紅の魔女と千年座敷牢。
ーーー時は、島の爆発直前まで遡る。
男達が船を出して数分後、一筋の紅い流星が島に落下した。……否、降り立ったのは、燃え盛る業火の如き紅の髪を靡かせた女だった。
騎士服にも似た漆黒の軍服を纏ったその女は、少女にも成人にも見える、美しく整っていながらもどこか浮世離れした顔立ちだ。白子症という訳では無さそうだが、その瞳は髪と同様に、煌々とした紅に染まっている。
「素晴らしい。厳重に封印されているようだが、ここまで“魔力”が漏れ出している。……いや、彼の場合は“妖気”とでも呼ぶべきか」
女は自身が着陸した衝撃で生んだクレーターの真ん中で、愉快げに嗤う。そして、徐に歩き出すと、先ほど年長の男が翡翠の玉石と何らかの術で開錠した金属の扉の前で立ち止まった。
「ふむ……。封印はなかなかだが、扉自体はただの分厚い金属だな。衝撃や斥力ではどうにもならないだろうが……生憎、私とは相性が悪い」
そう独言を呟いた女は、片手の掌を扉に向け、紅の瞳を輝かせる。
「『アモン』」
彼女がそう唱えた直後、扉よりも一回り大きな紅の光で描かれた“陣”が出現する。幾何学的な文様で埋め尽くされたそれが、一際強い輝きを帯びた、その直後。
煉獄の業火が、瞬く間に扉を融解させた。
「多少抵抗は感じたが……まあ、こんな物か」
思い通りの結果だったにも関わらず、どこか落胆した様に肩を落として、女は洞窟の奥へと散歩に行くような気軽さで足を踏み入れた。
男が少年を運んできた時とは異なり、洞窟内に紫紺の光は無く延々と暗闇が続いていたが、女は確信を持った足取りで一度たりとも止まること無く、少年が幽閉された“千年座敷牢”まで、男がかけた時間の半分ほどで辿り着く。
「………予想通り、だな」
格子の隙間から、畳の上で拘束されたまま横たわるボロボロの少年を見て、女は酷く不快げに顔を顰めた。少年に対する同情というより、残酷な仕打ちに対する嫌悪感が滲み出ている。
けれど、すぐ切り替えるようにブンブンと首を振って、今度はどこか勇ましさを感じさせる笑顔で、少年に語りかけた。
「少年。くたびれている所悪いが、起きてくれるかい?」
「……」
少年は眠っているわけでは無い。瞼も薄く開けている。だが、その虚な瞳は女のことを認識してはいても、映してはいなかった。
女の存在を疑問に思うことすら無い。それ以前に、関心を抱いていない。見知らぬ怪しい存在を目の前にした所で、そもそも危機感を抱く必要性すら感じていない。己が終わりだけを願う少年には、何も届かない。
「………なるほど。何があったのかは知らないが、君が今どんな絶望を味わっているかは、何となく分かるよ。そうでなければ、大人しく封印などされなかっただろうしね。この世界は、君にとってあまりに窮屈過ぎる」
女は皮肉げに口元を歪めて苦笑すると、格子の隙間から少年に手を伸ばそうとする。
だが……、
「っ!」
バチバチバチッッッ!!!!
その途端、牢全体に紫紺の輝きが走り、稲妻のように収束したそれが、女の手を上腕ごと一瞬にして炭化するまで焼き尽くした。
「ほう……流石に彼を封印する場所に選んだだけの事はある。油断していたとは言え、私が反応する間も与えないとはな。こじ開けるには骨が折れそうだが……」
炭化したせいで血こそ流れていないが、片腕を落とされたと言うのに女は何の痛痒も感じていない顔で、寧ろどこか愉快げに感心していた。
そして、今度は少年に視線だけを向け、口を開く。
「少年。死にたいか?」
「っ……!」
それまで何の反応も示さなかった少年は、『死にたいか?』と問われた瞬間、僅かに身体が震え、その瞳が初めてはっきりと彼女を捉えた。
(随分と、綺麗な死神だな……)
業火の如き紅の髪と、浮世離れした美貌。
死を願う自分の目の前に現れた神秘的なその存在を、少年は茫漠とした意識の中で、そう結論付けた。
そして、酷く穏やかな顔で、コクリと、小さく頷く。
「良いだろう。その願い、叶えてやる」
女がシニカルな笑みで少年に頷き返した、その直後。
先程扉を融解させた時とは比べ物にならないほど巨大な紅の“陣”が、彼女を中心に果てしなく広がりながら展開される。
「『マモン』。この世界で出せる最大出力だ。遠慮はいらない。好きなだけ持っていけ」
女がそう告げると、“陣”が一際強い紅の輝きを放った。
少年は、その輝きに思わず目を見開き、虚だったその瞳に、僅かな光が宿る。
「ふっ……。やっと男の子らしい顔になったな」
「っ!? っっ!?」
柔らかな微笑みと共に漏れ出た女の言葉に、少年は訳も分からず胸が掻き乱された様な感情を覚え、そんな感情を自分が覚えたこと自体にも驚愕する。
「さあ、覚悟したまえ、少年」
「っ!」
女は混乱する少年を愉快げに見つめながら、残った片腕を頭上に掲げる。
「君の絶望ごと、全て焼き尽くしてやる!!」
その宣言と共に腕が振り下ろされた瞬間、“陣”から業火の激流が溢れ出した。
瞬く間に視界を埋め尽くしたそれが、まるで見えない壁にぶつかったかのように、少年を閉じ込める牢の目前で荒れ狂う。
「っっ……!!」
目を焼く凄まじい光景の中で、少年がどうにか瞼を開けると、業火の激流に抗うように、紫紺の光が幾筋もの稲妻となって激突していた。
そして、その稲妻が徐々に収束し、最終的にまるで龍のような姿となって、女ごと業火を呑みこまんと巨大な顎門を開く。
「やっと正体を現したな!? ただの術では無いと思っていたが、まさか神格クラスを丸ごと監獄に憑依させているとは!! 実に素晴らしくえげつない発想だ!!」
危機にも関わらず興奮を隠せない様子でそう捲し立てた女は、スッと人差し指を立て、茶目っ気混じりに片目を閉じる。
「だがそれでは、一歩足りない」
幼子に物を教えるような口調で女がそう言うと、“陣”の色が、紅から白銀に変わる。同時に、女の髪と瞳も“陣”と同色に染まった。
「『クロセル』」
そう告げた直後、業火と入れ替わるように絶対零度の凍気が、“陣”から吹き出した。
「悪いが私は筋金入りの脳筋でな。多少は頭も使うが、基本戦法は『力』と『数』でゴリ押しだ。……故に、そちらが神格クラス一体分なら、こちらは二体分で応じよう」
稲妻の龍に意思のようなものがあるかは定かで無いが、女がその言葉と共に今まで以上のただならぬ圧力をその身から発した瞬間、まるで怯んだように波打った。
その姿を見て、女は酷薄に嗤った。
「『マモン』!! 終わらせろ!!」
再び“陣”と女の髪と瞳が紅の輝きに染まり、莫大な業火が空間を飲み込む。
当然ながら、稲妻の龍は先程と同様、抗うようにその業火と激突するが、結果は先程とは異なった。
激突のその瞬間、周囲の何もかもを巻き込んで、龍が爆砕した。
ドガガガガーンッッッ!!!!!!
まるで火山噴火の如く、島が縦に割れ、崩落して行く。
“千年座敷牢”と呼ばれた監獄は、跡形も無く、吹き飛んだ。