王子と化物。
セビア王子との交渉は一旦保留となり、移動の準備が出来るまでの間、俺は聖堂の隅っこに背を預けてその様子を眺めていた。
大半の連中は、怯えて青くなったり怪訝な顔をしたり、極端な奴は祈りなのか呪いなのかよく分からない言葉をぶつぶつと呟いたりしながら、俺を横目に聖堂を後にして行った。……何と言うか、野生の熊にでもなった気分だな。自分でそう仕向けたのだから、文句を言う筋合いも無いんだが。
そんなくだらない事を考えていたからか、俺の表情は微妙に不機嫌な物になっていたらしく、他の二人の使徒、スポーツ少年(仮)とギャル(仮)を運び出していた騎士らしき者達がすれ違い様に「ビクッ!?」と反応して、危うく二人を担架から振り落としそうになっていた。何かすいません……。
必要以上に怖がらせてしまっていることを申し訳なく感じると同時に、ふと思う。
……もし俺が、生まれた時から自由で、仕えるべき主人にも出会わず、自分本位にこの異能を使って暴君の如く生きていたら。力を見せつけ、傲慢に振る舞い、結果こうして恐れられる事に、優越感や歪んだ喜びを覚えていたのだろうか?
元の世界には、そういう人間がたくさん居た。権力、財力、そして暴力。そう言った力を背景にして、弱者を踏み躙り愉悦を得るような者達が。………けれど、いくら想像してみても、いまいち自分がそうなる実感が湧かない。そもそも、人の上に立ちたいとか、他人を屈服させたいとか、そういう欲求が俺には欠如している。言い換えれば、向上心が無いのだろう。
今までのしがらみや人生が関係の無い異世界に来たというのもあるかも知れないが、向けられる悪意や恐れにも、どこか他人事じみた感想を抱くだけだ。……思い出すだけでも心臓を握りつぶされるほど苦しくて、今にも自害したくなるような、“化物”と言う呼び名も、グロランス卿が俺に向かって口にした時は何とも思わなかった。寧ろ、思い通りの反応を示してくれて安堵したほどだ。
「あ、あの……」
今考えれば、俺は自分が“化物”である事なんてとうの昔に自覚していたし、そう扱われるのが当然だったのだから、ショックを受ける方がどうかしているんだ。……あの時は、出会った時からずっと、俺を人間扱いしてくれていたあの人に拒絶されたから、あんなに動揺してしまったんだな。いつかはそうなる事なんて、初めから分かり切っていたのに……。あの人の温もりが心地良すぎて、忘れていた。俺はなんて愚かで、無様で、醜いんだろうか。
「えっと……あ、の…?」
心の整理が付いてしまえば、何てことは無い。どの道、あの日俺が殺した連中は生かしておくわけにはいかなかったんだ。化物の最後の仕事としては、上等だっただろう。恐れられ拒絶されたのだから、優しいあの人にも、俺を捨てる罪悪感を与えずに済んだ。結果だけ見れば最良だったと言える。
「……結界…? ………いえ、そんな、気配は……」
とは言え、やはり結論として俺にはもう生きる意味が無い。マオさんへの恩返しが終わったら、適当に死場所を探して、なるべく誰にも迷惑をかけずにあの世へ……
「あ、あの! 黒き神の使徒、様?」
「……ん? ……あ」
か細い声ながら、一心に自分へ話しかけてくれていた存在に気づいた俺は、間抜けにも人前で黄昏ていた事にようやく気がついた。
「も、申し訳ない! 少し、その、考え事をしていて……」
バッと勢いよく頭を下げ、下手な言い訳を慌てて口にする。もしかしたら、耳が少し赤くなっているかもしれない。何をしているんだ俺は……。
「……い、いえ、頭を、お上げください。……こちら、こそ、不躾に、申し訳ありません、でした」
遠慮がちにそう返され、俺がそろりと顔を上げれば、あの真っ白な少女が、まるで彫像の如く美しいお辞儀をしていた。
「ああいや、本当にくだらないことを考えていただけなので。えっとそれで、何か?」
いつまでも頭を下げさせておくのは憚られたので、早々に用件を聞く。明らかに上流階級の御令嬢らしき彼女相手に無作法かとも思ったが、生憎俺は従者として後ろに控えていた経験こそあれ、主人以外の御令嬢との話し方には心得が無い。
「はい。そ、その……先ほど、お助け頂いた、お礼を、と………」
礼と言いつつ、頭を下げたままの彼女からは、罪悪感や申し訳なさのような感情だけが伝わってくる。
短く言葉を詰まらせながら、懸命に声を出すその姿から、他人との会話に慣れていない事が伺える。俺にも経験のある事だ。……出来れば、俺の見立てが間違っている事を願っていたが、寧ろ想像以上かも知れないな。
「礼を頂くようなことは何もしていません。単純に、俺があの下郎…失礼、グロランス卿に腹が立ったから、邪魔してやっただけです。寧ろ、貴女は俺の傲慢な振る舞いに巻き込まれた被害者だ。文句を言われこそすれ、礼を言われる筋合いはありません」
「え……? あの、えっ、と……」
顔を上げた彼女は、キョトンとまつ毛の長い瞼を瞬かせ、澄んだ水面のように美しいその瞳を丸くする。俺の皮肉ともジョークともつかない言い回しに混乱しているようだ。……こんなに純粋で可憐な女の子を化物呼ばわりなんて、本当に何があったんだ?
