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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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087 宿命の日、滅びの銀


 相手は手練れの剣士。

 若かりし頃には世に仇為す悪竜を討った、本物の英雄。

 

 しかし今現在、丘の上にぼうっと立つ剣士の姿は無気力だった。

 剣の切っ先を地面にだらりと向けて、鞘を握った手は腰に当てたままのゆらりとした姿勢でわたしの様子をうかがっている。

 どう角度を変えても戦いを前にした構えではなく、のんきな顔は晴天の下に散歩に出た中年のそれだ。

 

 その彼の姿がゆっくり揺れ、不意打ち染みた速度でわたしとの距離を瞬時に詰めた。

 まるで鞭のように素早く、獲物を狙う狼のように鋭い。

 疾風となってわたしの眼前へと迫り、肉薄する。

 と、前触れもなく視界から剣士が消えた。

 

 どこだ!? ――っ、いいや焦るな。焦りは墓穴だ。

 視界の端に何かのブレが入り込み、緊張が稲妻となって身を走った。

 近い……っ!

 

「――ふっ!」


 下段からの斬り上げ!

 視認と同時に下向けた剣の刃で一撃を受け止めた。がぎり、と鉄と鉄が互いを噛み、わたしを喰らわんとする刃を通さないよう指先に精細な意識を留める。

 相手は練達した剣士。気を抜けば容易く切り裂かれることは疑いない。


 相手も初撃を防がれるなどとっくに織り込み済みだったらしく、第二撃がほぼ同時に仕掛けられていた。問題ない、次の攻撃も十分に見えている。

 鞘を高速で振るい、しならせての殴打。

 遠心力を十分に載せた先端はわたしの横腹を正確に狙っていた。

 素ならばともかくとして、魔力による身体強化を終えてからの一撃をもらえば吹き飛ばされるぐらいの結果は想像できる。

 回避は下策。防御あるのみ!


「っなんのっ!」

 

 鞘の先端を止めるようにして咄嗟に突きだした盾は思惑の通りに打撃を受け止め、攻勢にある剣士と守勢のわたしが拮抗した。

 攻撃のひとつひとつが金槌で殴られでもしたように非常に重く、盾のベルトを握る腕と剣を掴む指に痺れを感じる。

 それでも苦痛を顔に出してはならない。

 この剣士は見えた隙を素早く、的確に潰す技量を有している。

 

「ほう!」


 戦いの最中にも関わらず、ニカリと満面の笑みで男が言う。


「今の鞘、よく見えたな! 体で隠したつもりだったんだが」

「旅で色々経験積んだし、このぐらいは、ねっ!」


 ぎりぎりと軋んだ音を立てる盾と剣をほんの少し引き、

 相手の力が緩んだほんの隙間を狙い、両手を思い切りに開いた。

 相手のバランスが前のめりにわずかに崩れる。


 隙――……見えた! 狙うは胸部!

 こちらの剣が届くが速いか、あるいは相手の守備が速いか。

 勝負は仕掛けるその瞬間まで分からない。


 いざ――……!

 

 剣士――父フレデリックの胸を狙う。

 幼いころには見えなかった父の油断。

 修練を積んだ今ならば見える小さな隙を狙い、細い吐息と共に飛燕の速度で突きを放った。

 ヒュッと風切りの音が空気を震わす。

 

 緋色の火花が散った。

 鍛え続けた刺突でさえも父の青い瞳には止まって見えているのか?

 彼は攻撃を正確に視認し、寸分の互いもなく受け切った。

 

 ぎゃり、と父の剣がわたしの得物の腹を撫で、あらぬ方向へ向け、一瞬ではあったが攻勢を封じられる。

 

 続けて感じた殺気がわたしを突き動かした。まだだ、まだわたしはやれる!


