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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
86/193

083 北の王


 相変わらず大きな手をしていると思った。

 背が伸びるにつれてわたしは父の生き写しのように育ち、実際の話、寝ぼけた頭で鏡を見るとそこに映りこんでいた顏にぎょっとした経験が何度もある。

 

「ただいま、父さん」


 そう言って握り返した彼の手は子供の頃からよく知っている父の手だった。

 大きく、硬く、厚い男の手。

 若い日に剣を振るい、悪竜を倒し、以来南方に在り続けた、語られぬ英雄フレデリックの手。

 

「背丈は父さんの方がまだ大きいか? でも……お前は成長期か。

 参ったな、追い抜かれるのは避けたいんだけどそうもいかなそうだ」

 

 フレデリックが実に懐かしそうな声音で言う。

 彼はそっくりの青い瞳でわたしを見つめ、

 

「しっかし顔もよく似てきた。

 実はドッペルゲンガーがうちに向かって歩いてきたかと思って正直ビックリしたよ。

 回れ右で家に飛び込もうかと思ったぐらいだ」

「大袈裟じゃない? ところでドッペルゲンガーって何?」


「どこぞの都市伝説、眉唾成分をたっぷりに含んだ作り話だ。

 自分そっくりの人間に出会ってしまうと死ぬ、あるいは死の前触れだという不吉な伝説だよ。さて退いた退いた」

 

 列を割ったイルミナがずいずいと前へと飛び出し、玄関先に荷を放り投げた。

 ぶつかった拍子に本や小道具がいくつか飛び出したが、彼女は構いもしない。

 

「帰郷を果たした息子との語らいは楽しくて仕方がないのだろうが、それらは夕食時にしておけよ、フレデリック。今の自身が負った責務を忘れるとは……やれやれ。

 姫殿下を王の許へと連れていってやれ。

 彼女はこれ以上一秒たりとも待ち切れない様子だぞ」

「いえっ! そんな事は――」


 はっとした顏をしてアーデルロールが否定する。

 彼女はとっさに下唇を噛み、感情の吐露を自制する顏を見せてから、

 

「――フレデリックおじ様。

 私は幼少の頃のアーデルロールではなく、ルヴェルタリア王家の生き残りとしてこの場へと参じました。

 どうか我が王の許へと案内をしていただけませんか?」


 静かな口調が風に乗った。

 自分はもう、あなたの昔日の思い出に居る少女ではないのだと主張をするようだった。


 フレデリックは少しだけ顏をほころばせたが次には身を引き締めると姿勢を正し、彼女へ向けて一礼を捧げた。

 それはわたしが抱く父のイメージからは相当に遠い、まるでらしくない慇懃な所作だったが不思議と彼には似合っていた。


 柔らかいが実直な堅さを兼ね備えた騎士然とした姿勢。

 フレデリックが言葉を選ぶようにまぶたを閉じ、それから言葉を吐く。

 

「レオニダス王とその朋友にして強壮の矛、〝王狼〟ギュスターヴは中に居られます。

 しかし……今の王の姿はひどく衰弱をしている。

 あなたが胸に抱く王の姿とはきっと違う。それでもお入りになられますか?」

「――……私の覚悟は、とうに出来ています」

「分かりました。では、どうぞ中へ」


 警戒をそのままにし、家へと踵を返したフレデリックの背中へと掛ける声があった。

 声の出所はわたしの足元。ラビール族の北騎士が胸を張っていた。

 他の騎士らも視線を正していて、剣を捧げた王家の一員であるアーデルロールに騎士としての在り方を見せつけるようである。

 

「フレデリック殿! 我々は村近辺の警戒へと戻ります!

