邂逅。ー(上)
※ここから詩音(主人公)の一人称視点です。
『オープニングはちょっとだけハードモードかも知れない』
まるでゲームの雑な解説のようなその言葉の意味が、自分に向けられている視線の種類で何と無く理解出来た。
嫌悪、侮蔑、忌避………そして、恐怖。酷く慣れ親しんだそれらには、もはや懐かしさすら感じる。
そんな悪感情が乗った視線を向けて来る周囲の人々を見渡せば、なるほど確かに此処は異世界だと言われて納得が出来る。そうでなければ、やたらと完成度の高いコスプレ大会の会場に放り込まれたと言う他無いが、あの強大な力を持ったマオさんが、俺みたいなゲテモノを捕まえて、わざわざそんなイタズラをするメリットが無い。
ただ、状況把握以前に、不可解な点が幾つかある。
一つは、俺の隣で寝ているこの二人。スポーツ少年ぽい彼と、ギャルとでも言えば良いのか、とにかく派手な格好の女の子。服装から見て、俺と同じ世界から来たようだが、目的が分からない。……まあ、俺も自分が何故この世界に送られたのか、全く分かっていないんだが。
それはそれとして、もう一つ。悪感情を向けられることには慣れているが、ここに居る人々は、そもそも俺の事を知らない。牢獄に送られる原因ともなった、“忌子”としての異能も。
……自分で言うのも何だが、普段の見た目だけならどこにでも居る平凡な容姿だ。事前に俺のことを知っているか、マオさんの様に中身まで見抜ける人でなければ、少なくとも初対面で恐れられるようなことは今まで無かった。横に居る二人よりも俺に視線が集中していることから、異世界からの来訪者だと言う理由でも無さそうだし……もしかして、本当に黒髪が原因なのか? 此処に居る人々は確かに皆明るい髪色だし、この世界では黒髪差別でも根付いているのだろうか?
「黒き神の使徒よ」
「……自分のこと、ですか?」
聖堂らしき建物の中で、最上段に位置する階層から俺を見下ろす金髪碧眼の美少年に真っ直ぐ睨まれながら声をかけられたが、念の為悪あがきを試みる。
「そうだ。貴殿は黒き魔力で編まれた『魔法陣』から現れた。故に、黒き神の導きで召喚された使徒と見受ける」
……と言うか、今更だが言葉は通じるんだな。ただ、いつも通り日本語で話している自然な感覚とも少し異なる。意味やニュアンスは伝わるが、完璧に意思疎通出来ている訳では無い感じだ。例えるなら、日本語の堪能な外国人と会話しているような………ん? 髪の導き?
「あ、神ってそっちの……! ……いや、そっちも良く分からないな」
ようやく自分が間抜けな勘違いをしていたと気付いた俺は、一瞬安心しかけるも、何一つ疑問が解消していない事実は変わらないと悟り、再び首を傾げる。
黒き神とやらがマオさんの事を指しているとしたら、確かに島を爆砕したり俺を異世界に放り込んだりと、神懸かった力を見せつけられたから頷けなくも無い。……だが、『黒』と言うのが気になる。服装こそ確かに黒かったが、あの煌めく真紅の髪と瞳を見て人々が色で呼ぶとすれば、『紅き神』一択だろう。それに、恩人を何やら邪悪な存在っぽい者と同一視されるのは不本意だ。
「申し訳ありません。その黒き神、とやらには心当たりが無いのですが……」
「……そうか、では…」
「嘘を吐くな!! 魔王の眷属め!!」
俺と美少年の会話を遮るように、彼と同じく最上段の脇に居た中年の小男がヒステリックな声を上げる。神の次は魔王と来たか……。本当に異世界なんだな。
「ええと、俺は魔王とやらの眷属になった覚えもありません。此処にはとある人への恩を…」
「黙れ!! 勝手に口を開くな! 皆の者! あの様な禍々しい『魔法陣』から現れた者の言葉に耳を貸すな! 魔王の穢れを撒き散らされるやも知れぬぞ!?」
「………」
会話にならない……。まあ最初からそんな気はしていたが。
だが、俺が諦めて絶句していると、最初に話しかけて来た金髪碧眼の少年が、小男を嗜めるように口を開いた。
「……グロランス卿。使徒の召喚は異界より神の導きによって行われる。たとえ彼が黒き神の使徒であったとしても、我々の前に召喚された以上、魔王とは無関係だ」
「そうとは限りませぬ! セビア王子、『使徒召喚の儀』に誰の魔力を使ったか、もうお忘れか?」
「………」
セビア王子と呼ばれた少年が沈黙したと同時に、彼のすぐ下段、その端に静かに座っていた少女に、視線が集まる。……そしてその視線には、俺に向けられていた以上の悪感情が溢れていた。
見渡す限り派手な容姿が多い異世界人……いや、どちらかと言えば此処では俺が異世界人なんだが、ともかく、そんな派手な者が多い彼らの中でも、その少女はどこか異質だった。
清廉な新雪を思わせる白銀の髪と、月下の水面にも似た神秘的な輝きを宿すサファイヤブルーの瞳。
綺麗な人だな……、と。俺は珍しく他人の容姿に感想を抱いた。
……けれど、その容姿の美麗さとは対照的に、表情は置物の人形であるかのように精気が感じられない。
「やはり魔王の現し身である『氷縛の魔女』など、使うべきでは無かったのです!! その使徒もろとも、即刻処分なさるべきだ!!」
