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部屋とエプロンと拉致監禁。

※ 申し訳ありません。入れようと思っていたところまでアップロード出来ていなかったので、最後に追加いたしました。




 トンットンットンットンッ………



「………ぅっ、ん?」


 やたら小気味の良い音と、妙に嗅いだ覚えのある香ばしい匂いを感じながら、少年は目を覚ました。

 

 霞んだ視界で周囲を見回すと、古いアパートの一室を思わせる小さな部屋で、畳の上に布団を敷いて寝かされていたようだ。


「おはよう、少年。取り敢えず、ご飯にする? お風呂にする? それとも私?」


「っっっっっ!!??」


 ぼやけていた視界が判然として来た途端、少年は混乱した。……色んな意味で。


 何故自分は生きているのかとか、此処はどこだとか、根本的な疑問は数え切れない程ある。……あるのだが、何よりも、目の前の光景とそこに居る女の言動が意味分からな過ぎて頭がバグったのだ。


 妙に嗅いだことのある匂いは、鍋で湯気を立てる味噌汁の香りだった。そして女は、やたらと所帯染みたキッチンで、昭和の新妻よろしくネギを刻んでいた。……()()()()()()


 大事なことだからもう一度、裸エプロンで、だ。


 フリフリの白いエプロン一枚だけを纏い、剥き出しになった肩や背中だけでなく、尻や太ももまで丸出しな、あの伝統的な(?)スタイルだ。

 酷く間抜けな格好なのに、真っ白な肌に紅の髪と瞳がやたらと映えていて、何故か宗教画のような神々しさがあるのが微妙に腹立たしい……。


「おいおい、もっと喜んでくれよ。目の前でスタイル抜群のお姉さんが、全男の夢を叶えてやってるんだぞ? 思春期真っ盛りな少年には堪らんだろう?」


 女が腰に手を当て前屈みになれば、軍服の上からでは分からなかった、たわわな二つの果実が揺れる。くびれから臀部にかけてもまるで黄金比のような曲線を描いており、言動はともかく、確かに男の夢を詰め込んだようなスタイルだ。


「いや、あの………」


 ……が、少年は赤くなるどころか、青くなっていた。本当に意味が分からなくて。


 それはそうだろう。女の存在がまず意味不明なのに……島流しにされ牢屋に閉じ込められる→島ごと牢屋が爆砕される→いつの間にか拉致られてこの不可解なコントみたいな状況。←今ここである。ギャップがエグすぎる。


「………え、えっと、全男の夢は、言い過ぎ、だと思います……」


 そして、グルグルと眼を回すほどの混乱の挙句出てきた最初の言葉は、ツッコミだった。


「なっ……んだ、と?」


 今度は女が青くなる番だった。思いの外クリーンヒットだったらしい。


「くっ!? なんと言うことだ!! 今まで酷い仕打ちを受けて来たであろう君に、贖罪も含めて一時の夢を見せてやろうとこんな恥ずかしい格好までしたと言うのにっ!? ヤフー知○袋の連中め、絶対に許さんぞっ!!」


(まだあそこの回答鵜呑みにしてる人居たんだ……)


 意味不明な状況だが、取り敢えず目の前の女が割とアホで取っ付きやすそうなことを、少年は理解した。


「あの、今はどういう状況なんでしょう? と言うか、俺は生きているんでしょうか?」


「クソッ、居場所を突き止めて全員丸焼きに……ん? ああ、すまない、取り乱した。そうだね。端的に言うと、生命活動を継続していると言う意味では、君は生きているよ」


「は、はぁ……」


 少年はイマイチ要領をえない女の言い回しに首を傾げつつも、意味の分かる部分だけは理解し、落胆した。


「……殺してくれると、言われた気がしたんですが」


 どうやらここは、求めていた終わりの先、あの世では無いと知ったから。


「ああ、殺したさ。()()()()()()()を、ね」


「??」


「なんせ島ごとあの牢屋をぶっ壊したからな。君を運んで来た連中はあの時まだ近くに居たようだし、恐らく後から調査にも出向いただろう。そして、木っ端微塵となった牢屋の残骸と、君に巻かれていた呪符の燃えかすを見て、こう思う。君は死んだ、或いは誰かに殺された、とね」


