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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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085 食えない女


 王との対話を終え、部屋を出たわたしは自分の手の平を見つめた。

 頭の中で何度も繰り返して響く言葉を今一度、冷静に飲む。

 

『〝夢幻の旅人の紋章〟 イルミナ・クラドリン』


 レオニダス王は世に数少ない神代の力――〝紋章〟の所有者を列挙し、

 どういう訳かその中にイルミナの名を挙げた。

 

 中にはギュスターヴや高名な北の〝四騎士〟の名も含まれていたが、

 彼らについては分からないでもなく、予想の範疇だとも。驚きは少ない。

 

 しかしイルミナ・クラドリンとなると話は別だった。


「何だってあの人が〝紋章〟を……?

 彼女が所有者だなんてまるで気付かなかった」

 

 真正面のサンルームへ続く扉――イルミナが帰宅を果たした今では彼女の自室だ――へじっと視線を注いだ。

 日当たり良好に過ぎるあの部屋で白い魔女は今も怪しげな何かをしているのだろう。

 いや、今はもう『白い魔女』の名では済まない。

 

 使いようによっては世を滅ぼし得るとされる力――〝紋章〟の所有者だ。

 彼女が己を指して『大魔法使い』と称するのに今更に合点がいった。

 

 強力無比な力を持っているのならあの大言壮語も納得がいくともさ。

 

「〝紋章〟……〝太陽の瞳の紋章〟、か」


 わたしの両目に宿った紅蓮を指し、レオニダス王はそう呼んだ。

 老王の顏は嘘偽りのない感嘆を映していて、彼が呼んだ名が真実だろうことも分かる。

 だが……肝心の能力は分からないままだった。

 

 あの後、王は「〝紋章〟には固有の能力がある」と言った。

 

 ギュスターヴであれば雷を自在に操り、

 メルグリッドならば〝巨人の拳〟の名に恥じぬ膨大な膂力を得るという。

 

 わたしの太陽の瞳は一体何を映し、何を見るのだ?

 自分のことだというのに知らないことが今更に怖かった。

 唯一知り得るのは、わたしではない誰かがこの肉体を奪うことだけ。

 

 不用意には使えない。

 伏せてはいたが、〝紋章〟所有者であるイルミナならば何かを知っているだろうか?

 わたしはリビングの椅子に腰を掛け、じっと考えに耽った。

 


◆ 



「あら、帰ってたの」


 背後から声を掛けられ、思わずびくりとした。

 振り返った先には玄関口があり、開け放たれた扉に懐かしい二人が立っていた。


「ついさっきね。ただいま、母さん、ミリア」


 父も母も姿に変わりはなく、妹のミリアも相変わらず生意気なまま。

 半年そこらで垢抜けた顏になっていたらわたしは落ち込むだろうな、とぼんやりと考えてしまうのは兄心だからだろう。

 

 母と連れだって買い物に出かけていたミリアは、

 自宅のリビングに腰掛けていたわたしを見るなりに母の背中に素早く隠れてしまう。

 

「か、かかか帰ってくるんなら連絡のひとつぐらい寄越しなさいよ!?」


 大声でどやされたわたしは「ごめん」の一言。

 わたしの帰郷を父は知っていたはずなのだが、彼は身内に伝えなかったのか。

 母は記憶のままの穏やかな微笑みを口元にたたえて言う。

 

「おかえり、ユリウス。

 随分ガッチリしたわね。フレッドと同じぐらい?」


 栗色の髪を揺らし、小首をかしげた母がわたしを見た。

 興味津々がだだ漏れな目線。

 例えるなら、散歩に行く気配を察知した飼い犬のように熱心な視線を注いでいる。


「ただいま。ううん、どうかな?

 気にはなるけど、父さんと筋肉を競い合うのは遠慮したいよ」

「お母さんは見たいけど……」


 そうは言うがわたしはイヤなのだが。


「私は絶対(ぜ~ったい)にイヤだからね! やるんなら風呂場でやってよ!」


 食糧庫に食品を片っ端から詰め込んだミリアは、

 母譲りの緑の瞳で兄をキッと睨み、矢のような素早さで二階へと駆け上がってしまった。

 

 するつもりは毛頭無いのだが、何故にミリアはあんなにも強烈な拒否反応を示すのか。呆気にとられて立ち竦むわたしの心中を見抜いたのか、母はくすくす笑い、

 

「年頃ってやつだから気にしなくていいからね」

「どういうこと?」

「思春期よ。色んなことが気になるの。

 特に父親とか兄なんかの家族の男は嫌になっちゃったり。

 最近は『お父さんと同じ洗濯カゴで洗わないで!』なんて言うんだから。

 母さんははいはい言った後に黙って洗って渡してるけどね」

 

