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 貴族の邸宅ではあるものの、形だけの応接間はさほど広さも華やかさもない。

 そのソファにまるで主のようにふんぞり返って座るのは、ジョスバッカーだ。謝罪にでも来たのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 ミラの淹れたお茶をチラリと見て、それからハッと鼻で笑った。


「まだその貧乏くさいお茶を飲んでいるのかい? 君の手作りだっけ。臭くてかなわない」

「そう」


 すっかり忘れていたが、元々ジョスバッカーはこういう男だった。

 ミラの領地と隣接しているだけあって、彼の家もそんなに裕福ではない。だからこそお互い婚約していたのだが、昔からジョスバッカーは都会の華やかさと豊かさに強い執着を示していた。

 自分の整った容姿を自覚していたのかもしれないし、単に地味でお金のないミラと一生を過ごすことに不満があっただけかもしれない。もしくはその両方かもしれないが、だからといってもうミラにはジョスバッカーを理解しようと思う気持ちはすっかりなくなっていた。

 ミラはそのまま、ジョスバッカーの向かいに座る父の隣に腰を下ろした。

 部外者であるアネスはこの場にいなくてもいいと思うのだが、何故か窓際で腕を組んでこちらをみている。


「それで。ジョスバッカーくんは、どうして今更、この家に来たんだい? それもなんの先触れもなく」

「やだなおじ様。僕たちの間に先触れなんていらないでしょ。水くさいなあ」


 やんわりと穏やかながら棘がある父の言葉を、ジョスバッカーは笑って流した。


「婚約者の家を訪ねるのに、理由なんていらないでしょ?」

「は?」


 思わず聞き返してしまったのはミラだった。

 婚約者? 誰が? ジョスバッカーが?

 開いた口がふさがらないミラの代わりに、父が笑顔で青筋を立てながら聞き返す。


「ジョスバッカーくん、君は王都で浮気をしていたと聞いたが。婚約破棄でいいんだろう? 僕はそうだと判断したし、君の父親にも婚約破棄の書類を既に送っている」


 書類について、ミラは初耳だった。確かに貴族の間では全ての約束に書類がついてまわる。結婚なんて重要なことなら尚更だ。


「慰謝料の額で停滞しているって聞いてます。つまりまだ、僕とミラは婚約者のままだ。違います?」


 両家の合意がないのであれば、確かにその言葉には一理ある。

 だがあとは慰謝料を払うだけになっている間柄で、婚約中だと胸を張れるその神経が分からない。


「ねえミラ。男は浮気する生き物なんだ。本気じゃない。愛しているのは君だけさ」


 愛の言葉のつもりかもしれないが、ミラはぞわぞわとした寒気が走った。浮気をする貴族が多いことは知っているが、父親である子爵は亡くなった母を愛していたし、今でも愛している。浮気を是とする家庭ではないし、それを本人から受け入れて当然だと言われていることも許容できなかった。


「ラヴィアンヌとはもう別れたよ。彼女の家に婿入りする予定が、突然従兄弟を後継者にする事が決まったらしい。それどころか年寄りの後妻に入ることになったそうでね。全く、使えない女だよ。その点君は跡継ぎだし、僕の結婚相手として申し分ない」


 ジョスバッカーの言葉になにひとつ共感できないミラはおかしいのだろうか。一瞬そう考えてしまう程度には、彼の言葉は自分の正当性をどこまでも主張していた。


「来年僕たちは結婚するだろう。君のドレスは僕とお揃いで、王都の一流デザイナーに作らせよう。僕の友達もたくさん呼んでさ、楽団や料理人も山ほど呼んで、賑やかにしたらきっと楽しいよ」

「うちにそんなお金はないわよ。知ってるでしょ」


 楽しそうにない未来を語る彼と結婚するつもりは、そもそももうないが。

 しかしミラの言葉を、ジョスバッカーは「またまた」と軽く流した。


「随分儲けてるんだって聞いたよ? まさか魔物があんなに高く売れるなんてね、僕も知っていたらもっと君を大切にしていたのに」


 どうしてジョスバッカーが今更この家に来たのか。彼の言葉で全てを理解した。

 王都で大量の核などを買い取ってもらったが、その話が耳に入ったのだろう。愛し合っていた王都の令嬢とも破局したのなら、ミラの家を金の湧く泉だと考えたのかもしれない。

 いやな微笑みを浮かべるジョスバッカーが、テーブルの上でミラの手を握る。


「愛してる、ミラ。僕を許してくれる?」


 そしてその手を掬い、甲にキスをする――寸前で、ジョスバッカーの身体がぐいと後ろに倒れ込んだ。


「いいわけないだろう、浮気野郎が。今更ミラに擦り寄っても遅い」


 まるでミラの心を代弁するかのように凄むのは、そこまでずっと黙って聞いていたアネスだった。

 一瞬怯んだジョスバッカーだったが、それでもアネスに食ってかかる。


「やあやあ、誰かと思ったらアネス様じゃないか。社交界でも貧乏令嬢に上手く取り入ったって有名だよ? 君だって長子じゃないから婿入り先を探すのに必死だもんね? 魔獣について入れ知恵したのも君だろう、全く、上手いなあ。さすが上位貴族の息子は違うよ」


