081 禁術
「私がお前に授ける魔法とは<物質の魔力変換>。
まず前提として、だ。
この世界のあらゆる物質は〝マナ〟と呼ばれる、目には見えぬほどに極めて微細な魔力粒子で構成されている。
例えばこの馬車や窓の外で槍を振り回すノッポに楽しそうな王女殿下といった人間、山や海に木々に雲。一切のものは〝マナ〟の集合体である。
言ってしまえば、世のあらゆるものが魔力の塊だ。
物質は形を失えば〝マナ〟へと変じ、いずれ形を得る時まで空中を漂い続ける」
「〝マナ〟は今この場にもある、と」
「そうだ。
我々魔法使いは魔法を扱う際には、身の内に宿した魔力を用いるのが常だがお前という男の魔力の量は非常に少ない。
これは異常であり異例。興味はつきないが、今は置いておく。
で、だ。
元が少ないのであれば、世界に漂う〝マナ〟を利用して不足を補うとしようじゃないか。
端的に言ってこれは力技だ。
特殊な魔法式を用いて物質に干渉し、強制的に分解、〝マナ〟へと転化をさせた後に自身の内へと取り込み、己の魔力として用いる。
これを考案した魔法使いもまた、魔力の少なさに苦悩したらしい。
元が少ないのであれば次から次へと代用をすればいい、という発想を根源とする、優れた智慧の産物だな。
さて、先にも言ったがこれは極めて特殊な魔法だ。
何しろ<物質の魔力変換>という技は、世に十三ある魔法属性のどれにも属さない。
純粋な魔力で物質に変化を働きかける、魔力の精細な扱いだけを求められる技術。
その習得は容易ではないが、特別だ。この私が手ずからに教えてやろう」
一度語り出せばイルミナは止まらない女であり、説明役にふさわしい役者だった。
聴衆が関心を持てば持つほどに彼女の弁舌は熱を帯び、上向いた機嫌によって寛容にもなる。
「質問があるのですが……分解された物質はどうなるのですか」
「分解だからな。文字通りに跡形も無く消え去るよ。
試しに披露をしてやる、この小瓶を見ていろ」
悪臭を漏らす小瓶を手の平に載せた。イルミナはぶつぶつと小さく言葉を呟き、冷たい視線を手に注いでいる。
と、銀の小瓶が身震いをするように小さく震えると、無数の泡となって形を失い始めた。泡は周囲へと拡散をしていく。
そうして小瓶はわたしの目の前で消失した。この間、実に二秒足らず。
「……すごいな」
「――<物質の魔力変換>は、長い魔法史の内でも最大級の禁忌だ。理由は見ての通り」
イルミナはローブで手をぬぐい、憂鬱そうな視線を窓枠の外へと注いだ。
肘掛を支えにして頬杖をつき、細めた目で遠くを視る横顔は不思議と知的に見える。
「魔力さえ通せばあらゆる物質を虚無へと還す、滅びの技。
理屈の上では文字通りに世界とて消去しうる強力過ぎる禁術だ。
考案した人物は当時の魔術院により粛清の執行対象に指定、間もなく始末をされた。
故に、禁術がこれ以上の発展を見せることは無かったが、英知の断片だけは残された。
禁術へ至る道程を記したノートや記録は滅びの種子だ。
魔術院は文献を密かに回収し、身の内に秘した。
それは院の奥の奥。
誰も知らぬ最奥、名さえも与えられぬ暗い書庫の鏡の部屋にひっそりと眠っていた」
飄々とした態度を基本姿勢とする彼女をこうまで真剣に語らせていることが、<魔力変換>の危うさの裏付けでもあった。
と、これだけ危険極まる魔法をイルミナはどこで知ったのだという疑問が浮上する。
話のままであるならば、おおよそ誰の目にも触れぬ場所にこの技術は眠っていたのではなかったか?
「あの、師匠はどこでこれを知ったのですか?」
「ウィリアンダールで冒頭を読み、残りはお前の家で紐解いた」
「僕の家ってどういう……まさか持ち出したんですか!?」
「おいおい人を盗人みたいに言うんじゃないよ」
この女――わが師、イルミナ・クラドリンが追放された原因はこれに違いないとわたしの勘がわめいている。
人聞きの悪いことを、と澄ました顏で言ってくれる。
盗人猛々しいという言葉を地で行く人物だ。
彼女の主観によると、
「怖い顔をせずに聞いてくれ。
秘密の通路を見つけ、奥へ奥へと進んでいくと何やら大事にしまわれた本がある。
好奇心を刺激された私は魔法封印を力尽くでぶち破り、中をぺらぺらと見ると滅多にお目に掛かれない貴重な魔法文献ではないか!
