ランチと主従。
「お待たせ致しました。お嬢様。まずは突き出し……いえ、『アミューズ』からお召し上がり下さい」
「これは……?」
お嬢様を席までお連れした俺は、クリスを連行して調理場に引っ込むと、まず前菜の前に一口で食べれるようなちょっとした突き出し、フレンチ用語で言うところの『アミューズ』から配膳した。
「小さなシュー仕立ての生地に、温めた自家製のリンゴジャムと、ハーブで香り付けした挽肉のパテを挟んだ、ちょっとした焼き菓子のような料理です。どうぞ、手で摘んで一口でお召し上がり下さい」
俺はそう言いながら、手洗い水を入れたフィンガーボールと手拭きを料理の横に置き、一歩後ろへ下がる。
「……い、頂きます。」
お嬢様は僅かに逡巡を見せた後、意を結して小さな口を開けて、あむっと愛らしいリスのように頬張る。
「っっ……!? ……んっ、んっ……」
噛み締めた瞬間、目を見開いたお嬢様は、そのままゆっくり咀嚼し、惜しむように飲み下す。
「す、凄く、美味しい、です……っ!」
そして俺の方を振り返り、淡く頬を上気させ、一生懸命感想を伝えてくれる。……まだ前菜すら出していないと言うのに、俺の方が満足してしまいそうだ。
「ありがとうございます。自分も大好きな料理なので、是非お嬢様に召し上がって頂きたかったのです」
挽肉の脂とリンゴジャムの甘酸っぱさが溶け合い、ハーブのアクセントが食欲をより増進させてくれる。主人に連れられて行った店でこの料理を初めて食べた時、俺も同じように感動して、屋敷でも出せるよう四六時中試行錯誤したり、しまいには出してくれた店のシェフに直談判してレシピを聞き出したりした物だ。……いざ完璧に再現して作ったら、当時は喜ばれる前に何故かドン引きされたが。まあ、今はお嬢様が喜んでいるので、結果オーライだろう。
俺は空になった皿を下げて、調理場で手早く、かつ丁寧に次の料理を仕上げる。
「……あの、黒き神の使徒様は、」
「シオンで結構ですよ。長くて呼び辛いでしょう」
何か気になる事でもあるのか、傍で見ていたクリスがおずおずと話しかけて来る。俺は皿にソースで花の絵を描きながら、失礼とは思いつつも集中しなければならないので、口だけで応じていた。
「シ、シオン様は、元の世界では料理人だったんですか? さっきのアミューズ?もそうですし、今作られている前菜も、他に用意されている物も、どれもとても手が込んでいるように見えるんですが……」
『様』も別に要らないんだが……いや、使徒としての公式の場で彼女が呼び分けるのも面倒か。
「いいえ。自分はとある御仁の従者でした。護衛も兼ねていましたが、基本的には主人のお世話をしている時間の方が長かったですね。料理やお茶の淹れ方も、その時に学びました」
懐かしい……。前の主人にはそこまでしなくて良いと何度も言われたが、あの頃は俺みたいな化物を側に置いてくれる主人に尽くしたくて必死だった。……今思えば、捨てられるのが怖くて、少しでも役に立てる方法を一つでも多く知りたかったんだろうな。
「へぇ……。でも、こんなに綺麗で美味しそうな料理が作れるなんて、才能があったんですね」
感心したようなクリスの物言いに、俺は思わず苦笑する。
「まさか。最初はそれこそ、野菜のスープもまともに作れませんでしたよ」
「ええっ!? う、嘘ですよ! だって、皮剥いて切って水に入れるだけですよ!? 後は塩とか適当に入れれば何とかなるし……」
こ、こいつ、本当にそんな出来損ないの精進料理みたいな物をお嬢様に出してたのか……。まあ、昔の俺よりはマシかもしれないが。
「普通の人が野菜の皮を剥いて食べる事や、料理には味付けが必要だという事も知りませんでした。前の主人にお仕えするまで、自分にとって食事とは、与えられる餌を漠然と摂取するだけの作業でしたので」
「え、餌……」
