少女と辺境伯(3)
「本当にごめんなさい」
客車はで少女が何度目かの平謝りをしている。
男は少女と視線を合わせることを避けていた。
「父様、いい加減に機嫌を直して」
「いい加減にとは何だ」
「私が悪いのは確かなんですけど、実の娘と目も合わせるのも嫌?」
男は敢えて大きく息を吐く。少女はというと灰色の瞳を一心に男へ向けている。
「……もうよい」
「許してくれました?」
「あぁ」
「本当に?」
「本当だ」
「本当に本当?」
「しつこい。騎士に二言はない」
男はそう言うと長い脚を組みなおし、外の景色に視線を移した。その父親の姿を少女は改めては見る。大柄ではないが、碧色の戦装束を纏った姿は凛としている。この国で父親ほどの武勇を持つものは多くはない。そしてこの父親ほど優しい人もいないと思う。
「父様」
「同じ過ちは二度としてはならんからな」
「もちろんです」
「ならいい」
男の反応は日常で少女に接しているものに戻っていた。父娘の間に流れていた空気が和らいでいく。
「良かった」
少女が安堵の息を吐くと、男が間を置かずに言う。
「それにしても一生分は笑ったのではないか」
「そんなことはありません。でもお陰様で3日分くらいは笑わせてもらいました」
少女から反省の色のない声が返ってくる。男は思わず何がお陰様なのだと口を付きそうになった。
「父様、今後のために知っておきたいことがあります」
不意に少女が態度を変え、男の顔を確と見た。
男は思う。向かっているホーデンの砦はバルロークとの国境近くに位置し防衛の拠点である。2年前の戦争でもレイグリントの本陣を砦に構え、奇襲をかけてきたバルロークの将兵と激しい戦いを行った地だ。怖いもの知らずな娘であっても、一抹の不安を感じたのかもしれないと。
「なんだ」
「子供の時、何をしてマーサを怒らせたのですか?」
予想外の言葉に男はガクッと崩れ落ちた。取り越し苦労のようである。
「何を言うかと思えば、そのような事を聞いてどうする」
「今後の参考にと思って。私なりの予防策です」
「そういう事は自身の身をもって覚えるものだ」
「マーサの言葉は有難いですよ、でもね父様。有難い言葉をまた聴くと思うとゾッとします。一人だった場合、私の精神が保てるとは到底思いません」
男は少女の物言いに豪快に笑って返した。
「ならば、大人しくしておればよいだろう」
「残念なことに、私の大人しくは他の方たちとは基準が違うようなのです」
「自覚があって何よりだ。だが、だからといってマーサに叱られないよう、父に過去の失敗談を話せと言うのか?」
「いいえ、お父様の過去の功績です」
「お前がマーサに雷を落とされないための功績か」
「そうとも言います」
「こやつは」
このところ口が達者になったと思う。
「私の功績と言うのなら、公にするのもしないのも私の自由と言うことだな」
「私の父は、いえルビエル騎士団長はそんな心持ちの小さな方ではないと私は信じています」
ああ言えばこう言うである。
「侍女頭については、その身に雷を落とされて経験するしかないな」
男の一言に少女が「そんなぁ」と首をもたげる。
「それなら……」
少女の言葉を遮って言う。
「諦めるのだな。マーサの洗礼は有り難いものだ」
「いえ、マーサのことではありません」
「何だ?」
心無しか少女の拳に力が入っているように見える。
「砦に着いたら、私と手合わせをお願いします」
予想に反した問いであった。少女は先程まで楽しげにしていた表情を消し男をじっとみている。
「突然だな」
「ずっと考えていたことです。そして木剣ではなく、真剣をもっての手合わせを所望します」
男の眉間に皺が寄る。
「無言で威圧しないで」
「すまぬな。だがそれでは稽古ではなくなるぞ」
「なら試合でも一向に構いません」
「ふむ」
男は一応は考える素振りを見せる。
「なぜ真剣なのだ」
