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紅茶と花。


「失礼致します」


 ある程度やるべきことを終えた俺は、身なりを整えて先ほど窓辺から見えた、巨大な鳥籠のような建造物……『植物園』を訪れた。


「ぇ……シオン、様?」


「従者に『様』は必要ありません。アン様」


 少し奥まで入ると、ドーム上の植物園の中心には、こじんまりとしたテーブルと椅子が置かれていた。その椅子に、目当ての人物……アン様が、キョトンと意外そうな顔をして腰掛けていた。落ち着いた装飾の白いドレスは、彼女の儚げな美しさとあまりに相性が良く、まるで雪の妖精のようだ。


「おはようございます。たまたま窓辺から見えたので、朝のご挨拶に伺いました」


「お、おはよう、ござい、ます……」


 アン様はわざわざ立ち上がって、ぎこちなく挨拶を返してくれる。昨日の今日ではまだ緊張が解けていないのは仕方ない。あまり雑談は得意では無いのだが……従者として、少しでも安心させれるように、俺なりに頑張ってみよう。


「凄い花の数ですね……。こちらには、よくいらっしゃるのですか?」


 俺は首を巡らせた植物園を満たす花々を一望しながら、出来るだけ柔らかい声音を心がけ、そう尋ねた。色鮮やかな花から、足元に咲く控えめな花まで、およそ何百種類はありそうなそれらに、見守られながら。


「は、はい……。わ、私は、此処が、とても、好きで……」


 アン様も精一杯、俺の問いに答えてくれる。……あまり負担はかけたくないが、少しずつでも歩み寄りたいと、どうしても願ってしまう。


「左様ですか。勝手な感想ですが、お花を愛でられるご趣味は、品があり楚々としたアン様の雰囲気に、とてもお似合いです」


「ぇっ……!? ぁ、あ、ありがとう、ござい、ます……」


 不味い。驚かせてしまったようだ……。従者の分際で烏滸がまし過ぎただろうか? と、取り敢えず、これ以上この話題を引き延ばすのは止そう。 


「そ、そう言えば、随分と早いお時間からこちらにいらしてましたよね? お身体が冷えたのでは? 宜しければ、紅茶を淹れて参りましたので、お召し上がり下さい」


「っ! そ、そんな、シオン様は、使徒様で、お、お客様、ですのに……」


「俺……いえ、自分は昨日をもって、貴女様の『ヴァレット』、すなわち“従者”になりました。従者が主人のお世話をするのは当然の義務です。それに紅茶を淹れる程度、まだお世話の内にも入りません」


 念の為、断じて今朝方の荊姫が口にしたような下世話な隠語の方の『お世話』では無い。……って、俺は誰に念押ししてるんだ。


「で、ですが……! そ、それは悪魔で、『アイリス魔法学院』に、入学する為の措置、で、立場は私より、シオン様の方が……!」


「では、言い方を少し変えましょう。自分は自ら志願して、アン様の従者へと“下り”ました。故に、俺に対する命令権の最上位はアン様にあります。そして、自分のような化物を使徒として召喚してしまったセビア王子と、協力したアン様にはその“管理責任”がある。自分を警戒している者たちには、アン様の忠実な下僕になったと思わせた方が、今後も色々と動きやすいかと」


「っっ?? そ、そう、かもしれません、けれど……げ、下僕だなんて、そんな……」


 よし。もう一押しだな。……主人を混乱させて話を通そうなんて、我ながら不届き者な従者だと思うが、対等以上の立場だと、俺としてはやり辛いことの方が多い。何より、彼女に尽くしたい。この想いを遂げるには、やはり仕える他無いと感じているのだ。


「自分は、元の世界でもつい最近までとある御仁の従者をしておりましたので、仕える事には慣れています。と言うより、仕えている方が気楽なのです」


 ……胸の痛みを堪えて、出来る限り屈託無く笑って見せる。笑うのはあまり得意では無いが、側で誰かが笑っていてくれる、それだけで心が温もりで満たされることを、俺は知っているから。


「っ……! ……で、でも……私、は、シオン様に、仕えて、頂くような、者では……」


「いいえ。アン様は、この化物に自ら“礼”を言いに来て下さいました。セビア王子のように必要や責任に駆られてでは無く。まあそれでも十分立派ですが……。貴女はご自分の意思で、化物の前に立ち、誠実に言葉を選び、頭まで下げてくれた。……そんな御方は、前の主人を除いて、貴女しか居ません」


