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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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076 遠視、そして八柱の神


「連邦が知り得た情報をお聞かせしましょう。

 まず第一に、裏切りの〝四騎士〟は〝ウル〟の他にもう一人ありました。

 姫殿下には察しがついておりましょうが、その人物は〝魔導〟の二つ名を所有するドラセナ卿です。

 ドラセナは霧との戦闘の最中にあった十三騎士団を狙い、彼らの背後――つまり王国からになります――より、第四階位の内でも最上位に位置する雷の大槍を無数に降らせたのです。

 不意を突かれた騎士団の陣は崩れ、また、間隙を狙った魔物の猛攻によりルヴェルタリア軍は敗走に追いやられました。

 前線に立っていた唯一の〝四騎士〟。〝巨人公女〟メルグリッド・ハールムラング卿の生死は不明。また、ドガ様の生存も確認されてはおりません」

 

 とつとつと語るフラメル首相の報告だけが書斎にひびく。アーデルロールは膝の上で握り込んだ拳に視線を落とし、初老の男が語る言葉の一語一句を決して聞き漏らすまいと耳を立てていた。

 

「〝大穴〟より撤退した騎士団は王都へと戻らず、大陸東方の都市<フィナール>へと下がりました」

「良かった。皆は生きているのですね」

「ええ。無論、無傷ではありませんが」フラメルはあくまで事務的に冷たく言う。現状をアーデルロールへ伝えるのが己が役目だと。そう自分を律する彼は紙をめくり、


「撤退戦の際に背面より迫る魔物を抑えた勇者たちがありました。

 彼らは、栄光のルヴェルタリア騎士団をここで全滅をさせるわけにはいかぬ、とそう察したのでしょう。味方を逃がそうし、我が身を呈した。命を賭し、希望を未来へつなげる礎となったのです。

 情報では……〝巨人公女〟が殿(しんがり)の筆頭であったと聞いております。


 王都へと帰還をしようとした騎士団が目にしたのは渦を巻く巨大な濃霧。

 壮麗、雄大の歴史を誇る北の都は、霧の柱に身を変えておりました。

 ある者はそれを見て『白い霧の柱はまるで伝承に聞く〝霧の大魔〟のようだった』と証言をしております。

 

 騎士の一部は焦り、または怒りに駆られましたが、憤激に猛る彼らを踏みとどまらせたのはジーン・デュラン騎士団総長の一声でした。

 あの場面でもし、王都へと戻っていたのであれば……騎士団(かれら)は〝ウル〟と間違いなく対峙しており、勇猛もむなしく葬られたことは想像に難くない。


 誉れも高きルヴェルタリアの十三騎士団を失わずに済んだのは、我々にとって幸いでした。

 彼らの剣はこれからの将来に必要不可欠なものであると考えております故。

 各々が最善を尽くした撤退の結果、騎士団は七割の戦力を残すことが出来ました。

 現在は残された国土を守らんとし、イリル大陸中部にて対霧の戦線を広く敷いております」




「フラメル閣下、貴重な情報をお話くださり感謝します。陛下は今どこに?」


 眼鏡を外した首相が肩を震わせ、口元を緩めた。やはりそれを聞くか、と笑うように。彼は老いた目をアーデルロールへ向けると、彼女が何よりも得たかった情報を口にした。


「大平原を南下をした果てにある小村――貴女が幼少の一時期を過ごされた、あの小さな<リムルの村>におられます」


 村の名にアーデルロールがぴくりと反応を示した。が、驚きはわたしの方が上回っていた。

 ここで故郷の名が出るとは思いもしなかった。

 どうしてあの村に一国の王が身を隠している? 故郷を想像し、思い浮かぶのは、どこまでも素朴な空気と風景。

 緑の中に沈む、純朴な小村――<リムルの村>の姿。


 村民は善良な者ばかりだ。誰にも裏が無い。

 特殊な来歴があるとすればそれはわたしの母と父だ。


……父?

 二十年前の災厄。一国が霧に沈んだ<ミストフォール>の元凶を討ち果たした英雄、〝悪竜殺し〟。

 そうだ。故郷には父が――フレデリック・フォンクラッドが居る。

 レオニダス王とギュスターヴは父の協力を仰ぎに赴いたのだろうか。

 

 と、イルミナがわたしを見つめていることに気が付いた。

 愉快げな顏は無く、真面目な顔で鋭い視線をわたしに注いでいて、まるで心の内を覗き見るような目だ。


「……ありがとうございます、フラメル閣下」横でアーデルロールがそう言った。この感謝の言葉は深く、重たい口振りだった。

「今すぐにでも発ちたい気持ちでありましょうが、お話はまだ終わってはおりません故、もうしばしのご辛抱を。まず、現在のレオニダス王はひどく衰弱をしておられる」


 フラメルは椅子を離れ、窓辺の前に立つと顏を上向けると、暗雲が連なりうねる空を見上げた。わたしからも空に揺れる緑色の光幕が見える。まるで天変地異の前触れのように恐ろしく、また神秘的な光景だ。

 

「この空をご覧なさい。〝霧払い〟にして初代王、ガリアン・ルヴェルタリアが遺し、現世まで脈々と受け継がれてきた〝聖剣〟に秘められた力をレオニダス王が解き放った際の余波、そして残滓なのです」


「これを……陛下が?」

「姫殿下、そしてユリウス・フォンクラッド。心して聞きなさい。古い伝承に語られる霧の災厄――〝霧の大魔〟はこの世に再び現われました」


 背に回した手を組み、年齢の割に大柄な体をやや猫背に曲げ、フラメル首相は言った。「これは間違いのないことです」と言い、


「姫殿下。貴女は先ほど、レオニダス王は王城の地下へ向かわれた、と仰っていましたね?