「そんな都合良く解釈されるでしょうか? それに………」


 少年は、別に自身の存在を隠匿して逃げおおせたかったわけでは無い。生きる理由を失って、死を願っていたのだ。


「そうガッカリするな。どうせ彼らが今後、君を追うことなど出来ない。……それに、生きる理由ならきっと、もうすぐ出来る」


「え……?」


 自身の心の内を見透かすような女の言葉に、少年は目を見開く。


「ともかく、話は食事を済ませてからにしよう。 丁度、味噌汁が出来上がったところだ」


 慣れた手つきで二つのお椀に味噌汁を掬い、今し方切っていたネギをふりかけて、少年が寝ていた布団のすぐ横にある小さなちゃぶ台へと運んで来る。よく見れば、すでに白米と、焼き鮭も用意されている。絵に描いたような日本の朝食だ。


「丸一日眠っていたからな。お腹が空いているだろう。さあ、遠慮なく食べなさい」


「いや、俺は……」


「食べなさい」


「っ……はい」


 有無を言わせぬ笑顔と裸エプロンのまま迫ってくる女の意味不明な圧力に耐えかね、少年はヤケクソ気味に箸を取る。


「よろしい。頂きます」


「……頂きます」


 ズズズズ………。


 ズズ……。


 意外にも上品に味噌汁を啜る女に習って、少年も恐る恐るお椀に口を付ける。


「っ! ………ほっ……」


 芳醇で品のある出汁の風味と程よい味噌の塩味が、温もりと共にじんわりと、空っぽだった少年の中に染み渡る。


 無意識に、小さな吐息が漏れ出た。


「どうだ、美味いか?」


「あっ……その、はい。とても」


 柔らかく微笑む女に感想を問われ、少年は自然と、そう答えていた。




 ……そして、気が付けばその頬は、ポロポロと溢れ出した雫で、濡れていた。




「あれ……? っ、す、すみませんっ」


「謝ることは無い。素直なことは美徳だ。言葉でも、心でも」


 慌てて涙を拭いながら謝る少年に、女はゆっくりと聞かせるように言葉を紡ぐ。


「私は君を攫った。そこには当然、理由が、打算が、目的がある。けれど少なくとも、今こうして君に食事をご馳走しているのは、私の勝手な同情と道楽だ。だから、君も私に遠慮などする必要は無い。今は、食べたいだけ食べて、泣きたいだけ、泣きなさい」


「っっ………はぃっ……」


 自分には涙を流す資格など無いと、自身を憐れむ資格など無いと、何度もそう自戒したはずなのに、気づけば少年は、嗚咽と共に小さく頷いていた。


 それからは、二人とも言葉を発することなく、木漏れ日のような温かさの中でゆっくりと食事の時間を過ごした。


 味噌汁も、焼き鮭も、白米も、何一つ特別な物ではないと言うのに、少年は呑み込むことすら惜しむように何度も、何度も咀嚼して、大切に味わった。




===+===




「すみません。お見苦しい所を……」


「何のことだい? 私はただ、涙を流すほど美味い手料理を、君に振る舞っただけさ」


 食事を終え、恥入るように謝る少年に、女はあっけらかんとそう言ってニヒルに笑った。


 ……因みに、女の服は少年と出会った時と同様の黒い軍服に変わっている。流石にあの格好のままで真面目な話をするほどイカれてはいないらしい。


 そして、少年もまた、女が纏うそれと良く似た漆黒の軍服へと着替えていた。半ば無理やり押し付けられたのだが、何故だかサイズはピッタリだった。


「はは……あ、申し遅れました! 俺は……ああいや、自分は、『虎藤詩恩(ことう しおん)』と申します」


 少年は今更ながら基本的な礼を失していたことを思い出し、背筋を伸ばした正座で、膝に手を突いて深く頭を下げるという古風な所作で自己紹介を済ませる。


「おおっ! そう言えば名を聞いていなかったね! 久しく自分が名乗ることも他人の名を呼ぶことも無かったから、すっかり失念していたよ。えっと、コトウが性で、シオンが君自身の名かな?」


「はい。虎に藤と書いて虎藤ことううたに恩返しの恩で詩恩と読みます」


「へぇ……風流と言うか、綺麗な名だね。詩で恩を返すなんて、実に素敵じゃないか」


「っ! ……あ、ありがとうございます」


 少年は少しだけ目を見開いて、やや挙動不審になりながら礼を言うと、僅かに翳った顔で寂しげに俯く。


「……おっと、君にだけ名乗らせてすまない。何分誰かと丁寧に自己紹介するのなんて久しぶりなものでね。少し気恥ずかしい。そうだな……私のことは、取り敢えず『マオ』と呼んでくれ。正式な名乗りは、いずれ時が来たら必ずするよ」


