少年と『要石』、そして願う妖。
「お嬢様。本日は大変、お疲れ様でした。ゆっくりとお休み下さい」
「い、いえ、シオンの方、こそ……その、大丈夫、ですか?」
怒涛の一日が終わり、湯浴みを済ませたお嬢様を、俺は寝室まで送り届けた。労うつもりが、寧ろお嬢様に心配されてしまい、恐縮する思いだ。
「体力には自信がありますので、お気になさらず。料理や配膳も、王宮の使用人の方や近衛騎士団の皆様が頑張ってくれましたので、それほど自分は消耗しておりません」
「そ、そうなの、ですか……?」
今まで自分を蔑ろにして来た王宮の使用人や騎士達が尽力したことに驚いているのか、お嬢様はキョトンと目を見開く。……まあ、多少強引に指示を聞いてもらったりもしたが、それはお嬢様が知らなくても良いことだ。
「ええ。ありがたくご厚意(強制)に甘えさせて頂きました。なので、そんなに心配なさらないで下さい」
「そ、それなら、良いの、ですが……」
そうは言っても、この自分以外に優し過ぎるお嬢様は、いつまでも俺がここに居たら気を遣ってしまうだろう。ここはさっさと、要件だけ伝えて消えるとしよう。
「そう言えば、明日からは朝食をご用意しようと思っているのですが、何か苦手な食材などはありますか? 逆に、食べたいものなどがあれば遠慮なく仰って下さい」
「え……? い、いえ、特に、苦手な物、などは……いえ、それより、も、あ、朝から、食事の支度、なんて、シオンが、大変では……?」
「主人の衣食住を整える事は従者の義務であり、呼吸をするよりも当然のことです。クリスさんがおかしいだけなので、アレは例外とお考え下さい」
「は、はい……っ!」
「あ、申し訳ありません! つい、熱が入ってしまって……怖がらせる気はなかったのですが……」
いかんいかん。俺の方こそ、あの駄メイドなんかの事で心を乱すな。
「い、いえ、怖がって、なんて……シオン、は、怒っても、怖くない、です」
「え……?」
怖くない。そんな風に言われたのは、生まれて初めてかもしれない。……以前の主人も、あの日までは俺を怖がっている素振りなど無かったが、言葉で「怖くない」と言われた事は、多分無かったように思う。
「シオン、は、凄く、凄く、強い、けど……怖く、は、ない、です」
「っっ……あ、ありがとうございます。何だがとても、とても嬉しいです」
不意に込み上げて来た涙を、ぐっと堪える。これ以上心配させてしまったら、流石に従者失格だ。
「えっと、それで、朝食のメニューは如何いたしましょうか? 何か、リクエストはございますか?」
話を逸らす為に本題に戻ると言うのもおかしな話だが、俺は誤魔化すように再び問いかける。
「そ、その、シオンが、作って下さる、なら、どんなお料理、でも……きっと、全部、美味しい、ので」
「うぐっ!?」
お嬢様がどこか恥じらいながらそう口にした瞬間、ギューンッッ!! という擬音が聞こえて来たかと錯覚するほど、胸が締め付けられるを通り越して引き攣った。な、何だ!? 本当に何なのだ!? この不整脈にも過呼吸にも似た、それでいて全く不快で無い胸の痛みは!?
