075 若草は語る
「……なんであなたがここに居るんですか!?」
理知的な印象を受ける切れ長の瞳。透明感のある薄金色の長髪。その下の顏はどこまでも愉快げに。
相変わらずの白一色の装いに身を包み、どこぞの茶店で午後の一服を楽しむようなゆるりとした調子で女は――イルミナ・クラドリンはソファに腰掛けていた。
わたしの魔法の師であり、同時に苦手この上ない女はティースプーンの先でわたしを指し、
「あなたではない。師匠と呼べと言いつけておいただろうに。やれやれ、手間のかかる弟子というのはこれだから困る。優秀な姉弟子であるビヨンならば再会の喜びに感極まり、半べそをかきながらに抱き着くだろうになあ。どうしてお前はそうなのだ?」言ってイルミナはズズ、と音を立ててカップの中身に口をつけ、「まったく不思議だ」と締めた。
自分の表情がひくつくのが分かった。
この白い魔女は師には違いない。それは確かだ。何せ彼女に伝授をされた魔法には何度となく助けられた経験があった。「ありがとうございます」と棒読みではあったが感謝は伝える。
だが幼少のころに行われた非人道的な修練の内容の数々がどうしても思い浮かんでしまい、素直な礼を口にすることが出来ない。
丁度良い機会なのでいくつか礼をあげよう。
魔力切れによる極度の疲労状態に陥ったわたしは、『窮地にこそ人間は覚醒するものだ』などとのたまうイルミナに夜も深い森へと運ばれた。『自力で村まで帰って来い。ズルはするなよ』と言い残し、調子はずれの歌を口ずさみながら去っていくこの女を、朦朧とした意識の中で恨めしく見ていたことがある。
またある時には、わたしの回復魔法の能力を上げると言い出したイルミナによって、先端が丸まった小さな矢を放つ魔法でちくちくと――それでも高速で打ちだされる矢は相当に痛く、全身傷だらけになったが――撃たれたな。
とりわけてひどかったのはイルミナ・クラドリンお手製の魔力回復薬の試飲である。
寝静まった夜に現れた彼女は顏を仮面で覆っていて、ただ短く、『飲め』とだけ言うとわたしに怪しげな小瓶を押し付けた。
勿論黙って飲むわけがなく、何のかんのと肉弾戦を交えた問答を行ったが結局は飲み干す羽目になった。
フタを開けた途端に白い煙が噴きだし、沸騰した湯のようにボコボコと泡の浮く、どろりとした緑色の汁を飲んだ人間がどうなるか想像をしてほしい。
直後に気絶をしたわたしが次に目を醒ましたのは四日後の昼だった。
……ひどい。あまりにもひどい。これで氷山の一角だというのが悲しかった。
わたしが彼女の手を握り、再会の喜びを口にするような事態が起こったとすれば、それは記憶の一切を消去された新しいわたしだと断言できる。
余談だが妹のミリアとビヨンの二人の修練は虐待すれすれの内容ではなく、魔法書を読み、実践に励むというありきたりのものだった。わたしが不公平と怒りを通り越し、世の無常を感じたのは言うまでもない。
「分かりました、訂正します。師よ、どうしてあなたがここに居るのかは分かりませんが、一刻も早くはるか南方の<リムルの村>へお帰りください。ペットが家出をして父と母が悲しんでいるに違いないので……旅費なら持ちますよ」
「金も時間も持て余しているから気にしなくていいぞ。いや待て、金は貰っておくとするかな。さあ寄越せ。私の財布は来る者拒まず、去る者逃がさず、だ」
わたしが押し黙り、こちりこちり、と置時計が秒を刻む音だけが響く中、部屋の主である初老の男が口を開いた。
「イルミナ・クラドリン。どういう事かね? 君は本当にユリウスの師なのか? 彼の態度は親の仇を見つけた放浪騎士のように冷たいが」
