04. お隣さん
――悪魔とは、人を欺き破滅へと導く者。
アリアナ先輩から教えてもらった情報が詰まったメモ帳をぱたりと閉じる。
自分の文字で書かれたその言葉に、わたしは目の前に座るシリルくんを見た。
両手でコップを持って、嬉しそうにオレンジジュースを飲んでいる彼が、そんな大それたことをしそうには思えない。
いや、待てよ。
そう思わせることも計算の内な可能性も――
「ご飯は何にするの? 僕、お腹すいちゃった」
「……う、」
うわああああぁぁあ!
何なの、この破壊力っ!!
幼いながらかなり顔が整っている部類の少年が、こてんと首を傾げてこっちを見るしぐさ!
この年でこれって、末恐ろしい……!
選択肢が「家に連れて来る」の一択しかなかった訳だけど、なかなか決心がつかなくて無駄に商店の辺りをうろうろしたから食料に不足はない。むしろ有り余る。足りないのはわたしの勇気だけ。
人間、食事中が一番無防備になるってよく聞くし。あれ、睡眠中だったっけ?
とにかくっ、悪魔が相手だと何をするのにも勇気がいるのだ。
「……ふっ。よし、いくぞ!」
決意を固めて包丁を握る。
時々包丁を見せつける様に振り返るけど、シリルくんは大人しく座ったままわたしの奇行を見て首を傾げていて、その度に良心が痛んだ。
料理も最終段階。
お肉が焼けるいい音を遮る様に、玄関をノックする音が聞こえた。
もちろん誰かが来る予定なんてない。
突然のことに思考が停止して、意味もなくシリルくんを見つめた。
「……僕が出ようか?」
「いっ、いいいい! わたしが出るから! そこで座ってて!!」
急いで火を消して、腰を浮かせかけたシリルくんを再び座らせる。
誰が来たにしても、彼が出るのは不味い。もしかしたらアリアナ先輩かもしれないし!
「あっ、はじめまして。隣に越して来たカイルです」
部屋の中が見えないように、ほんの少しだけ開いたドアから顔を出したわたしに気付くと、訝しむことなく爽やかに微笑むイケメン。
え、越して来たって言った?
「カティです。お隣、ですか?」
「ええ、隣です」
角部屋なわたしにとって、唯一のお隣さんだった夫婦はとてもいい人たちだったからその言葉に衝撃を受ける。
二日前に会ったときには何も言ってなかったのに。
晩御飯のおすそ分けもらった容器もまだ返せてないんだけど。
「えっと、……前の方、何で引っ越されたとか聞いてますか?」
「いえ、俺は何も。すみません、何も力になれず」
「いっ、いえいえ! こちらこそすみません。何も聞いてなかったので、驚いてしまって」
「そうだったんですか。とても友好な関係だったようで羨ましいです。……それにしても、いい匂いですね」
そうだよね。カイルさんも部屋が空いてたからそこに住んだわけで、前の住人のことなんてわかるはずがないよね。
少しだけしんみりした空気に気を使ってくれたのか、話題を変えてくれたカイルさんに心の中でお礼を言う。
「あ……今ハンバーグ作ってるから、その匂いだと思います」
「わぁ、いいな。美味しそう。もしよかったらだけど、俺も一緒にもらってもいいかな?」
「ええっ!? それはちょっと――」
「俺、さっき引っ越して来たばかりだから周りの店も知らないし、自炊するにしても何時になるか分からないし……ね、ダメかな?」
おおう。ぐいぐいくるなぁ。
断わろうとするわたしの態度に気付いているはずなのに、押してくるカイルさんに口元が引き攣る。
もう一度、はっきり断ろうと口を開きかけて――気付いた。
今頷けば、悪魔と二人きりのご飯は避けられる、と。
お隣さんならシリルくんの正体に気付くはずがないし、親戚の子供を預かってるって言えば……
「食べて、いきます?」
「えっ、いいの? 助かったぁ! それじゃ、お邪魔しまーす」
そんなにご飯にあり付けるのが嬉しいのか、満面の笑みでわたしの部屋に入って来たカイルさん。
様子を窺っていたシリルくんが、ぎょっとした顔をしている。
「あれ? カティの子?」
「や、違うくて……親戚の子、です……」
「……シリル」
まさか本人の前で言うとは思わなくて尻窄みになったわたしを、シリルくんがジトッとした目で見てくる。
一応は話を合わせてくれるらしく、渋々ながら自己紹介をしてくれた。
「シリルかぁ。俺はカイル。よろしくな!」
この子の正体が悪魔だなんて思いもしないカイルさんは、シリルくんの頭をわしゃわしゃと撫でた。
撫でているカイルさんは楽しそうで何よりだが、こっちは冷や冷やものだ。
……っていうか、普通にカティって呼ばれてるし!
シリルくんには内緒だったのに!!
シリルくんがわたしの名前を知らないことなんて、カイルさんは知る由もないから仕方ないことだって分かってるけど……よし、カイルさんのハンバーグは小さいのにしよう。
よく見てみたら、URLに666って入っててびっくり。