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腹の足しにもなりませんので

 素っ頓狂な申し出に、令嬢らしからぬ間抜けな声を上げてしまったのも仕方がないだろう。なぜ昨日会ったばかりのアネスが、ミラを領地まで送ってくれようとするのか。


「え、ええっと。うちは王都の近くじゃないんです、よ?」

「知っている。アンダルフォン子爵領は随分遠いな。乗り合い馬車ならば一週間はかかるだろう」


 片道半日程度なら好意に甘えたかもしれないが、さすがに気軽に送って貰える距離ではない。だがアネスはどうやらそれを理解した上で申し出てくれているらしい。ミラはさらに首を傾げた。


「だがうちの馬車ならば目的地まで一直線だ。恐らく四日……いや三日で到着できるだろう」

「えっ」

「その上かかる宿代食事代は俺が全て持つからミラの出費はゼロ。お得だ」

「えっ」


 馬車代も不要で予定より早く到着できる。その上全ての費用が限りなく不要になる。あまりにミラに有利すぎるその提案は貧しい子爵令嬢にとって魅力的だ。


「な、なにかアネス様に利益があるのですか?」


 それから「私は助かりますけれど」と小さく本音が溢れる。いくら男装しようとも、女性が一人で旅をするとなれば、いくら節約しようとも路銀はいくらでもかかる。信頼のできる辻馬車はやはり値段が高く、宿だってそれなりのグレードにしなければ安全性は保てない。

 それら全てをアネスが持ってくれるのなら、それは喉から手が出る程だ。

 ミラの疑問は想定内だったのだろう。アネスはスッと指を三本立てた。


「一つはアンダルフォン子爵領に興味がある。昨晩言っただろう、秘境として有名なのだと。この辺りでは見ない魔物が多く出ると聞くし、自分の腕を試したい」

「なるほど……?」


 確かに領内の殆どを占める森の中は魔物の巣窟だ。騎士たる者、剣の腕を磨き続けようという向上心があるということなのか。


「二つ目は、アンダルフォン子爵にお会いしたい」

「お父様に?」


 思いがけない名前にミラは驚いた。娘の目から見た父親は、辺境伯子息が興味を持つような特別な存在ではない気がした。


「ああ。アンダルフォン子爵は亡くなった長兄の代わりに爵位を継ぐまで、王都では有名な騎士だったことは知っているだろう? その武勇伝は今でも人々の口に上がるほどだ。是非一度手合わせを願いたい」


(娘の私は知らなかったんですがっ?)


 ミラの知っている父は穏やかで、亡くなった母を今でも愛している平凡な人だ。確かに剣の腕は立つし、魔物を狩る腕は確かに立つが、それがまさか王都でも有名だとは。


「そして三つ目」


 真剣な表情をしているアネスに、ミラはゴクリと喉を鳴らした。


「君に興味がある」

「ほえ?」

「という訳だ。さあ乗ってくれ。できるだけ早く帰りたいだろう」


 戸惑うミラの手を流れるようにエスコートし、あっという間に馬車はガラガラと車輪を鳴らし始める。辺境伯家の馬車は大変広く乗り心地がよかったが、アネスがあんな事を言うせいで居心地は悪かった。


 あれはどういう意味なのだろうか。

 まさか自分のような令嬢を異性として興味があるわけでもないだろう。

 見た目も地味だし、その上婚約者だった男に目の前で堂々と浮気をされた傷物だ。

 ぐるぐると頭を悩ませ一人百面相をしているミラを見つめて、アネスが笑みを浮かべていることに本人だけは気付いていない。

 

◆ ◆ ◆

 

 アネスが提供してくれた旅は、思っていた以上に快適だった。

 ほぼ初対面に近いため、気まずいと思っていたアネスとの同乗は意外にも悪くなかった。むしろアネスは口数こそ多くないが話題が豊富で、あれこれと水を向けてはミラの話を聞いてくれた。

 領地のこと、領民のこと、両親のこと。アネスは季節の花や果物、最近話題の本、王都で流行している舞台について教えてくれた。まだ出会って間もないというのに、この数日で二人は随分親しくなった。


「だから魔物はもっと食べられるように進化してほしいと思うのよ。そうしたらアネスだって、退治しがいがあると思うわ」

「もしそうならミラはもっと腹が満たされるな」

「願ったり叶ったりだわ。毎晩領民と、魔物の丸焼きを囲んでパーティーができるわ」


 呼び捨てを乞われるようになって、かける言葉がより砕けたものになっていった。

 ミラの知っている世界は狭く、王都にいるような品の良い令嬢らしくはない。だがアネスは一度だってミラを誰かと比較しなかった。飾り気のある気の利いた褒め言葉を言う訳でもなかったが、アネスと過ごす空間は居心地がいい。

 車窓から赤焼けに染まって見える風景は、ミラの見慣れたものへ変わっていく。森の側を通る細い街道を抜け、もうすぐ自領の中心部へ到着するのだ。


「本当にアネスにはお世話になったわ。どうお礼をしたらいいのか分からないくらい」

「気にするほどじゃない」


 行きの一人旅は平民ならばマシなランクだっただろうが、曲がりなりにも貴族令嬢が使うにはあまり良くないものだった。女性だとばれないようにジッと息を潜めて過ごし、持たされた路銀を抱えて眠った。

 宣言通り宿代も食事代も全てアネスが負担してくれたおかげで、彼の手配するその街での最高ランクのものが無料で提供された。流石に遠慮しようとしたミラに、彼は君のご両親への先行投資だからと片頬を上げるのだった。

 そんな旅もそろそろ終りを迎えようとしている。ジョスバッカーに振られた辛さも、アネスがいたおかげで随分気を紛らわせることができたように思う。

 あかね色に染まる森は燃えているようだ。


(お父様に、アネスのいいところを伝えてあげなきゃ)


 それがせめて、自分がアネスにできる恩返しだろう。そうだ、それに得意料理を振る舞いたい――そう考えた瞬間、馬がいななき馬車が揺れた。


「ッ、ミラ!」

「大丈夫」


 アネスがミラを守るように抱きしめる。騎士として、そして友人としての行為だと分かっているのにミラの心臓は高鳴った。ジョスバッカーにだって、こんな風に抱きしめられたことはなかった。


「どうした! なにがあった!」


 御者に向かってアネスが叫ぶ。だがその問いかけは悲鳴となって返ってきた。車内の小さな窓からは、外で何が起っているのか分からない。アネスは抱き留めていたミラを座席に座らせると、素早い動きで腰のソードベルトに愛剣を収めた。


「ミラはここで待っていろ。外を見てくる」


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