傾国の鉄宰 第十六話 【名付けと特訓】 〜ロストジェネレーションって何だ!
〜祝宴より三日〜帝都離脱前日まで
子爵家の裏手にある小さな森。
帝都の貴族街にあっては敷地内に森を持つような貴族は流石に少ない。高位貴族でもない子爵家が貴族街の外れとはいえ森を持つことは、武門の矜持と同時に領土の繁栄を如実に表していた。
森は古来より魔素が濃く漂う場所で、若者が魔力を学ぶ修練地としても古くから使われていた。
ヴォルターは佩刀(片刃刀の刃を下にして腰にさげる事)して、敵襲を警戒していた。
ただ、先ほどまで森に漂っていた冷え切った空気は霧散して、ハイデルの若者の修練の場に相応しい熱気が溢れていた。
「名前、ですか……?」
マイヤーの提案にケインは驚き、自身の足元に広がる影を見つめた。
「はい。古来より、精霊に名を与えることは『契約』の完成を意味します。単なる力の一部としてではなく、対等なパートナーとしてその存在を定義するのです。そうすれば、ケイン様の意思はより正確に、より強くその精霊に伝わるようになるでしょう」
〈名前か……それはいい。僕の国でも古来から馬や刀に名をつける者がいたが、愛着があれば死線での冴えも変わるという理由らしい〉
次郎が楽しげに笑う。
(次郎さん、勝手にケイン君を死線に立たせないでくれますか。でもケイン君、あまり難しく考えなくていいんだ。君がその子をどう感じているか、どう成長してほしいかの願いを込めればいいんだよ)
〈言霊か〉
「コトダマ?」
(俺たちのいた国ではね。言葉そのものに力があるって考えられているんだよ)
ケインは静かに目を閉じ、影の中に意識を沈めた。そこには、あの祝宴の夜に自分を飲み込もうとした絶望の「闇」があった。けれど、今は不思議と冷たさは感じない。むしろ、震える自分を包み込んでくれるような、静かな夜の暖かさを感じた。
「黒……。影…暗闇…」
候補がいくつか浮かぶが、どれもしっくりこない。その時、暗闇という言葉に裕翔の記憶が反応して、ある言葉がこぼれ落ちてきた。
(夜明け前の暗闇が、一番深いんだ。その暗闇と地平の端に、茜色の光が差し込む景色は何とも感動的でね。儚さと強さ、そういったものがごちゃ混ぜになって…希望を表すとしたら、あんな景色になるのかな。俺のいた所では『東雲』って呼ばれてたよ)
それは、裕翔が苦しい時期に何度も思い返して心の支えにしていた風景だった。家族と山に登って観たあの風景を裕翔は忘れた事が無かった。
〈『東雲』とは、また古風な言い回しだな。僕の学んだ国では『ファーストライト』と呼ばれていたな〉
「希望…ファーストライト…」
ケインは静かに息を吐いて目を開ける。
「マイヤー、決めたよ。ライトだ。この子はライトって名前にするよ」
ケインは自らの心の中に呼び掛ける。
「君の名前は『ライト』だ。僕と一緒に歩んでくれるかい?」
その瞬間、ケインの足元の影が大きく波打った。黒い霧が渦を巻き、実体を持って立ち上がる。それは、先ほどよりもしっかりした実体をもっており、黒猫というよりは漆黒の仔豹のような姿だった。
『ミャー』
短く鳴いた『ライト』は、ケインの足元を何度も八の字を描くようにすり抜け、最後に満足げにケインの影へと溶け込んだ。
「……下級精霊が、これほど明確な喜びを示すとは」
ヴォルターが驚愕の声を漏らす。
「下級精霊が人の中に住まうなんて、聞いたことが有りませんし、ただの下級精霊ではないのかも…。名を得たことで霊力も、意思疎通も一段階上がって姿形がはっきりしましたし」
マイヤーは微笑みながらケインに歩み寄った。
「『ライト』……良い名です。ケイン様、今その精霊から何か伝わってきませんか?」
ケインは胸に手を当てた。
心臓の鼓動とは別に、影から心地よいリズムが伝わってくる。
「……守る、って言ってる気がします。僕が守りたいものを、僕以上に強く守るって。それと……」
「それと?」
「お腹が空いた、って……。何かを食べたいみたいです」
ケインの言葉に、ヴォルターは思わず吹き出し、マイヤーは愉快そうに声を上げて笑った。