「ならこっちだ!」


 低姿勢からの足払い。

 当たらない。父は予測していたような軽やかな身のこなしで跳躍し、躱す。

 

 その回避は予想していた。立ち上がりざまの全力の斬り上げを一息に放つ。

 ふっ、と切っ先が風を割り、空中で身動きの取れないフレデリックの脚を狙う。

 

 鞘と剣が刹那の速度で交差したのがかろうじて見えた。

 剣の一撃がわたしの剣の軌道を逸らし、鞘の殴打が左肩を打ち据える。

 

「った……」


 衝撃に体がぐらりと揺れ、体勢が崩れる。

 あまりにも重い殴打。革鎧を震わせ、芯たる骨にまで衝撃が波となって打ち寄せる。

 だが、

 

「まだだ!」


 盾を手放し、父が手元に引こうとした剣の鞘を引っ掴んだ。

 彼の驚きがありありと伝わる。

 鞘の金具が手の平を裂いたが構うものか。

 

 力任せに鞘を引き寄せ、父の安定していたはずの着地をかき乱した。

 並の剣士ならば足をもつれさせ、大きく体勢を崩すはずだ。わたしも当然それを狙っていた。

 だが――……彼とわたしとでは場数が違い過ぎたらしい。


 フレデリックは不利な体勢にも関わらずに横撫での鋭い一閃を放ち、

 好機と見て踏み込んだわたしを牽制した。予想もしなかったカウンターに息を呑む。


 すん、と細いが恐ろしい音がわずかに聞こえた。

 わたしの毛先が宙に舞うのが見え、背筋を伝う悪寒に一歩を退く。

 退いてしまった。

 

 彼は勝利を掴み得る好機を決して見逃さない。

 

 かかとからつま先に力を伝わせ、練達した技術で重心を移し、たたんと軽快な音を立てての独特の歩法をもって彼我の距離を一気に詰めた。

 

 フレデリックが目と鼻の先に居る。

 守りを固めねばと思い、しまった、と舌打ちをしそうになった。

 放ってしまった盾が草葉の上に転がっている。

 ここからでは決して手が届かない。回収しようと走れば無防備な背を一撃されて勝負は終いだ。

 

「中々やるな」


 近寄らせてなるものかと、疾風のごとき速度で剣を交差に振るう。

 防がれる。

 

「狙いが変わったな? 真っ当に打ち倒すよりも、相手の手足を潰して確実に殺す剣だ」

 

 袈裟。刺突。逆袈裟。

 死角からの体術。どれもこれもが通用しない。

 

 繰り出す何もかもが、父の振るう剣と鞘の鮮やかでいてしなやかな扱いで凌がれる。

 

「ま、色々あったんだろ。世の中いろんな奴が居るからな」


 わたしはひどく焦っていた。

 一撃を止められるたびに冷静さがとめどもなく失われていく。


 冷たい声、

 涼しい顏、

 酷薄な剣がわたしの攻勢のことごとくを潰し、

 

「獲った。こいつで終いだ」


 くるりと剣を回し、柄頭で思い切りにわたしの胸を打つ。

 打撃にわたしは身を崩し、丘の上に倒れ、首筋にピッと剣先を添えられた。

 

「父さんの勝ち。……だろ?」





 勝利宣言。

 子供の頃から何度も聞き、何度も目にした、心底嬉しそうなフレデリックの歯を見せた笑顔。

 

 わたしはその度に仰向けに倒れ、届かなかった悔しさに歯噛みをするのだ。

 それは旅を終えて最初の稽古でも同様のことでいて。

 

 両手足を草原の上にバッと投げ出し、噛み締めていた歯を開くと青空に吼えた。

 

「あ~~~~~っ! また負けた!」


 今度こそは勝てると思ったのだが、なんたることか、父の背は遥かに遠い。

 むしろ自分が成長すればするほど、遠目にぼんやりと見えていた強い父の姿がより具体的に見えてきてしまい、自分との差が明確に分かってしまった。

 

 勝算はあったのだ。

 シラエア・クラースマンという同じ剣士から教えを受け、ならば振るう太刀筋も同じものだろうと。読みもすれば防ぎもし、こちらの攻撃を与えることも容易いと思っていた。

 だがフレデリックの剣は違った。

 彼は〝迅閃流〟の流れを汲む、己の剣を確立させていた。

 

 だから、読めなかった。

……実に言い訳がましい。小手先の技術はともかく、身体能力と判断の基礎ともいえる経験が彼とは違い過ぎた。


 空を往く白い雲を見つめてわたしは思う。

 この差は埋まるのか? と。

 

 手がぬっと現われた。

 青い瞳がわたしを見下ろしている。

 