 王と姫殿下の護衛の任、くれぐれもお頼みしますぞ」

「ああ、確かに承った。また後で会おう、北の勇者たち」


………………

…………

……


 大きな置時計。

 木彫りの机。

 磨き上げられた階段。

 家族写真の納まった額縁がいくつも飾られた壁。

 わたしが傷を付けてしまった床の傷はそのままで、誰が書いたのか日付が書き足されていた。


 キッチンには記憶にある皿が積み重なっていて、作りかけの食事がそのままで置かれている。芋を潰したサラダと厚切りのハム。母が忙しい時間を縫ってよく作ってくれた料理だ。


 リビングを見回したが、母と妹の姿はどこにも見当たらなかった。

 耳を澄ましてもみたが物音は聞こえてこない。


 人気の無さに、誰も居ない昼下がりの家へと帰ってきた日のことを思い出した。

 二人は不在なのだろうか? そういえば村に集まった野次馬の中にも家族の姿は見当たらなかったな、と今更に気付く。

 

 父はさして気にしてはいないらしく、リビングを足早に横切ると居間を兼ねた応接間へと続く、大きな四角いドアの前で立ち止まった。

 ドア枠にはわたしと妹の身長の記録が刻まれている。今更だがわたしは早熟だったようだ。

 

 父は鍮製のドアノッカーへと指を伸ばし、全員を見渡した。


「ここから先はアルル……んん、アーデルロール姫殿下とユリウスだけが招かれている。悪いが他の面々は待機だ」


 わたしが? アーデルロールだけならば話は分かるが、一体どうしてだ?

 招待状を受け取った覚えも無く、かの王との直接の面識は当然無い。

 父の言葉の理由が分からなかった。

 

「兼ねてからレオニダス王にそう頼まれていてな。伏せていて悪かった。

 皆はテーブルでも椅子でも好きに使って待っててくれ――ってちょっと、イルミナ!」

「……何だこれは。誰が私の家に結界など敷いた?」


 わたしは反射的に突っ込もうとした口を理性で留めた。

 言わずとも父が代役を務めてくれるに違いなく。

 

「いやいや、おれの家だからな? これは――」

「人除けの結界。それもルヴェルタリアに固有の式か。高度なパターンだな、面白い。

 王とギュスターヴ、どちらが敷いた? お前の妻(リディア)かとも思ったが、あれに繊細な技術は無かったな」


「ギュスターヴだよ。指を添えてちょいとね」

「ほう。槍を振るう筋肉ダルマかと思っていたが、存外成長しているらしい。

 面白いな。ふうん……。調べたいが後回しにするとしよう。

 私は部屋に引っ込むよ。ビヨン、久しぶりに茶でもどうだ?」

 

「うちは……」

「一度実家に戻ってもいいんじゃねえの。王様はアルルとユリウスに用があるんだろ?

 どれだけかかるかも分からねえし、俺はお袋に顏を見せときたいね」

 

 久方ぶりに訪れたわたしの家をぐるりと見回し、コルネリウスがそう言った。

 悩む顏を見せていたビヨンも最後には「そうだね」と頷いて、

 

「また夜に来ようかな。師匠、せっかくのお誘いなのにごめんなさい。

 良ければ夕食後にまた改めてお願いします」

「構わないとも。その時は弟子を集めて盛大にぱーっとやろうではないか」

「はい、是非!」

 

 挨拶をそぞろに済ませ、場を立ち去る二人の姿を視線で追いながら、わたしは何故自分が王に招かれていたのかと思案に耽った。

 父にしてみれば息子の考えなど表情だけで読み取れるらしく、

 

「理由は王が知っているさ。疑問も、お前の欲しい答えも得られるはずだ」

「……父さん」

「さあ。王がお待ちだ」





 こちり、と秒針が時を刻む音だけが響く静かな部屋。

 暖炉には火は灯っていて、かつて父が仕留めた獣の頭部の剥製が火の色を照り返している。

 家族の皆で腰掛けていたソファは部屋の隅へと寄せられ、代わりに簡素な白いベッドが部屋の窓際に備えられていた。

 カーテンレースから漏れる柔らかな光が部屋に射し込んでいる

 

 そしてベッドのすぐそばには椅子が置かれていて、とても大きな男が腰を掛けていた。その距離や佇まいは看病というよりは近辺の護衛役だ。不用意に近付けば一刀の元に殺す。そんな気概を彼は有している。

 

 その男の身の丈は二メートルを優に超え、肩幅は広く筋骨隆々とした体格は『戦士』そのもの。

 野生の狼を彷彿とさせる獰猛な顔付き。

 のぞく歯はややギザつき、彫りの深い目の奥には薄灰色の瞳がある。

 