「本当だとも。一つ屋根の下……共に過ごした年月はまるで蜜月であった。なあ、ユリウス?」
「手を口にあてて今すぐ黙ってください」
「やれやれ、冗談の分からぬ奴よな。師がアホなことを言おうとも、それを持ち上げるのが弟子であろうに。世の中には齢七十を越えても、己の師を親のように慕う婆さまが居るというのにな。少しは見習え、ユリウス」
「そりゃあたしのことかい? ふうむ、イルミナよ……あんたのその白い服には赤い血がよく映えるだろうねえ」
ちきり、と鍔が鳴る。〝東の剣聖〟シラエア・クラースマンが冗談とは思えないような冷たい語気で言い、連邦首相――フラメル・カストロが「やれやれ……」と溜息を漏らした。
ここはマールウィンド連邦首府、〝大星の塔〟。
わたしは意識を取り戻したアーデルロールの横に座り、大人たちが言うところの〝これからの話〟に備えることにした。
◆
千年以上の大昔からこの地に在ると伝えられる古塔へと辿りつき、黄金色の大扉から内部へ入る。
「こちらです」
と、涼しげな声で案内をされたのは螺旋状の階段だった。踊り場から段へと視線を移し、そのまま真上を見上げると随分と上方まで続いているのが分かった。
一体前世でどんな罪を犯せば、果ての見えない階段を登るなどという刑罰を受けるのだろう。
そうは思うが選択肢は『登る』以外に無く、背負ったアーデルロールの重さを思うと、明日の筋肉痛は免れないな、と憂鬱とした気持ちになってしまう。
「少々お待ちください。クリス、頼む」
「はっ」
隊長の指示を受けた騎士が階段のそばへと駆け出し、屈みこむと手をがさつかせた。
しばらくしてガコンと音が鳴り、次いで階段が軋みをあげ、歯車が互いに噛み動くような音を立てながらに動き始めたではないか。
「動いた!?」これには目を見開いた。一体どんな仕掛けだ?
「ふふふ、やはり驚かれましたか。仕組みはさっぱりと分かりませんが、この階段は何とひとりでに動くのです。向かう先は頂上階――応接間となります。参りましょう」
古代の技術というものの理屈はサッパリと分からず、見当もつかないのだが、その効果たるや素晴らしいものばかりだ。
現代にこの階段や塔で見た人形のような技術が芽吹けば、生活……どころか世界はより良く変化をするのだろう、などと将来の可能性のひとつに思いを馳せ、わたしは螺旋の軌道で上昇を続ける階段に身を預けた。
………………
…………
……
濃茶色をした上品な扉へノックを三度。
騎士隊長は数歩を下がると背筋をしゃんと伸ばし、
「首相フラメル・カストロ閣下。ユリウス・フォンクラッド殿をお連れいたしました」
と声を張った。続けざまに真鍮のドアノブが回り、見覚えの無い中年の男が顏を出す。
「ご苦労でした。ユリウス様、どうぞこちらへ。騎士たちは塔を降りなさい」
「はっ」
「では……失礼します」
どうにも緊張が収まらない。こういう場合にはどういった言葉遣い、態度が正解なのかまるで不明でいて首筋が冷える思いであった。
そうして扉が静かに閉じゆく中。誰かがドカリとブーツのつま先を挟み込み、扉の隙間に身をなめらかに滑り込ませた。シエールだ。
同行するとは言ったものの彼女はすぐに行方をくらませ、よもや迷子にでもなったのだろうと思っていたがさして心配はしていなかったが、合流出来て何よりだ。
彼女は廊下にまだ居るであろう騎士をちらりと向き、口元に人差し指を立てると実に蠱惑的な表情で「しー」と言う。それからわたしへ視線を向けて、
「遅れてすまない。理由は聞くな」
「……! はい!」
「おい、何を言おうとしていた?」
彼女の冷ややかな視線を流し、室内に目を向ける。
