088 究極の一
暴風が周囲でうねり、熱気が渦を巻いている。
……何が起こったか分からない。
わたしはボロ雑巾のように吹き飛ばされ、家の立つ丘のふもとまで転がり、どれだけ気絶していたのだろう? 気付いた時には全身を鈍痛が覆っていた。
「っ……光の第二、階位……<治癒の導き>……」
顏を苦々しく歪め、口に馴染んだ詠唱を結び、回復魔法の輝きに身を癒す。
発生した淡い光に触れていると、緩やかに肌の感覚が戻ってきた。
――途方もない喪失の予感があった。
一瞬前まで目の前にあった、穏やかな家族の時間はもう永遠に失われてしまったという虚無の直感。
どうしてこうなった? 記憶を振り返るが、たったそれだけのことに頭が痛む。
こめかみを押さえ、わたしは過去を睨んだ。
父との稽古。
母と、父と、妹、そしてイルミナの笑顔。
そして……銀の騎士。
「あの鎧……ルヴェルタリア騎士の……」
そうだ。……到底信じられない事実だが、ルヴェルタリアの騎士が突如として現われ、神速の抜剣を果たし――……。
そこからどうなった? わたしの記憶はそこで途切れている。
頭を打ち付けたのか、頭の中は鐘が鳴るように揺らぎ、意識はもやに囚われたようにぼんやりとしていた。
だが村の方角に火の手が立つのを認めた途端、わたしは急速に覚醒する。
炎がわたしの危機意識を炙る。
どこかの木材に火が点き、発火からしばらく立っているのだろう。火勢は雲を焼くかのように高々と燃え上がっていた。
もっと悪いことに火災はひとつではなく、あちこちで炎が立ち昇っている。
家が軋み、崩壊する音が聞こえた。破滅の音だ。
「む、らが……」
親しんだ故郷。その記憶がひび割れる感触を覚え、わたしは衝動的に家へと目をやった。無二の生家。わたしの掛け替えのない寄る辺。
騎士の放った居合の目と鼻の先にあったにも関わらず、我が家はそのままだった。通常なら決して無傷であるはずがない。となれば超常の技……魔法による防御に違いない。
イルミナの仕業だろうか? 神速の抜剣よりも早くに詠唱を結んだということになるが……それこそ人間離れした技術だ。
コルネリウスやビヨンが居るであろう村へと走るか、それともアーデルロールが……わたしの家族が居る家へ走るか。
迷いは一瞬で済んだ。
起き上がりざまに草を鷲掴み、体勢を整え、息を吐いたわたしは疾風の速度で丘を駆け上がった。
………………
…………
……
異常が居た。
――誰なんだ、こいつは。
火焔を照り返す銀の鎧はルヴェルタリア騎士に特有のものであることは間違いない。
わたしの知り得る知識の全てがそれを証明している。
ただ一点。
鎧の背ではためく深紅の外套だけが異様だった。
頭のあちこちが警鐘を発している。
こいつを見るのはやめろ。
視線を逸らせ。
奴は死の先触れだ。
いいや……無駄な思考はやめよう。わたしは知っている。
剣士を志した者は誰しもが一度は最強の名を夢に見る。
かつてのわたしも――いや、今もそうだ。
奴の名は、この胸が幼い日に抱いた頂点の称号。
力の最果てと呼称される絶対の剣士。
わたしはあの騎士を、知っている。
「――……〝ウル〟」
彼の勇名はいくつもある。
世に最も鋭い剣の主。
絶対の強者。
北天最強の騎士。
究極の一。
騎士は微動だにせず、ただ丘の上にあった。
わたしの家族の姿はどこにもなく、フォンクラッドの家屋の前に〝ウル〟が立つ。
不意に。
兜に隠された顏がわたしの方をゆっくりと向いた。
途端、胸を――心臓を鷲掴まれたかのような激痛が身の内を走り、わたしは声にならない呻きをあげて膝をついた。