「すみません。少し回りくどかったですね。とにかく、貴女が気にされるようなことは何も無い、と言う事です。ご覧になった通り、美しく可憐な貴女と違って、俺は正真正銘の“化物”ですから」
そう言って、なるべく屈託無く、含みも無い笑みを浮かべて見せる。当たり前の事を当たり前だと、分かって欲しくて。
化物なんて、俺一人で十分だ。
これまで彼女が周囲の人間にどれだけ迫害され、心無い言葉を投げかけられたのかは知らない。だが少なくとも、あの醜悪で凶悪な姿を見て、それでも恐怖に抗い誠実に礼を言いに来た彼女が、自分のことを化物だなんで思って良いはずが無いから。
「っ!? あ、あの、私、は………」
「あ、っと……」
まるで迷子のように次の言葉を探して戸惑う彼女に、俺もそれ以上何を言って良いのか分からず、視線を泳がせる。しまった……。仕事ならともかく、それ以外で初対面の相手との会話なんて、どう続けたら良いか俺にも分からない。
けれど、それ以上考える必要は無かった。ドタドタと慌ただしい足音が、こちらに複数向かって来たのがすぐに分かったからだ。
「ダールベルグ侯爵令嬢!!」
どこか逼迫したようなその声は、セビア王子の物。数人の側近と騎士達を連れて、慌ただしく俺たちの元へと駆けて来た。
「何を勝手な真似をしている!? 黒き神の使徒殿に接触する許可など出した覚えは無いぞ!!」
「も、申し訳、ありません……」
怒鳴るとまでは言わないまでも、かなりキツい語調で叱責され、真っ白な少女……ダールベルグ侯爵令嬢と呼ばれた彼女は、華奢な身をより小さくするように俯く。消え入りそうな謝罪の声は、酷く痛々しかった。
「……セビア王子。彼女は礼を言いに来てくれただけだ。責められる謂れは無いのでは?」
「っ! ……貴殿は知らない事ゆえそう思われるだろうが、彼女の行動には我々王族の責任のもと、様々な制限を掛けている。それが善良な行いであろうと、勝手は許されない。そのことは理解して貰いたい」
「彼女が何某かの大きな力を持っている事は流石に俺も察している。それを個人では無く、権力のもと管理するのは合理的だとも理解出来る。……けれど、その理屈で言うのなら、貴方の責任で呼ばれた俺や他の使徒達の行動も、王族の都合で制限するつもりか?」
「っ!? それは……自由意志を縛るような制約を課すつもりは無い。だが、国の平和を脅かすような行動は看過出来ない」
「真っ当な答えだ。それで、今彼女……ダールベルグ侯爵令嬢殿が俺に対して礼を言いに来た事は、国の平和を脅かすような行動なのか?」
「それはっ………」
………はぁ。全くもって大人気ない、と言うか癇癪を起こした子供じみている。勿論、セビア王子のことでは無い。俺自身のことだ。
枷を外され化物らしく暴れていないだけまだマシかも知れないが、女の子が目の前で理不尽に怒られたからと言って、自分の立場を笠に着て皮肉混じりに詰るなんて、幼稚にも程がある。
「申し訳ない。言葉が過ぎた。ただ、一言礼を言いに来ただけの彼女を無用に引き止めたのは俺だ。だから、これ以上叱責するのはやめて欲しい」
「……いや、私も客人の前で礼を欠いた態度だった。すまない」
こちらが先に謝罪すれば、セビア王子もそれ以上食い下がること無く、素直に謝罪を返してくる。
冷静沈着で聡明な彼があのようなキツい物言いになったのは、ダールベルグ侯爵令嬢の行動を咎めたかったと言うより、不発弾のように不気味で危険な存在である俺を刺激する可能性を危惧したからだろう。ならば、責任の一端は俺にある。この辺りが妥当な落とし所だ。
「移動の用意が整った。案内するので、付いて来て貰えるだろうか?」
「承知した。……あっ、と、ダールベルグ侯爵令嬢殿。色々と失礼しました」
「あ、その……い、いえ、こちらこそ、貴重なお時間を、頂き、……ありがとう、ございました」
そう言って、控えめながらやはり美しいカーテシーを見せてくれた彼女に、俺も一礼する。
「とんでも無い。では」
それ以上は言葉を重ねず、挨拶の間待ってくれていたセビア王子の背に追従するように、俺は歩き出す。
顔半分だけこちらを振り返っていた王子の瞳は、どこか作り物めいた冷たさを宿していた。
===+===