「シ、シオン…っ!?」
「はっ!? し、失礼しました! 何でも無いのです! 本当に!」
「そ、そう、ですか……? 何だか、と、とても、苦しそうに……」
「いや、これはそのっ、お嬢様のお言葉が嬉しすぎて、少し興奮しすぎてしまっただけと言うか……って、何言ってるんでしょうね自分はっ。は、はははっ」
お嬢様の心配が心苦しすぎて、俺はつい早口で気持ちの悪いことまで言ってしまう。どうしよう。生きると誓ったばかりなのに、今すぐ死にたい。
「だ、大丈夫なら、良いの、ですが……」
「え、ええ、本当に問題ありません。えっと、それでは、明日の朝食はお任せ頂くと言うことで。お休みの邪魔をして申し訳ありませんでした。それでは改めて、ごゆっくりお休み下さい」
俺は赤くなった顔を隠すように深々と頭を下げる。とてもではないが、お嬢様とこれ以上目を合わせていられない。これじゃ本当に、従者失格だ。
「は、はい……シオンも、その、お疲れ様、でした。お休み、なさい」
そう控えめに言って、ぺこりと頭を下げると、お嬢様は少し足早に寝室へと引っ込み、扉を閉めた。
「………はぁ。何やってんだ、俺は」
頭を下げたまま、たっぷり30秒ほど待ってから、ため息と共に顔を上げる。
「いや、切り替えろ。俺はもう、お嬢様の従者であり執事なんだ。心乱れて仕事が疎かになるようでは、話にならん」
自分を鼓舞するようにそう呟き、せっせと明日の朝食の仕込みをしに調理場へ向かう。一息つくのは、今日の仕事が全て終わってからにしよう。
===x===
「あ゛あ゛〜………終わった。流石に、今日は疲れたな……」
仕事を終え、湯浴みで身を清めた俺は自室に帰ると、ベットに仰向けになって倒れ込んだ。
自分で思いついた事とは言え、流石に千人分の食事ともてなしは大変だ。王宮の協力が得られなければ、そもそも不可能だっただろう。……時間が無かったとは言え、少しばかり圧をかけたり、王子を人質に取ったりしたのは、少しやりすぎだっただろうか?
『お疲れなんは、それだけじゃありんせんでしょう? 自分で“燃費が悪い”と言っておいて、城の外にまで陰陽術の“網”を張りっぱなしにしていれば、そりゃあ疲れなんし。体力以前の問題でありんす』
昼に召喚したままだった荊姫が、また勝手に顕現して呆れた顔を見せる。彼女の言う通りなので反論は無いが、こればかりは致し方無い。
「他に方法が無いんだ。必要経費だよ。まあ“燃費”とは言ったものの、実際はエネルギー不足と言うより、効率が悪いだけだよ。俺の場合、人間なら生まれ付き持ってる筈の“呪力”が皆無だからなぁ。その代わり“妖気”だけは有り余ってるから、コイツで無理矢理変換して使うしか無い」
俺はそう言って、シャツの胸元をはだけさせ、胸に埋め込まれた紫紺の輝きを宿す『玉石』を親指で指し示す。
『ま、またそんなはしたないお姿を……っ!』
「疲れたって言ってるだろ……」
俺はさっさと毛布を被り、目を爛々と輝かせて頬を上気させる荊姫から、自身の身体を覆い隠す。また朝のように発情されては堪らない。
『あんっ!? 主人様のイケず……。まあそれはともかく、その『“要石”』に頼るのは、ほどほどにしてくれなんし。いくら膨大な妖気があるとは言っても、ご自分で仰った通り呪力への変換は無理矢理でありんす。主人様のお身体に、負担がかかり過ぎるでありんしょう』
「んんっ……まぁな………て、おい。真面目な話しながら、何してんだ?」
眠気に襲われ意識朦朧としていると、俺が被っている毛布が半分ほど捲られ、ギシりとベットが鳴る。
『添い寝でありんす』
「いや…そんな……当然みたい……に…言われて……も……」
疲れ切った脳は痺れ、視界は既に霞んでいる。抵抗する気力は、もう……。
『後はウチに任せてお休みなんし。我が主人』
そう言って、荊姫は俺を後ろから抱き抱え、その控えめな胸に後頭部を埋める。意識を失う寸前、妖にあるはずの無い温もりを何故か、感じた気がした……。
ーーー。
『………はぁ。女たらしな性分はよく似ていんすのに、他は本当に、欠片も似ていんせん』
