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レイグリント戦記  作者: 草摩
1/9

少女と辺境伯(1)

 少女は暗闇の中にいた。

 暗闇の中で腰まである艷やかな少女の銀髪が揺れ動く。


「宿命を持つ者よ」


 少女に語りかける声が聴こえ、それは一筋の耀きとして少女の目の前に忽然と現れた。

 耀きの物言いは柔らかい、……が人とは思えない。

 少女は問う、あなたは誰? と。

 

「今はまだ何者でもない者よ。

 其方(そなた)の本当の名前を識るのだ」


 耀きは少女の問いに応えることなく続ける。

 少女は(いぶか)しげに思い、言葉を返す。

 何を言うの……?

 私はノア・ウィルコート。

 ルビエルの地に生を受け、ルーク・ウィルコート辺境伯の一人娘のノア・ウィルコートよ。


「旅立たねばならぬ」


 耀きは少女の問いに応えるつもりはないようだ。

 そもそも本当に意志があるのかさえ疑わしく思える。


「其方の旅は果てしない旅であり、其方はその旅路でアシェンと人を繋がねぱならない」

 

 果てしない旅?

 アシェンと人を繋ぐ?

 私にどうしろって言うの。いきなり現れて宿命やら、何やらと言われてもどうすることも出来ない。 


「アシェンはその姿を隠している。アシェンを探し己を理解せよ」


 耀きの声は途切れることなく、ゆったりと続いている。

 少女の意志は耀きにとっては些末な事なのだろう。


「己が何者かを識る時、そなたは己の成すべき行いを領するであろう」

 

 耀きが揺らぎ少女から遠のきはじめる。


「其方の進む道に幸多からんことを」


 輝きは静止すると爆ぜて消えた。

 少女は、「待って!」と発するが応じるはずもなく、耀きの残した僅かな光も闇に紛れていった。耀きは伝えるべき事を少女に語ったことで役目を終えたのだろう。 


「私は生きたいように生き、自分の成すべき事は自分で見つけるわ」


 少女が耀きの爆ぜた方に向かって言葉を投げかける。

 間。

 沈黙という間が少女を覆う。

 辺りは完全な暗闇に戻っていた。

 これは夢なのだと少女は思う。

 不可解な事だ。果てしない旅やら、アシェンやら……。

 アシェン。初めて聴く言葉だった。それでも何故か胸に引っ掛かりを覚える響きだ。アシェンとは何だろう。

 そう想いながら少女の意識もまた暗闇の中に紛れていった。



******************************************



「ノア」 


 少女を呼ぶ男の声が庭園に響きわたる。

 瞳を閉じたまま、今日はよく起こされる日だと少女は思う。

 どうやら今回は夢ではないらしい。なにせ寝そべった自分の身体を感じる事が出来る。

 少女はまだ心地良い虚ろいの中にいたかった。


「ノア!」


 声が少しの怒気を含んで再び少女を呼ぶ。

 男の声に驚いたのだろう、野鳥の羽ばたく音が聴こえた。


「起きろ」


 まだ眠らせて、少女はそう願うが意識がはっきりとしてきた。閉じた瞼越しに、柔らかな陽射しを感じる。木陰に横になっていたはずだが、どうやら結構な時間が経っているようだ。

 少女は寝返りをうつ。顔の右側面に、毛並みを通して生きる鼓動と体温を感じる。少女の頭の下には枕代わりにしているのは、少女よりも一回りは大きい灰色狼だった。

 このルビエルの地で灰色狼は神獣であり、ルビエル騎士団のシンボルでもある。その狼の呼吸とともに動く毛並みが少女の顔を擽る(くすぐる)

 

「またダンスとマナーの授業を抜け出したのだな。皆が探しておったぞ。全くお前と言う奴は」


 少女はその透き通った琥珀色の瞳を薄くあけ声の主の様子を伺う。伺った先には、眉間にシワの寄った父親の濃褐色の瞳があった。


「今日の弁明は?」

「持病の腹痛が……」

「持病の仮病だな」


 父親はやれやれとした態度を隠すことなく、少女を見ている。

 

