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小山内マキコは友に会う

 待ち合わせが苦手だ。


 相手を待たせるのは好きじゃないから、できるだけ早く現地に入る。そうすると今度は、現地でどのように時間を潰すのかという問題が発生する。ターミナル駅ならば駅ビルなどを見て回れば良いが、今日の待ち合わせ場所のような小さな駅は、周りにふらっと見られる場所がないことも多い。そういう時は大抵、駅にある周辺地図を眺めて過ごすことが多いのだが、一通り眺めてもなお、待ち合わせの時間まで10分ほど時間が余ってしまった。

 小山内(おさない)マキコはキョロキョロと周りを見回し、人の邪魔にならず、かつ、改札を出たタイミングで簡単に目につく場所を探した。しかし、大体そういった場所には先客がいる。少し悩んだ末に、マキコは少し身体の位置をずらして、地図の脇に陣取ることにした。地図を見たい人の邪魔にならないように……と考えると、どうしても身体が縮こまってしまうが、もう、致し方ない。


 待ち人は、待ち合わせ時間から5分ほど遅れてやってきた。マキコは、改札にやってきたその人物を見て目を細めた。相変わらず、目を引く外見をしている。程なくして、相手もマキコに気付き、顔のそばで小さく手を振った。


小山内(おさない)ー!」


 マキコの数少ない友人の1人が、こちらに向かって歩いてくる。


「お待たせ」


 遅れたことを悪びれる様子もなく、屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。この笑顔に、今までどれだけの人間が打ちのめされてきたことだろう。ぱっちりとした二重の瞳に、くるんと丸められた長くて密度の濃いまつ毛。形の良い小さな鼻や、ぷっくりとした赤い唇。

 一言で片付けてしまえば、蓮見明子(はすみあきこ)はとてつもなく可愛い。美醜にあまりこだわりのないマキコですらそう思うくらいだから、きっとその可愛さはそこいらのアイドルを凌ぐほどなのではないか、と思う。


「そんなに待ってないよ」

「髪、思い切ったねえ。ひょっとして染めた?」

「よくわかるね」

「自然光の下だと、こういうのはわかりやすいのよ」

「そんなもん?」

「そんなもん」 


 彼女の手によって丁寧に巻かれたであろうロングヘアを揺らしながら、蓮見が微笑む。その笑顔をつられて、マキコも微笑んで…しまったつもりだったが、実際のマキコの顔はほぼ変わっていない。


「自分としては結構変わったつもりでいるんだけど、見てビックリしなかった?」

「しないよ。ああ変えたんだなーとは思ったけどさ、髪以外は全然変わってないじゃん」

「……確かに」


 ”髪は顔の額縁”という言葉を聞いたことがあるが、肝心の絵の方、つまり顔の中身が全く変わっていないのだから、考えてみれば当然の話だった。マキコは、化粧が得意ではない。技術的に苦手であると同時に、顔に化粧品を乗せること自体に何だか違和感を感じてしまうのだ。


「てか、ここ。発芽米みたいになってるけど」


 蓮見のすらっとした指が、マキコの髪に触れた。恐らく、水に濡らしても引っ張ってもどうにもならなかった寝癖の辺りを触っているのだろう。基本的に、パーソナルスペースに割って入られることを嫌うマキコだが、不思議と蓮見にはそのような感情を抱いたことがない。