「立てるか?」

「大丈夫。ありがとう、父さん」


 息子の肩をばしんと張るフレデリック。親指を突きだし、「そうしょげるなよ」と彼は明るい声で言う。

 

「今までで一番いい線いってたぞ。やるようになったな!」

「本当に?」

「ああ、本当だ。<ウィンドパリス>でシラエアの婆さんに鍛えられたんだな? あの人の剣筋がちょいちょい見えた。ものにしてくれたのは嬉しいが、何だかしごかれた昔を思い出して胆が冷えたよ」


 すっかり忘れていたが、彼女が父とわたしを間違えて襲いかかってきたのがそもそもの始まりだった。

 思い返せば父の名前が楽しげな話を運んできたことはあんまり無かったな。

 

「父さんの名前は歓迎されてなかったよ」

 

 半ば予想していたのか、ふとした時にやっぱりと気が付いたのか。

 後ろ髪をばりばりと掻いてフレデリックがとぼけた顏をわたしに向ける。

 

「あ、あ~……。すまん。何か良いことがあるかと思ったんだが――」

「裏目だったね……。シラエア師匠にメルウェンなんかの手練れに命を狙われたり散々だった」

「メルウェン……メルウェン・リーナーか? なんだ、『あにき』に会えたのか」


 あにき……?

 ひとつの音にいくつかの言葉が重なる。

 アニキ……兄貴……兄!?

 

「あにき、ってどういうこと」


 冷静に努めたつもりだが声は平坦になってしまった。

 

「親戚じゃないよ、心配すんな。義兄だよ」


 父が目を細めてメルウェンの顏真似をする。声音まで似せてきた辺り、父はあの飄々とした男をよくよく見知っているな。


「シラエアの下に居た時の兄弟子でな。あん時は随分面倒見てもらったし、色んなことを教えられたなあ。今でもちょいちょい手紙のやり取りもしてるんだぞ?」

「ふーん……」


 知らなかったな。

 

「お前が旅に出たってことも手紙に書いてな。会ったら面倒見てやってくれ、なんて伝えておいたんだけど。……どうだった?」

「拳で殴り合ったり、ナイフを投げられたり斬りつけられた」

「あっはっは! そりゃアニキらしい!」

「笑えないよ!」


 何がそんなに面白いのか、父は両手を腰にあて、背筋をぐんと反らしたままで青空へと笑い声をあげはじめた。ツボに入ったのか、あるいはおかしくなったのか。




「笑えないのはこっちだってば! 本物の剣でやり合うなんて、お兄ちゃんもお父さんも何考えてんのよ。死んだらどうするつもり!」


 ミリアの雄叫びが轟いた。玄関手前のウッドデッキで観戦していたミリアが肩をいからせながらにズンズンと近寄ってくる。

 きっつい顏で見上げた彼女の顔には表現に困るかねる力があり、わたしも父も「あ~……」と言い訳がましい声をあげて目線を逸らした。なんて眼力だ。

 

 まあまあ、と嗜める声が横から割り入る。

 ウッドデッキに置いたロッキングチェアに腰を下ろし、子供のようにゆらゆらと体を揺らして振り子じみた動きをする椅子を大いに楽しむ白ローブの女。

 イルミナがパチパチと拍手を叩き、

 

「はっはっは。いいじゃないかミリア。これもまた親子のコミュニケーションだ」

「イルミナ師匠もそうやって! 危ないものは危ないですよ!」


 真昼間から瓶詰のエール酒を煽って日光浴を楽しむ人物を師匠と仰ぐか、妹よ。

 およそ五本目の酒瓶を足元に下ろしたイルミナの顏はちっとも赤らんでいない。


「ボンクラ親父もボンクラ兄さんもそこら辺は分かってるさ。お互い素人じゃないんだ。我々は剣闘士のショーを見るような気持ちでクッキーをかじっていればそれでいいし、それが正解だぞミリア」

「でも……」

「心に余裕をもて。何に対しても寛大でいなければ胃に穴が空いてしまうぞ?」


 あんたが言うか。

 自分の行いを振り返ってみろとわたしは指を突きつけて言ってかましてやりたかったが、あの飲んだくれを慕ってやまない我が妹の前でそんなことは出来なかった。

 もしやイルミナはわたしが今この場では強く言えない事情を分かってて言ったんじゃなかろうな。

 視線を感じ、目が合った彼女がにやりと意味深な顔をする。

 やっぱりか!

