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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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091. 〝ウル〟


「――久しいな」


 わたしの唇がひとりでに動き、言葉を結ぶ。

〝紋章〟の使用と同時、この身体の制御権はわたしの手を離れ、彼女(・・)へと移った。視界も、四肢も、何もかもが彼女に委ねられていた。


「〝ウル〟の襲名、おめでとう。師である私が祝辞を贈ろう。だが知っての通り私は口下手でね。首を刎ねる一刀で構わないか?」

「――……やはり、頼ったか」


 銀の騎士が兜の下で呟いた。

 どうしようもなく疲れ切った声。

 わたしの怨嗟の炎を燃え上がらせる声。

 

「セリス・トラインナーグ。我が師よ。

 お前は死の国へと渡らず、虚無に満ちた〝霧払い〟の瞳に縛られていたのだな。

 ……哀れだよ。正しい死霊ですらない。……お前はただの影だ」


 わたしの主導権を握る〝彼女〟が足元のフレデリックをちらりと見る。彼に意識は無く、肘から先を失った左腕からは止め処の無い血が流れ出ていた。

〝彼女〟が一歩を踏み出し、フレデリックから静かに遠ざかる。〝ウル〟からは視線を外さない。


 わたしには〝彼女〟の思考が読めなかった。

〝ウル〟に対して何を思っているのか。恨みか、興味か、あるいは何の関心も抱いていないのか。


「いいや、違うさ。

 私は自ら望んで縛られ、ルヴェリアに留まったんだ。

 いずれ現われるであろう脅威へと向かう為に。……彼の刃となる為にな」

「ふふ……くっはは、ははは……。

 望んだ? お前が?

 はは……愚かだな、セリス。奴へと向けるお前の信頼は狂信の域だ」

「ならばお前の思いこみの激しさはまさしく狂気だろうさ」


〝彼女〟が右手を軽く振る。と、手の中に奇妙な形状の剣が現われていた。

 銀色の柄。鍔の先からは三本の薄い刃が伸び、それは互いに絡み合い螺旋を象っている。

 一度だけ……洞窟のあの日にわたしはこれを目にしたことがあった。

 

 足元の大地が前触れもなく抉られ、消失した。

 次いで体の中に魔力が満ちる感触がし、一瞬後には虚脱感を感じる。


――……<物質の魔力変換>。

 イルミナ・クラドリンがわたしに授けた禁術が、わたしの無意識の内で行使されている。

 

 体の主導権を得る〝彼女〟は動じず、ただ〝ウル〟をじっと見据えたまま。

 

「私たちの時代から長い時間が経った。

 孤独の時の中で少しは変わったかと思えばどうだ。

 当代の〝ウル〟、我が不肖の弟子よ。お前はまるで変わっていない。

 結論を空想し、結果を逸る。

 ……まあ、ただ一度だけ……私を殺した時だけは冷静だったようだが」


〝ウル〟が肩を揺らし、笑う。

 銀の全身鎧に身を覆った男が身をよじる様はどこか狂気じみた不気味さがあった。

 

「……もう、いい。

 言葉はもはや不要だ。

 お前は影だ、セリス。

 何もかもが偽りの言。生者である私を揺るがせるようなことはない」


〝彼女〟が苛立ちを感じたのが意識の奥底に居たわたしには分かった。


「影であってもお前を斬り伏せることは出来るさ。

 我が神剣トリニティは千年の時を越え、こうしてお前の首に届くぞ。

 ……〝ウル〟」

「――死の冷たさに再び触れたいのならば、来い」


〝ウル〟が騎士剣を抜く。

 目立った装飾の無い、北銀(イリル)鉄鋼を鍛えたルヴェルタリアの騎士剣。

 特別な魔力を帯びている気配も皆無。何の変哲も無い、ただの長剣。

 

ガリアン(・・・・)。虚無の傀儡よ。

 貴様がセリスの影に隠れ、こちらを盗み見ていることを私は知っている。

 ……我が剣はその瞳もろとも貴様を断つ。貴様は終わるべきだった」

「大言壮語は相変わらずだな」


〝彼女〟が笑い、右腕に魔力が流れると手の中に納まる奇妙な剣が形状を変え始める。


「消えるべきは我々全てだ。

 お前も、()も、私も。

 ……旧いのだ。命を運命へと還そう、〝ウル〟」

「――……笑止。この身には果たさねばならぬ誓いがある」


 騎士の背中で深紅の外套がたなびいた。

 身を覆う闘気が丘を割り、場を圧していく。

 互いの剣の切っ先が互いを向く。

 

「我が師、セリス・トラインナーグよ。今一度死ね」

「……参る」





 かつて緑が生い茂り、青い空を頭上に望んだ幼い日の丘は無い。

 今この瞬間、この場は炎熱の決闘場に変じていた。刻一刻と変容していく舞台をわたしの足が一歩を踏む。

 

「二の太刀――瞬天(しゅんてん)