「分かりました。マオ殿」


「か、硬いなぁ……。普通に呼び捨てで構わないんだが」


「いえ。何かご事情があるとは言え、自分はマオ殿に救って頂いたばかりか、一宿一飯の恩もあります。お見受けしたところ恐らく年も自分の方が下ですし、そう気安くはお呼び出来ません」


「武士か!! 何時代の人間なんだ君は!? 仮にもピチピチの現代っ子なら、目上の人間にタメ口で絡むくらいの気安さで来いよ!!」


「現代でもその手の若者は、一部の物好き以外にはしっかり嫌われていると思いますが……」


「それはそう! そうだけども! もうちょっとこうさぁ〜、『マオお姉ちゃん』とか、『マオねえ』とか、『マオお姉様』とか、良い感じの呼び方にして欲しいんだ!」


「それは別の意味で気安く無いのですが……と言うか最後のは敬意度的にあまり変わらないのでは??」


「むぅ〜」


 歪んだ性癖がダダ漏れの呼び方を希望され困惑する少年、もとい詩恩に、マオは不貞腐れた顔で腕を組んで唸る。


「で、ではせめて、マオさん、とお呼びするのは……」


「もう一声」


「うっ!? ………で、では、大変恐縮ですが、マオお姉さん、では如何でしょう?」


「……ふっ、悪くない。それで頼む!! 私は詩恩くんと呼ぼう」


 正座したまま顔から火が吹き出そうになっている詩恩に向かって、マオは満足げに頷いて親指を立てる。



 ………と、その時。何の前触れも無く、室内の空気が軋むほどの凄絶な圧力プレッシャーが、突如として二人に降りかかった。



「っ!? ……はっ!! 不味いっ!? マオお姉さん! 逃げて下さい!!」


「ほぅ、これが……」


 詩恩は驚愕したのも束の間、すぐに何事か察してマオに警告する。だが、彼女の方はどこか面白そうにニヤりと口角を上げ、まるで心地良いそよ風でも受けているかの如く微動だにしていない。




『ウチの主人あるじ様を弄ぶとは、え度胸でありんすなぁ?』




 脳髄を直接撫で回されたような怖気と共に響いたその声音は、娼婦の如く妖艶でありながら、獣の様な狂気を帯びていた。


「別に弄んでなどいないさ。ただ、仲良くなりたいだけだよ。チュッ」


「っっ!? ちょっ、むごっ!?」


 声の主をまるで挑発するかのように、マオは詩恩の頭を自身の胸に埋まるほど深く抱きしめ、額にキスをして見せる。いきなり顔いっぱいに広がった軍服の上からでも分かる柔らかな感触に、詩恩は慌てふためきもがいたが、驚くほど強い力でガッチリホールドされていて抜け出せない。


 ………と、その直後。


 分厚いガラスが砕け散るような破砕音が鳴り響いたかと思うと、背後から長大な漆黒の蛇の様な何かが迫り、二人に巻き付いた。


「ぷはっ!? っ、やめろ!! お前は出て来るな!!」


『主人様の方こそ、はようその阿婆擦あばずれから離れなんし。八つ裂きに出来んせん』


「へぇ……。どんな奴が出て来るかと思ったら、随分と美人さんじゃないか」


 マオが余裕の表情で振り返ると、そこにはいつの間にか、妖しげな紫紺の光を纏う長い黒髪の女が立っていた。……その背中には、まるで空間が巨大な顎門で食いちぎられた様な、向こう側の見通せない歪な大穴が開いている。


 その女は、マオの浮世離れした美貌とはまた違う、言わば人外の美貌を不快げに歪ませて、彼女を睥睨していた。


 儚げな印象を与える華奢な体躯に、その髪と同様に漆黒の着物を纏っているが、まるで花魁の様にはだけさせた胸元からは控えめながら流麗な曲線を描く果実が覗いており、上品さと艶然とした色香が絶妙なバランスで同居している。加えて、非生物的なまでに白い素肌や、満月の如く輝く黄金の双眼もまた、人外という印象に拍車をかけている。


 ………そして極め付けは、まるで彼女の背中から生えているかのように伸び、二人に巻き付いている『つた』だ。


「だからやめろ!! 『荊姫いばらひめ』!! 彼女は恩人だぞ!?」


『いいえ主人様。この女からはウチ等とはまた違う、面妖な臭いがしんす。そもそも、昨日かてウチが無理矢理出て来んかったら、主人様はこの女の炎に焼かれていたでありんすよ?』