 王はそこで〝霧の大魔〟と切り結んだのです。

 世の趨勢を握る決戦とも言える場には〝王狼〟ギュスターヴ・ウルリック。

……そして〝霧払い〟の盟友にして初代の〝四騎士〟である〝獣王〟ドガの二者もおりました。


 だが三人の英雄が全力を賭し、死力を尽くそうとも災厄を打倒するには至らなかった。

 戦いの結果、ドガ公は霧に囚われ、王は最後の手段として〝聖剣〟の力を解放した。

 その際の魔力の奔流は凄まじいものでした。夜闇を昼に変じさせる圧倒的な光の輝きは世界の誰もが目にしたでしょう」

 

 わたしは大きな窓枠に目をやると、再び空を見た。時刻は昼過ぎ。普段ならば青空がどこまでも広がり、鳥たちが悠々と飛んでいるだろう。だがそれらは今や一切無い。失われてしまっている。


「ルヴェルタリア王都より立ち昇った光の柱は雲を貫き、やがて十三の輝きに別れると世界の方方(ほうぼう)へと散りました。

 夜更けにも関わらずに空には白い光が満ち、その異変は三日続きます。そうしてどこからか暗い雲が現われると空は閉じ、現在に至ります」

「それからずっとこの空なのですか?」わたしは問いを投げた。

「いいや。最初の黒雲は数時間で消え、以降は霧が発生するたびに現れる。予兆として見やすくはなったが、不気味なことに変わりはない」


 そうして首相はふたたび椅子に落ち着き、茶をすすった。


「さて。お二人は今大きな疑問を抱いていることでしょう。

 それは『どうして大海を隔てた先に居る我々が王の戦いを含むルヴェルタリアの異変の顛末を仔細に知っているか』だ。

 そろそろ種明かしといきましょう。

 全てはそこに座る白の魔女、イルミナ・クラドリンの仕事によるものだ。

 後の説明は任せて良いかな?」


………………

…………

……


「私には特殊な才能があってな。それは遠視(とおみ)という力――異郷では千里眼と呼ばれる、魔法の一種だ」

「遠視、ですか?」

「ふふん、弟子らしくて良いな。遠視とは言葉の通りに、ここではない遠くを視る力。私はその場の光景を視ることが出来るのさ。砕けて言えば……覗き見だな」


 稀有な能力のはずが、俗っぽい例えのせいで陳腐なものに思えてしまう。

 本人はまるで気にしておらず、イルミナは白い手袋に覆った手を丸めて筒状にすると、目元に当てて望遠鏡を覗くような仕草をした。

 

「私はいつものように椅子に座り、ルヴェルタリアとレオニダス王の一部始終を見ていた。だから王の行方を知れたのさ。彼は城内で高階位の移動魔法を行使し、マールウィンドへと逃げ延びた。そこにはギュスターヴと騎士団長のひとり……何とかいうのも一緒だったな。彼らはリムルへ落ち、体を休めている。もう一月も前の話だ」

「あなたにそんな能力があるとは意外でした」


「大魔法使いは伊達でなければ吹かしでもない。私は大概のことは出来るのだ。大平原を越えて首都まで来るのは引きこもりには大変な苦労だったが、まあ良い旅行になった。それに結構良い稼ぎになったからな。ユリウス、お前の家の庭先に一軒家でも建てようかと思っている」

「そのお金で旅に出てください」


 紅茶に濡れたイルミナの口はよく回り、自身がいかにして金を稼いできたかを語るようになってしまい、これは言わずとも脱線に他ならない。

 やがてフラメルが咳払いをひとつし、元の筋から別大陸ほども離れてしまった話を本題へ戻した。


「ユリウス・フォンクラッド。私がシラエアを通じて君に接触し、〝夕見の塔〟へ向かうように告げたことを覚えているね?