〝彼女〟がわたしの唇で短く呟くと同時、右手に握った剣が形を素早く変える。

 絡み合い、螺旋を象る三本の薄い刃が形状を歪め、直剣へと変じた。

 驚きを感じる暇さえないままに剣が光となって閃いた。

 

 音を置き去りにする一刀。

 炎を映した赤色が筋となって虚空を(はし)り、〝ウル〟へと放たれる。

 

〝ウル〟もまた長剣を振るう。

 首を狙った横薙ぎの軌道を己の騎士剣で防ぎ、左腕に携えた騎士盾で殴打を狙い来る。


 全身鎧を着用しているとは思えぬ高速の移動。

 目で追うのがやっとのわたし(・・・)には防御の術も、閃きも無かった。

 だが、この身を操る〝彼女〟には突くべき穴が見えている。

 

 振り切った剣を手元に戻さず、むしろ力を込めて〝ウル〟の長剣を圧す。

 少しでも力を緩め、奴に自由を与えれば防戦になるだろうという意識が流れ込む。

 

 恐ろしい程に重く、大きい盾が振り下ろされる。

 まるで無数の血を吸った壁が押し迫るようだった。

 

 すり足のように足裏を滑らせて後ろへ下がり、間一髪で打撃を躱す。

 と、注意を引くようにわずかに剣を引き、騎士へ自由を与える。


 途端、〝ウル〟が目にも止まらぬ速さで長剣を振るった。

 視認をした時には既にモーションは斬撃に入っており、

 腕、手首、殺気から狙いがわたしの頭部を両断せんとしていることが分かる。

 

「っ――! 鋭いな……!」

 

 首を瞬時に横向け、致命傷を避けた。

 だが躱しきれない。こめかみを裂け、鮮血が肌を濡らした。

 

 間髪を入れずに盾が振り下ろされていた。

 回避の為に後ろへ飛ぶか? 否、光よりも速いと豪語する奴の刺突が胸を貫くだろう。

 

 ならば、と〝彼女〟は前進を選んだ。

 

 噛み合う刃が火花を生み、

 互いの剣圧から発せられた真空の波が遠間を切り裂いた。


〝彼女〟はわたしの体を銀鎧へと寄せ、奴の軸足を狙い、

 魔力を纏った靴先で思い切りに蹴りつけた。

 自分のものとは思えない重々しい一撃だった。

 尋常ではない蹴りを放った自覚はあったのだが、この程度で世界最強の剣士は揺るがないだろう。

 

 趣向返しだろうか、〝ウル〟が槍のような鋭さで膝を突きあげた。

 

――かかったな、と〝彼女〟がわたしの唇でニヤリと笑ったのが分かった。

〝ウル〟に戦いを教えたのはわたし(彼女)だ。

 戦いの筋は無数に分岐、発展を果たしただろうが、

 師が教えた技術を振るうタイミングは必ずある。

 それが、今だ。


 右手の直剣を回し、刃を下向けた。

 狙うは脚部。鎧の空隙。この一撃で機動力を削ぎ、速度で削り潰す――ッ。

 

「グ……オォッ……!」


 左足に〝彼女〟の刃が音も無く通る。

 刃先が沈み、騎士がうめく。

 掛ける言葉は無い。

 命のやり取りにそんな余裕は無い。


 一言を掛ける数秒を与えれば奴はそのあいだに痛みを乗り越え、

 反撃だとでも言うように嵐のような剣技を放つだろう。

〝ウル〟が距離を取り、こちらを見据える。

 騎士兜の奥に憎悪の色が灯るのを感じた。


「ウ……オオオォォアアアッッッ!!」


 騎士の姿がブレ、消える。

 あの高速の移動だ。


 消失を意識した瞬間、〝ウル〟は目と鼻の先に居た。

 騎士剣を大上段に構え、炎に照らされた刃が振り下ろされる。


 冗談のような亀裂が大地に走り、

 フォンクラッドの家が傾き、飲み込まれていくのが見えた。

 

 振り上げる刃が暗雲を裂き、横薙ぎの斬撃が遠間の森を蹂躙する。

 紅蓮の筋が曇天の下に無数に閃いた。


 そのどれもが尋常ならざる速度。致死の威圧。例外は無い。

 叫びとともに繰り出される剣閃は万象一切を断ち、

 躱す〝わたし(彼女)〟が背後にした世界を無慈悲に切り裂いていく。

 

 怒りは技を鈍らせる。

〝彼女〟は煽り、技の劣化を狙った。

 

「ハッ! 痛みは久々だったか? 