 ミラは顔を赤くした。恥ずかしいからではない、怒りからだ。

 アネスのこともミラの事も、何も正しく知らない癖に。どうして知った顔をして勝手な事を言えるのか。どっちが恥知らずなのか分からない。怒りで握る拳が震え、上手く言葉が出ない。代わりに殴ってやろうかなんて考えた時、テーブルの上にバサリと紙が置かれた。

 置いた本人であるアネスは、いつも通り淡々としている。


「ジョスバッカー、お前の素行は既に調べてある。在学中も噂の恋人以外にも、街の女たちに粉をかけていたことは有名だったからな。夫がある女性や未亡人相手に、随分派手にあそんだようだな」


 出された書類はジョスバッカーの素行調査のようだ。

 ミラが手に取ろうとすると、ジョスバッカーはそれを机の上からなぎ払った。


「う、嘘だ! こんなのは嘘だでたらめだ! なあミラ、君なら僕を信じてくれるだろう? あ、愛し合っていただろう!」


 立ち上がりミラの手を掴もうとしたが、アネスがミラを引き寄せたことでそれは不発に終わる。


「賭博場に出入りして、借金まで作っているんだろう? 身の丈に合わない買い物も多い……大方首が回らなくなって、ミラに擦り寄って来たようだが諦めろ。丁度昨日お前の父親とも、俺の代理人が話をつけた。……勝手な事をしてすいません、子爵」


 父も知らなかったのだろう、見ると驚いた顔をしていた。


「な……っ!」


 アネスのポケットからは、一通の封筒。

 それをアネスがジョスバッカーに放り投げると、彼は慌ててそれを開いた。食い入るように手紙を読むと、身体をガタガタと震わせる。


「そんな……馬鹿な。父上が、僕を勘当するなんて……っ、そんな」 

「お前の悪評と借金の存在、アンダルフォン子爵家が支払ったお前の学費を返せと言ったら割とすんなり話が通ったそうだ。それにお前の実家とアンダルフォン子爵領が隣接しているが、そちらに行くべき魔獣も、アンダルフォン家が対処していることまでは知らなかっただろう?」 


 つまりこのままの状態が続けば、魔獣を取りこぼす可能性がある――そう伝えたのだ。

 ミラが魔獣を退治している理由は、民に迷惑がかからないようにするためだ。それは隣接している他者の領地も一緒だった。だけどそれを、交渉の材料にするなんて思いつきもしなかった。


「魔獣はその辺の獣と違う。バアロフ数匹でも、慣れない騎士団なら壊滅する時もある。備えも私兵も少ない貴族の領地に、それを対処できる余裕があるかどうか。いや、お前が討伐に行けばいいのか。良かったな、大好きな魔獣の核も取り放題だぞ」


 ジョスバッカーは何も言わず、ただ身体を震わせるばかりだった。


「それに、お前の実家特産のワインだが、うちのロビアラッツ家が買い上げていることは知っているだろう? うちは貴族ながら事業と武功で(くらい)を上げてきた家紋だからな。父も不実な男は嫌いなんだ」


 今度こそジョスバッカーは全ての希望を失って、がくりと床に膝をついた。

 アネスはいつから用意していたのか、金輪際アンダルフォン家には関わらないという旨の念書を書かせた。それから青ざめるジョスバッカーにいくつか金貨を放り投げ、乗ってきた馬車に押し込み追い出した。


「ああいう手合いは追い詰めすぎたらいけない。とはいえ適当な金を握らせてやったところで、すぐに借金取りに追われるがな」


 知らなかったアネスの一面に、ミラは胸の辺りがキュッと絞られる気持ちだった。

 こんな風に誰かに守って貰えることが嬉しくて、大事件が起ったはずなのに心が浮き足立つ。

 格好いいことは知っていたアネスの横顔が、いつもより輝いて見えた。

 ミラの視線を受けて、アネスはフッと片眉を上げた。


「どうした。とうとう俺に惚れたか」


 そんな風に揶揄うようにして笑うのだ。

 だからミラも素直な気持ちで、今の感情をただ言葉に乗せた。


「そうね、惚れたわ。ううん、惚れてた。好きよアネス。どうか私と結婚してちょうだい」


 そう言って、目を見開くアネスの手を取り、いつも彼がそうしてくれたようにその無骨な手の甲にキスを落とした。

 淑女がする行為ではない。だがそれの意図することはアネスには十分伝わった。

 ずっと彼がそうしてくれていたように、このキスに親愛を込めたのだ。


「きゃあっ!」


 アネスがミラの腰を掴み、高く高く持ち上げた。


「最高の気分だ!」

「待って、アネス、怖いから! きゃあ! ……もうっ!」


 いつになく喜びを前面に押し出しているアネスに、ミラも怒る気が失せて一緒に笑い合った。

 どちらからともなく唇を重ね、それから見つめ合って二人でまた笑った。

 くるくると回りながら、はしゃぐ二人を父は嬉しそうに見ている。


「続きは結婚してからにしてよぉ?」

「善処します」

「な、なななっ、なに言ってるのよっ」


 穏やかなこの瞬間が、ずっとずっと続けばいい。ミラは心からそう思うのだった。





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