079 いざ故郷へ
わたしたちを運ぶ馬車は段取り通りに南門の前で待機をしていた。
一般のそれよりも二回りは大きな車体。全体をつやつやとした黒色で塗りたくられていて、ある種の威圧感を放っている。
仕立てや装飾も段違いに整えられていて、日頃目にする幌馬車とは一線を画していた。
例えるならば、王侯貴族が所有をする煌びやかな馬車。
毛並の良い白馬が二頭あるいは四頭で車を引き、車内では権力者が悠々と座席に座り、酒やら果実やらに手を付ける場面が容易に想像できるアレである。
こんな車に乗るような人物はおよそただものではなく、目にした誰もが所有者の正体に思いを巡らせるに違いない。
流石はフラメル・カストロ閣下。連邦首相の肩書きをもってすれば、値の想像さえも出来ない高級車を用意するなど造作もないようで。
ところで、だ。
わたしやコルネリウスのような、地図の端の端に小さく記されるような辺境出身の人間が。蛮族よろしくといった具合に原っぱで駆け回って日々を過ごしていた庶民の人間が、果たして高貴極まる馬車に足を掛けていいものなのか?
いやいや、と怖気づいた心の片隅を蹴飛ばす。
よく考えよう。片道かも知れぬこの旅の主役はアーデルロールだ。
わたしたちは彼女の護衛か道先案内人のようなものである。あるいは従者。
付き人ならば付き人らしく、同じ馬車に乗りこんでも良いだろう。
言い訳がましい性格が嫌になる。
わたしは雑念を振り払い、馬車を目指して歩を進めた。
豪奢な馬車の周囲には六人の騎士が立ち、野次馬をはじめとした無関係な人物が近付かないよう街道を睨んでいる。
その視線は氷のように冷たく、あるいは槍のごとくに鋭い視線であり、商いに精を出さんとして街道を往く行商人らはどうにも居心地が悪そうであった。
自分に後ろめたい過去がただの一つも無くとも、不思議と落ち着きを失ってしまうこの視線。お前には罪がある、と最初から決めてかかるこの態度は正直つらく、こちらに向けられたくないものの内でも筆頭である。
横を歩くコルネリウスは散々眠ったにも関わらずどうにも眠たげだ。
あくびを噛み殺し、ぼんやりとした眠い眼差しを南門へと向ける。ひい、ふう、みい、と騎士を数え、
「他にも誰か居るな。あれは……アルルか。こうして落ち着いてから見てみると何だか懐かしいな」
「そうだね。正直、今でも夢じゃないかと思うぐらいだけど、あのアルルは本物だ」
「だな。今更だがあいつの緑色の髪はえらい目立つって思わないか? 俺はこの旅の中で常々とだな……っておい、マジかよ」
目元をこすり、続けて凝視。彼は引き笑いを顔に貼りつけてわたしを見た。
「……あれ、お前とビヨンの魔法のセンセだろ? まさか一緒に着いてくる気じゃないだろうな」
「まさか、あの人は見送りでしょ。コールはイルミナが苦手だったっけ? いや気持ちは分かるけどさ」
「面と向かって『サル顔』だの『知性の欠片もない。お前に魔法は無理だ』と言うやつに好意をもてってのは無理だな」
「師匠が居るの? 師匠……師匠!? ししょーっ!」
恩師の姿を見つけた途端にビヨンが駆け出した。
とっさに後を追ったが何ということだろうか。わたしの健脚を持ってしても追いつけないではないか。
まるで主を見つけた子犬のような一直線の疾走。彼女らしからぬ俊敏さに驚きを禁じ得ない。
草原に少女の嬉しそうな声がひびき渡る。その声は魔法使いの耳にも届き、イルミナがゆるりと振り返った。
かつて手渡した帽子を大事に被り、輝くばかりの笑顔を浮かべる愛弟子へと両手を広げると、イルミナはいつものニマニマ顏をして、
「ビヨン! おお! 大きく……はなっていないか。まあ一年も経っていないし当然か。うむ、久しいな!」
「師匠っ!」
矢のような勢いでビヨンが体当たりをぶちかます。ずん、と鈍い衝突音が聞こえるほどの一撃だったがイルミナは少しも動じない。どころか笑みはそのままに、飼い犬の背を撫でまわすようにして少女の背をわしわしと手で掻き回した。
再会の喜び、ここに極まれり。
ビヨンの喜びようときたら、実家の両親と顏を合わせるよりも上なのではないかと思うほどであった。と、いうよりこれより上だとしたらどうしようか。わたしの家まで声が聞こえてきそうだ。
「じじょおお……」
「……何やってんのよ」
互いに手を取り、喜びを分かち合う師弟を横目に見たアーデルロールがやれやれと言った調子で肩をすくませる。わたしは彼女へと片手を挙げ、「おはよう」と挨拶を口にした。
草原の草葉に似た色味の髪を指でかき上げ、ニコリとした笑顔が返ってくる。
彼女は平然としていた。それこそ不自然だと思うほどの澄ました顏。
わたしは昨晩、アーデルロールの心境について思いを巡らせていた。
国と民を一挙に失い、大きな喪失感に苛まされているのではないかと。王都が潰えた一方で、自分だけは南方の地で生き延びてしまったアーデルロール。
彼女は今、心の内で何を思っている?