ウチは主人様の柔らかい灰髪を梳くようにして、その小さな頭を撫でながら、溜息を吐き出す。
『いっそ、本当にただの妖に生まれてくれたら、こんな気苦労もいらんかったでありんすに……』
すやすやと寝息を立てる主人様の顔は、十五と言う齢に違わず、まだ酷く幼い。そしてその身体は、同じ齢の他の子ども以上に小さく、か細い。
生まれたばかりの頃、主人様は早々に母親から見限られ、牢に閉じ込められたまま乳の一滴も飲まされなかった。その膨大な妖気で無理矢理に臓腑を動かし、生きながらえてはいたものの、血肉になる物を与えられなかったその身は、小さなまま。
その後に主人様を引き取った、……否、“買い付けた”のは、薄汚れた陰陽師の成れの果て共。奴らは豚の餌の如き食事だけを主人様に与え、ただの道具としてこき使った。当時はまだ主人様の自我が薄く、我らとの“絆”も不安定で、その身に掛かるご負担が計り知れず、ウチも手出しが出来なかった。
幼少期をそのような劣悪な環境で過ごした主人様は、肉が付きにくく、過酷な訓練や戦闘で幾度となく骨を潰したせいで、背も満足に伸びていない。頑丈ではあれど、それ以外はただの童のまま。
そして、その心も……幼く狭い世界しか知らぬというのに、その世界の中心に居た最愛の手で、握り潰された。
『……それでも、また人を愛してしまったのでいんすから、懲りない主人様でありんす』
ほとほと呆れ、されど、その無様な姿を滑稽には思えず、ただただ愛おしく想う。
妖のこの身に宿る想いが、この小さな主人に向けられているのか、それとも、その“魂”に向けられているのか、自分でも分かりはしない。
ただ、幾星霜の時を超えようと、自分はこの主人を想い、添い遂げるだろう。『荊姫』と言うこの名を賜ったその時から、自分という妖は、その為だけに存在しているのだから。
『………忌々しい』
主人様の胸元を弄り、その胸に埋め込まれた『要石』に触れる。それは今も主人様の“妖気”を喰らい続け、煌々と紫紺の輝きを揺らめかせている。
本来“呪力”とは、自然界にある五行の気を人が取り込み、己が力としてその身に宿す物。そして我ら妖は、人から漏れ出るこの“呪力”が濁り穢れ、やがて“妖気”となった物が収束し、姿形を得た存在。
……が、この『要石』は、その摂理を逆転させる。主人様から吸い上げた“妖気”を、“呪力”へと変え、再び妖にならぬよう自然界へと霞のように薄めて還す。否、返し続けている。普通の妖にこんな物を埋め込めば、あっという間にその姿まで消えて無くなるだろう。
故にこれは、祓うも調伏して従えるも叶わぬ大妖を封印する為、平安の陰陽師が生み出した、『呪いの玉石』。
主人様はこの呪いを利用して、『要石』が一度に喰い切れぬ妖気を無理矢理注ぎ込み、溢れ出した呪力を捉まえてどうにか『陰陽術』を行使している。
当然、『要石』に喰われてしまう分、妖の様に“妖気”を使って『妖術』を放つよりも、遥かに消耗する。……それに、そもそも主人様の身体は『陰陽術』をまともに使えるようには出来ていない。小物の『陰陽師』でも難なく使える術一つで、頭蓋が割れんばかりの激痛に毎度苛まれる。いくら痛みに慣れていようと、神経は途方も無くすり減っている筈だ。
それでも、主人様が『陰陽術』を使う理由はただ一つ。“人を護る”には、人が生み出した『陰陽術』の方が、“人を殺す”為の『妖術』よりも、圧倒的に優れているから。
『……こんな物が無ければ、すぐにでも主人様を連れ去ってしまうと言うのに……。人の世に巣食う絶望も、苦しみも無い、主人様を“王”の座に据える、ウチらの世界に』
いっそ握り潰してしまいた衝動を堪え、そっと毛布をかけ直し、主人様の頭に口付けをした。
『………いつか、我が主人に永遠の安らぎが訪れんことを』
ウチ如きがどう足掻いても叶わぬ願い。されど、たとえこの身が滅びようと、いつかは叶えて見せると誓う。
仮初の名、仮初の姿、仮初の心。何にも変え難いそれを与えてくれた、この主人様の為だけに。
だから今は、せめて、一時の安らぎを……。