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未来屋 環純文学・お仕事系作品集

夜喰う女王はものを書く

作者: 未来屋 環

 ――例えば、私に

 この世界を()び続けられるだけの強靭な翼があったとして。



 『夜喰う女王はものを書く』/未来屋(みくりや) (たまき)



 誰も待つ者の居ない部屋のドアを開け、玄関にあるスイッチを押した――瞬間、ぱっと私の根城は光を取り戻す。

 都内ワンルーム賃料月9万円管理費込み。少し手狭だが通勤時間は30分、社会人になって10年近くを過ごした独り身としては悪くない家だと我ながら思う。


 最寄りのスーパーで買って来た30%引きの弁当を冷蔵庫に入れ、肩こりの遠因であろうジャケットを脱いだ。

 今日も仕事は平常運転だ。面白いことは何も起こらない代わりに、神経をすり減らすような事案だけが積み重なっていく。しかし、週末の貴重な余暇の時間をくれてやる程、私には向上心もなければ愛社精神もなかった。

 シャワーを浴びて身支度を整え、ニュース番組を眺めながら夕食を摂る。戦争に虐待、汚職に殺人――今日もこの世界には理不尽が渦巻いている。それでも私にできることは限られていて、険しい表情で暗いニュースを読み上げるニュースキャスターと見つめ合いながら、少し油の回ったアジフライを噛み締めた。

 (から)になったトレイを捨てにキッチンに立った私は、食い合わせが悪いことを十二分に理解しながら、冷蔵庫から取り出した牛乳パックを煽る。せめて自分の中身だけでも純白に染め上げてみたかった。


 そこまでの日常を終え――これからやっと、私の時間が始まる。


 引出しの中から古びたノートPCを取り出し、テーブルの上に置いた。

 もうこの『彼』とも数年来の付き合いだ。インターネット接続中、たまに考え込んで立ち止まったり彷徨(さまよ)ったりしてしまうこともあるが、愛着がある戦友を手放す気は、今のところさらさらなかった。

 彼が目を醒ますまでの間、私はひとつ大きな深呼吸をして、意識を整える。

 そして――Wordファイルを起動したところで、私の今夜の旅は始まりの()を告げた。


 目の前に広がるのは、まっしろな画面だ。

 私はそこに、ぽたりと一滴墨を垂らすように、言葉を打ち込んだ。

 ひとつの言葉が、やがてひとつの文章になり、そしてひとつの段落を形成して――それらが組み上がってひとつの物語になる。


 時に立ち止まりながら、時に思考のスピードを飛び越えるように、私は一心に目の前のキーボードを叩く。

 社会人になってからは(もっぱ)ら彼のお世話になっているが、学生時代は紙に書き付けるのが好きだった。退屈な授業中にノートの隅に綴っていた、作品にならない幾つもの切れ端。最近ではそれが会議の配布資料へと変わったが、やっていることはここ10年以上変わっていない。

 人は進化をする生き物だというが、それは決して全てのものにあてはまるわけではないと私は思う。そして、それが決して否定されるべきではないことも。

 時代はものすごい速度で変わっていくから人もそれに適応しなければならないと、どこかの誰かが悟ったように言う。

 そうしなければ世界に追い付けないのだと、社会価値を生み出すことなどできないのだと――半ば脅すように。

 それは私にとって、呪いの言葉に聞こえた。


 別に、この世界に追い付けなくたって、構わない。

 だって――私は私の世界を生み出すことができるから。


 日常を生き抜くための仮面を纏い日中をやり過ごした私は、夜この小さな部屋で私の世界を形にしていく。眠っていた衝動たちを一心に吐き出している間、私の中に息衝く何人もの命が囁く。


「さぁ、きみだけの世界を(えが)いてみせてよ」と。


 太陽の下ではなかなか出てこない言葉の奔流が、私の中からどんどんと溢れ出して止まらなくなる。


 きみたちは一体どこに隠れていたの。

 いや――待っていたんだね、この夜の訪れを。


 頭の中をフル回転させながら、言葉という名の刃物を()ぐ、()ぐ、()ぐ。

 選ぶ文字がひとつ違うだけで、読み手の印象は驚く程に変わる。この書き手は一体どういう人間なのか、どういった美意識を持って、どのような信念でものを書いているのか――それ故に、私は誰よりも言葉に慎重でなければならない。

 やがて死神が私の隣を駆け抜けていく。

 私の心には竜が、脳内では鯨が目覚めの瞬間(とき)を待っている。

 何を書き、何を書かざるべきか――それは世界の選択だ。


 ここではすべてが武器になる。

 そう、これまでの取るに足らない人生の中で培われてきた、アルバムの中で燦々(さんさん)と輝くハレの日の思い出も、誰にも見せずに自分の(はら)の奥底に着々と蓄えてきた痛みでさえも。