「そ…それは、命を、助けて、頂いたので、当然で……」


「もしあのまま自分が何もしなくても、そして貴女の意思がそこに無くても、あの氷の魔法が勝手に貴女を守ったのでは?」


「っっ!? どうして、それを……っ!?」


 予想通りあの魔法……いや、言葉を選ばずに言うなら、あの“呪い”は、自動的に発動するようだな。恐らく昨日のあれは、アン様が触れた瞬間に呪いが俺を脅威と看做したんだろう。


「やはり。であれば、本来は礼など不要だったはず。それでも貴女は、勇気を出して自分に声をかけてくれた。自分が仕える理由は、それだけで十分です」


「そんな、ことで……ぇっ!?」


 俺は逡巡するアン様の前に跪き、恭しくこうべを垂れる。


「短い間とは言え、誠心誠意御仕え致します。ご迷惑なのは重々承知しておりますが、どうか、この化物の忠誠、お受け取り頂けませんか?」


「め、迷惑、なんて!? そんな、ことは……」


 自分でも、ずるい言い回しだと思う。誠実な彼女の罪悪感を刺激する、卑怯な言葉を並べ立てた。……それでも、俺は彼女に尽くしたいのだ。持ち得る全てを捧げて、幸せにしたい。


「それでは、“お試し”、と言うことで、冷める前に紅茶を召し上がっては頂けませんか?」


「ぁっ!? ご、ごめん、なさい……」


「いえ、自分が勝手に用意した物ですから。では、お注ぎしても?」


「ぁ、えっと……は、はい。お願い、します」


 こうして彼女が流されやすくなるよう小道具まで用意しているのだから、我ながら、全くもって姑息な事この上ないな。


「ありがとうございます。では、少々失礼します」


 俺はあらかじめ紅茶を乗せた台車に用意していた布巾ふきんを使い、丁寧にテーブルを拭き上げ、クロスを敷く。


 そして、台車の上でマグカップの上にポットから紅茶を注ぎ、アン様の前に音を立てぬよう優雅に配膳する。


「お待たせ致しました。本来なら淹れたてをお召し上がり頂く所なのですが、こちらに給湯設備があるか分からなかったので、勝手ながら城の調理場で熱めに沸かしたお湯と、高温に耐え得る茶葉を選んで淹れて参りました。お口に合うと良いのですが……」


 城の調理場は、あの『魔導車』と同じ『魔導石』が設置されたコンロなどの調理設備があった。『魔法陣』は俺が式神を呼び出す時に展開する『陣』と似通っていた事から、もしかしてと思い“妖力”を込めてみた所、狙い違わず起動することが出来た。ガスコンロのように火が着く訳では無く、どちらかと言えばIHに近い様式で、元の世界のコンロのように多機能では無いものの、温度調節は妖力の注ぎ具合で可能なので、シンプルな分使い勝手も悪くなかった。


 欲を言えば、家庭用のカセットコンロのように持ち運び出来るタイプの物があれば良いのだが……まあ、それはまた探すとして、一先ず給湯や料理に関して設備的な問題は無さそうだ。


「い、頂き、ます……」


 念の為、ポットの周囲に『陰陽術』の“火界咒かかいじゅ”を応用した薄い暖気の膜を張っていたので、冷め切ってはいないはずだが……。


「……っ!?」


「ど、どうされました!? もしかして、少し熱過ぎましたか!? それとも苦かったとか……」


 しまった! こちらの世界の味覚に合わせるのをすっかり忘れて、いつもの要領で淹れてしまった! 昨日頂いた紅茶は正直美味いとは言えない物だったが、もしあれがこの世界のスタンダードだとすれば、かなり的外れな物を出してしまったのでは!?


