大聖女と王子。
入学式が学園長、大聖女アイリスの言葉で幕を閉じた直後、セビアは彼女を呼び止めた。
「アイリス学園長。少し宜しいでしょうか?」
「むぅ? ああ、セビアくんか。その呼び方は何だかジジ臭いと言うかババ臭い感じがするから、普通にアイリスちゃんで良いぞ?」
どこが普通なんだ……と、セビアは戦慄じみたツッコミを内心で口にしつつも、表情には一切出さずに会話を続ける。
「では、アイリス様とお呼び致します」
「君もか……。まあ良いや。それで? 話とは、“彼”の事かい?」
「っ! ……はい。ここでは他の者の耳もありますので、出来れば裏手の控え室までお越し頂ければと」
予想以上の察しの良さに驚きを隠し切れなかったが、話が早いのは彼としても望むところだった。
「ふむ。なら、こっちの方が良いんじゃない?」
そう言って、アイリスがパンッと両手を打ち合わせれば、瞬く間に周囲の景色が広い講堂から本棚で埋め尽くされた小さな部屋へと切り替わる。
「っっ!? 転送魔法、ですか?」
珍しいを通り越して伝説や御伽話の類と言っても過言では無い希少な魔法の行使に、今度こそセビアは驚愕を露わにした。
「何を驚いているんだい? 君だって、彼のご主人様を使って異世界から三人も使徒を召喚したじゃないか。質は違うが、魔力の量だけなら私のそれは彼女と同程度。同じ世界の大して遠くも無い場所に、自分と男の子一人を召喚するくらいの芸当は出来て当然さ」
「……」
アイリスの言葉には幾つも気になる言い回しがあったが、最も確認したい部分だけ、セビアは言葉にした。
「貴方の口ぶりは、貴方と同等の魔力を持つ彼女……アン・ダールベルグ侯爵令嬢よりも、黒き神の使徒、シオン・コトウを特別視しているように聞こえます」
敢えて曖昧にぼかされていた彼らの名前を口にすることで、アイリスに揺さぶりを試みる。もっとも、この程度で彼女が簡単に心を乱すことなど、セビアは期待していない。格上の相手から、少しでも主導権を得るための軽い牽制の様な物だった。
「ああ、その通りだ」
「っっ!?」
だが、牽制程度に放った言葉が、思わぬ痛打となって自らに返って来る。
「わざわざ私を呼び止めて君が聞きたかったのは、そんなつまらない事なのかい?」
言葉を失うセビアに、アイリスは呆れ顔で腰に手を当ててそう言い放つ。しかし、その瞳の奥には彼を試すような色が僅かに伺えた。
「っ、いえ。今の質問はただの興味本位です。本題は別にあります」
「ふふん? なら、手短にしてくれたまえ。いくら王子と言っても、君だけ特別扱いという訳にはいかない。教室には送ってあげるが、皆と同じようにきちんと学校説明は受けて貰わなければね」
すぐに立て直したセビアに、アイリスは及第点と言わんばかりに軽く口角を上げるも、長々と付き合う気は無いと切って捨てる。
「心得ています。では、単刀直入に。……大聖女アイリス様。貴方なら、シオン殿を殺せますか?」
僅かに逡巡は見せるも、彼は、はっきりと問うた。学園長でも、ただのアイリスでも無く、大聖女に。
「今年の新入生は、物騒な事を聞く子ばかりだなぁ……。まあ、例年以上に訳アリが多いのは分かり切ってたんだけどね。そうだなぁ……今日会った時点の彼なら、多分殺せる。甚大な被害を無視すれば、だけどね」
「それは……成長すれば手がつけられない、と言う意味でしょうか?」
「いいや。私に視えた範囲では、って意味だよ。もしかして、気付いて無いの?」
「気付く……?」
アイリスからの逆質問に、セビアは全く見当を付ける事が出来ない。シオンの事はつぶさに観察していたつもりだが、彼の目にはせいぜいまだ力を隠していると言う事くらいしか分からなかった。
「う〜ん、プライバシーにも関わる事だし、彼が何も言ってないなら私から教えるのは微妙な気もするけど……まあ、ヒントだけなら良いかな」
「ご教示下さい」
悩ましげに顎に指を当てるアイリスに、セビアは即答する。使徒の中でもシオンの情報は最優先で得るべきものだ。彼は救世主にも脅威にもなり得る、ある意味で魔王以上に危うい存在かもしれないのだから。
「もし君が私に戦いを挑むとしたら、どんなハンデが欲しい?」
