094. 日の下に
ある者の足取りは軽く、ある者は重く。
それぞれが思いを胸に抱きながらに歩を進め、ギュスターヴの先導で山を下った。
先に下見を済ませてきた、と言うのは彼の弁。
その言葉は正しく、ツタや木の根が無造作に横たわる斜面を下ること数十分。
眼下に平原が見え始め、緑の中に引かれた一本の土色の筋――街道の先に小さな街があるのが目に入った。
「あれは……<リンシアの街>かな? 小さい頃に一度行ったきりだ。懐かしいな」
「言っとくが観光じゃねえからな、ユリウス。
旅の支度を整えるだけだ。それと打ち合わせもな。
落ち着いた場所で話をしよう。あと飯。とにかく腹が減った」
振り返りつつギュスターヴが言う。
獰猛な顔が茶目っ気な色を作り、タイミングも良く腹の虫まで鳴った。
……狙ったのだろうか?
「支度って? 何か要るもんあるか?」
わたしの横でコルネリウスが声をあげた。
少なくとも彼と……わたしの服は取り換えた方がいいだろう。
焦げついていたり、破れていたり。
正直見ていられない。ともすれば物乞いとも見られる。
問いに対してギュスターヴは太い指をひとつひとつ折りながらカウントし、
「服に食糧に水。それと武器だ。
ユリウスと……あー……コルネリウス。長えからコールでいいよな?
お前ら二人が素手ってのは大問題だ。
間に合わせでいいから武具屋で適当に何か見つくろえ。
おっと、言っとくが金はねえからな?
セール品でも呪いの品でもいいから、銀貨一枚でも安いのを探せよ。いいな」
「お金なら……ビヨン。僕たちの革袋にはいくら入ってたっけ?
塔の調査依頼でもらったお金はまだかなり残ってたよね?」
「無いよっ」
「えっ」
「銅貨一枚も無いよ」
ビヨンの背中で白いケープがひらひら揺れている。
こちらを振り返りもしない彼女の即答の返事をわたしが理解したのは数秒後。
無い? 金が? どうして?
あれほど山ほどあった物がパッと消えるわけがない。
「うち、実家にカバンを置いたままだったんだけどね。
お金は大事だからってお父さんの金庫に入れさせてもらったんだ。
そしたらあの騒ぎが起こったでしょ?
取りに戻るヒマも無くって、最後には村ごと消えちゃったから。
ええと。
そういうわけで無一文なの……。分かってくれた?」
「絶望的な状況だということが分かった」
「理解が早いねえ。うちは嬉しいよ」
「嬉しくねえよ!?」
コルネリウスが吼える。
彼はわなわなと拳を震わせ、口の形を「お」に開いて嘆きを表現した。
「お、おお……なんってこった。
こんなことならもっと豪遊しとくんだった。
<ウィンドパリス>には一流の飯屋と酒場があったってのに、何だって俺は……」
心底からの後悔が吐息となって漏れ出している。
わたしが受けた衝撃など、彼に比べれば随分小さなものらしい。
「コールもそんな深刻な顔して悩めるんだね」
「相棒……。お前の呑気な顔の方がおかしいってもんだぜ……」
「当面は大変だけど、お金ならまた稼げばいいからね。
それに、ほら。宿なら野宿をすればいいし、食事は狩りや採集でいいでしょ?
