15. エミリーと悪魔
少し残酷描写があります。
エミリーちゃん家の裏、山羊を飼っていた家に話を聞いてみるととんでもないことが分かった。
事件の五日程前からその山羊が共喰いをしていたというのだ。本来草食のはずの山羊が肉を食べることはないというのに。
世話をしていた夫人を襲うようになったことから、鎖で繋いで息絶えるのを待っていたという。
「これは……」
息を呑むわたしを支えるように、クリストファーさんが腰に手を回してきたけど今はありがたかった。
半月程前に殺されたまま放置されたそれは所々肉が腐り落ちていて、鼻が曲がる程の悪臭が漂っている。骨の隙間に何か蠢くものを見つけてしまったわたしは、咄嗟に目を逸らして口元を押さえていた。
「たしかに、悪魔が乗り移っていた形跡があるね。後で調査員を派遣しよう。……大丈夫かい?」
「うぅっ……はい。……なんとか」
すぐに目を逸らしたわたしとは違い、しっかり悪魔の形跡を確認したクリストファーさんが、生理的に涙目になったわたしの頭をさらりと撫でてこの場から離れるように促す。
クリストファーさんは案内してくれた家主に現状のままにしておくように伝えると、先に離れていたわたしへと追いついた。
「ついでに彼女の家に寄って話を聞いて行こう。目を覚ましたことも報告しないといけないしね」
「はい……」
わたしの顔色が落ち着くのを待って、向かったエミリーちゃんの家。
予想はしていたけど、今日も父親しかいなかった。
元々妻には愛人がいて夫婦関係は冷え切っていたのが、山羊殺害事件をきっかけに愛人の家に入り浸るようになったのだと玄関先で言い辛そうに語ってくれた。
「この家も売りに出します。エミリーには可哀想なことをしましたが……これからの人生でアイツなりの幸せが見つかることを願っています」
「……そう、ですか」
一応エミリーちゃんの意識が戻ったことも伝えたけど、会いに行くつもりはないらしかった。
父親に別れを告げ病院に移動する道すがら、わたしは何とも言えない気持ちで足を動かしていた。
わたしの内心を察してか、クリストファーさんは苦笑を浮かべる。
「カティ、君がエクソシストを続けていく以上、これはずっと付いてまわる問題だよ。今回は施設入りってことになったけど、もし人を殺めていたりしたら正気に戻っても裁かれることになるし、一生を病院で過ごすこともある。家族に理解を得られないのは悲しいけど、今回は恵まれた方なんだ」
「……はい。けど、なんて話をしようかと思うと……」
「そうだね。もしかすると泣かれるかもしれないし、怒られるかもしれない。でもそれは決して君のせいじゃないよ。悪魔を祓うこと、それが僕たちの仕事だから――――」
クリストファーさんも言わないだけで、何度もこんなことを経験してきたのかもしれない。
どこか遠い目をした彼に、わたしは少し胸の奥が痛んだ。
◇◇◇◇◇
ぽつんと一つ置かれたベッドの上で、彼女は窓の外を眺めていた。
わたしたちが部屋に入ったことに気付くと、ゆっくりと顔を動かして、その虚ろな瞳を向けた。
「こんにちは、エミリーちゃん。体調はどう、かな?」
「…………」
クリストファーさんに促され挨拶するけど、彼女はただわたしたちを見つめるだけ。
何か話題を、と考えるけど咄嗟に何も出てこなくて言葉に詰まってしまう。
お昼ご飯の話でもしようと顔を上げると、エミリーちゃんは虚ろな表情のまま小さく口を開いた。
「――――あなたが、トッドを殺したの?」
「え? ……それがあの悪魔のことだったら、わたしが祓ったよ。けど、祓うっていうのは殺す訳じゃなくて――」
「なんでそんなこと……余計なことしないでよ!! 彼が、彼だけが私を見てくれていたのに……!」
祓ったからといって、悪魔は殺すことは出来ない。ただ人体から引き離すだけで、また憑かれる可能性だってある。わたしには悪魔の仕組みはよく分からないけど、離された段階でかなり力を削がれるから、余程高位の悪魔以外は再び憑くまでに時間がかかるんだって前にアリアナ先輩から聞いた。
それを説明しようとするけど、エミリーちゃんは虚ろな表情から一転して、幼い子供のように泣きじゃくって聞く耳を持ってくれない。
「君は誤解している。悪魔が君の味方をするのは当然なんだ。そうやって付け込むのだから。君は騙されていたんだよ。彼しかいないと言っていたけれど、周りをよく見て。君の味方はいっぱいいるよ」
「トッドを返して」と泣き喚くエミリーちゃんを、そっとクリストファーさんが抱き締めた。
騒ぎを聞きつけた看護師さんがやって来るまでの間、彼はずっとそうやって慰めていたけれど、わたしは何も出来ずにただおろおろとして立っているだけだった。
「彼女、危険だね」
病院からの帰り道、クリストファーさんがぽつりと呟いた。
いくら悪魔を祓っても、人間側から求めてしまっている限りまた同じことが繰り返される。
憑かれることを望んでいる彼女みたいな格好の餌食をみすみす見逃す程、悪魔は優しくないのだ。
またトッドのような悪魔が憑くとは限らず、今度は人を殺めてしまうかもしれない。ましては自分の命さえも――――
さっきまでの彼女の様子を思い出して、クリストファーさんは溜息を吐いた。
「彼の口振りだと純粋にエミリーちゃんを守ろうとしていたのかもしれないけど、それが仇となったね」
「え、……クリストファーさん聞こえてたんですか?」
「もちろん。僕の耳は君の会話は全部聞き漏らさないように出来ているからね」
トッドを祓う瞬間の会話。
かなり小さい声だったからわたし以外には聞こえていないと思っていたけど、クリストファーさんには聞こえていたらしい。
茶化すように明るい声でそう言うと、軽く片目を瞑ってみせた。
「そういえば、運転手の子のことだけど」
「え? ……ああっ!!」
急に変わった話題に一瞬何のことかと考えたけど、それが昨日のことだと分かって大声を上げてしまった。
しまった。
後回しにしていて、クリストファーさんに話すのをすっかり忘れてた!
慌てるわたしに優しく微笑むと、「ちゃんと課長に伝えておいたから」と。
やっぱり伝わってなかったことに心の中で嘆きながら、わたしはひっそりと肩を落とした。