「ハンデ? 何かしらの制限を設ける、と言う事ですか?」
「そうそう。なるべくシンプルに考えてみて。ああ、因みに魔法一切無しっての以外でね。最低限の公平性があった方が、リアルに想像出来ると思うよ」
「………」
セビアは僅かに思案し、思いついた物を口にする。
「魔力の制限、でしょうか? 一定以下、例えば私の十分の一以下の魔力しか使えないと規定すれば、如何に卓越した技量があっても、使える魔法は限られて来ます」
「ふむふむ。良い線行ってるね。他には? そっちに有利なルールとかでも良いよ」
「では、こちらが一撃当てれば勝利、或いは制限時間を決めて、こちらが生き残れば勝利、と言った所でしょうか。これ以上理不尽なルールでは、最低限の公平性も守れないと考えます」
「ふむふむ。他にもじっくり考えれば出て来そうだけど、すぐに思いつくのはそんなもんだよね」
アイリスは軽い調子でそう同意して、王子の側に歩み寄ると、悪戯っぽく微笑んで彼の碧眼を覗き込み、囁く。
「……私が視た限り今の彼には、それ全部が当てはまる」
「っっ!?」
セビアが目を見開き、動揺を必死で押さえ込んでいる内に、アイリスはスッと身を引いて本棚に背を預ける。
「もう少し君の反応を楽しみたい所だが、時間切れだ」
「お待ち下さい! つまり彼は、まだ力の片鱗すら見せていないと!?」
「さあ、どうかな? でも、注意するべき事はそこじゃない、とだけ言っておくよ」
一方的にそう言って、アイリスは踵で床をカカンッ! と、リズミカルに鳴らす。
「っ!? ……くそ」
すると、セビア王子の視界は彼が配属されたクラス、『セレグラス』の教室に変わっていた。
「うおっ!? セビア王子!? いつの間に来たんだよ……」
すぐ側に立っていた朱鷺が、振り向きざまに気付いて声を上げれば、近くに居た天音やフラン、アンも同じく目を丸くする。……ただ一人、シオンだけは、まるでそこにセビアが現れるのを予期していたかのように、落ち着いた顔で見つめていた。
「……驚かせてすまない。学園長と少々話し込んでいた。学校説明に間に合うようにと、彼女の配慮で教室に直接転送して貰えたようだ」
セビアはシオンの視線にたじろぎそうになる衝動を堪え、端的に都合の悪い部分だけ省いた説明を微笑と共に口にする。
「なるほど……。使えるだろうとは思っていましたが、アイリス様は転送、もしくは瞬間移動の類を他人にも行使出来るのですね」
シオンは特に疑念を抱かず、或いはセビアの行動に興味は無いのか、アイリスの転送魔法に着目する。その事に安堵すると同時に、これだけ強者の余裕を纏う者が、アイリスの言う所の“ハンデ”を背負っていると言うのが、セビアには改めて信じられない思いだった。
「私も間近で魔法の行使を見るのは初めてだったが、彼女は大聖女の名に違わぬ規格外な魔導士だ。嘘か誠か、この学園も彼女の魔法だけで建造されたと言われている」
そのような感情はおくびにも出さず、セビアは雑談に興じるようなそぶりでシオンに合わせて会話をする。
「それはまた……。できる事なら、敵には回したくありませんね」
「っ! ……ははっ。貴殿がそこまで言うとは。私も彼女に対する言動には気を付けなければな」
だが、何の気なしにシオンが口にした言葉があまりに核心に迫っていたが為に、危うくセビアは表情を繕うことすら忘れかける。
そして、改めて思う。『できる事なら』と言う深い意味は無いであろうその言葉は、裏を返せば、いざとなれば敵に回しても勝てる、と言う確信の表れなのでは無いかと。
自ら答えを求めたと言うのに、アイリスの意味深な言葉を聞いたせいで逆にセビアは、延々とそんな自問自答を堂々巡りさせるハメになった。
季節の変わり目で体調を崩したり色々あって、久しぶりの更新となってしまいました……。自分で勝手に決めた更新頻度が守れなかっただけなので、別に問題はないはずなんですが、結構凹むものですね。
これからは無理をせず、けれど積極的に執筆は続けていこうと思いますので、書き上がったら都度都度、なるべく毎日更新できるように頑張ってみます。
ご感想など頂けたら、根性無し豆腐メンタルの私には大変な励みになりますので、よろしければお願い致します。