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レイグリント戦記  作者: 草摩
8/9

レイグリントとバルローク(1)

「見てもいない相手を下に置くとはどういうことか。お前はバルロークの軍を、その兵士たちの苛烈さを知らぬだろう」


 部屋の燭台には炎が赤々と燃え、声を発した男を照らしている。その声は静かだが、相手を萎縮させるには十分であった。

 その矛先の少女はいきなりの叱責に驚きつつ、慎重に返した。


「事実を述べたまでです」

「この馬鹿者が」

「意味がわかりません」

「わからぬことが馬鹿者なのだ」

 

 先程まで存在していた父娘の情愛は今や見る影もない。

 というのも、少女が偵察に同行したいと言ったことが発端だった。

 現在バルロークの兵が国境付近に度々現れており、偵察はバルロークの兵と接触する可能性があった。それ故に連れて行けないと男が少女の同行を拒否するが、だったら尚更ついて行きたい、と少女は全く引く気がなかった。それだけではなく、バルロークの兵士はルビエル騎士団より弱いのにどうしてそこまで心配なのか、とさえ言いのけたのだ。それが男の怒りに触れ、現在に至っている。


「戦場を埋め尽くす鬨の声を上げろ。

今こそルビエルの旗を掲げよ。

ほら、愚かなバルローク兵が震えだす。

鬨の声を上げろ。

ほら、一人の兵が逃げ出した。

鬨の声を上げろ。

見よ、バルロークの烏合の衆を。

鬨の声を上げろ。

さあさあ、逃亡劇が始まるぞ。

鬨の声を上げろ。

バルロークなど恐れることなどない。

鬨の声を上げろ。

我らがルビエル騎士団に栄光あれ」


 少女が高らかに謳い上げる。


「知っているでしょう。民の間で詩われている騎士団がの詩です。父様が名のりを上げれば、バルロークの兵士はその顔を恐怖で歪め戦意を無くすとも聴いています。何を恐れることがあるのですか」


 少女はルビエル騎士団がバルロークに敗北するなど全く思っていないのだ。

 男が顔を顰めた。


「お前はそれを信じるのか」

「ええ。ルビエルの牙狼(がろう)。父様はバルロークでそう恐れられているのですよね」


 男の顰めた顔が真顔に戻りそうになる。

 ルビエルの牙狼。

 バルロークで呼ばれている男の異名である。ルビエル騎士団の紋章である剣と狼から付けたであろう名だが、呼ばれることも恥ずかしさから身の置きどころがなく、自ら口にするなど全くもって有り得ない。絶対に少女には知られたくない名であった。


「ルビエルの牙狼。父様にぴったりの異名ですね」

「……」


 顰め顔の男の瞳が見開かれる。

 少女は男の変化を気にするとことなく続ける。


「ルビエルの牙狼が名乗りを上げればバルローク軍の戦意が削げる」

「やめてくれ」

  

 思わず遮る。表面は平成を保ってはいるが、今にも顔から火が出そうである。


「何をです」

「いや、何でもない。続けてくれ」


 少女が不審に思いながも続けた。 


「バルロークの兵は戦う前から恐れている。ルビエル騎士団には敵わないとその身を持って知っている。そのような相手をレイグリントの脅威とは思えないです」


 これまで騎士団がバルロークの侵攻を防いできたのは事実である。そして少女は戦争を外側からしか知らず、今まで戦いの詳細を伝えることもなかったのだから戦場の脅威を知るはずもない。

 男の考える姿を見て少女がさらに続ける。


「相手を倒す勢いが勝敗を左右することがあると、ノーマンが言っていました。だとすれば戦いの勢いを無くし本来の力を発揮出来ない相手なんて敵ではないじゃありませんか」


 戦いで勢いが勝敗を左右することは事実である。指揮官は配下の者をいかに鼓舞し、劣勢の時であろうと士気を落としてはならない。反撃の瞬間が生まれたとしても戦う者たちの士気が低ければ意味を成さないのだ。だが経験のない少女の言葉は机上の空論でしかない。本人は安意に考えているのではないだろう、ただルビエル騎士団が敗北するなど一切思っていないのだ。そこが問題であり、その思い込みは危険であった。