 思春期。青い春。

 そういえばコルネリウスも同じようなことを言っていた。

 十代の男女が寝食を共にすれば色々あるし、色々思うと。

 

 だが旅を越えてもそんな思い出はほとんど無い。

 体のラインの目立つ女性には度々目を奪われたことは認めるが、

 幼馴染のビヨンやつい最近に再会したアーデルロールを見ても何も思わない。

 やましい気持ちよりも友人に会えた、あるいは一緒に居るという嬉しさが勝るのだ。


「……よく分からないかも知れない」 

「ユリウスは思春期を飛び越えてジジ臭くなっちゃったから関係ないかもね」

「ジジ?」

「ごめん。大人っぽい、に言い直すわ」

「もう遅いよ。母さん……」





 帰郷の日の夕食の席は人生でこれ以上無いぐらいに賑やかなものだった。

 わたしの家族は当然としてコルネリウスとビヨンの家族までが同席し、

 何食わぬ顔で居候を再会したイルミナは当然としてアーデルロールらの姿までがあった。

 

 埃まみれの物置から引っ張り出した机でどうにかダイニングテーブルを新調し、平たく伸びた食卓の端にレオニダス王が腰を掛けた。

 場にはある種の緊張があり――熊のように大きなギュスターヴが張り詰めた顏をしていたからかも知れないが――、当初は慣れない厳格な雰囲気のままで食事の音頭を父が取るのかとも思ったが、意外なことに役目はレオニダス王が負った。

 

「皆のもの!

 若く、希望に満ち、人生の色彩を知ろうとする若者らが今故郷に戻った!

 彼らの顏を見よ!

 わしよりもちいとばかりシワが少なく、少しばかり年若く溌剌とした彼らの顏を!


 旅は彼らにまっこと良き経験を授けたようだ。

 古来より酒の肴は心の踊る冒険譚と決まっておるでな。

 皆、今宵は彼らの口が疲れ切るまで楽しもうではないか!

 

 今日この時は誰しもが友! 垣根無く、語り合おうぞ!

 では――乾杯っ!」

 

 グラスが高らかに鳴らされ、それはギュスターヴの緊張を解く音でもあった。

 

 

 

 それから一時間。

 皆がある程度の酒気を帯び、口が滑車のように廻りはじめた頃である。

 

「一年も経っていないってのに我が息子はほんっとたくましくなったわねえ。

 フレッドがおっさん染みてきた分、ぶっちゃけて息子の方が格好いいわね」


 とんでもないことを母が言う。

 冗談なのは分かっているが正直うすら寒い。

 

「おいおいひどいな。まだおっさんにはなってないって。なあ?」

「そうか?」


 とギュスターヴ。彼はとっくに笑顔をこぼしている。

 彼は旧友フレデリックの顏に指先をつきつけ、獰猛な顔を笑みに歪めて言う。


「無精髭。顏に浮かぶうっすいしわ。もう若くないぜ、フレッド」

「二百年生きてるギュスターヴに『齢食ったな』なんて言われても響かないよ。

 ところでそっちは今いくつなんだ?」

「数えてねえ。多分二百五十じゃないか」


 半分どころか人間をやめてるプロフィールだな、と傍で思うわたしである。

 混血は長命の傾向が強いとも聞くが、それだってギュスターヴはとりわけて長命だ。

〝四騎士〟の血を引いているのが関係しているのだろうか? 分からない。


「でも父さんは白髪が増えたよ」ぽつりとわたしが言う。

「嘘だろ!? リディア、鏡!」


 そんなもん無いわよ、とでも言いたげに母が片手を振り、酒をさらに煽る。

 つまみはとっくに平らげられていて、レオニダス王の音頭の通りに話しが酒の肴となっていた。

 いや、机の端の小皿にハムロールがあるじゃないか。

 手を取ろうと身を乗り出すと何者かの手が先んじた。

 

「よっしゃ、最後の一個。やったね」


 食糧として見繕った小動物のとどめを刺した顏をしてコルネリウスが実に嬉しそうに言う。わたしの恨めし気な視線にはまるで気付かなかったが、アーデルロールに首根っこを掴まれ上体をぐらぐらと揺らされる我が友。

 

「それあたしも狙ってたんだけど?」

「もう食っちまったから無いって! 名前書いとけ!」

「そんなもん食えるわけないでしょ!?」

「じゃあ諦めろって待て、すごく締まってる。これはまずいって。ほんとに。頼む!」

 

 助け舟を出そうとは思わなかった。

 

 


「父さん、そんなに真剣に悩まなくても……」

「参ったな。道具屋のおやじに白髪染めを頼むか、もしくはイルミナにちょちょいと」

「絶対止めた方がいい。気にしないで、似合ってるよ」

「父さんは嫌なんだ! お前だって日焼けしたクセに。遊び人になっちまうぞ」

「? 健康的だと思ったんだけど」

「まあな! その他にも筋肉質になったり目つきがたまに鋭くなって大人っぽくなったり……何てこった。息子に言い返せないとは思わなかった」

 

 無事な左腕でちびりちびりと酒を進めていたレオニダス王がとうとう大声で笑う。

 重く、しわがれた声だが奥底には若さと陽気を感じさせる楽しげな笑い。

 彼は身なりこそ老人だが、その実の内面は大いに若いようだ。

 

「ハアッハッハ! 愉快だ! 