 元を正せば、あれもまた遠視という技が大本なのだ。君を出立させるよう、私はレオニダス王から――」

 

 フラメルは言葉を探し、


「……頼まれてね。彼の下にも優秀な遠視が居たのだ。イリルでは何と言ったかな。

 そうそう、星詠(ほしよ)みだ。彼は星詠みの言葉に従い、私を通じ、君を塔へ()ったというのが今回の舞台裏の真相だ。


 前触れもなく送られてきた手紙を読み、突拍子もない文面に触れた当時の私は、彼が何を考えているのかまるで分からなかった。

 だが、彼が手元に置く星詠みは信頼を置ける人物だ。私は信じ、君を送り出した。

 そして星詠みの言葉とレオニダス王の行動は実を結んだ。

 事実、こうしてアーデルロール姫殿下を救出するに至ったのだからね。しかし――」

「『それほどに優れた遠視の術師を得ていながら、どうして彼は自国の滅びを防げなかったのか』か?」


 これまで押し黙っていたシエール・ビターが唐突に口を開いた。

 先を読む力を有していながらに何故ルヴェルタリアにおける大噴霧と災厄の復活を防げなかったのか? 当然の疑問だ。それに答えたのはイルミナ・クラドリンだった。

 

「防げなかったのではない。『彼には防ぎようがなかった』、が正しい」

「どういう意味か、聞かせてもらおう」

「良かろう。私の講義は高いぞ? ふふ、冗談さ」


 まず――、とイルミナが細い指をついと立て、


「諸君らは〝霧の大魔〟についてどこまで知っている?

 霧の根源、世界を呑む大悪、形を得た災い、英雄に滅ぼされた悪鬼。

 アレに対する呼び名は色々とあるな。

〝霧の大魔〟がどこから現れ、何を目的としていたかは未だに分からない」

「世界を霧で覆うことが目的だったのでは? ヤツはそれを目論んだが、ガリアンに阻まれたというのが伝承だが」


「万物を霧で覆うことはアレの目論見の前段階のようなもの……というのが私の見解だ。

 おっと、何故そう考えたかは後にしてくれ。しっかり質疑応答はするから心配はするんじゃない。

 世には八柱の神というのがある。まず光の五神だな。


 融和と太陽の神 主神ランドール。

 知恵と雷の神  智神ドーンヴァール。

 豊穣と愛情の神 愛神ルピス。

 勇気と忠節の神 勇神ブランダリア。

 歌と狩猟の神  地神ミゲアス」

 

 イルミナが手を開き、名を数えるごとに指を曲げていく。挙げた神々の名は〝五神教〟が崇拝する、世界創世の神々であると伝えられている光の五神。わたしも幼少の頃に通った学校では食事のたびに彼らへと感謝を捧げていた。

 

「そして残りの三柱。彼らは悪神とされている。


 誘惑と叛逆の神 悪神メルザ。

 魔力と淫蕩の神 魔神バーゼル。

 闘争と力の神  闘神ニルダザール。

 

 輝かしいランドールらは偶像崇拝が許される一方、メルザを筆頭とした悪神らの姿を描き、象ることは一切禁じられている。

 教会としては大悪の象徴のようなものだからな、致し方あるまい。だがこういった規制に対して強い興味を抱く者が歴史には度々現われる。私のような、な。

 

 私は古い書物を紐解き、自己の出来る範囲で〝五神教〟とその背景、そして神々について研究を続けた」


「それが魔術院(ウィリアンダール)を追放された理由か?」

「数ある内のひとつさ。やがて悪神メルザの文献に行き着いた私は事実を知った。

 かの悪神は、霧を自在に産み、操り、万物を眠りに落とす力を有する、と。


 私が触れた文献はあまりに古く、〝霧払い〟の時代よりも遥かに過去のものであった。触れればたちどころに崩れる脆い書。だが記された文言は、これまで知り得た情報と何もかもが一致する。

 

 私は筆者の記した文の数々を真実と捉えた。

 つまり――〝霧の大魔〟とは、神の一柱なのだ。

 他の七柱が地上を去った現代に再臨をした神秘。

 

……神とは運命そのものだ。

 レオニダス王が遠い未来を知る力を手元に置いていようとも、ただの個人が予言に従い、破滅の未来を防ごうとしたところで、神はそれを上回る。

 

 神の掌握する道筋、大魔の監視の目、想像を絶する力。

 それらをすり抜け、打破するには……運命から外れた者でなくてはならない」

 

 書斎に沈黙が横たわった。

 かつてガリアンが討ち果たしたのが神のひとり?

 それが現世に蘇り、ふたたび霧で飲もうとしていると?

 

 飛躍し、膨らんだ話にわたしは沈黙せざるを得なかった。

 空想だ。デタラメだ。そう言い切ることは誰にでも出来る。

 だが……受け入れなくてはならない現状というものがある。

 

 事実としてルヴェルタリアは霧に沈み、失われたのだから。

 

「随分と詳しい。流石は白の魔女――大魔法使いイルミナ・クラドリンだ」

「いやあ何。私は君と同じ趣味をもっているからな、このぐらいはね。シエール殿……私は事情通なのさ」

「……同じ趣味、ね。なるほどな。合点がいったよ」


「して、再び現われた神に対して我々はどうすれば良い?」


 フラメル首相の問いは当然のものだった。

 滅びを避ける手段――神を止めうる手段とは何だ?

 

「〝霧払い〟が有した〝聖剣〟だけが有効だと私は考える。十三の精霊王の力を束ねた神殺しの剣ならば、打倒するに十分なものだろう。

 だが〝聖剣〟の輝きは失われてしまった。レオニダス王がその力の全てを解放したからな」

「つまり?」

「万事休す……にはまだ早い。手段は後、たったひとつだけ残されている」


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