 男は少女に視線を向ける。問う様な視線に少女は徐々に不安を覚える。


「だから恐るに足らぬ、というのか」

「いえそうではなく」

「では何だ」

「油断しているわけではないですよ。その……」


 男の問に声を濁す。

 沈黙が部屋に広がる。


「一昨年前の戦いを忘れてはいないだろう」


 男が沈黙を破った。


「もちろんです」


 忘れられるはずがない。今尚続くレイグリントの王位継承争いが、一昨年前には一際大きい混乱を国中に生んでいた。その混乱に乗じて西の帝国と南のバルロークがレイグリントへ攻め入り、国の存亡をかけた戦いにまでなっていたからだ。


「私は帝騎士団と共に西のグランツへ遠征していた。ホーデンは王都から派遣された第三近衛兵団と近隣の領主勢が騎士団に代わり守りについていた」

「よく覚えています。誰もが不安を抱えながら日々を過ごしていました。バルロークによってホーデンの砦を手放すことになったと聴いた時は、この世の終わりと思った程です」

「それでも恐れるに足りないと?」

「父様がいなかったからでしょう。父様がホーデンにいたならそんなことにはならなかった」

「第三近衛兵団の者達は訓練された者たちだ。剣術はもちろん戦術も一人一人が叩き込まれている。それでもホーデンを明け渡さざるを得なかったのだ。結果だけを見ればバルロークの軍勢の強さは王国の近衛兵団と同等、もしくはそれ以上ということになる」

「砦を明け渡したのは戦略としてですよね。あの時、私は中部の都市カリストに避難していましたが、もしルビエルの街にまでバルロークが攻めて来ていたらと、そう考えない日々はありませんでした。ですが父様は絶対にルビエルを護りに戻って来ると信じていました。実際そうなったでしょう。父様率いる騎士団がホーデンに籠もったバルローク軍を撃退したではないですか。ルビエル騎士団はバルローク兵より強い。それに……近衛兵団ではなく父様であればホーデンを守りきっていたと思うのです。敢えてホーデンを明け渡す必要もなかった。撃退出来たからいいようなものの砦を手放すのはあまりにも危険な賭けだった。無謀とさえ思うのです。父様はどうお考えですか」


 ホーデンの砦という国内でも屈指の守りの拠点を捨てさせた戦略に対し、無謀、という言葉は実に的を得ていた。


「……私が砦にいれば地の利を使って応戦していたであろう。だがそれは仮の話であり戦場は生き物だ。何が起こるかわからない。必要とあれば私も近衛兵団と同じように砦を明け渡したかもしれない」

「父様でも!? 本当にバルロークの軍勢はそれほどの相手なのですか」

「険しい山岳で生きるバルロークの戦士たちの戦いは烈火の如く激しい。将軍から一兵卒までな。騎士団の全てを出したとしても、願う結果になるとは限らない。だが負けるわけにはいかない。だから我々は負けないために訓練し、情報を集め相手に対抗するのだ。いいか。戦場では油断した者、隙きを見せた者から命を落としていく。敵はこちらを揺さぶり、隙きを生むための策を休むことなく仕掛けて来る。こちらも同様に相手の油断を誘い、死角、急所を探し狙うのだ。私もホーデンを取り戻す時に敵将ハガルの策に後手に回る局面が幾度もあった。バルロークが再び攻めてきたとしてもルビエルを守りきってみせるが、ハガルが相手となればそれ相応の覚悟が必要なのは確かだ」