「わかりました。精霊は魔素や魔力を好みますから早速、魔素の取り込み方と魔力の練り込み方をお教えします。ライトちゃんがお腹を空かすと可哀想ですからね。その前にケイン様も昼食を取りましょう。育ち盛りなんですから」
今日のマイヤーはケインを子供扱いせずに接してくれていた。それが突然の子供への逆戻りに気恥ずかしさを感じるケイン。
〈はっはっは! 良いではないか。食欲があるのは強くなる証だ。少年も精霊もしっかり食事と魔素を食べるといい。これからのことを考えれば大きくなることも大事なことだ〉
(ふふ、闇の精霊の名前がライトかぁ。希望にはピッタリの名前だね。僕も協力するよ。魔素や魔法はよくわからないけど、効率的な肉体改造の仕方は、俺の世界の理論が役に立つはずだ)
ケインは影に潜む新しい友の存在に、これまでにない勇気が湧いてくるのを感じていた。
邸内に戻って昼食を摂り、再び子爵邸の裏手にある小さな森に戻り早速鍛錬を始めるケイン。
「ケイン様、乱れた呼吸が周囲のマナを散らしています。もっと静かに、規則的な呼吸を心掛けて下さい。世界と調和するのです。瞑想の基本は…」
瞑想を始めてから一時間ほど経っただろうか。ようやく魔素を自分の体内に吸い込むイメージが固まった頃にマイヤーから声が掛かる。
「ケイン様、お茶に致しましょう。これ以上は効率が落ちますので」
ケインはお茶を飲んで一息ついた。
(マイヤーが本気で教えるなんて言うから気合を入れたけど、そこまで厳しくはないな)
そんなことを考えているとティーセットを片付けながら何でもないようにマイヤーが告げる。
「お茶が済みましたら、ヴォルターから覇気探知の指導を受けて下さい。それを交互に繰り返します。晩御飯までは森で、食後は効率は落ちますが自室で訓練致しましょう」
それからはひたすらに訓練は続いた。
「剣先がぶれておりますぞ。 剣先が死んでいては敵の覇気を読み取るなど、夢のまた夢ですぞ。ケイン様…」
すっかり凄腕の騎士に戻ったヴォルターの怒声と共に、木剣が風を切る。ケインは必死にそれを受け止めるが、衝撃で身体ごと吹き飛ばされる。土煙を上げて転がるケインに、ヴォルターは容赦なく次の構えを取る。
「相手の全身を視るのです。相手が攻撃や防御を行う前の気を感じ取るのです。気の興りが分かれば相手の動きが予測できるようになります。身体強化を持つ者の動きは常軌を逸します。目で見て反応していては遅いのです。思考は止めて本能を研ぎ澄ますのです。これが出来れば姿なき敵の気配も感じ取る事が出来ます…」
「ヴォルター。そろそろ休憩を」
ヴォルターの指導を遮ったマイヤーが下級回復薬を差し出す。ケインはそれを受け取り飲み込んだ。その瞬間、身体の痛みも疲れも消え失せる。
「ケイン様。旅立ちまで時間がありません。緊急措置としてポーションを使用しての訓練を行いますが、その効果は表面上のものです。体幹の疲労であったり、精神的な負担が軽減される訳ではありませんので帝都を旅立った後は 通常の訓練に移行します。わずか数日のことですが何かが掴めれば、それは貴方にとって掛け替えの無い武器になるでしょう」
マイヤーの言葉にヴォルターが大きく頷く。
「私達が今ケイン様に求めているのは、戦士や騎士の剣技でも、魔法使いの魔力制御でもありません。相手が行動をおこす時に現れる覇気や気配を、魔力の揺らぎを、感じ取って欲しいのです。そうすれば密偵や間者に偽の情報を渡したり、ケイン様を害そうとする者を討ち取る際に連携が取れ『攻めの防御』が出来るのです」
「攻めの防御…」
〈面白い。受け手ばかりでは気も滅入るからな。どうせ闘うなら攻めるべきだろう〉
「…乱れた呼吸が、周囲のマナを散らしています。もっと静かに、世界と調和するのです。剣を振るう時も調和を忘れずに……」
マイヤーとヴォルターは共に一流の騎士と魔法使いだったが、人を指導した経験は皆無だったので、ケインは理解を深める為に裕翔からKPT法。Keep(良かったこと)、Problem(悪かったこと)、Try(次にやること)を教わり、2人に提案して取り入れた。後にハイデルの訓練に取り入れられるのだが、それはまだ少し先の話だ。
「ケイン様は何処でこのような」
ヴォルターの疑問はさておき、訓練は帝都出立の前日の夜遅くまで続いた。