小男が凄まじい剣幕でそう叫ぶと、周囲の人間たちも「やはり今代の魔王は……」、「王家の血を売女などで穢したからだ」、「忌子など早々に殺しておけば良かったものを」などと、まるで弾劾裁判の如く悪意的な騒めきを撒き散らし始める。
「早まるな、グロランス卿。我が国は今、何よりも戦力を欲している。仮に貴殿の言葉が全て正しかったとしても、彼らの力は必要だ」
「くっ、世迷言を……! 王が病に臥せっておられなければ、この様な暴挙許されなかったでしょう!」
「くどい。王の承認は得たと申した筈だ」
「っっ……!!」
徹頭徹尾、冷ややかな表情で淡々と対応するセビア王子に、中年の小男、グロランス卿
とやらは、苦虫を噛み潰した様な顔で青筋を立てる。
王権制度のようだが、どうやら一枚岩では無いらしい。と言うか、実情は違うとは言え、一応俺は彼らの都合で召喚された体らしいのに、早速処分されそうなんだが……。
まあ、その手の理不尽には慣れているし、何なら死んだって構わない。けど、まだ内容も分かっていないマオさんへの恩返しが終わるまでは、一応生きる努力はするべきだろう。最悪、向こうが実力行使に出ても、俺はどうとでもなる。
……そう、俺は別に良いんだ。でも……。
「………」
ただじっと、相変わらず人形のように座ったままの真っ白な少女に、俺は視線を向けた。けれど、彼女は周囲の人間のように嫌悪や怯えを見せる事無く、そもそも何の反応も示さない。
詳細は判然としないが、話の流れから察するに、どうやら俺が来てしまったせいで彼女まであのグロランス卿とやらの攻撃対象になってしまったようだ。
ヒョウバクの魔女とやらが何を意味するのかは分からないが、少なくとも、理不尽な糾弾を受けていることは理解出来る。
……何故なら、彼女からは“悪人”の臭いがしない。
臭い、と言うと抽象的だが、悪意を持って他者を害している人間、特に殺しの経験がある人間は気配ですぐ分かる。俺は物心ついた時から、そういう人間とばかり出会って来たから。
真っ白な彼女は特殊な気配こそ纏っているようだが、どれだけ悪意的な言葉や視線に晒されても、殺気どころかほんの僅かな反抗心すら全く見せない。かと言って、酷く萎縮している様にも見えない。ただただ、受け入れている。そんな風に見えた。
「もう良いっ!! 王家が決断出来ぬと言うなら、この私自ら手を汚してでも穢れた血を滅ぼしてくれる!! 『断罪の槍を我が手にーーレイ・ケドゥ・カーレ』!!」
「なっ!?」
業を煮やしたように絶叫したグロランス卿の掲げる手に、彼らが言う所の『魔法陣』が出現する。真円と幾何学的な文字で描かれたそれの色は緋色。
その直後、彼の手には赤熱する長大な“炎光の槍”が握られていた。
「早まるな!! グロランス!! くっ、『神威のー」
驚愕したのも束の間、セビア王子が何らかの魔法でグロランス卿の凶行を阻もうと動くが、一歩遅かった。
既に赤熱する槍の穂先は、真っ白な彼女目掛けて走り出そうとしている。
「消え去れ!! 穢れた””化物””めぇぇぇぇぇぇ!!」
ーーーグロランス卿が炎光の槍を振りかぶり、そう叫んだ瞬間、俺の時が止まった。
何倍にも脳内で引き伸ばされた刹那の時の中で、あの絶望が、木霊する。
『な……に…? いやっ、こっちに来ないで!? ““化物””!!』
涙を溢れさせ、震えていたあの人の顔が、ひび割れて行く。
「……招来、荊姫」
気が付けば俺は、早口にそう呟いていた。
『ご存分に』
耳元で甘く囁くような荊姫の声音が聞こえた瞬間、背後に紫紺の火花を散らして『陣』が広がり、無数の『荊』が溢れ出す。
硬質で鋭い牙のような棘を無数に生やすその漆黒の蔦が、瞬く間に俺を抱きしめるように包み込んだ。
そしてーーー、
「…………え?」
キョトンと、初めて人間らしい表情でパチパチと瞬きする真っ白な彼女の前に、俺は立っていた。
漆黒の荊を鎧の様に纏った、異形の姿で。
「失礼」
驚かせてしまったことを詫びるつもりで、背後に庇った少女に顔半分だけ振り向いて、軽く会釈をする。
ーーーそして、片手で掴んでいた“炎光の槍”を、握り潰した。
「「「っっ!!??」」」
「なぁっ!? ぁ、あああああああっっっ!!!???」
異形と化した自身の姿を見せつけるように、俺は悠然と聖堂の中を見渡した。
全身に巻き付いた漆黒の荊は甲虫の甲殻、或いは蜥蜴の鱗のように、硬質でありながら生物的な存在感を放ち、顔を包み込む兜のように成形された荊は龍の頭蓋を思わせる。多くの者たちが、生理的な恐怖と嫌悪を覚えたことだろう。誰も彼も、驚きの奥に恐怖や警戒をこれでもかと張り詰めさせている。当然だろう。
……それで良い。彼等は知るべきだ。
一通り彼らの反応を確認した俺は、槍を放った体勢のまま腰を抜かすグロランス卿に向き直った。
そして、兜のせいでくぐもり、自然と低く重さを増した声音で、敢えて問う。
「貴様等が言う““化物””とは、こういう姿をしているんじゃないか?」
邂逅ー(下)に続きます。