビア王子は降参と言わんばかりに両手を上げ、騎士に向かって肩を竦める。
「くっ……殿下への態度は業腹ですが、少なくとも、この者は己が為に力を振るう悪党では無いようですな」
騎士はそう言って短剣を鞘に納めると、一歩身を引いて頭を下げた。
「無礼を働いた事、詫びさせてくれ。私はルード・べキア。先刻申した通り、近衛騎士団長を務めている。王家の護衛を預かる長として、貴殿の人となりを確かめずにはいられなんだ。すまない」
「私からも謝罪する。彼は忠誠も厚く有能だが、頭が硬くてな。シオン殿なら自ら手を出す真似はしないと信じていた故、彼を納得させるために一芝居打たせて貰った。申し訳ない」
セビア王子の方は謝罪と言いつつも、そこまで悪びれている様子は無い。どちらかと言えば、寧ろ満足そうだ。……やられたな。多分、話の流れも含めて計算ずくだ。魔王が人の身に宿るという話をすれば、俺が擁護すると読んでいたのだろう。何とも憎たらしい事だ。
「えっと……アタシが変なこと言ったせいじゃない、の?」
「シオンが味方かどうか、確かめたってことか?」
「ああ。寧ろ、リリー殿とトキ殿が居てくれたお陰で、より信憑性も増した。そうだな? ルード」
「はい。私が剣を抜いてすぐ、この者…失敬、シオン殿は、自ら前に出た。その場からでも私を仕留める力がありながらそうしたのは、二人を巻き込まぬよう配慮したからでしょう」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている天音と朱鷺に、セビア王子とルード近衛騎士団長は必要無いことまで懇切丁寧に説明する。
「配慮は良く言い過ぎだ。俺のせいで見知らぬ一般人が被害を被るのは寝覚が悪い。そう考えただけだ」
「ちょ、自己紹介したのに見知らぬ一般人て酷くない!?」
「そうだぜ! 一緒に召喚された仲だろ!?」
どんな仲だ……。