聖堂を出ると、外には豪奢な装飾が施された、中世のヨーロッパで貴族が使用していたような馬車のキャビンが用意されていた。けれど、肝心の馬は繋がれておらず、操縦席には透明な鉱石が取り付けられているだけだ。
「これは……?」
「『魔導車』だ。あの『魔導石』に魔力を注入し、刻印によって予め定義された物体移動の『魔法』を利用して動かすことが出来る。我が国の魔導技師がほんの数年前に開発したばかり故、まだ広くは普及していないが、王都内程度の短距離移動なら最も快適に過ごせる移動手段だろう。貴殿の世界には、似たような物は無かったのか?」
「俺の居た世界では、そもそも『魔法』自体がフィクション……御伽話の中に出て来る力だと思われているからな。ただ、別の動力を使った車は存在する。燃料さえ補給すれば、原理的にはどこまでも走り続けられる」
「燃料……つまり魔導士の魔力に依存しない、資源を消費する動力と言うことか?」
「簡単に言えば、そういう事だ」
何気無く返事をした物の、俺は内心で冷や汗をこめかみに垂らしていた。……やはりセビア王子はかなり頭が回る。こちらの些細な質問に答えた流れから、あっという間に情報を引き出し返し、その概要まで一瞬で理解している。下手なことは言わない方が良さそうだ。
「興味深いな……。いや、失礼。そちらの世界の話はまた改めて、機会があれば聞かせて貰おう。さあ、中へ」
セビア王子はそれ以上詮索はせず、魔導車の近くに立っていた騎士に目配せして、扉を開けさせた。
「どうも」
俺は王子と騎士に軽く会釈して、キャビンに乗り込む。王子はしっかりポーカーフェイスを保っているが、騎士の方は俺に対する猜疑心がありありと表情に出ていた。
魔導車の内装は外の装飾に違わず華美で、座席は一目で高級品と分かる革張りのソファー。本来は貴人を乗せる車だということは、言われなくても分かる。神の使いを呼んだ筈がハズレで出て来た化物。そんな奴を乗せるための物では無いと、騎士は言いたいのだろう。
「っ!? 殿下!」
「良い。彼とは私が同乗する」
驚いたことに、俺に続いてキャビンに乗り込んだのはセビア王子だった。てっきり監視で騎士が二、三人乗り込んで来ると思っていたのだが。
彼はドアを開けた騎士の制止を無視して、慣れた仕草でソファーに腰を下ろした。
「出してくれ」
「お待ち下さい! せめて私もご一緒にっ」
「不要だ。使徒殿は交渉のテーブルに着くと言った。そもそも、万が一私に危害を加えるつもりなら、当に実行している」
「ですが!」
「少なくとも、客人に対する態度の弁え方も知らない騎士と、私は同乗するつもりは無い。それに、仮にお前が居たところで、何が出来る?」
「っっ………」
「形ばかりで意味の無い護衛など不要だ。扉を閉めて下がれ」
「………はっ。我が君」
完全に論破された騎士は流石にそれ以上食い下がることは出来ず、明らかに不服そうではあるものの、最後は大人しく命令に従ってキャビンの扉を閉める。間もなくして、魔導車は馬の嘶きを響かせることなど当然無く、僅かな浮遊感だけ感じさせて、静かに動き出した。
「良かったのか? 仮にも王子が直々に俺なんかの見張りなんて。それに、俺は別にあの騎士が居ても気にしないが……」
「すまない。見苦しい所を見せた。気遣いはありがたいが、それこそ気にしないでくれ。……あの騎士はグロランス卿に縁のある貴族の出でな。能力が無いわけでは無いのだが、言葉を飾らず言ってしまえば、コネで私の近衛に捩じ込まれているんだ。故に、私自身も狭い空間で一緒に居たい相手では無い。交渉相手を不快にさせてまで、そばに置くほど信頼してもいないしな」
「明け透けだな……」
肩を竦め苦笑したセビア王子は、それまでの為政者に相応しい厳格なそれとは違う、年相応の少年らしい表情を初めて見せた。……と言っても、その苦笑には年に似合わぬ苦労が垣間見えて、俺も思わず素で苦笑を返してしまったが。
「この魔導車には、音を遮断する結界も付与されている。外の者達を気にする必要は無いし、貴殿を相手に下手な虚飾は無意味だと判断したまでだ」
車輪は木造に見えたが、元の世界で主人のお供をしている時に乗っていた高級外車と遜色無いほどに揺れや衝撃は感じず、外界の音も遮断されている。……なるほど、恐らく王族や高位の貴族しか本来であれば乗れないと思われるこの魔導車は、密談室も兼ねているという訳だ。結界だけでなく移動中ということも加味すれば、盗聴や余計な横槍の心配はぐっと減る。よく考えられているな。