「才能どころか、誰でも知っている程度の教養すらありませんでした。……でも、食事が普通の人にとっては楽しみや心身の栄養だと教わってから、少しでも美味しい物を主人に食べて欲しくて、夢中で学び、実践しました。それでどうにか、この程度の物が作れるようになった、という感じです。……ふぅ。こんなものかな」
「うわぁ……っ!」
俺が盛り付けを終えた皿を見て、クリスが目を輝かせる。
主人が女性と言う事もあって、盛り付けはお洒落な方が良いと当時の屋敷に居た使用人達に教わり、ネットで色々調べたりしながら、必死で練習した。その甲斐あって、それなりに見栄えの良い物が出来るようになったのだ。クリスも見たところ俺やお嬢様と歳は変わらないようだし、この手の華やかな盛り付けには目を惹かれるのかもしれない。
「後で残りを賄いで出しますから、そんなに食い入るように見ないで下さい」
「い、良いんですか!?」
「ええ。但し、美味しいお茶を淹れられるようになったら、ですが」
「うっ!?」
俺はそう言い残し、仕上がった前菜の皿を食堂に運ぶ。
「お待たせ致しました。こちらは前菜の、野菜と白身魚のテリーヌでございます。ソースはコクのあるハーブバターと、酸味を聞かせたビネグレットの二種でご用意しておりますので、お好みでお召し上がり下さい」
「???……こ、これは、お料理、なのですか? 美術品、ではなく?」
色とりどりの野菜と白身魚のパテ、そして緑と朱色のソースで皿の上に描かれた花々を見て、お嬢様は目を丸くする。……とても気持ちが分かる。俺も初めてこの料理の原型を見た時は、「これ、食べれるんですか?」と、失礼にも思わず聞いてしまった。主人や周囲の大人は、面白そうに笑っていたものだ。
「美術品とまで言われると恐縮してしまいますが、ちゃんとしたお料理です。野菜は味と発色が良くなるよう種類ごとに調理方法を変えたり、ソースの色付けも、細かく潰した野菜やハーブ、スパイスなので、安心してお召し上がり下さい」
「ぁ、そ、その……心配、した訳では、なくて……こ、こんなに、綺麗な物を、食べて、しまって、良いのかと……」
「っっ! ………勿論です。お嬢様に召し上がって頂きたくて、ご用意させて頂きました。是非」
そわそわと伺うように俺を上目遣いに見るお嬢様に、自分の浅はかさを恥じつつ、恭しく一礼する。……アホで無知だった俺と、お嬢様が同じことを考えるわけ無いじゃないか。
それにしても、お嬢様が上目遣いにこちらを見た瞬間、また胸が締め付けられたような気がしたんだが……何なのだろう? 肺に損傷を負うような怪我はここ暫くしていない筈なんだけどな。
「で、では………んんっ!?」
おずおずとテリーヌを切り分け、朱色のビネガーソースの方を付けて食べたお嬢様は、その酸味と野菜から溢れる水分に驚いたのか、咽せはしないものの、ビクッと驚いたように小さく身を震わせた。……味見はしたから大丈夫だとは思うが、少し酸味が強すぎただろうか?
「お、お嬢様……? もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「んっ…んっ……い、いえ、凄く、お野菜が、瑞々しくて、な、なのに、柔らかくて……っ! あ、甘くて、優しいお味、なのに、酸味も、す、凄く、良く合っていて……も、申し訳、ありません、上手く、お伝え出来、なくて。で、でも……っ! こ、このお料理も、凄く、美味しい、です……っ!」
よ、良かったぁ……。少し変わった料理だし、口に合わなければどうしようかと思った。
「……ありがとうございます。十分過ぎる褒め言葉です。お邪魔をして申し訳ありませんでした。どうぞ慌てず、ゆっくりとお召し上がり下さい」
「はっ、はい……」
それから俺は、お嬢様が前菜を食べ終えるまで、邪魔にならないよう後ろに控えていた。
一口一口、まるで宝物のように見つめてから、大事そうに口に運ぶお嬢様の姿を見て、俺はこの上ない充足感を覚えた。
そうして、ゆっくりと時間をかけてお嬢様が食べ終えた皿を下げ、俺はメインディッシュに取り掛かる。