「えっ!?」


 女……目を見開いて自分の顔を見上げる詩恩に、マオは肩を竦める。


「心外だな。必要があればちゃんと保護しようとしていたさ。その前にこの黒い蔦が出て来て詩恩くんをぐるぐる巻きにしたから、何もしなかっただけで」


『封印の呪符が焼け落ちるまで放ったらかしておいて、ようそんな法螺ほらが吹けますなぁ?』


「そこは彼の潜在能力、言わば君を信じたのさ。いくら本人が死を望んでいても、肉体が命の危機に陥れば、流石に()()出て来るだろうってね。実際、君は彼に呼ばれるまでも無く出て来た。今みたいに。……けど、あの時も今も、相当無理をしているんじゃないか? この拘束も、随分と緩いし、ね!」


「うわっ!?」


 マオが勢い良く両腕を広げると、太く頑丈そうに見えた漆黒の蔦は、あっさりと引きちぎれた。


 だが、すぐに新たな蔦が荊姫の背後から伸び、投げ出される格好となった詩恩を柔らかく受け止め、自身の側へと引き寄せる。


『主人様が居たから加減しただけでありんす。……お望みなら、本気で相手してあげんしょうか?』


「それはそれは、楽しそうだね」


 瞳孔の開いた黄金の眼と、鋭く細められた紅の瞳が視線をぶつけ合う。狭い部屋の中が、二人の女から放たれる覇気で満たされ、まるで悲鳴のように軋みを上げた。


「荊姫、命令だ。控えろ」


 ……と、今にも強大な力の激突が巻き起ころうとした、その時。蔦から身を起こし、真顔になった詩恩が、ぶつかり合う二人の視線を遮るように間に立った。


『ここまでコケにされて、引き下がれと?』


「これ以上、彼女に不義理を働くなら、俺は自害する」


『っ! ……ウチが、それを許すとでも?』


「封印が解かれた今なら、方法はある。お前ならよく分かっているだろ?」


『………』


 詩恩の瞳を、唇が触れ合いそうなほど顔を近づけた荊姫の眼が、じっと覗き込む。……暫くそうしてから、彼女は諦めたように嘆息を漏らした。


『はぁ……。可笑しな所で頑固なんは、ほんに変わりんせんなぁ。えでしょう。今回は主人様のお顔を立てて、大人しゅうしとります』


 荊姫はそう言うと、淑やかに腰を折り、瞑目して一歩後ろへ引き下がった。……下がっただけだったが。


「……いや、話しにくいから、“向こう”へ戻って欲しいんだが?」


『嫌でありんす。その女がまた主人様に不埒な真似をしないとも限りんせんので』


「っ、お前なぁ!?」


 空間に開いた歪な穴の前からそれ以上動こうとしない荊姫に、詩恩は思わず声を荒げる。


「あ〜、良いよ良いよ。彼女にも聞いてもらった方が手っ取り早いし、これ以上揉めてたら話も進まないから」


「……すみません」


 だが、興が削がれたと言わんばかりに肩を竦めて手をひらひらと振って見せるマオに宥められ、詩恩は恐縮して謝罪する。


『主人様が頭を下げることなど、何一つありんせんのに』


「もう良いから黙っててくれ……っ」


「……ふっ、仲が良いんだな。さて、突っ立ったままでもなんだ。お茶を淹れるから、適当に座っていてくれ」


 主従らしいのからしくないのか分からないような荊姫と詩恩のやり取りを、マオは肩越しにどこか眩しそうに見て、キッチンへと向かった。




===+===




「お待たせ。じゃあ、そろそろ本題を話そうか」


 急須と三人分の湯呑みを持って来たマオは、慣れた手つきで熱い緑茶を注ぎ、詩恩と荊姫、そして自分の前に置く。


「単刀直入に言おう。詩恩。君をあの牢屋から連れ出したのは、」


『拉致監禁の間違いでありんしょう』


「だから黙ってろ!」


 当然のように話の腰を折りツーンとすまし顔をしている荊姫に、詩恩は苛立たしげに声を荒げる。


 マオはピクりと頬を引き攣らせつつも、強引に話を続けた。


「……まあ何でも良いんだが、ともかく私が君を欲したのは、やって貰いたいことがあるからだ」


「はい、何なりと。それで、誰の暗殺でしょうか?」


「うん。その価値観が醸成されてしまった環境には同情するし、悪いのは君じゃ無いと分かっているが、一応先達として、大人として、一言だけ言わせてくれ。一宿一飯の恩くらいで気軽に人を殺すな」


