10. 金色の貴公子
実地試験当日。
サポート課の女性が運転する車に揺られて任務先までの道のりを進んでいたわたしたちは、思わぬ足止めを受けることになった。
車が一台通れる程しかない広さの道に車の列が出来ていて、一向に進む気配がない。
アリアナ先輩とクリストファーさんが様子を見に行ってくれている間、わたしは後部座席で今日の任務の資料を読み直していた。
――数日前から夜中に騒ぐ等奇行が目立つようになった十四歳の少女。
ある日夜中に家を抜け出した少女を追った母親が目撃したのは、隣家の小屋の中、山羊の腹にナイフを突き刺す娘の姿だった――
「はぁああ……ほんっと、クリス様かっこよすぎ!」
「え?」
急に天を仰いだ運転手に何事かと目を向ける。
その視線は道の先で情報収集しているクリストファーさんに向けられていて、わたしは「ああ、またか」とうんざりした。
一つに括られた明るいブロンドの長い髪に、エメラルド色の瞳。
絵本から出てきた王子様だと言われても遜色ないその見た目と女性に優しい態度、そしてエクソシストとしても有能なクリストファーさんを慕う女性は多い、らしい。
高給取りなところもポイントが高いと事務の同僚が話しているのを聞いたことがある。
ファンクラブの中で彼が『金色の貴公子』と呼ばれていると知ったときは、涙が出る程笑わせてもらった。
「アリアナ様もお美しくて、本当にお似合いのお二人! あなたもそう思うでしょ?」
プラチナブロンドの波打つ髪に、透き通るようなピンク色の大きな瞳。
自慢の先輩、アリアナ先輩の話題になってわたしは何度も頷く。アリアナ先輩は外見だけじゃない、内面まで美しい素晴らしいお人なのだ。
男性だけでなく、女性からも人気があると聞いたことがある。もちろん納得だ。
太陽の光を受けてきらきらと輝く二人の髪。
遠目に見てもそこだけ世界が違うかのように輝いて見える。
「それに比べて……」
バックミラー越しに運転手の鋭い視線がわたしを射抜く。
あれ、なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「あなたはクリス様に目をかけてもらっているみたいだけど、あまりいい気にならないことね。どうせ実力だって大したことないんだから、エクソシストになるなんて夢さっさと捨てて別の仕事にでも就いたらどう?」
「ですねぇ」
エクソシストになりたいって部分を除いて概ね同意する。
実際、わたしの実力も大したことないんだろうし、違う仕事に就けるならそっちの方がいい。
事務方に戻りたいなぁ、なんて遠い目をしていると、それを馬鹿にしていると取ったのか運転手が更に目を吊り上げ、金切り声で何か喚き出した。
任務の前なのにもう悪魔憑きに会ったような疲労感に、わたしは小さく息を吐いた。
「――ちょっと、聞いているの!? あんたみたいな何の取柄もないような女、さっさと辞めてって言ってるのよ!!」
「ええ、ああ、そうですねぇ……あ、アリアナ先輩」
面倒くさいことになったなぁ、と適当に話を流していると、いつの間にか情報収集を終えたアリアナ先輩がすぐ近くまで戻って来ていた。
先輩に気付いた運転手が慌てて口を閉じると、何事もなかったかのように窓の外を見始めた。
その切り替えの早さにぽかんと口を開けて驚いたわたしを、ドアを開けたアリアナ先輩が心配そうに顔を歪めて見つめる。
「大丈夫? 酷い言葉が外にまで聞こえていたわ」
「あ、はい。大丈夫です」
「ちょっと、クリス。あなたが皆にいい顔するからこんなことになるのよ。試験前で緊張しているカティに、才能がないから辞めろだなんて酷いことを……!」
はらはらと静かに涙を流すアリアナ先輩にぎょっとする。
後からやって来たクリストファーさんもなんだか険しい表情で運転手を見つめていて、当事者のわたしはおろおろと二人の間に視線を彷徨わせるしか出来ない。
「……すまない、カティ。君の実力はちゃんと僕が分かっている。今回のことで優遇する訳にはいかないが、気にせず試験に挑んでくれたら必ず合格出来る。そう信じている」
「はぁ。ありがとうございます」
肩をがっしり掴まれての言葉にたじろぐ。顔が、近い!
そうしている間にクリストファーさんの視線は再び運転手へと移っていて、なんだか嫌な予感がした。
「この件は君の上司にも報告させてもらう。ジョン課長も将来有望だと期待していたようだが……残念だ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私、私っーー!!」
サポート課で一番偉い、ジョン・タラッタの名前に拙いと思ったのか縋るようにクリストファーさんに頭を下げる運転手。けれどもクリストファーさんはその表情を緩めようとしない。
かくいうわたしも、運転手さんと同様に動揺していた。
エクソシスト見習いになってから何度もあったこのやり取り。いつものことだと特に気にしていなかったけど、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
タラッタ課長は移動等教会外での補助を行う彼女の所属するサポート課と、少し前までわたしが所属していた事務系サポート課両方を取りまとめていて、一言で言えばとても忙しい人だ。課長室にはいつも不在で、常に問題に追われてあちこちを駆け回っているらしい。
らしい、というのも、わたし自身タラッタ課長には入社時と人事異動の報せを受けた時の二回しか会ったことがないし、ましては課長室に行くことなんてない。もし課長に用があったとしても、その下――事務室トップのボブ・パッカー室長に伝えれば済んでいた。
……タラッタ課長の名前を出すたびにボブ室長のボヤキが始まっていたのは、彼を見つけるのが大変だからだろう。
そんなタラッタ課長に報告するというのだから、大事になるのは必至。
わたしは気にしていない、穏便に。と視線で訴えるけど、クリストファーさんは全て分かってるとでも言いたげにウインクしてきた。あ、これ分かってなさそう。
「あ、あのクリストファーさん? わたしは――」
「大丈夫よ、カティ。あなたに悪いようにはしないから。それよりこのままだと時間に遅れてしまうわ。歩いて行きましょう。ね?」
「…………はい」
確かにこのまま車が進むのを待っていてもいつになるか分からないし、歩いて行くのは賛成だ。
今はとりあえず任務に向かって、クリストファーさんには後で話をしたら……いいよね?