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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
六章『緋眼の王』
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074 恩忘れ


「あの霧、何かおかしかねえか?」

「動きが鈍いね。正直不気味だ」


 並走するコルネリウスの言葉を受け、振り返った先に見えた霧の様子はどうにも奇妙なものだった。

 常日頃に目にしていた霧は雲のように柔らかく、あっという間に人と大地を飲む素早さがあった。

 しかし目の前の霧は汚泥のように鈍く重たい緩慢な性質をもって大地を這い進んでいた。


 このままならば逃げ切れるだろう。

 わたしたちを追うようにして迫る濃霧を肩越しに見つめ、徐々に互いの距離が離れていくことに安堵をおぼえながらに街道の上をひた走る。


 連邦首都を囲う、オリーブグリーン色の大城壁が薄緑の燐光を放っている。

 目を凝らすと都市の上空をぼんやりとした半透明の膜が発生しているのが見えた。マールウィンドが所有をする最大の魔力障壁が展開している証だった。


 普段の霧だったのならば寄せ付けさえしないのだろうが、常識とは違う様子で迫る今回の霧が相手ではどういった結果になるか分からない。


 城壁が破られるか、あるいは塔のように侵食をされるか。


 不安はあったが、この大都市以外に行くあてはないのだ。こうなれば連邦の誇る壁を信じる他にはない。

 もしも有事が起こったとして。

<ウィンドパリス>には無数の連邦騎士に、剣聖と名高い老婆が居るのだ。生半可な事態では揺るぎはしないだろう。

 

 と……ルヴェルタリアの惨事が脳裏をよぎり、嫌な想像を払うようにして頭を振るうとわたしは前だけを見据えた。




 街道の果て。都市内部への道を塞ぐ城門から武装をした集団がぞろぞろと現われるのが見えた。

 人数は二十人ばかり。彼らは列を成すと一糸乱れぬ息の良さで行進し、少しも隊列を乱すことなくわたしたちのそばへと駆け走ってきた。


「我々はマールウィンド連邦、水蓮(すいれん)騎士団第三大隊所属の騎士です。ユリウス・フォンクラッド殿。連邦首相、フラメル・カストロ様の命によりお迎えにあがりました」


 隊は火水風の三紋様を描いたマールウィンド連邦の旗章を掲げており、兜に飾り羽を取り付け、サーコートを着込んだ男が胸元に拳を当て、軽く頭を下げると「ハミルトン、とお呼び下さい」と名乗った。

 自信に満ちた顔だ。頬には傷があり、整えられた口髭には白いものが混じってはいたが、目元は勇壮でいて顔つきは誇り高い。

 

「よくお分かりになりましたね?」

「冗談だろうとお思いになりましょうが……予言が下っていたのです。まさか当たるとは露とも思いませんでしたが、いやいや現実となっては私も彼女には敬意を払わねばなりませんな」


「予言、ですか」

「ええ。確か――『これこれのこの日に西方の空より人が落ちてくる。その群れの中に居る黒髪の若い男を連れてこい。そう、フラメルがご執心の男だ。最初は警戒心を隠しもせずに生意気な顔で見てくるだろうが、事情を話せば何だかんだで付いてくるちょろい男だから心配するな』と、彼女は口にしておりました」


 わたしをよく知っている口振りで語る女? 誰だろうか?

 それよりもわたしは初対面の相手をそんな風に見たりは……いや、止めておこう。

 とにもかくにも予言を授けたという女に心当たりは無い。

 

「いつもの軽口かとも思っておりましたが、しかし職務は職務。彼女が視たという時頃には物見台にしっかりと立ち、気の滅入る空を見つめておりますと光が瞬き、次の瞬間には人が降り落ちたではないですか。急ぎ、望遠鏡で覗けば、話の通りに黒髪の男性――フラメル様が探し求めていたフォンクラッド様ではありませんか! そうして、私は部下を連れ、お迎えにあがった次第です」

「説明をしてくださってありがとうございます」

「いえ――もし、フォンクラッド様が背負われたその方は……ルヴェルタリア王家のアーデルロール姫殿下では?」


 わたしが短く肯定をすると、男は途端に難しげな顏を作り、


「そうか、この方が……」と重々しい口振りで言った。


 彼に続く騎士たちもまた俯き、ある者は空を仰いだ。彼らが何故こんなにも苦い顏をするのか? 今のわたしには分からないことであったが、何か受け入れがたい現実が待ち受けているのだという直感だけは獲得した。