「はっ!? も、申し訳ありません! 御姫様……従者として仕えていた御方に拾われるまで、自分に下される命令は大概その手の汚れ仕事ばかりだったので、つい」


 本人に悪意は全く無いが、詩恩は詩恩でしっかり話の腰を折っていた。


「ああ〜分かってる分かってる。望まず力を持って生まれた人間が辿る人生は、大概似たり寄ったりだからね。でも、私の力はもう見ただろう? 殺しならわざわざ誰かに頼んだりしないよ。それに、今の君は一応晴れて自由の身だ。私に恩義を感じてくれるのは結構だが、頼みを聞くかどうかは君の判断で決めれば良い」


「恐縮です」


「だから恐縮しなくて良いってば」


『御託はええから、はよう話を進めなんし』


「「……」」


 「どの口が言うんだ!!」というセリフを、学習した二人はどうにか飲み込んだ。


「ご、ごほんっ。それで、君への頼み事だが、端的に言うと……『異世界』に行って欲しい」


「………はい? 異世界、ですか?」


『また面妖な……』


「えぇ? 何そのリアクション……」


 怪訝な顔をする詩恩と荊姫に、マオは心外だと言わんばかりに目を眇めた。


「申し訳ありません。あまりに荒唐無稽なお話だったもので……」


『アニメの見過ぎじゃありんせんか?』


「うん今度は我慢しない。どの口が言うんだ!!」


 荒唐無稽ファンタジーそのものな主従に可哀想な人を見るような目を向けられ、ついにマオは我慢の限界に達した。


「そもそも!! 荊姫ちゃんだっけ!? 君だって厳密には異世界の住人だろう!? あとアニメとか微妙に似合わないこと言うんじゃないよ!!」


『ウチは主人様の式神でありんす。思考や経験は繋がりを通して共有されるのは必定ひつじょう。アニメくらい知っていて当然でありんしょう?』


「知らないよ式神のシステムなんて! あと重要なのはそこじゃない!」


「あ、あの! 昨日マオど……んんっ、ごほん! マ、マオお姉さんが使われていたお力は、自分の知る『陰陽術』とは違うようにお見受けしました。もしかして、そのお力は仰っている異世界の?」


「うむ。私の使う『魔法』は元々この世界には無い、異世界の力だ。厳密には、私の魔法は少し特殊なんだが、そこは今重要じゃ無いから説明を省かせて貰うよ」


 詩恩が話の軌道修正を試みたことで、マオもキリッと真顔に戻って話を続ける。……より正確には、「マオお姉さん」と若干恥ずかしそうに詩恩が口にした辺りで、キリッと真顔に戻ったのだが。


「つまり、マオお姉さんは……」


「お察しの通り、私は異世界から来た。君を、見つけ出すために」


 詩恩の言葉尻を攫って、マオは真っ直ぐに彼の瞳を見つめながら、指差す。


「俺、を……?」


「ああ。かなり時間がかかってしまったがね。けれど、こうして巡り会えた。そして、君にとっては不幸で、私にとっては好都合なことに、君はもう、この世界に居たくないのだろう?」


「それはっ……! ………はい。そう、ですね」


 死にたい程に絶望し、全てを捧げると心に誓った相手にはもう会わせる顔が無い。……だと言うのに、未練がましく歯切れの悪い返事しか出来なかった自分が腹立たしくて、詩恩は奥歯を噛み締めた。


『……百歩譲って、その異世界とやらに行くこと自体は主人様に利があるとしても、向こうで何をやらせるつもりでありんすか?』


 そんな詩恩を横目に見つめながら、秘書よろしく代理と言わんばかりに荊姫がより具体的な要求を問いかける。


「そうだね。本当は、順序立てて説明した方が良いと私も思うんだが……すまない。()()()()()


「え?」


 パチンッと、マオが軽く指を鳴らす。すると……、


『っ!? 主人様! 逃げっ……!?』


「荊姫!?」


 その途端、まるで吸い込まれて行くように荊姫が空間の穴へと消え、瞬く間に穴自体が塞がってしまった。


「心配いらない。あのままだと少々不都合が起きそうだったのでね。一時的に引っ込んで貰っただけさ。ここを出た後に君が呼び出せば、またすぐ出て来れるよ」


「っ……マオお姉さん、貴女は、一体……?」


「ふふっ、それはまだ秘密だ。ミステリアスな方が、年上のお姉さんは魅力的だろう? ……それじゃあ、頼んだよ」


 茶目っ気たっぷりに唇に人差し指を当ててウィンクしたかと思えば、酷く大人びた、ともすれば儚げにすら見える微笑を浮かべて、マオは詩音に向かって手を振る。……まるで、旅立つ我が子を見送るように。


