ホーデンの砦(1)
ホーデンの砦はルビエル騎士団の拠点であり王国守護の要である。この場所では2千人の団員たちが日々鍛錬に勤しみ、生活をしている。
少女と男を乗せた馬車が砦の門を潜る。
門の先には騎士団の演習に使用する広場があり、その広場を囲む様に幾つかの建物が存在していた。
正面には物見台を具えた塔が聳え立つ。入口にルビエル騎士団の象徴である狼の紋章が厳かに掲げられており、その右隣には騎士たちの宿舎と厩、礼拝堂。左隣には倉庫、一階建ての訓練所、貯水地と続いている。
馬車が塔の正面に止まった。
そこには主を出迎えるために副官のノーマンと数人の騎士が待機をしていた。
馬車から先に降り立ったのは少女だった。
「私はいつ始めても問題ありません」
少女は客車から降りるやいなや男にそう言うと騎士たちに背を向け、広場の中心へと颯爽と歩を進めてしまう。
騎士たちは少女の姿にハッと息を呑んだ。
少女の美しく腰まであった銀髪がバッサリと切られているのだから当然である。
待たせた、と次に男がゆっくりと客車から降り立った。すると騎士たちは再び固まることになる。一見いつもと変わらぬ団長から、何やら不気味な気配を発していたのだ。
しかもその手には少女の銀髪が握られていた。道中の父娘の会話を知らない騎士たちは声をかけることが出来なかった。
「やはり姫様をお連れになったのですね」
唯一人、副官のノーマンだけがいつも通り男に話かけた。
「うむ。その、成り行きで仕方がなかった」
「これは姫様の御髪ですか……どうされたのです」
皆が聴き出したい事を何でも無い事の様に男に言えるのはこの人だけである。
「ノアが自ら切り落とした」
騎士たちから驚きの声が上がる。
皆、貴族の令嬢が髪を短くするその意味を知っているのだ。ノーマンだけは動揺を表に出さず男から髪を受け取った。
「左様ですか。ですが団長、父娘喧嘩も大概にしませんと、我らの心臓が持ちませぬ」
「お主はそのようには見えぬがな」
「これでも面に出さないよう必死なのですよ……」
全くもって心外です、と続けたノーマンに男が軽く笑った。
「私はノアの行動に心が持たんぞ」
男の本音がもれ、気のしれた副官との会話で気配も幾分柔らかくなっていく。
「心中お察しいたしますが、姫様が広場へ向かったのは……」
「私と決闘をする」
「稽古ではなく、決闘ですか」
「そうだ。広場を使うが、いいか?」
「大丈夫です。馬はいかがします」
「いらぬ」
「はい」
ノーマンは決闘という不穏な響きにも動揺を見せることなく、木剣を持ってくるよう若い騎士に声をかける。若い騎士は返事とともに身体を反転させ訓練所に向かおうとした。
「待て。決闘と言ったはずだ、木剣はいらぬ。私はこれを使う」
男はそう言いながら腰にある愛剣に手をやる。紋章剣、狼が勇ましく咆哮する姿が刻まれたの大剣に。
さすがのノーマンも驚きを隠せなかった。
少女の剣は同じ年頃の騎士よりもはるかに腕が立つのは砦の誰もが知ってはいる。が、あくまでも稽古や試合でのことである。
「ルーク様、正気ですか」
「困ったことに狂ってはおらん」
「では何が?」
「ノアは私と同じように戦場に立ち、一人の騎士として剣を揮うのだと、そう言っている。戦場に立つだけの覚悟と技量があるかを、私が見定めねばならなくなった」
「拒むことは」
「拒んだ結果がそれだ」
男は今はノーマンの手にある銀髪を何とも言えない表情をして見る。
「なる……ほど」
流石のノーマンも二の句が継げず、同じように髪に目を落とす。
銀髪は陽の光が当たり美しく輝いていた。
少女より離れた銀髪の輝きが、どうしても満足そうに見えるのは男の幻想であろうか。
「ルーク様」
「大丈夫だ」
男が広場の方を見ると、そこに凛として立つ少女の姿があった。
「ノアの想いを聴いたのだ。それは以前、私が騎士になって間もなく父上に抱いた想いと同じものだったよ。まさか女として生を受けたノアから聴くことになろうとは夢にも思わなんだ」
娘がこの父を待っている。
「私はあやつの想いに応えてやらねばならん」
そう言うと、男の表情が変わった。
我が子を気遣った父親の顔から戦いに向かう剣士の顔へと。
一瞬にして変わった気配に騎士たちは圧倒され、自然と頭を垂れる。この男に、現ルビエル騎士団長ルーク・ウィルコートの剣気に正面から立ち向かえる勇士が王国内にどれだけいるだろうか。
騎士たちは只々姫様の身を案じるのみであった。
「立会人は私が引き受けましょう」
「あやつが立ち上がる限り止めるでないぞ」
男はどこまでも戦る考えのようである。少女の覚悟を見極めようとしているのかもしれなかった。
「勝敗はノアが一太刀でも私に入れることが出来ればノアの勝利だ。ノアを戦に連れて行く、入れられなければ諦める。それだけだ」
少女には部の悪い話である。それだけに少女の覚悟も並々ならぬものとノーマンは理解した。
「かしこまりました」
「さて、私の愛する娘がどれほど腕を上げているか楽しみだな」
「最後に稽古をつけたのはいつですか」
「二日前だ」
啞然とするノーマンである。
「……ルーク様も人が悪い」
「そうか? あの年頃は1日もあれば成長するものだ。そうだろう」
男の言葉は騎士たちへと向かった。
「そろそろ、お前達の技量を確かめねばな」
その琥珀色の瞳が怪しく光る。
「どれだけ腕前を上げたかものかみてやろう」
王国でも勇猛で名の知れた騎士である男の言葉は騎士たちの興奮させるに十分であった。皆、是非に、と声を上げた。
「さて、その前に」
男の視線が再び広場に移る。
「我が愛娘だ。お前たちが証人だ」
男が悠然と歩き出す。決闘の証人になるべく、騎士たちも男の背中を追って歩を進めた。
その背中は男の決意とほんの少しの寂しさを纏っていた。