胸が、熱い。
胸の傷跡が開き、流れ出る血液が胸元を濡らしていくのがありありと分かる。空気がやけに重い。酸素を取り込もうとするが上手く、いかない。
呼吸とはどうやるのだったか。肺が膨らまない。眩暈がする。
「はっ……っ、はっ! く、そっ……何でだ……! 何なんだ、お前は……!?」
「……」
〝ウル〟は答えず、剣へと静かに指をやった。
何をするかななんてこと、ろくに回らない頭でも想像がつく。彼は再び剣を抜き、容赦なく振るうのだろう。……ただの抜剣で周囲の木々は頭を失い、村に被害を及ぼしたのだ。
彼が全力で剣を振るえばどうなる? その想像は一見簡単なようでいて、実際はひどく難しかった。
〝ウル〟――彼は剣士の、いや、力の頂点。
彼が成し得ることを、わたし程度の剣士が想像をするなど到底出来ないことだ。
理解出来るのはただひとつだけ。
一撃を貰えば、確実に――死ぬ。
動機がひどい。視線を〝ウル〟から外せない。剣はわたしの手元にはなく、抵抗する術は無かった。
「…………終わりにしよう」
あざやかな紫電が迸った。
ゴッ! と、爆発音じみた巨大な音が目の前で炸裂し、大柄な戦士が〝ウル〟を思い切りに蹴りつける。
獰猛な横顔、稲妻を纏った巨体、黄金の槍。
〝王狼〟と名高き偉大なる北の戦士、ギュスターヴ・ウルリック!
続けざまに発生した暴風にさらされ、わたしは腕で自分の目を庇わねばならなかった。
次に目を見開いた時、ギュスターヴと〝ウル〟の二者の姿は無かった。代わりに遠くの森で爆発音が生じ、粉塵が空高く舞い上がった。
炎に染まる空の下で紫電が瞬く。
二人の北の英雄――常識の枠の外に在る戦士の戦いに、わたしのような人間が割りこめる余地など到底ない。
「ユリウス!」
自宅の前で立ち竦み、稲光にも似た剣戟の音を聞いていると聞きなれた声がわたしの名を呼んだ。振り返った先にはわたしの映し鏡――瓜二つの男、フレデリックの姿。
「無事で良かった。いや、間一髪だったか?」
彼の顏には傷ひとつない。
いつの間に支度を終えたのか、革鎧を着込み、コートを羽織り、四肢の先には磨かれた防具を装着している。
父は一戦を交える腹なのだろう。
「父さん。あれはやっぱり……」
「間違いなく〝ウル〟だな。想像を絶する剣気だった。参ったな、ガキの頃から一度はやりあってみたいと思ってはいたんだが、実際に面と向かうとビビりが入るね」
言ってフレデリックはにやりと笑う。この場面で笑うあなたも大したものだと言いたかったが、口と喉とがひどく乾いていて言葉を上手く吐きだせない。
と、紫電が間近で炸裂し、丘がすり鉢状に抉られた。
破壊の爪痕の中で繰り広げられる尋常ならざる戦い。
ギュスターヴが咆哮をあげ、一瞬後に〝ウル〟を取り巻くようにして稲光がほとばしる。あまりにも眩い雷の輝き。
ギュスターヴ・ウルリック。彼は雷の化身だと主張するようにその巨体を紫電に変え、人間ではおよそ成しえない神速の連撃を〝ウル〟へと叩き込んでいた。
わたしの動体視力がかろうじて拾えたのは、槍を振り切った後のわずかな隙。次の瞬間には〝王狼〟の姿はかき消え、二撃目を仕掛け終わったモーションに入っている。
空前絶後の速度による攻撃の嵐。それを一身に受けてなお〝ウル〟は動じない。
銀の騎士は盾を用いず、片手に握る剣だけで全ての攻撃をいなし、流し続けている。
〝王狼〟の仕掛ける無数の攻撃の数々をこの銀騎士は正確に把握し、どれだけ練達しようとも児戯に過ぎぬ、と一蹴するかのように容易く凌ぎ続けた。
