無駄の削減
私は駅員。
私の役目は駅に訪れるお客様へ、目的地へ向かうホームを教える事。
殆どのお客様は毎回同じ電車へ乗るので、私に出番が回ってくるのはごくごく稀。
初めてこの駅を訪れた、そしてホームのわからないお客さまが来られた時。
どのくらい稀かと言うと、私がここに配属されてからまだ一度も案内していないくらい稀だ。
…事務所で給料泥棒などと謗られてはいないだろうか。
決してサボっているわけではないのだが…。
おや?
おやおや?
あの改札付近にいるお客様はまだ見た事がない…。
ご新規さん?
しきりにゴミ箱や植え込みを覗き込んだり、ホームギリギリに立って線路を覗き込んでいるが…
一歩一歩横移動しながら線路を覗き込むとは…随分念のいった事をしている。
何か物を探しているのだろうか?
ん、こっちにきたな。
「すみません!キングス駅行きは何番ホームになるでしょうか?」
「キングス駅行きはこのホームですよ。そこに停まっている電車です。
ご利用ならお急ぎください。信号が変わり次第すぐ発車しますので。」
「あ、ありがとうございます!」
そう言うとお客様はホームに停まっていた車両へ駆け込んでいく。
すると、まるでそのお客様を待っていたかのようにタイミングよく信号が青に変わり、耳に馴染む発車ベルとアナウンスが響いた。
ジリリリリリリリリ
『ジャックス発、クイーンズ経由キングス行き。間もなく発車いたします。』
アナウンスが終わるや否や、プシューと音を立てて車両のドアが閉まり、ゆっくりと4両編成の電車は動き出す。
徐々にその速度は上がっていき、数分も立たない内に視界から消えてしまった。
…ふぅ。
やはり新規のお客様だったか。
ふふ、配属後初めて仕事をしたな。
まぁ稀とは言っても所詮はこんな程度だ。
それでも負い目がなくなると言うのは清々しい。
ちょうどお客さんも切れたし、事務所で一服…
ん?なんだあれ?
「せ、線路が、線路が消えてる!?」
まさに今駅を出発した電車がこの駅に来た方向。
つまりジャックス駅方面の線路が、黒い墨で塗りつぶすかのようにどんどん消えていっているのだ。
目を疑う光景に事務所にいた同僚も次々とホームへ出てきている。
もっともホームの端にいた同僚などは、もっと詳しく見ようと安全のために設けている柵に上っている。
そうしているうちにも線路はどんどん消え、今や黒く塗りつぶされた場所はこのクイーンズ駅へ及ぼうとしていた。
私のいる位置はキングス駅寄りなので若干距離があるが、そんな私からも「その瞬間」ははっきりと見えた。
柵に上っていた同僚はこちらに顔を向けて必死に何かを叫んでいたのだが、表情を一切変えぬままその顔だけが
ぼとり
と足元へ落ちたのだ。
そしてその背後には、まるで質量を持った壁であるかのように漆黒の闇が迫っていた。
その瞬間、それを見たお客様、同僚、その全員が悟った。
「あれは塗り潰しているのではない"消している"のだ」と
『うわあああぁぁぁぁぁ!!』
一拍置いてホームに涌き上がったのはパニックだった。
誰も彼もがホームの端から徐々に迫りくる「消える恐怖」から逃げんと、改札に近い者は改札へ、そうでない者はキングス駅側のホーム端から逃げようとする。
もちろん私も、一刻も早く逃げるためにホーム端へ向かって駆け出す。
「うえーんうえーん!ままー!ま…」
「早く昇れよ!後ろがつっかえて…」
「な、何があったんですか!?ちょ…」
母親と逸れた少年。
乗り継ぎ用階段に逃げた青年。
状況がわからず狼狽する男性。
後方にいる逃げ後れた人から次々と黒に呑まれて消えていく。
(何なんだ!何なんだよあれ!)
消えていく人を尻目にホーム端に辿り付くと、そこには自分と同じ事を考えた同僚、お客様が横一杯に広がって人垣をつくり「なにか」をどんどんと叩いている。
私は矢も盾もたまらず、目に付いた同僚の胸倉に掴みかかった。
「おい!なんでお客を外に逃がさない!
この期に及んで安全重視だなんてふざけた事を考えてんじゃないだろうな!?」
「馬鹿野郎!!そんな訳ないだろ!
なんかわかんねぇけど見えない壁みたいなのがあって出れねぇんだよ!!」
怒鳴り返されてよく見ると、確かに人垣は中空を必死に叩いている。
余程強く叩いているのだろう、要所要所の人の拳に赤いものが見えた。
改札のほうに目を向けてみたがそちらも同じようで、人が外に出ていっている様子が見られない。
そうしている間にも人は次々とホーム端へ押し寄せてくる。
自分が潰されないように反射的に手を突っ張って背中で人を受け止めるも、パニック状態のお客の勢いは全く弱まらない。
まるで満員電車さながらだ。
「何やってんだよ早く行けよ駅員!!」
「行きたくても行けないんですよ!!」
どうにかして駅から出なければあの闇に消される!
早く早く早く早く早く!
気ばかり急いて方法が思いつかない。
そうしていると、ふっとお客からの圧力が急に消え失せた。
それと同時に、見知らぬ人の首から上が肩からゴロリと目の前にこぼれてきた。
「…え?」
思わず振り向いた私の目の前にあったのは。
先程同僚の顔以外を飲み込んだ闇だった。
「…え」
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私は駅員。
私の役目は駅に訪れるお客様へ、目的地へ向かうホームを教える事。
「ごめん、キングス行き電車ってどのホーム?」
「キングス駅行きはこのホームですよ。そこに停まっている電車です。
ご利用ならお急ぎください。信号が変わり次第すぐ発車しますので。」
「うい。」
『ジャックス発、クイーンズ経由キングス行き。間もなく発車いたします。』
私は駅員。