「ぃ、いえ……すごく、美味しい、です……っ! い、今まで、飲んだ、紅茶の中で、一番っ……!」


「ほ、本当ですか? 気を遣って下さっている訳では……」


「い、いいえ……っ!!」


 俺が不安げに伺うと、アン様は首を一生懸命横に振って、必死に否定してくれる。


「と、とても、美味しい、です……!」


「良かった……ありがとうございます。お褒め頂き、光栄です」


 俺はその反応にようやく安心し、ほっと胸を撫で下ろす。茶を淹れるのは、前の主人にも褒められていた唯一の特技と呼べる物だ。それだけに、ここでしくじっていたらかなり凹んでいただろう。


「……はぁ。本当に、美味しい……」


「っっ!?」


 もう一口紅茶を口に含んだアン様は、大事そうにカップを手で包み込み、柔らかく微笑んだ。


 その微笑みを見た瞬間、俺は何だか、胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。これは……?


「……? シオン、様?」


「え? あ、ああいえ、すみません。何でも無いんです。それより、アン様? 先ほども申し上げましたが、自分の事はシオンと、どうぞ呼び捨てになさって下さい。抵抗があるようでしたら、『おい』とか、『お前』とか、『犬』とか、好きなように呼んで頂いて構いませんので」


「そっ……そんな、風には、呼べませんっ…!」


「では、シオンでお願い致します」


 気を取り直した俺は、満面の笑顔でアン様に詰め寄る。……どうしてだろうか、紅茶の味を褒められただけなのに、何だがとても気分が高揚している。機嫌が良い、と言う方が適切かもしれない。


「うっ……じゃ、じゃあ、シ、シオン?」


「っっ!! ……は、はい、アン様」


 コテンと小さく首を傾げて、どこか恥じらうように、アン様が俺の名を呼ぶ。たったそれだけの事なのに、なぜだかどうしようもなく胸がざわついて、けれどそれは全く不快でなくて……嗚呼、本当に、何なのだろう? この気持ちは……。


「「っ………」」


 アン様も俺も、何だかソワソワして目を逸らしてはチラリと視線を戻したり、一言で言えば居た堪れない空気が流れていた。


「そ、そう言えば! 俺の呼び方ばかり気にして、アン様を何とお呼びすれば良いか、伺っておりませんでした」


 俺はどうにか空気を変えようと、やや裏返った声で無理やり話題を捻り出す。


「え? あ、あの、私は、そのままで……。き、昨日も、申し上げた、通り……私を、家名で呼ぶと、その、不快な方も、いらっしゃる、ので」


「ああいえ、そういった“些事”の問題ではなく、従者が気軽に主人を名前で呼ぶと言うのも不敬なので、何か適切な呼称があればと。例えば、我が君、とか、ご主人様など」


 侯爵とは、確か王家の血筋を引いている貴族の最高位だったはずなので、姫様、とかが適当なのかもしれないが……その呼び方は、どうしても以前の主人を想起してしまう。アン様に憂いを見せない為にも、出来れば他の呼び方が良い。


「さ、些事……? あ、えっと……あの、私は、そんな立派な者、では……」


「ふむ。流石に少し大袈裟過ぎて、気が引けてしまいますか……ご令嬢、と言うのではいくら何でも他人行儀に過ぎますし………っ! そうだ!」


 俺は前の世界で聞いたことのある、使用人が若い女性の主人を呼ぶときに使う物で、アン様にもしっくり来る呼称をピンと思い付く。




「“お嬢様”、と言うのは如何でしょう?」




 口に出して、改めてとてもしっくり来る。


 雪の妖精を思わせる儚げな美しさと、控えめで気品のある佇まい。色とりどりの花々に彩られた植物園の中心で、優雅に紅茶を傾けるその姿には、楚々とした清廉さがある。彼女以上に、お嬢様という呼び方が似合う女性は居ないだろう。


「お、お嬢様、ですか……?」


「ええ。自分はとても良いと思うのですが……如何でしょう? お嫌でしたら、何か別の呼び方を考えます」


 戸惑うように目見開いたアン様は、僅かに思案した後、ゆっくり頷いた。


「……シ、シオンさっ……シオンが、そう、仰るの、でしたら」


「っ! ……ありがとうございます。では、これからは、お嬢様と呼ばせて頂きます」


 それから俺たちは、お互い不慣れなりに、花の種類や紅茶の好みなど、ポツポツと他愛も無い話をして過ごした。そして気が付けば、すっかり日は高く上っており、昼時となったので、二人連れ立って城に戻ることにした。


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