ややあってギュスターヴが場を離脱し、稲光の音を連れてわたしの横に出現する。
顔には汗が珠となって浮かび、灰色の瞳を〝ウル〟へと注いだまま、心底から忌々しそうに舌を打つ。
「――クソッタレ……ッ! ありゃ駄目だな。冗談にもならねえよ。強すぎる」
「〝紋章〟を使ったギュスターヴでも届かないってんならどうしようもないんじゃないか? おれは自前の身体しかないってのを忘れないでくれ」
「はっ、バカ言え。一人で無理なら二人、二人でもしんどいなら三人だ」
「それってあたしも頭数に入ってるわけ? ま、いいけど。三人が揃って戦うなんて、十五年以上ぶりじゃないの。あの頃は若かったわねえ」
鈴の音とともに母が――リディアが丘の上に現れた。
群青色のローブに袖を通し、白いグローブをはめた手で木製のスタッフを携えている。渦を巻いた杖の先端部分には銅色の鈴が吊るされ、りぃん、りぃんと涼やかな音を一定の間隔で立てていた。
霧の探知機……とは少し違う音色だ。不思議と眠気を誘う、特異な音。
「ハインセルの事件以来だな。アルフレッドの奴が居れば完璧なんだが、こればっかりは仕方ないよな。おれたち三人で出来ることをやるだけ。だろ?」
「おう。昔も今もいつだってそうさ」
腰に吊った左右一対の剣。その一振りを父が目にも止まらぬ速度で抜き放つ。
炎の色を映す剣の先端を〝ウル〟へと向け、大胆不敵な調子で父が口元を歪めた。
かつて霧の森で見たコートの背がわたしを向いている。
「ユリウス、ここは父さんたちに任せてお前は逃げろ」
「逃げる? 一体どこに!?」
「イルミナが〝道〟を作っている。ミリアとアーデルロール姫、レオニダス王は先に離脱した。お前も後を追うんだ」
「だけど! 父さんたちを放っていけるはずがないじゃないか!」
三人は間違いなく地上最強の剣、〝ウル〟と一戦を交わすつもりだ。
フレデリック・フォンクラッド。かつて悪竜を征伐した語られぬ英雄。その振るう剣は鋭く疾く、並の剣士など足元にも食らいつけないことをわたしは知っている。
だが、それでも駄目なのだ。
〝ウル〟という称号は、最強の名は何の誇張も無い。
誰も届かないからこその〝ウル〟だからだ。
父のコートの裾を掴み、共に逃げようと叫びたかった。
しかしわたしの手を引く者が居た。――妹だ。
「お兄ちゃんっ! しっかりしてよ!」
「ミリア……?」
「もうどうしようもないのは皆分かってる! けど! 少しでも他を逃がそうと父さんたちが身を張ってるの、お兄ちゃんは分かってるんでしょ!?」
目元に涙を溜めた妹が目の前で大声で叫ぶ。
そうだ。わたしは分かっている。父たちが捨て石になろうとしていることを分かっている。だからこそ認められないのだ。
けれど、その気概を、決意を無駄にすることは、それこそ……、
「……分かった、行こう、ミリア。悪かった」
妹の腕を握り、丘を駆け下る。十分な距離をとったと判断し、わたしは生家の前に立つ父たちへと叫んだ。
「父さんっ! 母さん! ギュスターヴさん! また後で!」
返事がないのは分かっていた。
足元にほのかに灯る青い燐光。それは森のほとりから奥の闇へと続いていて、イルミナが残した道筋だと信じ、わたしは妹の手を取り夢中で駆けた。
今にして思えば、なんて愚かだったのだろうと自分を呪う。
何故〝ウル〟は敵対者に悠長な会話を許し、何故静かに聞き入っていたのか?
強者の余裕からか。歯牙にもかけていないのか。
結果として〝ウル〟は何もかもを滅ぼした。
ひとつの銀剣がわたしにとって無二の物を潰したのだ。




