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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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092. 剣の果て


 衝突の直後に訪れたわずかな静寂。

 キン、と。

 軽やかで、甲高く、勝負を決した音が短く聞こえた。

 

 人の域を逸脱した〝ウル〟との戦いの果て。

 お互いを殺さんとして振るった剣は衝突し、剣としての形を失った。

 

〝ウル〟の騎士剣は根本から砕け、

 わたしが握っていた奇妙な剣は泡となって霧散した。

 

 奇妙な剣――トリニティと言ったか?――は本来、この現実には存在しない代物だ。

〝太陽の瞳の紋章〟によって喚ばれ、わたしの肉体を依代に現れた〝彼女〟が魔力を用いて再現し、作り出した、いわば空想の剣。


 魔力を費やし続けることでかろうじて存在していた儚い伝説。

 それが形状を維持出来ず、消滅したということはつまるところわたしの魔力が底をついたということになる。

 

 膝をつき、みっともなく地面に倒れ込んだ。

 胸がやけに熱い。あの傷からの流血が止まらない。


「はっ! はっ、はっ……! く、っそ……!」


 気付けばわたしは自分の身体の自由を取り戻していた。

 だが指先ひとつも動かせない。

 関節より先も曲げられない。

 

 わたしの身体を使い、絶戦を繰り広げていた〝彼女〟の気配はもうどこにも無い。

 瞳の奥にも、見えぬ心の奥底にも、耳の内側にも、わたし以外は誰も居なかった。


 セリス・トラインナーグ。

 彼女の優しい声と研ぎ澄まされた刃のような魂の色がやけに心に焼き付いている。

 

 おぼろげにしか見えない視界の中に薄らと銀の騎士――〝ウル〟の姿が見えた。

 

 消えかかっていた憎悪の炎がちろりと揺れた。


「〝ウル〟……ッ!」


 かつて目指した北の英雄の姿。最強の剣士の姿。

 わたしの故郷を蹂躙し、父の片腕を斬り飛ばした、心底殺してやりたいと思った姿。

 

(ふつ)……(ぎょう)の瞳が……なん、じの……」


 魔力切れだったが、それでもわたしは〝紋章〟の行使を試みた。

 魔力が無いのなら、辺りの物質を消滅・変換して取り込めばいい。

 イルミナは『世界を殺す禁忌』だと口にしていたが……構うものか。

 過度の使用が原因で、わたしの肉体が壊れようがもう何だってよかった。

 

 この胸に燃える恨みを、

 この瞳を焦がす憎しみを、

 この心に焼け付いた怒りを叩きつけてやりたい。

 ただ、それだけだ。

 

「名を……むす、ぶッ!? ッア、アアアァア!?」


 眼球の奥底で火花が瞬いた。

 炎が噴き上がり、頭の内側をあぶり、焼いていく痛みが突然にわたしを苛んだ。

 

 動かない両手では顔を覆えない。

 痛みにのた打ち回ることも出来ない。

 死体のように停止した身体のまま、言語を絶する苦痛に声にならない音を漏らすしかない。

 

 熱い、熱い、熱い熱い熱い。

 

 ひどい耳鳴りがずっと響いている。

 わたしの周囲が次々に陥没し、体内に魔力が満ちるのを感じる。

 だがその魔力も一瞬後には底をついて消える。

 まるで負債を支払うかのように、わたしの魔力が何かに取り上げられていく。

 

 ひどく渇いていた。

 

……魔力とは生命力そのもの。

 枯渇が近付けば正気は欠け、狂気へと堕ちていく。

 

 わたしは今、正常と狂気の狭間をおびただしい速度で行き来していた。

 発狂の淵に立ちながらもわたしは〝ウル〟の立つ方角に目を向けた。

 

 幾人もの姿が見える。

 杖をつく老人。背高の男。獅子頭の男。魔法使いの女。

 間違いなく幻視だった。

 

……もはやこの目は正常な映像を映していない。

 それでもなお、わたしは目に力を込めた。

 呪いがあるとすれば、その力を瞳に宿そうじゃないか。

 視線で相手を殺せるのならば、心底からその力が宿ることを祈ってやる。

 

「〝ウル〟……お前、だけ、は……」


 ざり、と目の前に銀の柱が立った。

 鎧のグリーヴ。〝ウル〟の銀鎧。

 

 いくつもの感情が脳裏をよぎる。

 諦め、怒り、後悔、憎悪、そして悲嘆。

 

 自分はどう始末をされるのか?

 その想像よりも前に、わたしの知る人々が嘆く顏を想像した。

 

 コルネリウス、ビヨン、ミリア、リディア、フレデリック……。

 そしてエルテリシア、セリス、ドガ、ミド……。

 

 ……? 誰だ?

