黄金の神と黒き神。
「これは、我が国に語り継がれる神話と、文献に残された史実を元にしたお話です」
まるで小説の冒頭のようにそう切り出したフランネル侯爵令嬢を、俺たちは食い入るように見つめた。
「この世界を創造した二柱の神々、それが『黄金の神』と『黒き神』とされています。『黄金の神』は“生”を、『黒き神』は“死”を司るとされており、二柱の神々はそれぞれの権能で命を循環させ、この世界を育んで来たとされています」
なるほど。死を司る神などと聞かされれば、誰でもマイナスなイメージを持つのは理解出来る。『魔王の眷属』だの『厄災の運び手』などと言われるのは、どちらも人類の滅び、即ち“死”を想起させるからだろう。
「生と死は表裏一体。人が動物や植物の命を頂き命を繋げ、人が死ねば大地に帰りまた彼らの養分となるように、命の循環無くして新たな命は生まれません。故に、どうしても『黒き神』を嫌厭する向きは拭えませんが、幼い頃より教え伝えられた教義の上では、皆分かっているのです。『黄金の神』と『黒き神』。どちらも等しく尊く、この世界に必要なのだと」
フランネル侯爵令嬢はそう口にしつつも目を伏せ、どこか申し訳無さそうにチラリと俺を見た。
「ただ、ここで問題なのが、魔王に関する史実なのです。使徒召喚は、遥か昔より魔王に対抗する人類の切り札として行われて来ました。神と繋がる魔法陣に膨大な魔力を注ぎ込み、異世界との“門”を繋げ、神の選んだ“才”と“人格”に優れた者達を呼び込む。そして現れた使徒は必ず魔王と対峙し、甚大な被害は免れずとも、決定的な滅びだけは防いで来ました」
「「???」」
人格、の辺りで、天音と朱鷺が俺の方に「え?」みたいな顔を向ける。無意識だろうし、疑問に思うその気持ちを否定するつもりは全く無いが、もう少し本音を隠す努力をするべきじゃ無かろうか……。
まあそれはそれとして、俺は今の話に、小骨が喉に刺さったような僅かな違和感を覚えていた。……上手く言語化出来ないが、何かとても大事なことを見落としているような、そんな気持ちの悪さがある。
「しかし、今回の使徒召喚は、史実と異なる点があるのです」
「……自分が来てしまった事、でしょうか?」
フランネル侯爵令嬢の口からでは言いにくいかと思い、俺は自ら問いかけてみる。すると……、
「ち、違い、ますっ! シオンは、な、何も悪く、無いのですっ!」
お嬢様が俺を庇うように、そう声を上げて下さる。そのあまりに健気な姿に、俺は胸が熱くなる。
「お嬢様……」
「っっ……」
思わずお嬢様を見つめると、彼女は恥ずかしげに俯いて、もじもじとしながらも上目遣いに俺をーーー
「はいは〜い。デジャブデジャブ。話進まないから後にしてね〜」
「「っっ!?」」
と、そんな俺たちの間に、呆れ顔の天音が交通整理のおじさんのように手を回しながら割り込んで来た。
「隙あらばイチャつきやがって……けっ!」
朱鷺はありもしない小石を蹴るように足で床を擦る。絨毯が痛むからやめろと言いたいが、どうやら俺が悪いようなのでこの場は口を紡ぐ。
「あらあら……。ですがアン様の言う通り、シオン様自身の存在が問題と言う訳では無いのです。……何故なら、本来であれば“今回”の使徒召喚では、『黒き神の使徒』様だけが、召喚される予定だったのですから」
「「「え???」」」
天音と朱鷺と同じく、俺も思わず声を出して驚いた。てっきり俺は、逆だと思っていたのだ。