少なくとも――旅のはじまりを、手放しで喜んではいないことだけは確かだろう。
「おはよう。再会が夢じゃなくて良かったわ」
教養のうかがえる穏やかな笑顔をアーデルロールが浮かべる。
それさえもどこか作り物のようだった。まるで仮面だ。
と、わたしは彼女が自身を律しているのではないかと、そんな考えが脳裏をよぎった。
悪い報せを受け、彼女は大きなショックと喪失感に打ちのめされた。昨晩は嘆きもしただろう。
だが、彼女は決意をした。
ここで膝を突き、嘆くわけにはいかない、と。
霧から生き延び、北の地で未だに戦い続けている騎士たちに己の姿を――ルヴェルタリア王家の姿と炎の瞳を見せなくてはならない。
彼らの忠誠と勇猛に報いる為、そして災厄を払う為に何があろうと立たねばならない、と。
アーデルロール。彼女は〝霧払い〟の末裔だ。その細い肩にかかる期待と使命は並大抵のものでは決して無い。
「時間通りね。よろしい、遅刻したらタダじゃおかなかったわよ」
「それは幸運だった」
わたしは素知らぬ顔をして肩をすくめた。あくまで口調は冗談っぽく、だ。
「よう! 相変わらずだな、アルル。お嬢様らしくなっているかと心配したが、まるで王女っぽくなくて安心したぜ!」
「コルネリウス! あんた、相変わらずアホなのね!」
二人が互いの手の平をぱちりと打ち、不敵な笑みを浮かべている。
初対面の時を思い出さずにはいられない。あの時は直後に模擬戦という名の殴り合いへと、話の流れが転がってしまった。
が、そこはそれ。
まだまだ若いが伊達に歳は食っておらず、無茶は無い。
ふと目を向けると、王女の装いはがらりと変わっていることに気が付いた。
黒タイツを着込んだ上に胸当てを身に着け、白い外套で左腕と背の半分を覆っている。
銀色のガントレットは腰に下げた剣に触れていて、腿までを覆う黒革の長ブーツがすらりとした印象を見る者に抱かせた。
黒と白を基調とした剣士然とした出で立ち。
二刀を扱う彼女は長剣を腰に差し、左手で扱う短剣類は腰と腿のベルトにいくつか収まっている。
しかしまあ、なんとも様になっている。
『冒険者としてそこそこ名は売れてるけど、あんた知らないの?』なんて詰め寄れば相手が自分の無知を後悔しそうな具合にハマっていた。
馬車の陰から燕尾服を着込んだ男がわたしの名を呼び、歩み寄ってくる。
彼は丸まった羊皮紙を片手に持っており、慇懃な一礼に腰を折るとそれをこちらへ差し出して、
「ユリウス様。こちらが首相閣下がしたためました書簡にございます。
連邦領内で事情を知らぬ官憲に捕まるような場合にはこちらをお見せすれば問題は避けられるはずです」
「ありがとうございます」
「こちらの書簡、効力は絶大なものですが、くれぐれも乱用は避けられますように。
例えば器物損壊、家屋倒壊の補填に始まり、荒事の仲裁やましてや飲食の料金代わりに、とこれを使うようなことはお止め下さい。連邦首相は便利屋では……ましてやあなたの父ではありませんので」
「ええと……それは閣下が?」
「使用については念を押しておくように、と言付かりました。言葉の選択は私の趣味です」
「肝に銘じておきます……」
わたし個人へ向けて言ったのだとしたら割にショックであった。
権力に物を言わせて乱暴を働くわけでもなし。彼にはわたしがそんな人物に見えたのか? いやいや、まさか……。
「馬車の準備は出来ております。お発ちになる際には私にお声掛けください」
と、アーデルロールが強烈な視線でわたしを見ていることに気が付いた。
彼女は夕陽がごとき眩い瞳でわたしと馬車とを交互に見ると、平原の彼方を指で示した。『今すぐ出るわよ』の意味で合っているに違いない。
「実はもう出発をしようかと思っていまして。よろしくお願いします」
「分かりました。では私は御者へと伝えて参ります」
馬車の側面扉が開かれ、深紅のシートへと順々に腰を下ろしていく。
「汚したら怒られそうだな」と、わたし。
「馬車っつうか、こりゃ部屋だな。中で昼寝も出来そうだ」
「あんたの図体で寝っころがられたら邪魔で仕方ないわ。
シートを占領したら、扉を開いて草原に突き落としてやるからね」
「実行する前にせめて『起きなさいよ』の一言ぐらいはくれるよな?」
などとコルネリウスとアーデルロールがぎゃあぎゃあと騒ぎ、最後のメンバーであるところのビヨンが乗り込み――、
「随分と上等な馬車ではないか。
フラメルめ、見栄を張ったのか? まあ足になるならば何でもいい。
さあ、私はいつでもいいぞ。御者君! 出してくれたまえ!」
我が物顔でイルミナが言う。ビヨンは師の旅行鞄を両手に持ち、うんしょうんしょと必死な顔で車内へ持ち込む荷物運びの雑用に従事していた。
これには流石にわたしも物申すところである。
「いやいや。何であなたが来るんですか?」
「仕事が終わったからな」
「から、何ですか」
「仕事が終われば家に帰る。そうだろう? 他に何があるというのだ?