旅でもよくやったじゃないか。あの得体の知れない草を煮詰めた鍋とか」
「得体の知れない草?」
前を歩くアーデルロールが咎めるような目線をこちらへ向けた。
彼女は口を尖らせ、
「そんなあからさまにヤバそうなもんをあたしに食べさせたらブッ飛ばすわよ。
具体的には地面にめり込むぐらいに殴るわ」
「僕たち仲間だよね?」
「あたしの認識では毒を盛る奴を仲間とは呼ばないのよ」
体ごと振り返り、アーデルロールが平手を何度か打つ。
グローブを装着した手が軽やかで乾いた音が立てる。
まるで子供の集団へと注意を促すようだ。
「さあさあ、ほらほら。くっちゃべって歩いてるとすっ転ぶわよ。
特にユリウス、コール。
あんたら二人の格好はボロなんだから、それ以上みっともなくならないでよね。
街に入った時の視線がイタイのはごめんよ」
そそくさとコルネリウスがわたしに顔を寄せ、口元を手で隠してそっと耳打ち。
「なあ、相棒」
「何?」
「あいつのバカみたいな後ろ歩きの方がよっぽど転びそうだと思わダグッ!?」
金髪快活青年の体が突然の衝撃にぐらりと揺らぐ。
その腹にはバックパックが投げ込まれていた。
下手人はアーデルロール。実に見事なスロウイング姿勢で王女が吼える。
「誰がバカですってええ……!? カバンを投げつけられたいわけ!?」
「もう投げてんじゃねえ……か……」
「……言わんこっちゃない。荷物、少し持とうか?」
「いや……大丈夫だ。何ならまだまだ持てるぐらいに俺はタフだぜ」
「すごいな。じゃあ僕のもお願い」
「……例えなんだけどなあ?」
「冗談だよ」
言って受け取りそうになるコルネリウスは実に良い男であった。
ビヨンは肩をすくめて『何やってんの、もう』などという呆れ顔。
一部始終をながめていたギュスターヴは大声をあげて笑っていた。
その声量たるや凄まじく、木々の葉がざわつくほどである。
「ガアッハッハッハ! いやいや、若いヤツってのはこうなのか?
あるいは血は争えないってもんか?
フレッドとリディア、それにうちの皇太子もよくこんなバカをやってたぜ。
急ぐ旅だってのに、とんでもなくやかましくってなあ……」
「……ギュスターヴ。今回はそれ以上に急ぐ旅なのよ。
じじむさい事言ってないでさっさと歩きなさい」
げし、とアーデルロールが黒革のブーツの底で大男の腿を蹴り飛ばす。
「こんなところも父親まんまだな。ったくよ……」
ぶつくさ言いながらもギュスターヴの顏はやけに嬉しそうだった。
まるで古いアルバムを見返し、懐かしい写真に思いを馳せるような、そんな顏だったように思えた。
………………
…………
……
<リンシアの街>は小規模の街だった。
街を覆う壁の背は低く、丸太を使用した木組みの外壁。
大型の個体や火焔を扱う魔物が現われればそう長くは持ちこたえられない品質。
黒ずんだ不穏な雲や、重々しい霧といった変質が確認された今、従来のこういった壁では心もとなく思えてならない。
大平原の南、俗に言う『僻地』ではこういった街は珍しくはない。
マールウィンド連邦騎士の守りはやはり心臓部である首都に多く割り当てられておいて、わたしの故郷やこの<リンシア>のような南部の防衛は薄いのだ。
昨今の異変を受け、フラメル首相が何かの手を打っているといいのだが……。
「――参ったわね」
突然に立ち止まり、アーデルロールが悩ましげにそう言った。
あご先に指を添え、長いまつ毛の並ぶまぶたを細め、じっと街の門を見つめている。
「このまんまじゃ目立ちすぎるわ。
あたしたちがルヴェルタリア王家のご一行だってすぐにバレるかも知れない」
「そりゃまたどうして」
「ギュスターヴの図体よ。
2メートル半のデカブツが呑気に往来を歩いたらどうなるか想像つくでしょ?