「忠実なる連邦の騎士たちよ」


 冷たい声が場に割り入る。語気は強く、有無を言わさぬ迫力がある。言葉の主――シエールはあからさまにイラついており、あご先をくいと上げ、連邦騎士を威圧するような目で言う。


「話をするのならばせめて城壁の内側へ入れてはくれんか? 何せ霧が迫っているのだ。見晴らしの良い物見台に立っていたのならば貴様にも見えただろう? あれに捕まっては面倒だ。さあ、さあさあさあ。早くしろ」

「あなたは! シエールーー」

「シエール・ビターだ」騎士隊長の言葉を抑えつけるように、一語一語に力と気合いを込めて言い放ち、次いで彼女は片手を挙げて、「お前が先導をせんのならば私が率いるぞ。さあ騎士共! 面を上げ、轡を並べよ! 首都へ戻るぞ!」


 おお! と騎士が声を張り、隊長がしどろもどろに、

 

「お前たち!? ええい、後で始末書だからな! ユリウス殿、そして皆さま、我らの後に続いて下さい」

 

 そうして城門へ。隊長の男のハンドサインを受け、隊のひとりが国章旗を左右へ振る。ごん、と何かが稼動する音。次いで城門がゆっくりと開き始め、「参りましょう」という言葉と共にわたしたちは<ウィンドパリス>へと通された。

 

 懐かしい丘と平原が見える。今年の夏にシラエアと一対一で稽古に励んだものだった。

 そこでふと違和感を覚えた。青々としていた樹木に葉は無く、足元に生い茂っていた雑草の類も随分と少ない。

 

 おかしい。今は晩夏……せいぜい秋頃のはずではなかったか。

 この胸騒ぎは城壁から都市へと続く短い丘を歩き、街並みを目にする時まで続くことになる。

 

 

 

 先頭を歩いていたシエールが口元をニヤリと歪ませた。彼女は振り返ると「冗談さ、大勢を率いるのは当分ご免だからな。本気に取らないでくれ」と隊長に言い、「それでユリウスをどこへ連れていくつもりだ?」と問いかけた。

 

「首府である〝大星(たいせい)の塔〟へお連れするように指示を受けております」

「塔……秘密話にはうってつけの場所だな。シラエアもそこに?」

「首相の身辺警護を務めておりますので、剣聖閣下も同席しておられるはずです」

閣下(・・)か。私も同席する。構わんな?」


 隊長は衝撃を受けた顏をし、それから視線を左右へ彷徨わせ、何事かを自身の秤にかけた後、

 

「そ、それは私が決定出来ることでは――」

「ならば私が決める。出席だ。手順を聞いておくか? まず何食わぬ顔で応接間の扉の前まで付いて行き、ユリウスが入室をするとともにするりと入る。以上だ。お前は何も心配することはない」


 何も心配するな、と言われても余計に心配になるだけだろう。そこいらの小悪党ならば力で押さえれば済みそうなものだが、シエール・ビターという女を力で制御するのは無謀に思えてならない。

 彼女はやると決めたら必ずやる鉄の女である、というのがわたしのシエールに対する評価だ。一度決まった方針は曲がらない。わたしは心の中で密かに隊長を慰めた。


………………

…………

……


 都市内へと入り、しばらくを歩くとメルウェンたちが足を止めた。


「用があるのはユリウスに姫さんの二人だろ? おれらは解散していいんだよな、騎士様よ?」

「ええ。他の冒険者方に対する指示は受けておりません。ギルドへ向かうなり、依頼人のもとへと行くなりお好きにどうぞ」

「そりゃどうも。なあ、ちと聞いておきたいんだが、今はどの街もここみてえに門を閉ざしてんのか?」

「霧が発生をした場合にはこうして門を閉じますが、近頃は雲の様子を見て閉門する場合も多いですね。今のように――」


 騎士は顏をあげると、相変わらず黒い雲がうねっている空を見て、

 

「あからさまに怪しげな雲模様の時には、万が一に備えて守備を固めています。大抵の場合には見張りに立つ者があるはずですので身分を証明できる物さえあれば、とりたてて問題はないでしょう」

「丁寧にありがとよ。じゃあな」


 言うとメルウェンは手をひらつかせ、その他大勢の冒険者とともに場を去ろうとした。

 このまま彼と別れても良かった。

 良かったのだが――、

 

「メルウェンさん」

「あん?」

「いえ……」


 わたしは呼びとめていた。理由は自分でも分からず、だからといって発した言葉は取り消しが効かない。

 とりあえずと無難な言葉を選び、口に乗せる。

 

