11. 試験
窓一つない、物置部屋。
昼間だというのに真っ暗なその部屋に彼女はいた。
腕と足を縄で縛りつけられた少女が、部屋の隅で転がされたままの体制でこちらを睨んでいる。時折威嚇するように唸る声は、まるで獣のよう。
乾いた山羊の血がべったりとこびりついた花柄のワンピースから覗く手足はとても細く、少しでも力を込めて握れば折れてしまいそうだ。
「…………ひどい」
「教会に連絡があったのが六日前だ。けど……どうやらそれより前からこの状態で放置されていたみたいだね」
クリストファーさんが、わたしたちをこの部屋まで案内した彼女の父親に非難の目を向ける。
その視線に居た堪れなくなったのか、父親はすぐにいなくなってしまった。
母親にはまだ会っていない。こういう場合、心配で堪らないものじゃないのだろうか。
彼女の両親は、もう、彼女のことがどうでもよくなってしまったのだろうか。それとも最初から――?
「あの、クリストファーさん。せめて彼女に水だけでもとらせようと思うんですが……」
「君の判断に任せるよ。僕は試験官の役があるから目が離せない。アリアナくん、頼まれてくれないか?」
「ええ。もちろんよ」
このまま彼女の中にいる悪魔を祓ったら、彼女自身がもたないかもしれない。
そう伝えるとクリストファーさんもアリアナ先輩も快く賛成してくれた。
アリアナ先輩が台所へ水をもらいに行っている間、頭の中でこれからの段取りを策定する。
「…………た」
「え?」
ぼそぼそとした呟きが耳に届いた。
クリストファーさんかと思って視線を向けるけど、クリストファーさんは難しい表情のまま少女を見つめていた。
――それなら……
暗い中目を凝らすと、少女の口が小さく動いている。
「コンナハズジャ……」
「ど、どうしたの?」
「ナンデ……アイツカラ…………オレハ……」
わたしの問いかけに気付いていないのか、返事はない。
俺ってことは中身は男性なのかな。
虚ろな目でぶつぶつ言い続ける少女にこちらを攻撃する意思は見えないけれど、念をいれて慎重に近付いていく。
「あいつって誰? 何の話をしているの?」
「……オマエ、ハ――」
「カティ!!」
ほんの一メートル。
その距離まで来てやっと顔を上げた彼女の視線がわたしを捉える。
瞳に戸惑いの色を宿し、何かを言いかけた彼女だったが、戻って来たアリアナ先輩の悲鳴にも似た声に遮られてしまった。
アリアナ先輩は水の入ったボウルを彼女の前に置くと、すぐにわたしの手を引いて彼女から距離をとらせた。
その間にも余程喉が渇いていたのか、少女は目の前に置かれた水を勢いよく飲み干していく。
「危ないでしょう! 弱ったフリをして襲ってくるつもりかもしれないのよ?」
「でも先輩、さっき彼が――!」
「カティ、悪魔の言うことを真に受けてはダメ。悪魔は言葉を使って人間を騙すの。そう教えたでしょう」
「アリアナくん、今はそれくらいにして。試験はもう始まっている。カティ、分かっているね?」
「…………はい」
クリストファーさんの言葉に、アリアナ先輩が何か言いたげな表情を浮かべたけど部屋の隅へと移動した。
これ以上は認めないと暗に告げられたわたしも、後ろ髪を引かれる思いを感じつつ渋々頷く。
もしもわたしがしくじったらすぐに応戦出来るように、アリアナ先輩とクリストファーさんがロザリオを手に目を光らせてくれている。
それに心強さを感じながら、未だ必死に水を飲む少女へと向いて詠唱を紡いでいく。
「――主よ、彼女を赦したまえ。彼女の内に巣食う邪悪なる者から救いたまえ」
「グ、フ……ハァァアア! マテ、マッテクレ! エ、エミリー、ヲ……!」
「カティ!」
「…………彼女に、祝福を」
「ウ、アアアァア!!」
最後に悲鳴を上げ、意識を失った少女。
部屋の中に沈黙が落ちる。
「よくやったわ、カティ」
「……先輩」
呆然と少女を見つめるわたしをアリアナ先輩が抱きしめた。
クリストファーさんも少し離れたところで満足げに頷いている。
嬉しいはず。なのにどうしてか素直に喜べない。
「それじゃ、親御さんに説明して帰ろうか」
「あのっ、この子は――エミリーちゃんはこれから……」
「しばらくは入院。あとは両親の様子を見てからだね。元の生活に戻るならそれが一番いいけど、どうしても無理そうなら施設かな」
施設。その単語に心臓を掴まれたような感覚が襲う。
赤ん坊の頃から施設育ちだったわたしと違って、彼女はこれまで普通の家庭で育ってきた。急に家族と引き離された彼女が、何を思うのか。
けれど、このままこの家に留めた場合どうなるのかは火を見るより明らかだ。骨と皮しかない彼女の四肢に巻かれた縄を解くと、わたしはきつく目を瞑った。