間違いなく記者に盗撮されるか質問責めよ。名前が売れてんのも困りもんね。
ルヴェルタリアについて聞かれても『僕は知りません』で通しなさいよ」
当のギュスターヴは「またアホなことを言いやがる」とどこ吹く風な顔をして。
「ならアルル、お前の目も大概だろうが。
草色の髪の毛に緋色の瞳、なんて世の中捜し回ってもお前ぐらいのもんだぞ。
それに陛下から預かった〝聖剣〟。
『ルヴェルタリア王族、アーデルロールとはあたしよ!』と言ってるようなもんだ」
「声真似はめちゃめちゃ気色悪いけど、そうね。言いたいことは分かるわ」
「だろ? つまり俺たちは変装する必要がある」
変装、と偉大なる槍手は言うのだが、
常人より遥かに巨大な背丈をどう誤魔化せというのか。
どうにか工夫して街に押し入るより、どこか郊外の茂みで隠れていてもらった方が良いのじゃないだろうか。
わたしの難しげな顏をどう思ったのか、ギュスターヴがにやりと笑う。
「俺はいくらだってやりようがある。……ちと待てよ。よっ……と……っ」
途端、彼は大きな背中を丸めるように身を屈めた。
するとその鼻先が伸び、獰猛な口は三日月のように裂け、四肢の関節は変形し、腰からは長大な尾が現われたではないか。
「おいおい……マジか。そういやそうだったな、すっかり忘れてたぜ」
ギュスターヴは巨大な狼へと身を変えた。
その毛並には艶があり、黒ずんだ灰色の毛が風に洗われてなびいている。
牙の並ぶ口がぎらりと光り、人の言葉を流暢につむぐ。
「どうだ? これなら変装としちゃあ上等だろう。
衛兵には飼い犬だとでも適当に言っとけ。
難癖つけられたら思い切り睨んでやる。そうすりゃ黙るからよ」
「何よそれ、結局力技じゃない」
「そっちの方がスムーズなんだよ。で、次はアルルだな。
瞳隠しの眼鏡でもありゃ良かったんだが……。
どうするかね。アイデアあるヤツ居るか?」
一同思案。
ややあってわたしは「はい」と片手を挙げ、
「布を巻いて目を塞いで、その上両手も押さえるんです。
衛兵には『賞金首を連れてきた』と説明するのはどうでしょうか」
「あんたぶん殴るわよ」
「すみません、取り下げます」
「ったく……。他人の空似とでも言っときゃいいでしょ。
あるいは『アーデルロールのマネをしてるファン』とかさ。
ごちゃごちゃやってないで行くわよ。
事は起こってから対応すればいいの」
後先考えずに突っ込むというのは、今は良くてもいずれ大問題に発展しそうな気がするのだが……。
ずかずかと進むアーデルロールの背中を見ながらにわたしはそんなことを思い、諫言を口にしたところで聞き入れられないだろうな、と諦め、大人しく一行の後を追った。
………………
…………
……
衛兵は率直に言って『ザル』だった。
未曾有の災害によって没したルヴェルタリア古王国の第二王女に瓜二つの少女が現われ、「街に入りたいんだけど」と口にしたところ、衛兵の男はカウンターに肘をついたままでプカリとタバコの煙を吐きだし、
「こんなド田舎でいちいち許可なんざ要らねえよ。好きに入って好きに出な」
と一言を面倒そうに言い放つだけだった。
ビヨンは『これは罠なんじゃなかろうか』と、眉をよせてムムムと唸りながらに睨んでいたが結局何も起こらない。
わたしたちは一般的な成人男性の腰高ほどもある大きな狼を連れて街へと入り、とりあえずと目に入った宿屋に部屋を取ることにした。
「あんれまあ! デッカいお犬だね!」
カウンターに立った女将が開口一番に目を真ん丸にして言う。
こっちの方がよっぽど衛兵をしている。
「この辺りじゃこんな大きいのは見たことないよ。何て犬種なんだい?」
「〝リブルスキョダイドッグ〟です」
よどみない口調でビヨンが言う。
コルネリウスが呆気にとられた顏を幼馴染へと向けた。
「は? そんなもん居ね、」