「父様が認めるほどの将なのですか」

「ハガル・ゴードンは戦場に立つ者たちの心理を知り尽くし、巧みに戦場を操ることに長けた将だ。齢五十を過ぎているが、その武勇は衰えてはいない。バルロークが誇る将の一人だ。ハガルだけではない、お前が知らぬだけでバルロークには有能な戦士が数多くいる。ハガルはその一人にすぎない。相手の力量を侮り見誤ってはルビエルを守れぬ。仲間も家族もな。私は誰も失いたくはない、だが誰一人死なせぬとは言えぬのだ。一度(ひとたび)戦が起これば必ず命を落とす者がいる。闘いに向かう者はそれを覚悟していない者はいない。進んで自らの命を(なげう)つのは守るべき存在があるから出来るのことだ。だからどんな相手であろうが私は侮りはしない」


 男の言葉に少女は自分の考えが浅はかだったことに気付かされる。


「騎士にとって自分の力を誇示し名誉を得る場は戦場しかない。騎士なら誰もが名誉のために勇んで戦場へ向かう。それが騎士というものだ。だが勇猛さだけでは真の騎士とは言えぬ。大事なのは心確かであること。仲間を信じることと、相手を軽視することを同じくするなど以てのほかだ」


 少女は男の顔を見ることが出来ず、俯いていた。

 二人を照らす燭台の炎か緩やかに揺れる。


「ごめんなさい」


 声は震えていたが、口にすることが出来た。


「(わかったのなら)……よい」


 短い言葉だが、男の少女に対する気づかいがあった。


「はい」

「うむ」


 俯いたまま少女が応えると、男が口もとを緩ませた。父親の声に温かさを思う。


「また泣いておるのか」

「泣いてなどいません」

「顔を見せてみろ」

「嫌です」

「なぜ」

「嫌だからです」

「だからなぜ」

「嫌なものは嫌なんです」

「いつも見ておるではないか」

「今は絶っっったいに嫌っ」

「つれないのう」

「楽しんでるでしょう」

「いやいや」

「嘘」

「まさか本当に泣いておるのか」

「だからっ」

「やはり……」

「(遮って)泣いてません!」


 外にも聴こえたであろう、少女の一喝。

 幸いなことに誰にも聴かれてはいない。


「それほど大声が出るなら大丈夫だな」


 灰色狼の遠吠え。


「ムーンだな。間が良いんだか悪いんだか……、ムーンとお前は不思議な縁があるようだな」

「父様は意地が悪い」

「今に始まったことではない」


 男をキッと見る。


「やっと見たな」


 男が笑いながら言った。


「一人の騎士として、人としてどう在りたいか、私はこれからもお前に問う。間違ってもよい、遠回りしてものよい、自分の信じる道を進みなさい」


 父親は自分を見てくれている。何という安心感なのだろう。そして少女はその期待に応えたいと思う。


「はい」

「うむ」

「見ていて下さい」


 明確な意思ある声だった。子の成長を感じるとは、こういう時なのだろう。男が目を細める。


「だが、間違っておると判断した時は容赦もせぬからな」

「父様の容赦しないって……どんなことでしょう」

「ふふっ」

「目が笑っていませんが」

「そうか? 私はノア・ウィルコートを信じている」


 ノア・ウィルコート。

 私の名。

 父親がノア・ウィルコートと呼んだ意味を思う。少女の口元が自然と緩む。


「精進します」


 再び灰色狼の声。父娘が同時に窓の外を見る。


「私は常々、ムーンに監視されているのではないかと錯覚するよ」

「まさか」


 男は笑みを返す。

 灰色狼たちの合唱が聞こえる。その声は鎮魂歌のようだ。


「そうか、あの日も今宵のように澄んだ月明かりだったな」


 男が燭台の灯りを吹き消した。目の前が真っ暗になる。男の歩く音が響く。


「父様?」


 返事がない。


「どうしたのです?」


 部屋に差し込んだ月明かりで闇夜に目が慣れてきたが、見当たらない。

 

「父様」


 もう一度声を発っする。


「人は何故争うのだろうな。私は戦いのない世の中がよい」


 男は窓辺にいた。

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