「やっぱり?楽でいいなと思い込んでたけど、ショートってうまくやるの難しいんだね」

「美容師さんにお手入れの仕方聞かなかったの?」

「……」


 こちらから聞かずとも丁寧に説明してくれた沖田の顔が浮かび、申し訳なさにマキコは思わず目を伏せてしまった。


「仕方ないなあ。あたしが教えてあげるよ」


 そう言いながら蓮見が身を翻す。今日行くカフェを決めたのは彼女だ。道案内をしてくれるのだろう。


「え。蓮見、ずっとロングヘアじゃん。わかるの?」

「はー……あたしを小山内と一緒にしないでくれるかな」


 蓮見は大袈裟に頬を膨らませて見せる。その姿すら何だか絵になってしまうのだから、ちょっと怖い。



 髪を濡らしたら必ずきちんと乾かすこと。

 ドライヤーは、まず後ろから当てて髪を乾かすこと。

 髪の生えぐせは、くせで流れて行きやすい向きとは反対方向に髪を流しながらドライヤーを当てること……


 どっから出てくるんだその美容知識の山はーーと思いながらも、マキコは蓮見の助言を黙々と手帳に書き込んでいく。


「あたし、小山内のそういう律儀なところ、結構好きよ」

「え」

「人によっては聞き流してはいおしまい……って話題も、いつも几帳面にメモ取るよね」


 あと、本当に字が綺麗だーーそう言いながら蓮見は、可愛くアートが施されたカフェラテに口をつけた。


 駅から10分ほど歩いて着いたカフェは、住宅街にあった。違和感なく街並みに馴染んでる様子からして、恐らく一軒家を改装したつくりなのだろう。玄関先に掛けられた暖簾が可愛らしく、インテリアも派手さこそないものの随所にこだわりが感じられた。とはいえ、マキコにはそのこだわりは説明しようもない。蓮見に問えば、きっと1が100になるくらいの勢いで饒舌に答えてくれるのだろうけれど。そもそもの美意識の低い人間は、他人のそれにも疎いものだし、逆もまた然りだ。

 店主が直々に行う可愛いラテアートが有名なのよーーと蓮見から事前に聞いていた。こういうとき、コーヒーが飲めない自分を恨めしく思う。ちょっとした敗北感と共にロイヤルミルクティーを注文すると、店主はこちらにもアートを施してくれた。蓮見がクマのアートで、マキコはウサギのアート。やるなら逆じゃないかとマキコは思いつつも、そう悪くない気分でロイヤルミルクティーを飲んでいた。


「しかし、平日なのに結構混んでるね」


 マキコが手帳を閉じながらつぶやく。すると、蓮見が少し自慢げな表情で顔を近付けてきた。


「人気店ですから」

「そうだろうよ。こういうの、どこから見つけてくるの?」

「VLOG」

「ぶ……?」


 聞き慣れない単語に、思わずマキコは顔をしかめて問い返してしまう。


「”VLOG(ブイログ)”って知らない?要するに、VIDEO(ビデオ)BLOG(ブログ)を足して2で割ったみたいなモノなんだけどさ。おしゃれなカフェとかレストランに行った様子をレポートした動画が、山ほどアップされてるの」