 分かるよ。我ら〝ウル〟には弱者ばかりの世は狭く苦しい。

 ……だからこそ、だ。正しき光の下にこそ、我らの力はあるべきだ」

「黙れ! 影の分際で……ッ!」


〝ウル〟が叫ぶ。狂気じみた絶叫。喉が、心が引き裂かれる悲痛さをともなう咆哮。

 剣の結界とも言うべき致死の筋が空間を走り、躱し切れない死の線を〝彼女〟が剣でいなしていく。

 叫びのたびに殺意が増し、剣圧は重く変じる。

 

「我が剣は既に王へ捧げている! 死人の言葉は私には届かん!」

「残念だよ。ならば、死ね。

 ……一の太刀――白峰しらみね


 互いの剣が光となって閃き、極限の技巧が無数の火花を夜空に散らす。

 剣風が渦を巻き、周囲の火炎でさえも両者のあいだに割り入ることは叶わない。

 

 人外の技がここにあった。

 今聞こえる刃の音は何合目の音だったか。

 二合前か、六合前か。――感覚が置き去りになっていた。

 死の猛威が奔流となって、わたしの薄皮一枚を削いでいく。

 今この瞬間、死は目の前にあった。

 

 戦いが熱を帯び、魂が生を抱くに連れてわたしの心は氷のように冷え、冷静になっていった。

〝彼女〟が肉体を操る裏でわたしの精神は凪の水面ほどに鎮まっていた。

 

 閉じられていた記憶が(ほころ)んでいく。

 人生を彩り、命に色を見出したかった願いを思い出す。


――違う。

 それは願いの片割れに過ぎない。

 わたしが忘れているものがもうひとつ……もうひとつあるはずだった。


………………

…………

……

 

『この男を殺すんだ、ユリウス』


 幻視を得た。

 剣鬼(けんき)のように剣を振るう〝ウル〟の背後、

 崩れ落ちた丘の影に一人の老人の姿が見えた。

 老いた背は曲がり、歪んだ木の杖で体を支えている。

 

 姿に見覚えがあった。声に聞き覚えがあった。

 名は……何だったろうか。彼の名は?

 

『私は大罪を犯した。

 だが……裏切りの始めは奴らなのだ。

 私がいかな汚名を背負おうともこの復讐だけは果たさねばならぬ。

 ユリウス・フォンクラッド。その騎士を殺せ。

 この男こそは裏切りの先兵、運命に逆らう者……』


 どこか遠く――……鈴の音が聞こえた。

 

………………

…………

……


貴様(キッサマ)アアアアッッッ!!」


 騎士が、憎悪の騎士が声高に叫んだ。

 轟然と振られる神速の刃。問題無い、見えている。

――が、右手に握る剣がガラスのように砕け散った。

 「馬鹿な」と、わたしの唇を介して〝彼女〟が驚愕を呟く。


 続けて鈍く重い打撃が全身を走った。

 腹部にめり込んだ拳に骨が軋み、衝撃のままに吹き飛ばされる。

 空中で身をひるがえし、二本の足でどうにかバランスを保ち、立つ。


 視界がちらつく。

 口の中に熱を感じ、足元へ吐くとおびただしい量の血が地面を汚した。

 

「はあ……はっ、ハッ……やはり、強いな……。

 お前の旅路の前にこいつだけは葬っておきたかったが……」


〝彼女〟が右手を振ると手の中に再び銀剣が現われる。

 魔力を流し、直剣へと形状を変じさせ、〝彼女〟が構えた。

 

 視線の先には究極の剣の主。

 圧倒的な気配が場を歪め、まるで蜃気楼のように背景が揺らいでいる。

 

「……すまないな。お前の力量不足ではない」


〝彼女〟が精神の奥へと下がったわたしへと話しているのが分かった。

 その声は緩やかで、優しいものだった。

 一瞬、ここが戦いの場であることを忘れそうなほどに。


「あの時に比べて肉体も、精神も強壮になった。

 それによって私の力も十分に引き出している。

 だがあの〝ウル〟は……それを上回る。それだけの話だ。

 ……次の一合で戦いは決するだろう。

 お前の瞳に焼き付いた私の影がかき消える事になろうとも、私は必ず奴に一撃に与える。

 ……信じてくれ、あの日のようにな」


 重心を落とし、剣を腰に溜め、〝彼女〟が〝ウル〟を見据える。

 肩幅に足を開き、意識の全てを敵と己の剣へと注ぎ、必殺の一撃を放たんと呼気を練る。

 

「――師よ。

 お前の剣であっても最早私に届くことはない。虚無へと還るがいい」


〝ウル〟が剣を鞘に納め、静かに息を吐く。

 大気が、大地が、空間が鳴動する。

ウル()〟と〝ウル()〟の衝突を世界そのものが恐れ、身震いをするような重圧が場に横たわった。

 互いが同じ時に、同じ構えで、同じ言葉を口にする。

 

「「――……(つい)の太刀、<(じん)>……ッ」」

 

 幾条もの銀閃が刹那に生じ、交差した。

 迸る光は大地を溶解させ、森を抉り、世界を冒していく。

 

 両者の剣筋が互いを食い潰すように絡み、消し、殺戮の光の中を〝彼女〟と〝ウル〟が肉薄した。

 それぞれが殺意を胸に秘め、振るった必殺の一刀。

 

 両者の剣は互いの剣身に沈み――破砕した。

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