「駄目ですか」
「無論だ」
「それは私が弱いから?」
「お前の技量は騎士団の同年代の者たちに引けをとらんと思っている」
「だったら」
「真剣であることに、何の意味がある? ……いや、何でもない」
「またバルロークとの戦いが迫っているのではないですか?」
男は答えない。
「何れ私も戦場に立つことになります」
間。
「私はお父様の跡を継いでルビエルを守り、レイグリントの盾となるのは私の使命になります。私は強くならなければなりません。私はまだ弱く、戦場の経験もありません。お付きの騎士たちは私に稽古をつけてくれますが、私が剣術を修練するのは道楽としてと思っているでしょう。それでは駄目なんです」
男の反応を待つ。
「私は民を、騎士団の皆を守る強さを身に着けなければいけないのです。そのためには半端な覚悟でお父様に挑むわけにはいかないのです」
間。馬車の走る音がよく聴こえる。
「どうかお願いします」
「その様に思っているとは知らなんだな」
少女は父親の続きの言葉を待つ。
「ノア。私の跡を継ぐという言葉は有難い。剣神ヴァザーリに愛されるお前なら、修練次第ではルビエルを守る力を持てるかもしれぬ」
男は一呼吸置いて続ける。
「ただ私にもな、世の父親たちと変わらぬ願いがあるのだ」
「何ですか?」
「どれだけ剣術に励んでもよい。また励むお前の姿を誇らしくも思うし、使命を全うするため努力をするお前の妨げをすることはない。だがな、戦場に進んで立ってほしいとは思わぬのだ」
当然の親心である。
「どうしてですか?」
少女のまだあどけなさの残る顔が不思議そうに返す。途端、何を思い付いたのか男をキッと睨む。
「私が女だから戦場には連れていけないということですか」
「そうでなない」
「お言葉ですがルビエル騎士団には女騎士たちもいるではありませんか」
「確かに数名在席している。彼女らは優秀で戦場においても、自ずを奮い立たせ騎士団の一員として良く働いてくれている。これは女だから男だからということではない」
「いえそれは違います。父様は私が男だったとしても同じことを言ってますか。女であれ男であれ戦場に立てば関係ありません。私にそう教えたのは父様ではありませんか。もし父様が女が戦場に立つことに異議を唱えるのであれば、騎士団の女騎士を侮辱しています」
男は言葉につまる。その父親の隙きをついて少女が問う。
「私には父様の跡を継ぐ無理だと仰りたいのですか?」
「そうではない」と反射的に言葉を返す。
「じゃあ何故、私は戦場に行けないのですか」
先程までの男見て笑っていた姿をは微塵もなくなり、怒りとそれ以上の悲しみが少女を覆っている。
「父様!」
「そんな顔をするでない」
「どんな顔をしていても私は私です。ひどい顔をしているなら、それはお父様のせいです」
「うむ」
「私は父様の力になりたいのです」
少女の本心である。男としても父親として娘を戦場に送り出したくはない。当然のことだ。
辺境伯の跡継ぎであること、騎士団長の娘としてレイグリントの盾となるために自分の力が足りていないことを少女は理解していた。そして男の方も普段、奔放に振る舞ってはいる少女の内に秘めた想いがこれほどまでとは知らなかった。
「すまぬ」
少女に向き、はっきりと言葉にした。
「私はお前の事を大事に思っている。出来れば王都にいる娘と同じように、戦とは無縁の人生を歩んでほしいと願っていた」
「それは無理というものです」
何を今更、と少女は加えて小声で憤った。
「確かに何を今更だな」
男は少女の言い草が可笑しく、息を漏らす。
「笑い事ではありません」
「うむ。妙に可笑しくてな。ノアが王都の婦人たちのようになれるとは、今はもう思ってはおらぬよ」
「なら私は何になれるとお思いですか」
「そうさな……」
間。
男は娘の性質をよく理解していたが、これだというものが思い浮かばずにいた。