 フレデリック・フォンクラッド! 面白い、お主は実に愉快な男よ。

 共に旅を共有出来た息子、アルフレッドが羨ましくてならんわ。

 籠の鳥であったあやつの事だ。さぞや楽しかったろうなあ」

 

 赤い瞳が遠くを見ているのがすぐに分かってしまった。

 北の皇太子、アルフレッド。

 王が儲けた大勢の子の内で唯一生き残った男児にして、アーデルロールらの父。

 

 わたしの父、フレデリックと共に二十年前の災厄<ミストフォール>を退けた彼もまた語られぬ英雄の一人であり、同時に〝聖剣〟の次期継承者だった。

 

 だが、ルヴェルタリアが堕ちた今、彼の消息は一切が不明だ。

 いや……国一つが霧に飲み込まれ、没したのだ。

 一個人が生き延びることなど到底……。

 

「あいつは生きてますよ、王」


 希望の声があがる。父だった。

 彼は青い眼差しを紅蓮の王へと向けて言う。

 

「おれには分かるんです。あいつは無事だ。どこかで必ず生き延びている」

「ほう?」

「あいつとおれは二刀一対の剣をそれぞれ持っていましてね。

 剣には宝玉がはめられていて、片割れが潰えた時には残った片方もまた輝きを失う。

 その剣は今もまだ光っているんです。なら、あいつはどこかで生きてるに違いない。

 それに……アルフレッドに先に死なれちゃ困る」

「それはどうしてだ」

「簡単な話です。おれとあいつは三百戦三百引き分け。

 まだ勝負がついてないんですよ。白黒つけなきゃ、お互いに終われない」

「……本当にあれは良い友を持った。〝悪竜殺し〟の言葉、信じてみよう」




 夜が更ける頃にもなると酒宴も終わり、それぞれがそれぞれの場所へと戻って行く。

 コルネリウスとビヨンは林道を通って村へ。

 レオニダス王を始めとしたルヴェルタリア王国の面々は居間へ。

 

 母とミリアが片付けに追われているのを横目にし、

 食後の茶をすする魔法使いへとわたしは単刀直入に切り込む事に決めた。

 

「話があるのですが」

「『師匠』をつけろ。あれは心地良い響きだった」


 鈍器の特性を得ている分厚い魔法書から視線をちらとも動かさずにイルミナは言う。

 

師匠(・・)。王から聞きましたよ。あなたが――」

「〝夢幻の旅人の紋章〟。

 そうとも、私は世にも希少な〝紋章〟所有者の一人だ。

 おいおい。どうして教えてくれなかったんだ、なんて顏をするなよ。

『力を持つ者は狙われる』の原則だ。私はおいそれと言いふらしやしないんだ。

 お前と同じようにな。〝霧払い〟の瞳を継いだ男、ユリウス・フォンクラッドよ」

「……!」


 やっぱり、気付いていた。

 抜け目のない女だ。飄々とした態度の裏で光らせる目は誰よりも鋭いらしい。


「お前の力の正体について聞きに来たのだろうが、悪いがお前の質問の答えを私は持っていない。

〝紋章〟は語らないが、所有者はいずれ必ず知るのだ。

 自分に宿った運命を。正しい力の使い道を。

 逸ったところでどうにもならん。すっぱり忘れてさっさと寝ろ」

「言いたいことは分かりますけど、もうちょっと何か――」


 やかんの湯が沸騰する音が甲高く響いた。

 キッチンの母が蒸気の音に負けないように大きく声を張る。

 

「師匠~っ! お茶沸きましたよ! おかわり要りますよね!?」

「おうとも。次は風呂の支度をしておいてくれ、お前の息子が入りたがっているぞ」

「お兄ちゃんは自分で身の周りをやりなさいよ!」


 ミリアが皿を洗いながらに兄をじろりと睨む。

 なんてことだ。巻き添えじゃないか。

 

 顏を向けるとイルミナは「もう取り合わん」といった意味合いの表情をしていて、

 わたしは自室へと引き下がろうとつま先をひるがえした。

 と、その時だった。

 

その右手(・・・)、見たところ随分と重たい火傷だな。お大事に」


 視線もあげずにイルミナが言う。

 わたしは右手をポケットに突き入れ、人目を避けるようにして階段を早足で登った。

 

 

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