ただの数分間の立ち読みであったが、私はもう書物の虜となってしまった。
侵入者対策として放たれる骨肉を焼き、魂を焦がす熱線を避けながらに読み解くのは難儀と思い、私は禁書を小脇に抱え、ついでに面白そうな諸々を荷入れに放り、魔術院を後にしたのさ。
言っておくがこれらは借りただけだ。
貸出カードは貰っていないが、何、用が済めば元の場所に戻すつもりだから安心をしておけ」
「僕の実家で進めていた作業というのは、もしや盗品の研究ですか」
「ご明察だ」
何てことだ。
魔法界の重犯罪者と同じ屋根の下で暮らしていたとは!
よくもわたしの家に暗殺者の類が入ってこなかったものだと、今更ながらに冷や汗が首筋を伝う。何年越しのものだ。
「お前はもう禁術<魔力変換>を知ってしまったのだ。
今更そんな顏をしても遅い。私と同じ、執行対象(に片脚突っ込んだだけだが)だ。仲良くしてくれよ」
「軽率だったあ……! なんて馬鹿なことを僕は口にしたんだ!」
「……何だかショックだな。
まあいい、この技は今後のお前には必要不可欠な技術には違いないだろう?
家へと変える道中、お前とビヨンの面倒を見る他には昼寝と雲の数を数えるぐらいしかやることがないのだ。
潔く諦めて私の教えを受けるといい」
「くっ……分かりました」
「うむ、素直がよろしい。そうだ、注意点を一つ」
相変わらず頬杖をついたまま。教鞭をとる人物とは思えぬ態度で、
「分解の対象に生物は選ばないことをおすすめする」
何故だ?
わたしが彼女に一発かますかも知れないとでも思ったのか?
「その前に私がお前を無に還してやるとも。
<魔力変換>は分解と同時に自身に取り込む技。
石や土といった無機物なら構いやしないが、
人間や獣などの生物を相手に使えば〝マナ〟のみならず、相手の魂さえもを取り込むことになる。
魂――意思が混じってしまうというのは悲惨だぞ?
自分が自分で無くなり、ともすれば他者に乗っ取られる危険もある」
「見てきたようなことを言いますね」
「……まあな。これでも経験は豊富でね。
例えば狼の魂と混ざってしまうとしよう。
するとお前は満月の度に遠吠えの衝動に駆られ、ひどい時には他の人間が肉として認識するようになる。
お前がユリウス・フォンクラッドという人間を辞めたくないのであれば、分解の対象は慎重に選ぶことだ。胆に銘じておけよ」
と、馬車の扉がおもむろに開かれ、コルネリウスが顏を出した。
彼はイルミナとわたしを交互に見ると少しだけ間を置いて、
「どこ行ったかと思ったらここに居たのか。
『審判が居ないわ!』ってアルルがふんぞり返ってんぞ、って――臭っ!? なんだこの臭い!?」
きっと小瓶が残した匂いに違いない。
当の魔法使い殿は何も言わず、ただただ愉快げな顏であった。
………………
…………
……
そうして馬車は平原を往く。
昼夜の別無く、車は走り、遅れを取り戻すように南下を続けた。
離れていた時間の隙間を埋めるようにしてアーデルロールと語り、寝食を共にし、一週間は矢のように過ぎていく。
風景の端々に見覚えのある山や川、街々が次第に見え始め、
「見えました。<リムルの村です>」
と、御者が声を張った。彼もまた旅の終着に昂ったのか、声音が上ずっている。
扉の外には見慣れた街。見慣れた丘。見慣れた街道。
幼少の頃の記憶が鮮明に蘇っていく。かつてのわたしはこの地で育ち、時を過ごした。
「懐かしいね! すごいなあ、全然変わってないや」
「半年そこらで様変わりしていたらそれはそれでショックじゃない?」
わたしたちが落ち着きを失い、思い出を口にする中でイルミナだけは静かなままだ。
彼女はややうつむき、気を払っていなければ聞こえないような小さな声でぽつりと言う。
「とうとう辿り着いてしまったのだな」、と。