 知っている名前。知らぬ顏。

 だというのに、どうしてこうも鮮明に思い出せるのか。

 

 そうして最後――アーデルロールが泣き腫らす顏が脳裏に浮かんだ。

 背を丸め、膝を抱え、嗚咽を漏らす我が王女。

 

 その瞬間、これ以上無く『まだ死ねない』と、わたしの胸に炎が灯った。

 

「……終わりにしよう、ガリアン(・・・・)


〝ウル〟が言う。

 その名はわたしではない、と口にしたかったが、呻くが漏れるばかりだ。

 

「セリスが消えた今、お前が名を結べる影は他に無く、身代わりにする魂も無い」

 

 視界いっぱいに〝ウル〟の指が迫る。

 まぶたに指先が押し当てられ、本能的な恐怖が背筋を舐めた。

 

「……お前の〝瞳〟は私が……」

「おま……え……っ。まさか、目を……っ!」


 わたしは瞬間的に悟った。

 奴の狙いはこれ(・・)だったのではないか?


 レオニダス王の命でもなく。

〝霧払い〟の遺した〝聖剣〟でもなく。

 わたしの両目に宿る〝紋章〟を狙い、この場へ現われたのではないか?

 

 答えを得られず、無念の内に死ぬのか。

 おぞましい想像が脳裏をよぎった瞬間――青い光が場に閃いた。

 

………………

…………

……


 目と鼻の先に立っていた〝ウル〟の姿は消えていた。

 危機を察知し、あの瞬間移動じみた歩法で距離を取ったのか。

 

 わたしの視界は相変わらずはっきりとした像を結べない。

 代わりに聴覚が研ぎ澄まされ、場に乱入した人物の気配を鋭敏に察知した。

 

 さり、さり、と柔らかく、ゆったりとした歩調。

 土をサンダルの底で踏むような乾いた音。

 それから調子はずれな鼻歌。

 紙同士をこすらせるささやかな物音。

 

 おぼつかない頭の中でひとりの女の姿が思い浮かぶ。

 

「まさか……イルミナ!?」

「いよう、バカ弟子。間一髪、というところかな?

 いや……遅かったかな。ボロ雑巾よりもひどい有様だ」

 

 目で見ずとも彼女のにやにや笑いが浮かぶ特徴的な声が耳を打つ。


「それにしても、やれやれ。随分暴れてくれたな。

〝ウル〟。どうしてお前という男はこうも喧嘩っ早いのだ? 

 目的があるのならばまずは交渉。武力行使は最後の手段だろう。

 立てるべき道理に考え到らないお前ではないはずだ。もしや狂ったか?」

 

 わたしの傍でくぐもった舌打ちが聞こえた。

〝ウル〟があからさまに苛立ち、警戒をそのままに構えを取った気配がする。

 

 一触即発の気配。

 だが彼の剣は半ばより折れていて使い物にならない。

 それで一体どうする気なんだ……と、考え、思い直した。

〝ウル〟は常識では測れない。

 彼ならば例え潰れた刃であっても万物を両断したとておかしくはないのだ。


 イルミナ・クラドリン。

 白い魔女。〝紋章〟所有者。

 その実力は未知数だが、〝ウル〟に通用するほどではないだろう。

 

 両者は剣士と魔法使いだ。

 片や近距離、片や遠距離を得意とする両極の二者。

 

 不意を突くような狙撃であれば、イルミナの魔法も〝ウル〟に通用をしたかも知れないが、この至近距離では……。


 驚異的な身体能力をもつ〝ウル〟が相手では結果は見えている。

 死ぬ、だけだ。

 それが分からないイルミナではないはずだろう。

 何故だ。どうしてここに来てしまった?

 疑問符がわたしの頭の中で渦を巻いた。

 

「〝白い魔女〟……。またお前か……。

 心臓を潰し、首を刎ね、それでもまだ私の前に現れる。

 お前は本当に生きているのか? あるいはやはり影の類なのか?

 ……おぞましい女だ。〝魔女〟を名乗るに相応しい」

 

「力の頂点からの褒めの言葉とは。嬉しいね、どうもありがとう。

 私のことなど忘れているものかと思ったが、存外に記憶はしっかりしているらしい。

 さて。この顏を覚えているのであれば、お前は既に悟っているのだろう?

