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もらとりある  作者: 酒多 狂吉
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そのご

 それから一ヶ月間、朝八時から夜八時まで、週六日みっちり、必死になってバイトをして、その間鐚一文使わず、全額溜め込んで、Iちゃんからの連絡ものらりくらりと躱しながら生活して、それで、引っ越しました。東京都下のK市です。K駅の南口を出て歩いて一〇分のアパートがいまの私の住処です。家賃五万円の六畳のよくあるワンルームで、私ひとりが住むにはなんの問題も不満もない空間です。

 K市を選んだのはまったくの偶然でした。きっと、胸の何処かに東京へ越してみたい願望があったんでしょうね。田舎者特有のいじらしい心理ですよ。けれど、都内で住むのにはちと金が足りない、山手線界隈は高すぎる。それで中央線沿いをずっと見てゆくんです。ネットに載っている安い物件をしらみ潰しに。はじめは東京駅から離れると云っても三鷹まで、と決めていたんです。東京駅から離れすぎたんでは東京に住む意味がない、と意気込んでいましたから。で、気がつけばドンドン東京駅から離れ、疾うに三鷹は通り過ぎてK市、という次第です。

 越してきてから気がついたことですが、このK市という処は周りに学校が多いようです。野球の強い高校があって、四年制大学と美大があって、美容専門学校もアパートの近くにあります。学生街だけあって駅にはいつでも若い子等が生き生きと闊歩しています。かれ等は比喩ではなくてほんとうにきらきらしているんですよ。特に肩から大きなカバンをさげた美容生の女の子たちは、あれらは眩しくて直視できないくらいです。美容師を志しているだけあってそんじょそこらの野暮ったい連中とは違いますね。恰好も洒落ていますけど、やはり髪が違います。緑だったり青だったり赤だったりにカラーしてあって、だからと云って痛んでいるようには見えなくてツルンと艶やかで、太陽光に当たるとウマイ具合に反射して天使のリングと云うやつができています。けれど、いちばんきらきらしているのは目なんです。朝早くからあんな大きくて重そうなカバンをさげているのに、ちっとも眠そうな顔つきをしていなくて疲れも見受けられなくて、かと云ってぎらついているわけでもなくて、ビー玉みたいな素朴さもあって。

 先生、ひょっとしてあれが若さなんでしょうか。あの目が希望だけを見据えているのを知っています。人間は希望に目線をやるときにあんな純真な目になるんでしょう。かのじょ等を遠巻きに眺めているだけで、軽蔑したくなるような、見下したくなるような、コテンパンにしてやりたくなるような、そんな心持ちにさせられる私のこの目は、きっともう取り返しのつかぬほど淀んで了ったんでしょうね。


 Iちゃんとはあの一件以来関わっていません。私はじぶんの親にもなにも告げずに家を出てきたのです。夜逃げどうぜんでした。上京してから彼女から何度も電話やメールがきましたがすべて無視し、終いには着信拒否しました。Iちゃんが直に実家へ話をつけに行ったのでしょう、親からの電話も狂ったようにかかって来、それには一度だけ出ましたが、開口一番に聞き取り不能の怒号が飛んで来、すぐにこちらから切りました。親との連絡もそれッきりです。

 ひとつだけ気がかりなのは、人間ならばごくしぜんの感覚だと思いますが、やはり、赤ちゃんのことです。あの後、Iちゃんは出産したのかどうか、それは気になっているのです。願わくば、私の子どもなどこの世に生まれていないことを祈る許かりです。それが私の為でもあり、彼女の為でもあり、誰でもない、子どもの為でもあるのです。この世を生き抜くというのは、これは並大抵の馬力では到底成し得ません。ハッキリ云って、しんどいことです。勿論、愉しいことも、そりゃありますが、それくらい何でもないことです。それを差し引いたって御釣りがたんまりくるくらいにこんなにもしんどい。止めだ止めだと思っていても容易くは降りられないでしょう、この舞台は。なればこそこんな茶番には出演しないが吉で、得策で、ずいぶんとカシコイじゃないでしょうか。誰だってみんな、仕合せになりたいと思って生活しているんですよ。不幸になりたいと思って生きてる人なんかたったの一人もゐやしませんよ。でも、じゃあ、現実はどうでしょう。右を見たって左を見たって不景気な面をした輩ばッかりで、偶に陽気そうな奴がゐるかと思えばそれはマヤカシで心では泣いていたり、或いは世に洗脳され尽くしたオメデタイ奴だったりするのですから、もうこれは生まれるだけ損というものです。生まれながらに負債を背負っているみたいじゃないですか。一体なんだこれは。と、果たして、これは、ほんとうの私の気持ちでしょうかね。自信はありません。