「そうなんだ」


 動画サイトでは、動物のムービーしか見ないマキコは目を瞬いた。そんなモノがあるなんてまるで知らなかった。今し方閉じたばかりの手帳を開き、VLOG、と書き込む。


「蓮見、ほんといろいろ知ってるよね。頭の中、ブラックホールなんじゃない?」


 マキコが恐れ慄くような気持ちでロイヤルミルクティーに口をつけると、蓮見は鼻で笑った。


「やめてよね、ブラックホールじゃインプットした情報が全部消えちゃうじゃないの。何でも入る四次元ポケットくらいの表現はして欲しいわ」


 相変わらず口の立つ女である。その弁の強さは、高校時代から全く変わっていない。


「忙しいでしょ」


 旗色の悪くなってきたマキコは話題を変えた。こういう時、蓮見は無駄に食い下がってきたりはしない。


「忙しいね」


 軽くため息をつきながら、蓮見が指でカップをさする。


「まあ、シフト制だから休みは取れるよ。規則的な分、医師(ドクター)よりはいくらかマシだと思う」

「でも、夜勤とかあるでしょ?」

「まあねえ……年齢と共にキツくなっていくんだろうな」


 そう言いながら、蓮見は軽く伸びをした。


「でも、体力的な問題より、むしろ精神的なトラブルの方がやられるね」

「蓮見が?」

「そう、このあたしが」


 いけしゃあしゃあとした物言いだが、マキコは本気で心配してしまう。その様子を知ってか知らずか、蓮見は動揺する素振りもなく言葉を続けた。


「”あんたたちは白衣の天使なんだから”とか言われてもね……白衣の人は山ほどいますけど、天使はおりません。こちとら、全員れっきとした人間なんですから」

「……それ、患者さんの前でうっかり口を滑らせたり」

「するわけないじゃん」


 蓮見が肩をすくめて見せる。クレバーな蓮見のことだ、本当にそのようなことはないのだろう。ただ、実際に誰かから言われた言葉なんだろうな、というリアリティがあった。


「でもさ」


 また軽くため息をついて、蓮見はカフェラテに口をつける。


「目の前の相手が血の通った人間だと思ってない人って、腐るほどいるよね」


 その言葉を聞いて、マキコの脳裏に一片の記憶が蘇る。



 ーーそうか、私も”血の通った人間”だと思われてなかったのかもしれない。じゃなきゃ……



「もしもーし」


 マキコはハッとした。気がつくと、蓮見がマキコの眼前で手をブンブン振っていた。


「こんな美女を置いてけぼりにして意識飛ばすとかありえなくなーい?」


 長い付き合いだからわかる。今の言い方は蓮見なりの優しさだ。


「ごめん」

「別に、いいんだけど」


 そう言うと、蓮見はカフェラテをくいっと煽って飲み干した。


「普段、用件以外の連絡を寄越さない小山内が、たった一言だけ送ってきたメールが、あれでしょ」


 蓮見は、空になったカップを優しくテーブルに置いた。


「こっちもそれなりに心配したわけ」

「……蓮見」

「てなわけで!」


 蓮見はニッコリと笑顔を大袈裟に作り、何やらゴソゴソと紙袋を探っている。


「じゃじゃーん!」


 蓮見は、そこそこのサイズの黒いバッグを取り出した。何やら、細長い。見たところ、5、60センチはあるだろうか。


「リフレッシュ休暇のお土産でーす。なんと、場所はハワイ!」

「いや、それは知ってるんだけど……でも、またベタなところに行ったよね」

「ベタだからいいんじゃなーい。あ、ちなみにひとり旅ね」

「それはわかってるけど」

「何で決めつけるのよ」


 若干呆気に取られながらも、マキコは半ば押し付けられるように渡されたバッグを受け取った。中に何か入っている。中身が気になって、自然とファスナーに手が伸びた。


「……ウクレレ?」

「そう!」


 予想外のものが出てきて、マキコは言葉をしばらく失った。蓮見はニコニコと微笑んでいる。


「何でまた」


 マキコは、ウクレレに張られた弦を軽く指で弾いた。クリアで優しい音がポーン……と空へ広がっていく。


「プレゼントを選ぶ極意、教えてあげよっか」

 

 そういうと蓮見は身を乗り出して、技巧がかった仕草で人差し指を立てた。


「一つ。相手が”必ず使ってくれるものを選ぶ”こと。趣味に関わるものとか、消耗品なんかもいいわね。もし相手のどストライクを外したとしても、使ってもらえるであろうものをちゃんと選ぶ」

「うん。でも……」

「そして、もう一つ」


 蓮見は続けて中指も上げた。


「相手が”絶対に自分からは買わないものを選ぶ”こと」

「……なるほど」


 マキコは、手に持っていたウクレレをしげしげと眺めた。


「確かにこれは、自分からは絶対に買わない」

「でしょ」

「でも、何で?相手が進んで買わないようなものだったら、使ってもらえない可能性の方が高いじゃない」

「あのね、小山内」


 向かって左側の口角だけを器用に持ち上げて、蓮見は続ける。


「プレゼントっていうのは、一種の”イベント”なのよ。つまり、渡すモノに価値を持たせるか、プレゼントを送る行為そのもののイベント性に価値を持たせるか。どっちかってわけ」

「……それは蓮見の持論でしょ」

「もちろん」


 そこで初めて、蓮見は身を引いた。


「まあ、一種の気分転換だと思ってくれればいいよ。あげるだけあげてしまえば、そこから先は相手の縄張りの話だしね」


 そう言って小さく舌を出す。


「存分楽しむなり、さっさと捨てるなり、誰かに譲るなり、ネットで売るなり。好きにしちゃってよ」

「いや……結構高かったんじゃない、これ」

「相当高かったね」

「捨てたりしたら呪われそう」

「失礼ね」


 そこまで会話を交わして、2人で顔を見合わせて笑った。


 不変のものなどない。生きていれば、何もかもが変化していく。その流れには、誰も抗うことができない。もちろん、人の心だって例外ではない。

 しかしマキコは、今も蓮見のことを好いている自分を確認して、安心していた。そしてそのことがたまらなく、嬉しくもあった。


 何もかも失ったみたいに一瞬でも思ってしまったのは、本当に、馬鹿げていたな。


 そう思いながらマキコは、アートが崩れてしまったロイヤルミルクティーを一気に煽って飲み干した。

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