大きなシーリングファンがゆっくりと回転をしているひっそりとした書斎。
振り子の形状をした銀の調度品が机の上で揺れている。
時間の流れが遅々と進む錯覚にとらわれる静かな部屋。主は椅子に腰を掛け、銀縁の眼鏡の奥でじっとこちらを見つめていた。
「よく来てくれた。休息も無いままに済まなかった、何せ急ぎの話でね」
「お久しぶりです、閣下。お呼びとあればいつでも――! ……すみません、疲労から幻覚が……」
信じられないものを見た。
とっさに目頭を押さえ、指でもみほぐし、もう一度目を開いてもそれはそこに居る。
何故だ? いつもと同じように疲れを取っているのに、この幻覚は何故消えない。
「失礼だろう、ユリウス。相手は一国の長だぞ? 言葉を途中で切るものじゃない」と受け入れがたい幻が言う。
どうしてだ。なんで――、
「……なんであなたがここに居るんですか!?」
と、話は冒頭に戻る。
………………
…………
……
アーデルロールが意識を取り戻したのは部屋のソファに座らせてしばらく経った後のことだった。
彼女は眠たげに身をよじり、薄らとまぶたを開くと部屋を見つめ、気さくに手をあげるイルミナ、そして首相、それからわたしを見た。
「……夢ね」
まぶたを半開きのままにして彼女は言う。
今度こそ起きてもらわねば困る。わたしは彼女の肩を揺すり、
「いやいや夢じゃないよ。起きてくれ」
「ルヴェルタリアにあんたが居るわけないじゃない。会えるのはいつも夢の中だけだったでしょ」
口元に笑みが浮かぶのをわたしは堪えられなかった。
彼女は凛とした顔つきになり、初めてアーデルロールを目にした者は『意志の強い女騎士』といった印象を受けることだろう。
しかしわたしには彼女のあちこちに残る幼少の面影がありありと見え、だからか、彼女が格好をつけて真面目な顔をしているようでどうにも可笑しかった。
無論、これも言葉に出せば殴打の一発が飛んでくる気がしてならず、口にはしない。
机の主が咳払いをひとつ。
「アーデルロール姫殿下。ここは間違いなく現実。そして北方大陸を遠く離れた南方のマールウィンド連邦です」
「貴方は……フラメル閣下!? まさか、本当に? だがそうだというのなら、どうやってあたしはここに……」
顏を下向かせ、額を手で覆うとアーデルロールは押し黙り、
「……閣下、ご無礼は承知です。ですが、ひとつ質問をする事をお許しください。ルヴェルタリアは、祖国は、今……」
ぎしり、と椅子が軋む音がした。フラメル・カストロは銀縁の眼鏡を外し、組んだ指先にあごを預け、重い口振りで答えを口にする。
「北方の騎士国、偉大なるルヴェルタリア古王国は霧に没しました。およそ一月前のことです」
「そう、ですか……やはり、何ということ……お爺様、父上……っ!」
「ご心中をお察しします」
首相は瞳を閉じると言葉を切り、
「本日のこの席は、かの騎士国が霧に呑まれた経緯と事実の確認、そして今後についての議論を交わすためのものです。姫殿下、貴女は今やルヴェルタリア王家で唯一の生き残りとされております。失われたものはあまりにも大きい……お嘆きは当然でしょう。されど、貴女には前を見ねばならぬ責任と立場があります。貴女個人の意志ではなく、その身に流れておられる青き血と夕刻の瞳に対し、我々はそれを望むのです。姫殿下、どうか……」
「……分かりました」
アーデルロールは悲しみに沈まず、怒りに身を震わせることもなく顏を上げ、背筋を伸ばし、〝霧払い〟より継いだ朝焼けの瞳でフラメル・カストロを見つめた。
………………
…………
……