「先生方に謝罪しておくのだ」

「ですが……」


 男は少女が反論する前に言葉を被せる。


「もちろん、侍女たちにもだ。これは命令だ」


 少し間が二人に漂う。


「はい〜」


 反省の色のない返事が男に返った。

 

「ムーン」


 男の声に枕代わりの灰色狼がむくりと起き上がる。

 

「おわっ」


 少女らしからぬ声が上がった。少女の瞳はすぐに狼を向く。


「ビックリしたじゃない」

「ムーンも起きて謝罪しろと言っているんだ」


 そう言った男の表情は険しいままである。

 

「わかりました、わかりましたよ。ムーン、父様の言うことだからって従うことないんだよ。あなたはあなたのしたいよう、ずっと私の枕になっていてもいいんだからね」

「おいおい、何を言っているんだ。勝手に解釈するでない」

「いいんです。ムーンは私と一緒にいることが幸せなんです。例え枕にされていても。ねぇ、ムーン」

 

 言葉をかけられた狼は人であったなら、肩をすくめて仕方が無いとでもいうような仕草ををし、男を見る。


「お前が何を思ったか私にもよくわかる」


 近づきその凛々しい狼の顔を撫でてやる。狼もまたその行為を受け入れ素直に撫でられている。

 男は戦装束を纏っていた、その身体に馴染む紅碧の戦装束を。


「父様、また戦ですか?」

「いや、戦ではないがバルロークの者共に見せつけておこうと思ってな」


 男の視線が南を向く。

 少女の父親ルークはレイグリント王国の盾である。戦争では最前線に立ちバルローク王国から国を守護する武人であり、そのバルロークの将兵に最も恐れられるルビエル騎士団長ルーク・ウィルコート。

 バルローク王国とはレイグリント王国の南に位置し、レイグリント王国の領土を奪おうと企む大国だ。バルロークとの戦争は2年前に世の中ではレイグリントの勝利で終わってはいるが、国境での小競り合いは未だ続いていた。バルロークの牙は常にレイグリントに向いているのだ。


「私も行きます! いいですよね」

「ほう、この状況で付いてこれるとでも思っているのか?」

「どこぞの貴族の姫君とは違います。支度なんかあっという間です。父様が一番ご存知でしょう」

「そうではない。済ましておかねばならぬ事があるだろう」


 今にも駆け出そうとした少女は困惑の表情になった。


「あっ!」

「思い出したか」

「あの、皆への謝罪は戻って来てからでは、いけませんか」

「ならん。決まっておるだろう」


 すげない男の対応に少女は「そんなっ」と肩を落とす。男は続けて言う。


「自業自得というものだ」


 すっぽかしをしたのだ当然である。

 少女は一点を見つめて一時思案すると、ハッと表情を変え男を見る。


「……バルロークでしたらホーデンの砦ですよね」

「まさかホーデンの砦まで一人で来るつもりか」

「いえ違います。流石の私も半日かかる道を一人でなんて考えてません」


 と言いつつ、やっぱり駄目かと少女は内心思う。

 男の方も、もし冗談でも了承しようものなら此奴は何が何でも来る気だったなと、少女の表情から読み取る。少しでも戦いに関係することであれば、我が子は手段を選ばない事を父は知っていた。

 少女は続けて言った。


「補給の者も連れていきますか」

「支度中だ」

「そうですか」


 弾みそうになる声の調子をすうっと落とし、少女が応えた。

 男は少女が考えていることを理解した。補給の者たちはホーデンの砦に向かうが、出発は本隊と同時刻とは限らない。要は貴族の娘が身分を隠し紛れようと画策しているのだ。男は先回りして言う。