「神々の使徒は、時代ごとに交互に召喚されて来たのです。前回は『黄金の神の使徒』、その前は『黒き神の使徒』……、と言うように。そして今回は、『黒き神の使徒』が召喚される予定でした。ですが、シオン様が召喚される少し前に開いた二つの“門”の魔法陣は、『黄金』でした。そして、トキ様とリリー様が現れたのです」
「て、事は、イレギュラーはシオンじゃ無くて……」
「アタシたちだった、って事?」
目を丸くする朱鷺と天音に、フランネル侯爵令嬢はコクりと頷く。
「私は当時その場にはおりませんでしたが、お二人が召喚された時、聖堂内は歓喜に満ち溢れていた事でしょう。何故なら史実には、『黄金の神の使徒』が魔王を退けた後は“繁栄”の時代が起こり、『黒き神の使徒』が魔王を滅ぼした後は“衰退”の時代が訪れたと記されているからです」
「……なるほど。それで自分が黒い魔法陣から現れた為に、あの阿鼻叫喚が巻き起こった、と」
散々期待させられて、最後の最後に梯子を外された、と言うことか。今の文明の繁栄が懸かっていたとあれば、為政者達にとってそれは発狂ものだったことだろう。
「そのようですね。使徒召喚を行うかについては、最後まで議論が割れていました。けれど、魔王に対抗する手段が他に見つかる訳でも無く、最終的には王家、と言うより殆どセビア王子が強行する形で、使徒召喚は行われました」
フランネル侯爵令嬢がどこか気の毒そうに苦笑すると、朱鷺が決断を迫られたセビア王子に同情して俯いた。
「まあ、黙って滅ぼされるくらいなら、魔王を倒してから頑張った方がまだ可能性あるもんな……」
「で、でも、だったらさ! もし魔王が現れたら、アタシとトッキーだけでどうにかすれば良くない? 言うて自信がある訳じゃ無いけど、それなら、その衰退の時代? って奴もさ、来ないかもしれないじゃん!」
天音が少しでも空気を明るくしようとポジティブな対応策を口にするが、事がそう単純なら、今のような事態にはなっていないだろう。
「決してお二人の力を疑うわけではございませんが、それは恐らく、難しいかと思われます……。史実に於いて、魔王と対峙した使徒は常に三人で、今まで一人も欠けた事は無いのです。それでも、先ほど申し上げたように、甚大な被害を免れませんでした。実際に魔王がどれほどの力を有しているのかは分かりませんが、お二人だけで挑むと言うのは、恐らく無謀かと」
「た、確かに……。てか、寧ろ今の段階でめちゃ強確定のシオンが欠けるのは、普通に痛いよな。もし俺とリリーの力が魔王に通用しなかったら、やっぱ頼ることにはなるだろうし」
「そっかー……。まあ、だよね。せっかく強強なシオちぃ居るのに、わざわざ危ない橋渡るのも微妙かぁ」
口にする前からなんとなく分かってはいたのだろう。朱鷺に続いて天音も、フランネル侯爵令嬢の言葉に納得し、再び「う〜ん」と唸りながら頭を悩ませる。
そんな彼らの姿を見て、俺もどうせなら、思ったことを言ってみようと考える。一人で思考するより、議論した方が話も頭に入って来やすいかもしれない。
「……では、逆の場合はどう思われますか? フランネル侯爵令嬢様」
「フランで結構ですよ。…と、自己紹介の時もそう言いましたよ? もう、シオン様は本当にアン様の事しか目に入っていないのですね」
冗談混じりだが、拗ねたようにプイッとそっぽを向くフランネル侯爵令嬢……フラン様に、俺は思わずたじろいだ。
「あ、も、申し訳ありません……フラン様」
「「否定しないんかい」」
「???」
突然声を揃えて謎のツッコミをかまして来た朱鷺と天音に、俺は目を丸くして首を傾げる。否定って、何を……?