「まず、ルヴェルタリアでは数年の前より災いの兆候がありました。王都内の不審な影の目撃、淀んだ魔力、行方不明者の続出。これらは〝ガリアンの祝福〟による、霧の消失まで続きます」
「今回の事態と関連が?」
「お爺様――いえ、レオニダス王陛下は『王城地下の封印を狙う工作。その一端である』と仰っていました。事実、城を襲った尋常ならざる噴霧は王城地下より発生し、城のみならず都の一切をまたたく間に飲みました」
フラメル首相は手元の紙に視線を落とし、「なるほど」と短く呟く。
「その頃、十三騎士団は〝大穴〟に大量発生した魔物との戦に赴いていたのは確かですか?」
「およそ大部分が霧の戦線へ。炎龍、空虎の二団は王都にて守備に当たっていましたが――」
「何か?」
「ほとんどの騎士が王都にて命を落としました。〝ウル〟が……奴が突如として裏切り、城内に踏み込むと同時に立ち塞がる者の全てを斬り伏せたのです」
話をそばで聞いていたシラエア・クラースマンがぴくりと身を震わせた。
白いコートに身を包み、息を殺して壁に背を預けていた彼女はまるで幽鬼のように存在感が無かったが〝ウル〟の名を耳にした途端に腰に下げた刀を指でさすり、落ち着きがなさそうにしている。
「〝ウル〟の剣は人智を超えるものでした。一の抜刀で王城の一部を崩落させ、二の剣閃で立ちはだかる北騎士たちが紙のように裂かれていく。城内に噴出した霧により、おぞましい魔物も無数に湧いていましたが――」
「剣を抜いた〝ウル〟の敵じゃあ無いだろうね」
とシラエアが言う。
「その通りです。逆臣が王国へ牙を向けている時、城内にはレオニダス王陛下、そして私の父である皇太子アルフレッドはおらず、また〝王狼〟ギュスターヴ様も居ませんでした。彼らは王城深部へと向かった、と騒動の最中に私を導いてくれていた従者が申しておりました」
「〝ウル〟は何故裏切ったと? 彼ほどの騎士が大噴霧で弱体化をした隙を狙い、一度は剣を捧げた王国に剣を向けるとは……私には理由が分からない」
フラメルの言葉にアーデルロールは返答を持たなかった。彼女はただ「私にも分かりません」とだけ口にして、
「不思議なことに彼は私だけには刃を向けませんでした。彼は私を追う一方で、邪魔立てをする者はわき目もふらずに斬り伏せていき、とうとう追い詰められた私は〝ウル〟の手に捕えられ……そこで記憶は途切れています。私は閣下の私室で目を醒まし、こうして話をしている。これが私の知る全てです」
「ありがとうございます。姫殿下の他に、王家の方で生きていると思われる方はおられますか?」
「……」
皆が生きています、とアーデルロールは口にしたいだろう。
それが彼女の願いであり希望だ。自分ひとりが南方に逃れた今、彼女は何を感じているのか。後ろめたさか、生き残ってしまった虚しさか、孤独の寂しさか。
「分かり、ません……」
間。
シラエアが首相の執務机に手をつき、身を乗り出しながらに初老の首相へと詰め寄った。
「おいフラメル。急ぎなのは分かってはいるけどね、ずけずけと踏み込み過ぎだよ。目覚めた途端に矢継ぎ早に質問ってのはあたしは好きじゃないね」
言われて首相は口元のひげ、それから白一色の頭髪を撫で、
「……ご無礼をお許しください、姫殿下。心痛の中でお話をしてくださった貴女に、ひとつ良い報せがあります。礼とお取りくださっても構いません」
「良い報せ、ですか?」
「かの王――レオニダス・ガーランド・ルヴェルタリア王は生きておられます。〝王狼〟ギュスターヴ・ウルリックと共にね」
どうか御内密に、と彼は片目をぱちりと閉じ、場にそぐわない茶目っ気の表情でそう言った。