「っっっ!?」


 詩恩がそれ以上言葉を重ねることは、許されなかった。


 何故なら、彼の座っていた床……正確には、彼らが居たアパートの一室そのものが、消失・・したからだ。


「なっ……!?」


 突如として空中に投げ出された詩恩は、まるで海に溺れる遭難者の様にバタバタともがく。けれどその手は虚しく空を切るばかりで、何も掴むことは出来ない。


 平衡感覚を失い、上下の感覚すら曖昧になりながら無理やり視線を巡らせれば、まるでオーロラ、或いは万華鏡の中に放り込まれたかのように、様々な色の光が大河の如く流れては消えていた。





『……あ。言い忘れてたけど、オープニングはちょっとだけハードモードかも知れない。まあでも、君なら何とかなると思うから、不自由も含めて楽しんでくれ』






「ちょっ!? 何ですかそれぇぇぇぇぇ………!?」




 既にマオの姿は無く、ひどく俗な言い回しで全く内容の無い忠告だけ受けて、詩恩はまるで滝壺に落ちるが如く光の大河に呑まれて行った…………。



===+===




「………まだか?」


 その呟きは、誰の物だったか。


 厳粛な空気が満ちた、大聖堂の中。中央に設えられた豪奢な台座を、およそ百人近い人間が固唾を呑んで見つめていた。……しかもその全員が、まるで中世ヨーロッパの貴族を思わせる、身なりの良い格好だ。中にはその上から、騎士の如く鎧と長剣を纏っている者も居る。


 そんな彼らが食い入る様に見つめている台座は三台。等間隔で横並びで鎮座しており、その内の二台にはそれずれ一人ずつ、十台半ばほどの少年と少女が意識を失い倒れていた。


 少年の方は体格が良く、赤みがかったブラウンの短髪と、ストライプのサッカーユニフォームが如何にも活発な体育会系と言う印象だ。


 少女の方は華奢だが、はだけたブラウスや短いチェックのスカートからは歳の割に成熟した女性らしいボディーラインがはみ出しており、髪も明るいブロンドで、所謂ギャルと言う奴だろうか。


 一部男性は、寝転がっているせいであられもない姿となっている少女に対し下卑た視線を向けていたが、殆どの者達は、中央の誰も居ない台座を注視している。




 ………そして、その時は訪れた。




「「「っっ!!??」」」




 空っぽだった中央の台座、その上空に、黒い火花のような光がバチバチと音を立てて発生する。


「“黒”だと……? まさかっ!?」


 台座を囲む人間の中でも、一際高い位置に鎮座していた眉目秀麗な金髪碧眼の少年が立ち上がり、声を上げた。


 その直後、黒い光は宙に円を描き、幾何学的な紋様を浮かべる“陣”へと姿を変える。


 ……そして、その“陣”から、漆黒の軍服を纏う小柄な少年が、台座へと放り出される。


「っと!? ふぅ………ん? 此処は……?」


 急に現れた足場に慌てながらも、その少年は何とか肩膝立ちで着地し、周囲を伺うように視線を巡らせた。


 だが、彼が状況を把握するよりも先に、新たな混乱が巻き起こる。




「………く、くく、『黒き神』の使徒だぁぁぁぁぁぁっ!!??」




 台座の比較的近くにいた中年の男が、顔を引き攣らせて少年を指差し、そう絶叫した途端、大聖堂は悲鳴と騒めきに包まれた。


「よ、よりにもよって、最後の一人が何故っ!?」


「嗚呼……終わりだ。やはり魔王の復活は事実だったんだ!!」


「黄金の神よっ!! どうか我々に救いのお導きを!!」


 ……などなど、そこら中から驚愕と絶望の声が木霊し、不協和音の大合唱の様に連鎖して行く。




「………黒き“髪”の使徒?」




 やや色素の薄い黒と言うより灰色に近い自分の髪を弄りながら、少年は首を傾げるのだった。





なかなか本編が始まらなくてすいません……。

続きは土曜夜に更新予定です。

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