「ええと、塔ではありがとうございました」

「その日にお互いに殴り合った仲だってのに礼を言うのかよ? へっ、変わってんな。またその内会うだろ。あばよ」


 と、彼は別段に何の感慨も無さそうに立ち去った。

 コルネリウスもまたここで立ち尽くしているわけにもいかず、

 

「んじゃ俺はビヨンを背負って先に宿屋へ戻ってっかな。依頼人の所には全員で。だろ?」

「ああ、そうしよう。悪いね。何時に終わるか分からないから、先に食事をしてて構わないよ。女将さんによろしくと伝えておいて」

「了解だ。遺跡ほど危なかねえだろうが、気を付けろよ」

「何にさ? 連邦騎士に襲われて大立ち回りをするわけじゃないし、心配要らないよ。そっちこそ転ばないようにね」

「やれやれ、お袋かよ」

「そうかもね。それじゃまた」

「おう。後でな」


 そうして大勢が去り、最後に居残ったのは意外にもアギルだった。

 炎のように真っ赤な髪と口元を覆うヒゲ。厳めしい面は気難しげな雰囲気をまとっており、何事かを切り出そうとしていた。

 

 背負ったままのアーデルロールの寝息を数回聞く頃。アギルは意を決したのか「よし……」と言い、大股で近寄ってくる。彼は大柄な身を屈め、わたしに耳打ちをするように顏を寄せた。まるで聞かれてはいけない話をするように。

 

「思い出したんだ」


 と出し抜けに彼は言う。


「ユリウスよ。お前の親父……もしやフレデリックって名じゃねえか? お前とそっくりのくしゃくしゃの黒髪をしていて、年齢(とし)は……三十半ばだと思うんだが」

「ええと……」


 どう答えるべきか。この場が<ウィンドパリス>の道の上だということもあって、シラエアに追い詰められた窮地を思い出してしまう。

 アギルはそんな反応を予想していたのか、


「ハッハハ、その面を見る限りじゃあ、ひどい目に遭ったみてえだな」

「まあ、そんなところです」

「安心してくれ、何も責めようってわけじゃねえのさ。そもそもおれはその頃のフレデリックは知らない」


 知らない? となるといつの話なんだ?

 問わずともアギルは語る。


「おれは親父さんに貸しがあってな、あれからもう二十年になるか。……実を言えばおれは亡国ハインセルの出なんだ。国が霧に沈んじまって、もうどうにも立ち行かなくなった時にフレデリックとその連れがふらりと現われて、『安全な場所を知ってるぜ。全員そっくり守ってやるからついて来てくれ』なんて言って助けてくれたのさ。若造が何を言うのかとも思ったが、あいつの人情は本物だった。……家族の命を救われた礼を言おうにもあいつらはもう場を立ち去っちまった後でなあ。結局今まで何も恩返しを出来やしなかった」


「父がそんなことを……」


 父がかつて母やギュスターヴと共に成したという、悪竜征伐の旅の話だった。

 アギルは記憶を思い出しているのか、しみじみとした口振りで話し、


「本当なら塔で助けなきゃあならなかったんだが、とうとうその機会まで失っちまったな。参ったぜ。なあ、ユリウスよ。故郷に戻ったら親父さんにおれの代わりに礼を言っといてくれねえか? 何、途中でふらりと立ち寄った廃村での話だ、向こうは忘れてるんだろうけどよ! ガァハハ!」

「請け負いますよ。しっかりと父に伝えます」


「――それとな、おれぁ冒険者としちゃそこそこ名が通ってる。この先何か困るようなことがあったら連絡をいつでも寄越してくれよな。鳥郵便に俺の名前を出しゃあ、大陸内なら届くだろうからよ。せめてもの恩返しってやつだ。無視したら――」

「ただじゃおかない、ですか?」

「いいや、泣き腫らすってだけだ。おっさんに物悲しい面をさせたくなかったら頼ってくれよ?」


 わたしは思わず笑い、顏をあげると「分かりました」と微笑みと共に言葉を返した。

 

 アギルにとっての用はそれで終わりだったようで。

 彼はすっくと立ち上がり、別れの挨拶を――、

 

「おっと。なあ、ひとつ聞きたかったんだ」と落ち着きのない顏をまたも寄せて言う。

「何ですか?」

「ハインセル堕としの悪竜を討伐したのは……あいつだよな?」


 期待に満ちた顔だった。自分が英雄だと信じた男ならばきっと果たしただろう、と。自分の予想に本当の裏付けを欲している表情。

 わたしはただ微笑みを浮かべ、少し頷いただけだ。



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