君が生きていく理由は
20XX年に施行された『任意安楽死法』。私はこの法律により人生を終える事にした。私にとって、とてもありがたい法律である。
私が亡くなった後、私は自分の体の全ての部位に対する、移植合意書にもサインした。こんな私でも誰かの役に立つというのなら嬉しい限りだ。
この世から去る事を許してくれてありがとう。それでは、さようなら。
それは「お前も二十歳になったから知っておいて良いだろう」と、不意に父から渡された手紙。それを書いたのは私の叔父であり、いわゆる遺書であった。
今から5年前、叔父は45歳の時にこの世を去った。その際に葬儀はされず、数人の近親者だけで以って荼毘にふされたという事だった。叔父の死去を私が知らされたのは、叔父が亡くなってから1年後の事。父に死因を聞いたが、その時には心不全で亡くなったと聞かされていた。何故に葬式を出さなかったのかの理由も聞いたが、詳しくは教えてくれなかった。だがこの手紙を読んだ事で得心がいった。
叔父が選んだ『任意安楽死法』は20XX年に制定された。この法律を利用する人数は年間1万人にも及ぶと言う。
元々この法律が施行される以前でも、年間2万人を超える自殺者が居たという。年代別では40歳代から70歳代が大半で、その理由の多くは健康問題と経済的な問題であったらしい。
法律の施行後に『自殺者』は1万人を切るようにはなったが、自殺者と任意安楽死を合わせると、施行前より自己の意思による死者は3割程度増えたという発表がなされた。
「死にたいと思う人は多いが、自殺と言う手段に踏み切れずに生きていた人間が予想より多かったという事だろう。だが任意の安楽死を認めた事により、自分の意志で死ぬというハードルが下がり、安易に安楽死を求める人達が増えてしまったと言えなくもない」
有識者はそうコメントした。とはいえ実際に安楽死を実行するには、それなりにハードルは高い。
まずは年齢制限で35歳以上、そして親族の同意。更には指定カウンセラーによる簡単なヒアリング。それらをクリヤすると、直近における債務や犯罪行為の有無、保険金搾取の可能性の有無等が調べられる。それら全てをクリヤすると、都道府県自治体の首長による認可が受けられる。そして最後に指定病院による安楽死が実行された。
ヒアリングにもう少し時間をかけるべきという声もあったが、それはそれで『任意安楽死』を望む者を委縮させ、結果的に道路や電車のホームからの投身等の自殺へ誘うだけだという見解もあり、その声は否定された。そもそもヒアリングとは言っても形式的な物でしかなかった。ヒアリングで追いこむような事をすれば本末転倒の結果になる事が明らかでもあった。
叔父は私の父の同意を得たという。父は当初、「安楽死の同意書に署名が欲しい」と訪ねてきた弟に対して、殴りかからんばかりに叱責したという。しかし死のうとしている叔父に対しての叱責は、何の意味も持たなかったらしい。
そもそも叔父が何故に『任意安楽死』を望んだのかを父に訪ねた。叔父は40歳を過ぎて仕事を不意に辞めたと言う事だった。転職を意識しての退職では無く、次の仕事先を決めずに辞めたらしい。辞めた後、少し休んでからまた働くつもりであったらしいが、仕事を探してみるに、それはとても困難な事を思い知ったという事だった。
その事で叔父は働く事に疑問を抱き、生きる事に疑問を抱き、結局就職活動を投げ出した。そしてそのままの状態で時は流れ、やがては経済的に追い詰められた。叔父は意味を見いだせないこれからの人生を生きるために福祉を頼る事を拒否し、任意の安楽死に縋ったという事らしい。
父は「仕事を辞めて余計な時間があったからこそ余計な、それも悲観的な考えしか出来なくなったんだろう」と言っていた。
競争社会であるのだから勝つ物がいれば負ける物もいる。仕事を探す事自体が競争である。それに対して勝とうという気力も無いという事でもあったらしい。運よく仕事にありつけたとしても、それは生きていくだけで精一杯の賃金しか得られそうも無く、それを思うに働く意味も分からず、生きる気力も失った。そもそも寿命まで生きなければならない理由が分からないと語ったらしい。
「給料の額なんて考えないで、とりあえずバイトでも何でも良いから働いてみろ。今は余計な時間があるから悲観的な考えになっているだけで、働いて忙しくなればそんな考えはしなくなるぞ」
そういう父に対して叔父はこう言ったらしい。
「確かにそうかもしれない。けれど忙しくなれば、それはそれで本気で考えなくなるだけだ。働いているという状況に甘え、結局将来の事を本気で考えなくなるだけだ。確かに悲観的になっているだけかもしれないが逆に冷静でもある。こんな言い方は親が聞いたら悲しむかもしれないが、自分の意思で以ってこの世に生まれた訳では無い。だったら最期は自分の意思で決めたい。自分の中では十分に生きたつもりだ」
そんな言葉を言われた父親は、返す言葉が見つからなかったそうだ。そうして父は署名欄にサインをし、叔父は安楽死を実行した。
私は今20歳の大学生。成人ではあるが社会人ではない。大学の先輩連中は就職に向けて必死で頑張っている。何社も応募しては落とされるという毎日を送っている。叔父の手紙を読み、そんな先輩達の姿を見ると、改めて『働く意味』『生きる意味』という事を考えてしまう。
軽い気持ちで「働く意味って何だろう?」と父に質問したが、「そんな馬鹿な事を考えてないで独りで食って行けるように勉強してろ」と、語気を強めて言われた。きっと私の質問は哲学なんだろう。世の中はほぼ資本経済である。そんな社会で働いている父からすれば、そんな哲学的な質問は無意味な質問と受け取られられたんだと思う。
まあ、その通りなんだろう。私も就職して社会人として働きだせば、そんな質問をした日の事を「若気の至り」として笑ってしまう日が来るのかも知れない。
しかし叔父の事を考えると同じ事を考えてしまう。そして私もいつか叔父と同じような考えをしてしまうかもしれない。競争社会に敗れたり、生業もなく明日を心底心配するような日々を送るようになってしまった場合には、『働く意味』『生きる意味』を本気で考えてしまうのかもしれない。とはいえ、死ぬという事がどういう事なのか、よく分かっていないのも確かである。
『任意安楽死法』は国際的に見ても奇異な法律であり、欧米からは「自殺を助長している」という批判を受けてはいるが、ある意味で日本人観が現れている法律だと肯定する意見も少なくない。
私が40歳、50歳になった時、どういう人生を歩んでいるのかは分からない。もし私が幸せだったのなら、それは競争社会で勝ち続けているという事なのかもしれず、それは同時に負けている人がいるという事なのだろう。しかし、それはそれで然るべき姿でもあるのだろう。
不安はある。とはいえ、未だ来ない「未来」は楽しみでもある。
2020年05月01日 3版 ちょっと改稿
2019年10月31日 2版 誤字修正他
2019年03月26日 初版