「ふふっ。女性……いえ、主人冥利に尽きますね? アン様?」
「っっ……そ、そう、ですね?」
今度はフラン様が意味深な問いかけを口にするが、問われたお嬢様は恥じらいつつもその意味を全て理解できたわけでは無いようで、小首を傾げてふんわりとした返事をしていた。おっと、また動悸が……。
「コホンッ……それで、フラン様、自分の質問についてはどう思われますか?」
「あら、そうでした。“逆”、と言うのは、シオン様がお一人で魔王を退けた場合、と言う解釈で合っていますか?」
「左様です。自分が魔王を退けた後、余力を残した二人に文明の衰退を免れるよう尽力して貰えば、何とかなるのでは、と」
魔法がどこまで便利な物なのかは分からないが、この離宮の作り、そして魔導車などを見るに、文明自体は俺たちの居た世界の方が進んでいるように思える。二人の知識だけでも、繁栄と言う意味なら相当役に立つだろう。
「そのご提案をされると言う事は、シオン様には魔王をお一人で退ける自信、或いは根拠がお有りなのですね?」
「決して自分の力を過信している訳ではありませんが、式神の力を解放すれば、仮に魔王が魔界の軍勢を呼び込んでも、対抗出来ると考えております」
それも、最小限の犠牲で済む。……いや、そもそも犠牲ですら無いな。もともと、俺はそのつもりだったのだから。
「その発想はありませんでしたが……確かに、シオン様のお力は使徒としても逸脱しているようにお見受けしますし、仮にそのお力を阻害する事なく魔法も習得されれば、可能性はぐっと上がるかもしれませんね……」
フラン様は一考の余地があると思ったようで、顎に指を添えて思案する。……と、そこで、思いがけない問いが、お嬢様からなされた。
「………そ、それ程の力を、使って、シオンは、大丈夫、なのですか?」
「っ!? そ、それは……」
潤んだ瞳でそう問われ、俺は用意していた答えも口に出せず、口ごもった。口ごもった自分に、戸惑った。
「や、やはり……何か、と、とてつもない、代償が、あるのですね?」
「そんな大袈裟な物では……た、ただ、その……」
俺は死ぬかもしれない。昨日まで何の躊躇いも無く口に出せたであろうその一言が、言えない。喉が干上がったように、声が掠れた。
「じ、自分はもともと、この世界に送られる前、主人に捨てられた身で……だから、別に……」
死んでも良い。本気でそう思っていたのに、その一言が、言えない。言いたくないと思っているのか? 俺は……。
「シオン……?」
「っっ………」
嗚呼……もう、分かっている。ただ、認めたく無かったのだ。認めてしまえば、あの日々が全て、嘘になるような気がしたから。
死を望まなければ、あの方に……御姫様に捧げた忠誠が、全部無かったことになってしまうような、恐怖があったから。
あの人の為に生き、あの人の為に死にたかった。拾ってくれた恩を、庇護してくれた感謝を、この命を持って返したかった。俺の全てを、捧げたかった。………そんな、あの頃の想いが、全部消えてしまうようで、怖かった。
死にたいという願望と、お嬢様を幸せにしたいというこの身勝手な我欲は、決して両立する事が出来ないから。
「………その、式神の力を全て解放すれば、最悪俺は、死ぬ、かもしれません」
「っっ!? そ、そんな……っ!」
口元を手で覆い、ただでさえ白いお顔を真っ青にするお嬢様を見て、俺は全てを白状することにした。
「……包み隠さず申し上げれば、自分はこの世界に、死場所を求めていました。主人に捨てられ、絶望し、少しでも早く終わりたい。誰にも迷惑をかけず、邪魔されない場所で、ひっそりと死んでしまいたい、と……。だから、魔王の話を聞いた時も、死ぬついでに人の役に立てるなら、相打ち覚悟で挑むのも悪くない、なんて、無責任で軽薄なことを考えていました」
「っ………」
瞼で支え切れなくなった涙が、お嬢様の頬を伝う。言葉は無い、ただ溢れ出した感情が、雫となってポロポロと落ちて行く。その姿に、どうしようも無く俺は胸が締め付けられた。