「貴族の令嬢としての振る舞いの必要最低限は学びました。でもそれは私の生きる姿ではありません。私は戦いの中に身をおきたい」
「両手を上げて娘を戦場に向かわせる親はおらぬ。私もその一人だ」
「……息子だったら違ったでしょう。この身が男なら、すでに初陣を終え戦場てお父様の隣にいてもおかしくないのに。理不尽です」
「その様なことを言うても仕方がなかろう」
「私の剣を受けて下さい」
切実な想いが少女の顔から感じられる。
「私はまだお父様には遠く及びません。一太刀でさえ浴びせられないかもしれない。それでも」
真剣そのものに言葉を発する。
「戦場でお父様の隣に立てることを証明します」
少女の想いは同じ年頃の恋や流行に思いを寄せる女性たちとは、余りにもかけ離れている。女性らしからぬ想い、決意をさせたのは自分のせいであろうと男は思う。
そして声に出さずに主君へ謝罪の言葉を唱えた。
「お父様。砦で私と立ち会って下さい」
男は無言でいる。
馬車の走る音と揺れだけが変わらずに続いていた。
「父様!」
男は応えない。
「それなら」
少女が護身用の小剣を抜き頭の高さまで持ち上げた。
「何をするつもりだ」
男がそう発するやいなや、少女は小剣を首の後ろにまわし束ねていた髪を切り落とした。
「私が女だから戦場に連れて行けないというなら。女をやめました」
少女が切り落とした銀髪を男に差出す。
「……」
あまりの突然のことに男は言葉を失っている。
「父上。これが私の覚悟です」
口調まで変え始めた少女に男は呆然とするしかない。
貴族の女性にとって長い髪は騎士にとっての剣と同等である。女性たちの戦場である社交界で短い髪は隠者として下に見られる。そして隠者の烙印を一度押されれば、何があろうと社交界に戻ることは不可能なのだ。
少女は貴族の女性として生きる事を、父親の目の前で捨てたのだ。
「この大馬鹿者が!」
男が思わず声を荒らげる。
「大馬鹿者で結構です。自分の進むべき道に必要なことをしたまでです」
男の声に怯むことなく言い返す少女。そして睨み合う父娘。
「……お館様」
大喝に驚いた御者が伺いながら声をかけた。
「いかがなされました」
「問題ない」
「ですが」
「問題ないと言っておる」
「わかりました」
「何処まで来た」
「半分ほどでございます。ティアリ平原を間もなく通りすぎるところです」
「なら継馬小屋に寄る。外の空気をすいたい」
「かしこまりました」
男と御者のやり取りの間も少女は切り落とされた銀髪を握りしめ突き出した姿を崩さずにいた。
灰色の瞳が一心に男を見ている。
「手を降ろしなさい」
「嫌だ」
「男になるつもりか」
「私はこのままでもかまいませんが、試合をするのに男になれと言うのならばなりましょう」
少女は従うつもりも、試合を諦めるつもりもない。
気が遠くなるような時間が過ぎていく。
長い、長い、間。
「もうよい」
男が先に重い声を発した。
少女が求めているもの、欲しているもの。それを与えることが自分の役目なのかもしれないと。
「何が、ですか」
少女のの瞳は依然として男に向けられている。その眼差しは実に似ている、あの御方にそっくりだと男は思う。
男は自分の成すべきことをすることにした。
「砦に着いたらすぐに準備をしなさい」
「帰りません」
寂寞の情を浮かべて男は続けた。
「お前と真剣を持って戦おう」
思いもよらない返答に少女は驚き、そして握られていた銀髪が客車に舞った。
「ありがとう、お父様」
少女は父親に抱きつき感謝を表す。
「離れなさい」
「嫌です」
「お前にあった美しい髪であったのに」
足元に散乱している銀髪を見て男が漏らす。
「今の私には必要ないものです」
少女は晴れ晴れとしている。
「手加減はせぬぞ」
「望むところです」
馬の嘶きと共に馬車が停車した。
外では明るい陽射しが変わらず世界を照らしている。