「なるほど。そういう事なら、こちらも遠慮せず腹を割って話させて貰う。と言うか、その為にわざわざ二人きりになれる場所を用意したんだろう?」
「話が早くて助かる。如何にも、この場を設けたのは、国の行末を預かる王子としてでは無く、セビアという人間“個人”としての頼み事……いや、願いを聞いて貰いたいからだ。故に、ここで話した事は、離宮で他の使徒殿達も交えて行う公式の交渉とは、無関係と考えて欲しい。当然報酬も国から支払う物とは別に、私の方で用意する」
「個人として、か……分かった。一先ず内容を聞こう」
為政者の代表が、敢えてその権威を捨てて口にする非公式な願い事。元の世界であれば暗殺の依頼でもされるのではと勘繰る所だが、この世界で俺は権力者を含めた大勢の前であの姿を晒している。そんな者に隠密行動が必要な依頼などしないだろう。
「ありがとう。だが、その前に……今更だが、貴殿の名を聞いても良いだろうか?」
「!……そう言えば、まだ名乗っていなかったか」
マオさんの言葉では無いが、召喚されてからいきなりハードモードだったせいで、まともな自己紹介をする暇も無かったからな……。
「改めて私から。『セビア・アルメリア』。この国の第一王子だ」
「虎藤詩恩。性が虎藤で、名が詩恩だ」
握手は無い。俺から見れば相手は王族という位の高い貴人だし、あちらから見れば戦力として招聘した客人だ。初対面でいきなり手を握り合うのは、互いに憚られる関係性だと自重した結果だろう。……そもそも、よく考えたら俺、前の主人に手を取って貰ったあの時以外に握手とかしたこと無いな。
「ほう、そちらの世界では、名を性の後に名乗るのだな。血筋を尊ぶ文化は王家と言う呼び名が表す通り、こちらの世界でも共通だが、貴殿の世界でもやはり家名に誇りを持っているのだろうか? もしそうなら、コトウ殿と呼ぶべきか?」
「ああいや、確かに大昔はそういう文化だったし、現代でも家の名に誇りを持っている人間は居るが、そう言う人間は圧倒的に少数派で、恐らくこの世界ほど一般的な考え方じゃない。単に俺の居た国が、性から名乗る方が馴染みがあると言うだけだ。名で呼ばれる方が慣れているから、出来れば詩音と呼んでくれ」
「なるほど。では公の場以外では、シオン殿と呼ばせて貰おう。私も気軽に名で呼んでくれ、と言いたい所だが、周囲の目もあるのでな。煩わしいだろうが、これまで通り王子くらいは付けてくれ」
「承知した。俺もその方が落ち着く」
見たところ歳は近そうだが、悪魔で交渉相手だ。この程度の距離感が妥当だろう。……と言うか、これ以上距離を縮められてもどうして良いのか分からない。今まで身近に居た同年代の人間と言えば主人だけだったし、一応彼女の意向で護衛も兼ねて学校には通っていたものの、友人を作ろうと思った事なんて無かったからな……。
「では改めて、シオン殿。貴殿にはーーーーーー」
それから語られた、セビア王子……否、『セビア』の願いは、俺の想像を絶する物だった。
「………本当に、それを俺に頼んで良いのか? あまり言いたくは無いが、今日出会ったばかりの、それも正体不明の“化物”にする頼みとは、到底思えないんだが」
「貴殿なら私の願いを叶えてくれる。そう確信したから頼んだ。だが、知ったからと言って気負う必要は無い。元々、一人でやろうとしていた事だ。忘れてくれても一向に構わない」
「そこまで期待されるような事をした覚えはないが……分かった。状況次第だが、心には留めておこう」
「感謝する」
どこか安堵したように柔らかく微笑む彼の顔は、整いすぎている造形も相まって、男の俺から見ても酷く美しかった。
「まだ少し時間はあるが、シオン殿の方からは何かあるか? 正式な交渉は他の使徒殿達が目を覚ましてからになるが、待遇や報酬について要望があるなら可能な限り手を尽くそう」
「その手の話なら、別に急ぎはしないが……そうだな、では、質問をしても良いか?」
「勿論だ」
俺はこの『魔導車』に乗った時から尋ねようとしていた疑問を口にする。
「ダールベルグ侯爵令嬢。彼女は、何者だ?」
真っ白な、あの少女の事を。
続きは月曜19時更新予定です。