 此処へ越してきてから、やはりすぐとは何もできないでゐました。なにをしたら好いのかも分かりませんでした。T市からの脱出だけが唯一のノルマで当面の目標だったわけで、それを達成して了うとそれまで以上に腑抜けた心持ちとなり、もう、すっかり、なんのやる気も意欲も何処からも起こってきませんでした。

 もう時期は冬の真っ只中でした。備え付けのエアコンで暖房は着くが電気代が嵩むので易々とは使えません。浴槽もあるにはあるが湯を沸かして浸かるとこれもガス代がすごいことになります。雪の降る日でも水圧のごく弱いシャワーにちょろちょろと当たり、半チクに暖かいので却って寒さが際立つような気がしましたが、この寒空の直下、屋根も寝床もなく食うものも食わず飲むものも飲まずの見ず知らずの路上生活者を思い、じぶんはまだマシだ、とおのれに言い聞かせ乍らなるべく素早く身体と髪の洗いを済ませるのでした。

 で、ほんのりした身体の熱が冷めぬうちに、夕食の準備をします。ファミマで買った一ツ一〇八円の冷凍餃子を、六個入りのうちの三個だけを包丁で細かく砕いてフライパンで炒め、そこに水と正油を入れて煮、仕上げにカタクリでとろみをつけ、それを解凍したふやけたごはんにかけた、見た目も味もすこぶる悪い、勝手に中華丼と名付けている気色の悪いものを食べ、あとは薄っぺらの布団にくるまってまどろみの訪れるのをひたすら待つだけの哀しい夜が劫々と続いていました。

 そうやって引っ越し費用からあぶれた金でなんとか食いつないでいましたがひとりきりの新生活に直面している場面ではそれを薄く長く運用するのは不可能でした。

 母親の腹のなかに幾つかの大事なエッセンスを置き忘れてきて了ったらしいどうしようもなく出来の悪い私でも、金の問題にぶち当たるのは越してきてすぐに想像できていました。保って二ヶ月だろうと踏んでいました。但し、すっかり金がなくなってもしばらくはこのアパートに立てこもる心づもりで、はじめに電気とガスがとめられ、最後の最後に水道がとめられるらしいというライフハックもネットで仕入れ、とりあえず水は半永久的に確保されていると仮定し、煙草は吸う真似で疑似喫煙をして誤摩化し、食料が尽きれば柱を齧り塵や埃を食ってでもここで粘ってやるつもりでした(この反骨に一体なんの意味があるのか解りませんが、当時は真剣にそう考えていたのです)。

 二月の終わり頃、早春の気配がちッとも漂わぬ相変わらずの寒い日、あぶれ金の残りは一万円と少しとなっていて、もう次の家賃は払えぬことが決定され、光熱費に充てるのも馬鹿らしく、例の中華丼を食うのにもほとほと厭気が差していて、疑似喫煙の限界とニコチンの依存性を改めて実感もし、つまり、煙草をしこたま吸って、なんでもいいからウマイものを食って、どんな酒でもいいからアルコオルを身体に入れたい、とそういう煩悩の欠片が噴き出しました。が、未だ、私の理性は闘ってもいました。慾望を消し去り、空腹を越え、数日かけてじわりじわりと体内のエネルギーをすっかり使い果たし、じきに身動きもとられないほど衰弱して、そのまま即身仏となってみたい、というような気味もないではなかったのです。妊娠のその瞬間からヒトの命が宿るのだとしたら、彼女がもし産んでいなかったとしたら、私が餓死くらいしてやらないと、あの世でその子に合わせる顔がないような、そんな風な償いじみたこともほんの刹那だけよぎったような気がします。

 或いは、弱ってきてはいるが身体の動くいまのうちに牢屋へ逃げ込むことも考えました。私の厭らしい心は、御国の御金で飯が三食きちんと食えるというのはさぞ気分が好いだろうな、と思いました。また一方では、割りと理屈っぽく、檻の中での監視生活では常軌を逸した緊張感が漂っていて、私の軟弱な精神も完膚なきまでに叩かれ、それでコテンパンにされ原型がなくなるくらいに潰されたら、亦イチからじぶんと云うものを形づくれ、こんどはチマチマでもよいから丁寧に積み重ねて、骨組みからつくるような心づもりをしていれば、人間成形をもう一度やり直せるのでは、とも思いました。学校が教育の場ならば監獄は更正の場でしょう。