「そんな事、考えてたのかよ……」
「シオちぃ……」
朱鷺と天音の表情には、切ない同情の色が浮かぶ。彼らもまた、善良なのだろう。詳しくは聞かずとも、俺の境遇を心底哀れんでくれている。
「けれど、今は違うのでしょう?」
どこか微笑ましそうに、フラン様が柔らかく首を傾げた。俺たちと歳も変わらないのに、その表情はとても大人びて見える。
「はい。……現金だと思われるでしょうが、俺は今、多分、生きたいのだと、思います。元々、自分の命にあまり執着が無いので、正直、実感はまだ無いのですが……それでも、お嬢様を幸せにしたい。その欲が、俺に生きることを選ばせていると、それだけは断言出来ます」
はっきりと言葉にして、より強く思う。お嬢様を幸せにしたい。幸せになって欲しい。一方的で自分勝手なこの願いが、俺を生かしている。お嬢様の存在が、俺を、生かしたのだ。
「私の、為に……?」
「お嬢様の為、とは、残念ながら言えないのです。そう言えたら、本当に良かったのですが、これは自分の……俺のエゴです。もしかしたら、心とは別の本能で、無意識に生きる理由を探していて、お嬢様をその口実にしているだけなのかもしれません」
生存本能なんて物がこの化物の身にもあるのだとすれば、そういう事もあり得るだろう。でも、それはさして重要なことでは無い。
「ただ、貴女を幸せにしたいと言うこの気持ちに、嘘はありません。少なくとも、お嬢様のお側を離れて、今すぐ死にたいだなんてことは、これっぽっちも考えられませんから」
「っっ……」
先ほどまで青かったお顔を桃色に染めて、お嬢様は息を詰まらせたように黙り込む。……少し率直過ぎたかもしれない。共感性羞恥でお嬢様にまで恥ずかしい思いをさせるとは……。
「も、申し訳ありません! 言葉選びが下手なもので……」
「い、いえっ……! そんな、こと……」
「……」
「……」
二人して黙り込み、気不味い沈黙が流れる。
「……何か、心配する気完全に失せたな」
「それな〜。超可哀想な話かと思ったら、ただの壮大な口説き文句だったわ」
白けたような顔でこちらを見る朱鷺と天音の方を、俺は何故か見ることが出来なかった。
「く、口説き文句とか、そんなつもりはありません!」
「「いやいやいや」」
二人はどこかデジャブを思わせる動きで手をブンブンと顔の前で振る。無駄に動きが洗練されて来た気がするのは気のせいっだろうか……。
「ふふっ。では、先ほどのシオン様のご提案への答えは、無し、ということでよろしいですね?」
「「当然!!」」
笑みを溢しながら問い返したフランネル様に、俺が返事をするより早く、二人揃ってハッキリと同じ答えを返す朱鷺と天音。俺はそんな二人にどこかむず痒さを感じて、無意識に顔を逸らす。
「ま、まあ、そうなりますよね……」
「……良かった、です」
「うっ……!?」
ホッと胸を撫で下ろすお嬢様に、またしても胸の疼きを感じ、再びギュンッ!と顔を逸らす。様々な感情の洪水に、心のダムが決壊してしまいそうだ。
「安心しました。シオン様の気持ちがそれほどお強いなら、これからするもう一つの話を聞かれても、問題無いでしょう」
「……お嬢様のこと、ですね」
「はい」
お嬢様のお顔を伺いながら俺が問うと、フラン様もまた労わるようにお嬢様を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「アン様が『氷縛の魔女』、そして『魔王の現し身』などと呼ばれる所以は……」
「お待たせしましたぁ!! ふぅっ! 何とか何事もなく戻って来られましたよぉ……」
……と、鎮痛な面持ちで話し始めたフラン様の言葉をぶった斬るように、無能馬鹿メイドがノックもせず応接間に入って来る。
「……!!!」
俺は無言でシュタタタッッ!と素早くクリスの元へ行き、その頭をシバいた。
「痛ぁ〜っ!?」
間抜けな悲鳴が応接間に響き、身構えていた面々はゲンナリと、意図せず肩の力を抜くのだった……。