 ……私がお前の前に現れる、その意味をな」

 

 回復し始めたわたしの視界は、折れた剣を静かに構える〝ウル〟を映した。

 わたしを依代にしていたセリスと対峙していた時と同じ、

 力を持つ者に対しての警戒と、必殺の意思を込めた、澄み切った構え。

 

 語ろうとするイルミナを〝ウル〟は明確に拒絶している。

 言葉の返答は無く、鍔鳴の硬質な音が静かに響いた。

 

「私はお前の間違いを正そうとする者。

 審判者ではなく、修正者だ。

 そこには大義は無く、神託を授かったわけでもない。

 ただ私が私の基準でお前を正す。

〝ウル〟。古き特異点よ。お前の干渉は世界を乱す。

 霧の奥底より抜け出したこの機会に、どうだ。

――そろそろ死んでみるというのは?」


 イルミナが羊皮紙の束をバッ! と空中に放り投げた。

 続けざまに小気味の良い音で指先を鳴らす。

 すると羊皮紙が青い光を放ち、円形の魔法陣を展開させた。


「これは……っ!」

「魔力が少なかろうとも、偉大な魔法を扱えずとも、いくらでもやりようはある。

 エルテリシアが遺した魔法技術<スクロール>。

 古今東西、あらゆる階位の魔法を受け切るのは容易くは無いぞ、〝ウル〟」

 

 魔法陣より光の筋が放たれ、大地を抉っていく。

 火焔の息吹が、風の刃が、雷鳴の大槍が間髪おかずに乱れ飛び、

 ただでさえひどい有様だった大地が蹂躙されていく。

 

 魔法の余波は村にまで及んでいる。

 確認したわけではないが、もうこの村は手の施しようがない、とわたしは思った。

 

「ユリウス、聞こえているな? ここは私が引き受ける。

 ふっ。どうせお前のことだ、死ぬつもりだと思っているのだろう?

 生憎だがその心配は不要さ。奴とは浅からぬ因縁があってな。

 少しばかり灸を据えてやらねばならんと思っていたところだったのだ」

 

 地鳴りが響く中でイルミナが語りかけてくる。

 その声は不思議とよく通り聞こえた。

 

「……時間が無い。よく聞け。

 お前はアーデルロール王女と共に、十三の精王を訪ねて回れ。

 レオニダスが言っただろうが、それは〝霧払い〟が歩んだ道を再び辿るということ。

 すなわち世界救済への旅だ。ふふ……お前が憧れた英雄の物語のようだな。

 私はこの後、少しばかり姿を眩ます。

 なに、永遠の別れでは無いさ。皆によろしく言っておいてくれ。

――ではな」


 別れの言葉を皮切りにして、視界の端がひどく白んだ。

 白色は端から中央へと伸び、わたしの視界を覆っていく。

 

「待て……ッッ!」


 誰かの怒号が聞こえ、それを最後に音と光が消失した。

 

………………

…………

……


 頬を何度か叩かれた。

 最初は軽く、二度目は強く、三度目は頭を掴まれ全力で。

 

「起きなさいよ。起きろ。起きろって言ってんでしょ!」


 ビンタは続く。

 起きてる、と言いたかったが極度の疲労で身体は動かず、

 とうとう口やまぶたさえも開けられない始末だった。

 

「おい、マジに死んじまうぞ。もうやめろって、アルル」

「何よ。じゃあほっぺを張る以外に起こす方法があるっての?」

「いくらでもあんだろ! 優しくささやくとか、頭を撫でるとか色々さ!」

「……キモいわね。あんた、旅の中でユリウスにそんなことしてたわけ?」

「は? お前の想像の飛躍の方がよっぽどキモいわッドブッ!?」


 鈍い音とそれから崩れ落ちる音。


 懐かしい声が聞こえる。

 もう何年も聞いていなかったかのように思える、落ち着く声。

 

「……ここは……」

「ユーリくん!」


 がばり、とわたしの体を抱きしめる人が居た。

 花のような甘く優しい香り。おぼろげに見える金色の髪。

 

「……ビヨン? 痛いよ。特に頬が……」

「ご、ごごごめんね!? あと頬はうちじゃないからね!?」

「――ふん。ようやくお目覚めね、ユリウス」


 自信に満ちた声が降り落ちた。

 力を振り絞って見てみると、太陽の色の瞳が私を見ていた。

 

「積もる話は山ほどあるわ。

 それから死に急いだあんたへの説教もね!

 どのくらいかかるかっていうと……そうね、軽く見積もって1時間かしら。

 とにもかくにもその前に!」

 

 わたしの腹に向かって何かが投げつけられた。

 苦労して見てみるとそれはどうやら回復薬の類らしい。

 緑色に輝く液体がゆらゆらと揺れている。

 

「それ飲んで回復しなさい。……話はそれからよ」


 

お待たせしました~、ぼちぼち更新再開します

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