 街中を全裸で当てもなく練り歩いてやろうと思いました。前髪パッツンのロングヘアの奴が男根マルダシでぶらぶらと漫ろ歩くのは、なんだかケンタウロスみたいで面白そうだと思いました。なにかしらをしでかさなければ逮捕してもらえないし、できれば他人に迷惑の少ないほうが好ましくて、けれど、万引きや食い逃げの常習犯となるような図太い神経は備わっておりませんしそれでは芸もありませんから、全裸で闊歩。我ながら阿呆のようです。

 けれどこの珍案はすんなりと却下されました。これは公然わいせつ罪か何かにあたるのでしょうが、ひょっとすると罰金で済まされるかもしれませんが生憎持ち合わせがないですし(私はいつでもなんの持ち合わせもないようですね)、恐らく引き取り手もないこととなるでしょうから、刑事裁判が行われ、現行犯なので即有罪で実刑となって、つまり臨むところなわけですが、しかし、そうなると私の髪は丸められるはずです。蓄髪願なるものがあったり懲役三ヶ月以下であれば髪を切らなくても良いシステムがあるとも聞いたことはありますが、詳しく調べてみるとどうやら蓄髪願は残りの刑期が三ヶ月をきったところでしか申請できないらしく、つまりは三ヶ月分のたった三センチのみしか伸ばす権限を与えられぬようで、そもそも一度リセットされるのは免れないわけで、全裸で闊歩がどれほどの重さの罪なのか私は知りませんが懲役三ヶ月以内で済むなどとは誰も保証はしてくれぬでしょうから、となれば、国の金で飯だとか心身ともに叩き直すだとか云っていられませんから、もう八方塞がりの態となって、理性もへったくれもなにもかも消し飛んで、一万円ぽッちを所有しているのが馬鹿らしく、いつかのように全額使い果たしてやる気に相成りました。

 持ち合わせの全額をコートのポケットに突ッ込み、まずはコンビニへ。酒と煙草とは十把一絡げにされる傾向があるようですが、禁酒というのは意識しなければまだ耐えられなくもありませんが、ニコチンが切れたときの身体の渇望たるや如何ともし難いものがあって、一口吸って了えばもう二口目はマズイけれど、あの一口の代えはなににも利かぬのです。で、どうせ一万円使いきるのですから、平生のように旧三級品のわかばを吸ってやらずともよいのでここは大奮発して缶ピーにしてやり、且つ、三ツまとめて買ってやりました。ついでにロング缶の麦酒も。発泡酒やら第三のではなくホンモノにしました。そして帰路に就き乍らの軽い宴です。先生は酒を飲まないらしいですが(今時は煙草も酒も流行りませんね。ゆくゆくは無くなる文化でしょう)缶ビール片手に歩くのはなかなか愉快なものですよ。夕暮れ時にくたびれたサラリーマンやら子連れの若いママやら小学生やらにすれ違うこの一寸だけは、じぶんがこの世の主人公であるような心持ちになります。なにもかもがじぶん中心に廻っている気さえしてきます。その実、廻っているのはアルコオルだけですがそんな事実はどうでもよいことでした。

 で、特別ゆっくりピースを吸うんです。両切りですから、ニコチンがガツンときます。タールの重みが咽にひっかかります。頭がくらくらして、もう一段階深い酔いが訪れます。とても心地好いんです。

 だから何だと云えばなんでもないが、それがどうした。なんでもかんでもにいちいち理由があると思うな。寧ろ、理由があるもののほうが少ない。理由があると思っていてもひょッとするとこじつけかもしれない。ところが私はいま気持ちが好くて心地が好くてそれだけがある。それだけがあるのが事実でほんとうでそれ以外は要らないんだ、うんぬんかんぬん。と云う具合に気が大仰になってもきます。

 アパートに着くと腹が減って、間の悪いことに台所に敷く用にストックしておいたピザのチラシが目に這入り、それをひっぱってきて眺めているともう何年もピザなど食していないのに気付き無性に腹が立って、チクショウ、など独り喚いてみるもピザ慾は納まりませんし腹も減ったままです。が、ここで、いまじぶんには小金があるのを思い出します。しかも使い切るのが目的の、なにかするには小額過ぎて、貯めておくにはみみっちい、そんななんでもない金です。ならばピザを買ったって良いはず。もう雌伏のときを過ごさずとも良いんだ。今日は宴なんだから。