本来のフルコースであればもう一品前菜と、魚料理を一品出してからメインを提供するのだが、お嬢様は少食と言う事だし、今回はメインまで出して終わりの予定だ。
アミューズを提供する前から、予めオーブン(みたいな魔導器)を使ってじんわりと火入れしていた赤身肉を取り出し、切り分けて少し底の深い皿に盛り付けていく。事前に焼きでも生でも毒味をしたが、元の世界で言うところの牛肉に近い肉質の物だ。使った部位は比較的柔らかく、脂の少ないヒレ(多分)。
そして、肉を切っている間に温めた、スープ仕立てのソースを回し掛け、香り付けに酒精を飛ばしたワイン(多分)とオリーブオイル(みたいな香りのオイル)を和えた物をほんの数滴垂らして、完成だ。
「お、美味しそう……っ! 香りと見た目だけで涎が止まりませんっ!」
「止めて下さい。はしたない。肉はともかく、ソースは余るので、後で適当な肉とか野菜の端っこと合わせて出してあげますよ」
まるで餌を前にした犬のように、舌を出して興奮した様子で身を乗り出して来るクリスから皿を遠ざけ、俺は冷めた声で諌める。一応コイツの方がここでは先輩の筈なんだが……。
「シオン様。私、一生付いて行きます」
「やめろ」
素っ頓狂なことを言い出したクリスを、俺はまたしても思わず素で突き放して、温かい内にメインの皿をお嬢様の元に運んだ。
「ゴホン……お待たせしました。メインは赤身肉のローストでございます。ソースは骨から取った出汁で、香味野菜と根菜を煮込んだスープ仕立てとなっておりますので、宜しければお肉と一緒に、掬ってお召し上がり下さい」
俺はそう言いつつ、事前に交換しておいたシルバーの中からスプーンを手で指し、それとなく食べ方を伝える。
「は、はい……。スゥ……はぁ……凄く、良い、香り……」
程よく温めたスープソースと、香ばしく焼き目を付けた肉から立ち上る香りを上品に吸い込み、お嬢様は心地良さそうにため息を漏らす。それだけで、俺は思わず顔が綻んだ。
「い、頂き、ます……。…んっ!……んんっ……んっ…」
口に入れた瞬間、またしても目を見開いたお嬢様は、ゆっくりと咀嚼する。一噛、また一噛と、ゆっくり丁寧に噛み締めて、たっぷり十秒ほどは経っただろう頃に、ようやく飲み込んだ。
「んっ………美味、しい……。……ぁっ!?」
「っっ!!??」
そして、俺は盛大に混乱した。
お嬢様が、涙を流されていたから。
「ぁっ、ぇっ、えっと、ご、ごめんっ、なさい……っ!」
「お、落ち着いて下さい! 大丈夫ですから。さあ、こちらを……。その、この料理が、どうかされましたか?」
必死に手のひらで涙を拭うお嬢様に、俺は訳も分からず、慌ててポケットから取り出したハンカチを差し出す。
「いえ……いいえっ……こ、この、お料理、も、ほ、他の、お料理も、と、とても、とても、美味し、くて……っ! シ、シオン様、の……あ、温かい気持ちっ、が……わ、私、なんかにはっ、も、もったいっ、なくて……っ」
「っっっ………」
その瞬間、魂が、震えた。
そう表現するしか無い衝撃と、溢れんばかりの激情が、俺の頭を支配する。
彼女は、何と尊い方なのだろう。こんな化物が、必死で人間の真似事をして作った食事で、涙を流してくれる。温かい気持ちが宿っていると、疑いも無く信じてくれる。……気が付けば、俺もまた、涙を流していた。
嗚呼……本当に何なのだこれは。壊れそうなほど心臓が早鐘を打っていると言うのに、その痛みが不快どころか、酷く心地良い。
この衝動の、この感情の名前は、何と言うのだろう? 知りたいようで、知るのがとても、とても怖い。
「……何度でも、何度でも作ります。俺が、、アン様にお仕えする限り」
「っっ……よ、良いの、ですか? ほ、本当に、私なんか、が、シオン様、の、あ、主人で……」
二人して止まらない涙を拭いながら、口調や相手の呼び方もあやふやになって、それでも、確かに伝え合う。
「俺は、貴女に仕えたいのです。アン様」
「っっ……はいっ。はいっ、シオン…っ……!」
ーーーーこの時俺は、彼女と本当の主従になれた。そんな気がしたんだ。