 偉丈夫の名はギュスターヴ・ウルリック。

 北のルヴェルタリアのみならず、世に広くその武勇を知られた槍の大英雄にして〝王狼〟の名を継ぐ英雄の末裔。

 

「よう」


 椅子に座りながら太い腕を組んだままの彼はわたしとアーデルロールに視線をやり、短くそう言った。

 忘れようもない巨大な姿を目にするのは五年振りだ。

 再会の言葉を口にしたかったが、今はそんな場面ではないと考え、ぐっと飲み込む。

 

 

 アーデルロールはギュスターヴを見るとほっとした顏を浮かべた。

 村に現れたルヴェルタリア騎士を目にした時とは違う、生き別れの家族を前にした安堵の顏だ。

 だがそれも長くは続かない。彼女がベッドの上の人物を視界に入れ、感情をひどく揺り動かされたからだ。

 



 刺繍に飾られた群青色の王衣を着た男。

 顏は平たく、老齢らしく相応のしわが刻まれてはいるものの相当の活力が表情に宿っている。

 豊かな白髪は波を打ち、後ろへと流したその風貌はさながら獅子のようだ。

 それもそのはず。この男の二つ名は〝雪獅子〟と言うのだから。

 こめかみからあご先へと続く、豊かな白いひげの上で男の口がそっと動く。

 

「アーデルロールよ。王都の難をよく逃れた」

「お爺様……。

 アーデルロール・ロイアラート・ルヴェルタリア。ここに参じました。

 王も……ご無事、で……」

「ふっはっは。良い良い。ここは玉座ではないのだ、飾らぬ言葉で話すが良い」


 ルヴェルタリア王にして〝聖剣〟の所有者――レオニダス王がそう言って笑う。

 アーデルロールは恥じ入る顏を束の間に浮かべたが、次には驚きの顏に変わっていた。

 視線を追い、わたしもそれに気付く。

 

 暗さを散らすようにして片腕を振るうレオニダス王だが、彼の右腕の肘から先は白い包帯が幾重にも巻かれていて、何事かの紋様が描かれた呪符が無数に貼りつけられていた。

 

 アーデルロールは抱いた疑問を咄嗟に言葉に乗せた。

 

「お爺様! その腕は一体どうなされたのですか!?」

「呪いだ」


 王は特に感情を含まない、そっけない口振りで言った。

 まるで少しばかり擦りむいただけのように。


「生き残ることは出来たが、やはり無傷というわけにはいかなくてな。

 アーデルロールよ。わしが〝霧の大魔〟とやり合うたという話は知っておるな?

 ちと不意を突かれてな。腕を掴まれ、この始末よ」

 

「アルル」


 ギュスターヴが重い声音で言う。彼の声は部屋を這うように響き、

 

「お前がどうやってルヴェルタリアから逃れたかは、フラメルが飛ばした伝書鳩の手紙から把握している。ご苦労だったな。

 お前が生きていなけりゃあ、何もかもが積みだった。

 幸運と善神の采配に感謝する。……本当にな」

「……積み? どういうことよ?」


 寝台に座ったままの王が咳払いをひとつ上げる。

 彼は水瓶に直接口をつけると唇を潤し、


「長く話をしたいのは山々じゃが生憎と時間が無くての。

 わしが〝大魔〟に受けた呪いは右腕のみならず、全身に回っておる。

〝聖剣〟の光気によって呪いの進行は極めて遅くなっておるが……もう長くはないだろう」

「……王」


 ギュスターヴが顏を俯かせた。

 旧来の友との別れを惜しむように、心からの無念の声を彼はあげた。


「他ならぬ自分のことだからな、ようく分かるのだ。

 今すぐ朽ち果てるという話ではないが、死ぬる前に次代を担う者らへと語っておかねばならんことがある。

 アーデルロール。そして――ユリウス・フォンクラッド。

 お主ら二人は、これよりわしが語る話を胸にしかと刻みつけねばならん。

 

 知れ。北で起こった戦いを。

 そして覚悟せよ。これから先、お主らを待つ運命を」

 

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