<リムル>へと向かう馬車が出るというのならそれに乗らない手はないだろうが。
しかも無料! そのうえ食事まで出るという! 最高だな。フハハ」
「いや、食事については何も聞いてませんが……」
「細かいことは後にしろ、ユリウス。
やんごとなき血筋の道連れが駄々をこねれば大概の要望は通るものなのだ。
ほうれ見ろ、お前がブツクサと言うから御者が困惑しているだろう」
「僕ですか!?」
「御者よ。こちらには構わず、出発したまえ」
目出し窓から覗いていた御者の男は、なんとも言い難い気の毒な顔を――見えたのは目元だけだがそれでも同情されているのが分かるぐらいであった――残し、馬に号令をかけると四輪一対の馬車を走らせた。
………………
…………
……
「大平原を縦断する際には街道を用いるのが常ですが、フラメル閣下からは到着を急ぐように命じられております。
ですので、今回は最短距離を全速で参ります。道中に悪路等々があるかと思いますがご容赦ください。
目的地である<リムルの村>までは……おおよそ一週間の道のりになりますでしょうか。
霧の探知機を搭載してはいますが、霧より逃げ切れずに魔物に襲われた際は皆々様のご助力をいただければ、と……」
出発をした当日。その昼食時に御者は言った。
草原の上に敷き布を広げ、皆で昼食を囲む光景はどこの家族がピクニックにやってきたのだと言いたくもなるような平和的な光景である。
馬車に炊事道具の一式が積み込まれているのを目ざといことにイルミナが見つけてしまい、わたしとビヨンに調理の役が回ってきた。
文句を言おうと結局はイルミナの舌に巻かれて、何とも言えぬ敗北感に打ちのめされるだけである事を知っているわたしは日頃そうしているようにちゃっちゃと食材を切り、煮込み、簡単な味付けをしてスープを作った。
最後に首都で買っておいたパン一斤を切り分けて作業は終了。楽な仕事だ。
御者の男は礼儀正しく礼を言い、コルネリウスは「いただきます」といつものように口にすると野獣のごとくにがっついた。
彼は調教済み、もとい舌については馴らしているので料理の味に今更文句を言うはずもない。
問題はイルミナとアーデルロールだ。
わたしはスープの皿を口に傾けながら、食器の縁からちらりと二人の顔色をうかがった。
二人は一口を含むとピタリと表情を凍りつかせた。アーデルロールはしばらく止まったが何かを諦めたのか、無言のままに食事を再開させた。
何かまずかったのかな、と思いつつスープをすすっていると「我慢ならん!」と何者かが声をあげた。いや、やはりというべきかイルミナ・クラドリンである。
彼女はずいと身を乗り出すと端正な顔を憎々しげに歪めてわたしを睨み、
「お前、この料理の腕で嫁に行けるとでも思っているのか?」
などという。
わたしが嫁に行くわけないだろうに。とうとう頭がどうかしたのかな。
「食べられればいいでしょう」
「くあ、何と残念な意見、主義主張の持ち主なのだ。この馬鹿弟子が!
一週も食事を共にするのだぞ? 私の好む物を作れ。味が濃いものをな」
「……何が好物なんですか」
「濃いタレをかけた焼肉をはじめとして、西方の香辛料を多々突っ込みかき回すことで完成をする【カレー】なるスープだ。あれは美味い。パンの供だか米のお供だか忘れたが、私はそういうのが好きだ」
「そんな材料がどこにあるんですか。具材があれば頑張りますが、無い以上は我慢をして下さい」
「ちっ……お前に任せるのならばアーデルロール殿下の騎士国料理でもいいのだが」
話の先を向けられたアーデルロールが返した言葉はただの一言であった。
「いいけど、あたしが料理を作って鍋が煙を吐かなかったことは一度も無いからね」