「諦めなさい。支度も後小半刻ほどで終えるだろうよ」

「小半刻」

「確と謝ってくるんだな」

「小半刻あれば大丈夫、あっという間よ」

「あっという間か、だがいかにお前であろうと無理があると私は思うぞ。なにせ侍女頭がお前を待ち受けておる」

「うわぁ。」

「あれの小言は長いぞ」

「知ってますよ。そんなに怒ってました」

「それはもう、頭から湯気が出るのでないかと思うほどだ」


 少女は「終わった」と声を発し足元から地面に崩れ落ちる。

 男は四つん這いの姿で落ち込む少女を見る。親だからこそ見たくなたい姿を晒す娘に、がっくりと肩を落とす。

 型破りなことは承知しているのだが、これはさすがに、と改めて思わされた男であった。

 男がムーンを見ると、二人の動向を見守っていたムーンは、これまた仕様がない、というように頭を振ってみせた。自分の心持ちを現わす狼に、男は共感し感謝をする。

 そして気力を取り戻し少女に向かうのであった。


「だから言ったであろう、日頃の行いの報いだ。諦めて大人しく待っているのだ」


 少女は四つん這いの姿のまま、何やら思案をしている。


「ノア」


 少女は応えずに何かボソボソと呟いている。

 

「いつまでそうしているつもりだ。いい加減に……」


 男の声を遮り、少女が勢いよく身体をおこす。


「そうだ」


 解決策を思い付いたのであろう、少女は狼を見て、にぃっと笑顔をつくる。


「ムーンがいてくれて良かった」 


 少女の言葉に男は嫌な予感を覚える。その予感が外れることを願いながら、少女に釘を刺す。


「補給隊に紛れることはならん。私と共に出発すること、これが条件だ」

「父様それはさすがに意地悪です、と言いたいところですが問題ありませんから! 行こう、ムーン」


 そう言放つやいなや、少女は狼とともに駆け出した。


「あまり皆を恐がらせるでないぞ」


 男には少女の後ろ姿に声を放つ。少女は返事はせず父親に悪戯げな視線を送る。


「やれやれ、その意気込みをほんの少しだけ剣術以外に向けておれば……」


 思わず声が出る。

 狼と共に走る少女の後ろ姿に男は、剣術や馬術など教えるべきではなかったのかもしれない、と自分を攻めるのであった。


 「戦の神ヴァザーリよ、私の娘を守りたまえ。そしてあの娘がこれ以上あなたに愛されないことを願います」


 戦神ヴァザーリ。

 ガルディバイン大陸全土で信仰されている勝利の神だ。騎士、兵士問わず多くの者がヴァザーリに戦いの勝利を願う。その神に愛されるものは、それだけ多くの戦に立ちその祝福を受ける。少女は全くもって残念なことにヴァザーリに愛されたいと願う一人であり、実際にその剣の技量は戦神に愛されているというしかない。

 男は父親の顔を垣間見せる。

 妻の死から10年、男なりに育てあげたものの、今の娘の姿を妻が見たら何と言うだろうか。

 妻の苦笑いの顔だけが思い浮かぶ男であった。


「さて、行くか」


 また男は呟いていた。娘の成長とともに独り言が増えた。ふっと、年齢を感じるというのはこういう事かと思う。


「ひ、姫様!?」


 少女の去った先から悲鳴が上がった。どうやら第一被害者は庭師のようだ。男が少女に対して落ち着くのはどうやらまだ先らしい。続けて問答が聴こえる。

 「姫様、狼から離れて!」「どうして? 友達なのに」「ま、またそのようなことを。危険です!」「大丈夫よ、急いでるから」と、再び庭師の悲鳴が聴こえた。

 きっとムーンを横において謝罪して回るつもりなのだろう。この後、屋敷の者たちに起こる災難を思い、すまぬ、と胸の内で謝る。そして後日に侍女頭を筆頭に自分が聴くであろう多くの苦情を想像し、男は盛大なため息をつくのだった。


 「待ってはやらぬからな」


 そう呟くと自分は正門へ歩調を早めて歩き始めた。


読んでいただきありがとうございます。


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