 

「ほら皆。お茶持ってきたわよ」

「ご苦労だリディア」

「師匠はもう。何かおつまみ作りましょうか?」


 母が面倒をかける我が子を見るような困りながらも嬉しそうな顏をする。

 弟子というのはいずれ従者になるのか? それならわたしは今後遠慮したいのだが。

 

「いや……今はいい。お前も夫と息子の決闘でも見ておけ。骨休みは大事だぞ」

「でも洗濯が……あら師匠。どうして嬉しそうな顏してるんですか?」

「いやあ」


 のらりくらりと言葉を躱し、本音という本音を中々言わないような彼女には実に似合わないことを言う。

 

「たまにはこういうのもいいじゃないか。一家団欒。おだやかなこの時間がずっと続くのならば、私にとってこれ以上の幸せはないよ」

「……師匠?」

「ふうむ。実に良い。願わくば、この時間の続かんことを……」


 イルミナはもう、それきり何も言わなかった。

 

 



 西の森に夕陽が溶け落ち、玄関先の照明にぽっと明かりがともった。

 この頃にはわたしも父も汗みずくになり、体力の差などもう関係なく、お互いに肩を落として荒い息を吐いていた。

 

 わたしの肩を掴み、鏡写しのようにそっくりな父が満面の笑みで言う。

 

「でかくなったな、ユリウス。お前はもう立派な男なんだな」

「……父さん」


 なんだか目元が熱くなってきた。気付かれるのが無性にイヤで、わたしは父の後ろへと視線を流した。バレているだろうけど。

 

「嫌だな。らしくないことは言わないでよ」

「父親なんだからこのぐらいはいいだろ? さ、家に戻ろう。お前の旅の話を聞かせてくれ。それとビヨンちゃんとアルルちゃんのどっちを選ぶんだかもな」

「どっちも無いでしょ。二人は友達なんだから」

「また、こいつ! 美人どころ二人とお近づきの男が綺麗ごと言うな! リディア! 今夜は皆で飲むぞ!」


 エプロンに両手を突っ込み、母がからからと楽しげに笑う。

 息子の成長が嬉しいのか、久々に一家で過ごす時間が楽しくて仕方がないのか。

 母の顔は少女のように花咲いていた。

 

「じゃあ今夜は腕によりをかけなきゃね。ミリア、手伝ってくれる?」

「しょうがないなあ。お兄ちゃんも手伝ってくれるなら」

「だって、ユリウス?」


 幸せな時間だった。心が満ち、穏やかな充実を感じる。

 わたしは父を振り返り、彼を招く。

 

「たまには父さんも料理しなよ。今日は皆でやろう」

「おれも? しょうがないな。普段は封印していた実力を見せてやろう」

「楽しみにしとくよ」


 互いに肩を何度か叩き、今日という日を親子で分かち合う。

 アーデルロールが旅立つその日までわたしはこの村に滞在するつもりだった。

 それは明日か明後日か。

 正確な日は分からなかったが、その日まではこんな何てことない日々を過ごそうと、わたしは浮き立つ心に刻んだ。

 

 

 

 大気がふっと割れたように思った。

 風が普段と違う、と感じたのは一瞬のことだ。

 

 忽然と現れたそれ(・・)は、父の背後に着地した。

 

 上空から音も無く飛来したそれ(・・)は銀の騎士鎧を全身に纏っている。


 騎士兜に隠された顏。

 左手の盾。

 腰に下げた剣の鞘。

 着地の風にひるがえる、背中にまとった深紅の外套。

 

 何が起こったのか分からなかった。

 当惑に頭の中が白一色に満ちている。

 あっと驚きの声をあげようとするが、騎士の挙動はそれよりも遥かに素早い。

 

 騎士が腰に手をやり、剣に指を掛け、刹那の間に抜剣を果たす。

 

 銀騎士が――、


〝ウル〟が抜いた剣の一撃があらゆる一切を吹き飛ばす。

 

 

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