ひじ打ちが彼の横腹に打ち込まれる。散々だな。
「居る、居るよな……。
北のハインセルの方から出てきたらしくってよ。
連れているうちに愛着が湧いて旅の仲間になったんだ。
で、女将さん。ここって動物は大丈夫なのか?」
「ああ、問題ないよ。部屋はどこも空いてるから……そうだね。
一番大きい部屋を使っていいよ。何にも無い田舎だけど、のんびりくつろぎな」
手渡された鍵には『106号室』とある。
わたしは羽ペンを手に取ると宿泊者名簿にサインを綴り、女将へと礼を告げた。
各自が荷物を置き、ラウンジに集う。
テーブルには《ルヴェリア世界全図》が広げられており、全員の視線はリブルス大陸はマールウィンド連邦の領地に注がれていた。
「まずはここを目指すわ」
と、アーデルロール。彼女の白い指先は連邦領土の東南、<白霊泉>に立てられている。
「<白霊泉>か。有名な観光地だよな。
『泉』とは名ばかりの巨大湖。湖畔に立ち並ぶ白色のリゾート街。
マールウィンドに旅行をするなら必ず寄れ、って言われるぐらいだ」
「ここに〝精王〟が? そんな話は聞いたことがないけれど……」
「いいや、ここには確かに水の〝精王〟が居る」
暖炉の前で丸まり、大あくびをしていた狼、もといギュスターヴが言う。
狼が口を利くというのはどうにもおかしい光景だ。
女将さんに見られれば、彼女は目を剥いて驚くに違いない。
「お前ら<フロリア王国>って名前に聞き覚えは?……無さそうだな。
フロリアっつうのは千年前、〝霧払い〟が旅をした頃には確かに存在した王国だ。
どんな事情があったかは知らんが国は都ごと水中――<白霊泉>に沈んだ。
水の〝精王〟はその失われた都に居るって話だ」
「それがマジだとしてどうやって行くんだ? 悪いが俺は湖底までは潜れないぜ」
「オレだってそうさ。伝承と文献によりゃあ、
ガリアン王の血筋を引く者が近付けば道は開かれるらしいが……。
生憎、経験上こういった言い伝えの類は大事な部分が省かれてるんだよな。
罠があったり、重要な条件が欠けてたり」
頬杖を突いてアーデルロールがため息をひとつ。
指先で地図をとんとんと小突き、
「ちょっと。これからって時に心配になるようなことを言うんじゃないわよ。
何とかなるでしょ。いや、どうにかしなきゃいけないのよ」
狼が口元をゆがめてニヤリと笑う。
さすが言うことは言うんだな、とでも言いたげな顔だ。
「その通りだ。今後の道筋としては、
<白霊泉>で水の〝精王〟と契約を結んだ次は北西の<イヴニル連山>を目指す。
そこには火の〝精王〟が居るって話だからな」
「さすが……お詳しいんですね。
実在さえ怪しいとされる〝精王〟の所在をどうして把握されているんですか?」
「〝霧払い〟の国は伊達じゃないってことさ。
と言っても、オレが知っているのは水、火、雷の三か所だけ。
そして雷は大海原の中にある孤島。これは後回しにした方がいいだろう。
道に詰まることが無いよう、〝精王〟には他の特異点を聞くのを忘れるなよ?
それと、〝精王〟との契約に際してだが、」
がちゃり、とラウンジの扉が開かれた。
視線を向けた先には大皿を持った女将。
皿の上には空腹の胃袋を刺激してやまない、肉と野菜を油で炒め、香辛料を振りまいた殺人的な魅力の食べ物が山盛りで載っていた。
「昼飯を作り過ぎちゃってね!
サービスでつけとくから食べな!
ところで今そこの犬喋ってなかったかい?」
「ワ……ワオオォ……」
「……気のせいかい? ま、いいか。今食器を持ってくるからね!」
卓上にどかりと大皿を置き、女将が風のように下がっていった。
誰よりも空腹であろうギュスターヴが実に恨めし気な視線をわたしたちへと注ぐ。
「……こんなことなら人目を気にせずに人間の姿のまんまで来るべきだったぜ……」
今回より新章になります