 数十分して注文したピザ二枚と(Lサイズを一枚頼むともう一枚が無料になるキャンペーン中でした)ポテトフライ、それにグラタンにコーラが届きました。普段口にせぬ至極豪華な面々です。で、それらの包装をいっぺんにぜんぶ開けて、一言も発せず一心不乱に食べました。ピザを頬張り乍らポテトフライを五本くらいまとめて口に放り込み、プラスチックのスプーンで掬ったグラタンをさらに押し込み、なにがなんの味やらまるで分からぬままもちゃもちゃと咀嚼。で、咽が詰まりそうになったら麦酒かコーラで流し込む。ウマイのなんのではありません。味がどうこうではないんです。脳髄が喜んで、心が満たされるんです。

 当初は食べきれぬ分は明日に廻そうという算段でしたが、嬉しい誤算で追加された二枚目のピザまでぺろりと平らげ、へへッと嗤っていたような気がします。後にも先にもあんなに食べられたのはこのときだけでした。

 宴も終わり、六畳の真ん中で寝そべってまたピースをゆっくり吹かしました。自慰の後の虚しさでした。祭りの後でした。夏の終わりでした。卒業式でした。金も食べ物も酒もなくなると煙草の有り難みもその質の優劣もどうでもよく、唯だ、肺に煙が這入ってくるだけでした。

 猛烈に疲れたんです。へとへとでした。何故、何処が、ではないんです。何でも、何処もかしこも疲弊しきっていました。血糖値が上がって来、眠たくなるのを感じましたがそのまま眠るのさえ億劫でした。寝て、明日がやってきて、そうしてどうするつもりだろうと思いました。

 そのまま暫く寝そべって煙草を咥えていたら、猛然と死ぬ気が沸いてきました。死ぬ他ないように思われました。もし明日乗り切れて了ってもまた明後日はやってきて了うし、明後日をやり過ごせて了ったらその次もやってきて了って、もう逃げ切れないと思いました。偶々人間の子に生まれて了っただけで、雨水と太陽光だけでは生きていかれず、野生になって狩りをして暮らすこともできず、最低限の衣食住だけでは到底飽き足りずにあれやこれやとやって生きながらえるのに、そのことに何の意味も価値も見いだせませんでした。人間が厭になっていました。人間生活と云うものが悉く厭らしく思えました。気付けば涙を流して気味悪くへへッと嗤っていました。そのヘヘッがしんとした六畳に響きましたがじぶんの声ではないように聞こえました。

 乾いた餡がこびりついたコンロをどけ、ガス栓をひねりました。スーという音を聞き乍ら風呂場もベランダも締め切りました。ガスが充満せぬうちにピースをもう一服しました。なんだおまえ、この期に及んできちんと死ぬのを怖がっているじゃないか、と咎められるやもしれませんが、そうではないんです。私は死ぬ気があるんであって爆発したいのではないんです。誰だって肉片に成りたくはないはずですよ。私だって皆とおんなじなんです。

 たった六畳ごときすぐにガスで満たされるだろうと踏んでいましたが存外そうでもなく、酸素が薄くなるのをじりじりと待機せねばならず、こんなことなら睡眠薬のひとつやふたつ常備しておくんだったな、と思い、薬を買う金があるならアルコオルに使っただろうな、と思い、さいごのさいごまで万事手回しの悪いロクデナシだな、と思い、またヘヘッと嗤っていました。

 もう一方で、どうしてこうなっただろう、と思いました。そしてじぶんの幼少期が不図追憶されました。記憶にある一番古い端っこはごく普通の幼稚園児でした。男の子らしく電車の玩具で遊ぶような子ではありませんでした。歌を唄ったり絵を書いたりして家の中で遊ぶのを好んでいたようです。で、小学生になると髪を伸ばしたいと云い始めたと母に聞きました。この辺りからいまの私が形成されていたようです。思っていたより、茨の道を歩むのが早かったようです。けれどあの頃は、可愛い可愛いと云われるだけの、ただの髪の長い男の子でした。無邪気だったじぶんがいまの私を見たら何を思うだろうと考えました。分かりませんでした。また涙がでました。


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