 ものを書きながら、私は私と向き合っていく。

 そこに現れるのは、どうやったって私以上でも以下でもない。

 それでも、想像力は無限の創造力に繋がっていくから。私が経験してきた以上のことを、私は(えが)くことができるから。この画面上に広がる世界は、きっと私にしか(えが)けないものだから。

 そんな中で私の世界に生まれた沢山の子どもたち。私は彼らに心の中で語りかける。


 きみのことも、きみのことも、きみのことも(たま)らなく大好きだよ。お蔭で私は自分の世界を愛することができるんだ。

 きみのことも、きみのことも、きみのことも決して憎いわけじゃない。物語上で割り当てられた役割(ロール)をよくぞ果たしてくれたね。

 きみたちひとりひとりが、私にとってかけがえのないものだよ。

 きみたちひとりひとりが、この世界を創り上げる欠けてはならない存在なんだ。

 ありがとう、生まれてきてくれて。

 ありがとう、私の想いを伝えてくれて。


 ――そう、夜はこうして、私に不思議な程の全能感を与えてくれる。

 私はこの世界の女王で、今の私にできないことなどないのだと。

 きっと、この世界に存在するすべてのものを書き尽くすことだってできるのだと。


 できれば、ずっとこの世界で暮らしていたいと思う。この翼が折れるまで、夜の空を翔び続けていたいと夢を見ている。

 だって、すべてのものを(えが)ききるには、人生はあまりにも短すぎるから。

 この人生の残る時間で、あとどれだけのものを私は書き残すことができるだろう。

 この脳内に広がる果てなき大地を、どれだけこの愛すべき答えに落とし込むことができるだろう。

 絶え間なく降り積もるこの欠片(かけら)たちを、茫漠とした思索の海から拾い上げたこの輝きを、私の中に眠る今は名も無きこの命たちを。


 ――こうやって思考がどんどんと広がり続けるのも、きっと夜だからだ。

 もしかしたら、私は夜を喰らって生きているのかも知れない。

 夜から得た栄養でものを書き、朝の訪れと共に日常という名のルーチンワークをこなし、そしてまた夜を喰らって――私はこれからおよそ2万回、このサイクルを繰り返していくのだろう。

 これまで私が積み重ねて来た歳月と同じように。


 ***


 ――耳障りなベルが鳴る。


 枕元に置かれた携帯電話を手に取ると、もう起きる時間だった。週末とはいえ、太陽が顔を出せば、私は日常生活を営んでいかなくてはならない。そう決めた。

 ベッドから起き上がり、カーテンを開くと眩い光がこれでもかと降り注ぐ。今朝もどうしようもない程いい天気だ。太陽の下に引き摺り出された私は、夜の余韻に別れを惜しみながら洗面所に向かった。

 トーストを(かじ)りながらTVを点けると、かの有名な作家の訃報が流れている。どんなに沢山の功績を挙げた人物にも、いつか必ず終わりは訪れる。

 それでも、そのひとが残した多くの作品たちは、決して消えることなくこの世界に留まり、輝き続けるのだ。


 ――そう、人生はあまりにも短い。

 私が思うより、今TVの画面に映っているあなたが思っていたよりも、きっと。

 だからこそ、すべてを投げ打ってでも、私は書きたいのだ。

 それは私の生きた証になるから。

 それこそが、私の生きた意味なのだと信じているから。


 朝を迎え、普通の人間に戻った私は、TVを消して立ち上がる。

 今日も私は全力で夜を迎え撃とう。

 この世界に君臨する、たったひとりの女王として。



(了)

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

本作は『夜』というテーマで書いた作品でした。

いつか『ものを書く』ということを軸に1作書きたいなと考えていて、何となく思い付いた創作に纏わる言葉をずっと書き留めていたのですが、それがテーマと結びつき、この作品が生まれました。

それこそ夜の勢いに乗って一気に書いた作品なのですが、夜ならではの、何でも書けちゃうようなそんな全能感が少しでも伝わったらいいなぁと思いつつ……。

(そして翌朝見直して「あれっ……?」となるまでがセットです……笑)


少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

お忙しい中あとがきまでお読み頂きまして、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)「夜喰う」の表現をかみ砕いて独特なる世界観を築かれていました。これぞ文学という事ですね。 [気になる点] ∀・)おそらくはノンフィクションとしての色もある話だと思うのだけど、フィクシ…
[一言]  面白かったです。エッセイのように感じる面もあり興味深い物語でした。  私も趣味とはいえ、文章を書いているので作中の「言葉に対する選択の難しさ、自分が生み出したキャラクタたちへの気持ち」な…
[一言] めっちゃクオリティの高い作品でした。 いや「作品」なんて呼ぶものじゃないかもしれない。 これはあなたの魂の姿かもしれない。 私はきっと今、未来屋さんの魂の一部を見てしまったのかもしれない。 …
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