閑話003 君へ
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《黒髪の方。いえ、――――様。
実を申せば、当機エリシア三号はあなた様を存じあげておりました。
いずれ来るその日まで、時の傍流にてただ静かに在り続けたこの〝夕見の塔〟。
その見えざる扉を開き、外界の者を招き入れた理由はただひとつ。
あなた様がとうに過ぎ去った遠い日の影を目にしたからにございます。
――――様。
知りたい事は山のようにおありのことと思いますが、申し訳ありません、当機は答える権利を所有してはいないのです。
ですが、いずれ何もかもを知る日が必ずや来ます。
ただその日へと向かい、かつてそうであったようにお歩きください》
砂嵐の音と少しの間
《―――を――し、約束をお果たしください。
当機からお伝えする文言は以上となります。
続き、マスター・エルテリシアからのメッセージを再生します》
ピー、と。笛に似た音。
『いやだ、ちょっと待ちなさい。まだ準備が出来ていないのに。
ええと原稿……これは夕食のメモだ。どこかな……。
三号、カメラを止めてください。二号、あなたはそっちを探して。
………………
…………
……
ごめんなさい。まだ三号の調整がうまくいかなくて。
ええと、お久しぶり。
今の君は……どちらかな? ちゃんと君は居る? まあ……そういうのはいいか。もう手遅れだものね。
事は私の未来視のとおりに進んでいるでしょうか?
以前にもお話をしましたが……時間の流れの概ねは既に定められています。多少の想定外はあれど、時代の節目とも呼べる大きな出来事は必ず起こるとされています。
彼らはこのどうあっても変えられようのない流れを運命と呼称していましたね。ああ、思い出してもむかっ腹が立ちます(ドン! と何かを殴りつける音)。
わたしは遠い未来に避けられようのない、災厄の運命があるのを視ました。
それは〝霧の大魔〟の復活と、三度目の霧の放射。
この古く重い霧は外界に大きく干渉をします。
変化は霧の出現頻度や魔力の組成変化といったものに始まりますが、とりわけて重要な問題は〝十三の精王〟の結界に生じる綻びです。
彼らは契約に従い、各々の力をもって霧を抑えつづけるでしょうけれど、それも永遠に続くわけではありません。
それは絶えず水が溢れ出る穴を、たったひとりの手で押さえ続けるようなもの。水は漏れ出し、やがて決壊することでしょう。
解決する手段はただひとつ。
あの悪しき大魔を今度こそ滅すること。それを成した時、世界から霧は消え、遠い日に見た本当の青空を見ることが叶うはずです。
ただ……これを成立させるには君が自分を取り戻していなければなりません。
これは重要な問いです。
今の君は本当に君ですか?
もし――、
君が自身の記憶と使命を忘れた状態で目覚めてしまっていたら。
君が淀んだ暗い影に触れ、誤った過程を経て〝瞳〟を取り戻してしまっていたら。
そして、君が一人でこの塔を訪れていないのだとしたら――……。
考えたくはありませんが、仮にそうであるのならばそこは私の視た未来とは違う場所です。
私には視えなかった何者かの介入を受けているのでしょう。
これでは災厄の解決はほとんど失敗に……。
ああ、願わくば、本当の君に届いていますように……。
……語る言葉は湧水のように次々に浮かびますが、ずっと語るわけにもいきませんね。
さようなら、友よ。
君が苦悩の果てに最期に選んだ道は、万人にとって決して善き道ではありませんでしたね。
けれどね、私はあの選択を信じています。セリスたちも、十三の王らもまた同じようにあなたを肯定するでしょう。
(くすくすとした笑い声と、それから溜息)あの人はどう思うか分からないけれど。
自己を消し、他人の願いのために身も魂も使い潰した我が友よ。
君のたった一度だけの自分への願い。自分だけの生。
その道行きに祝福があることを、エルテリシア・リングレイが遠い過去から願っています。
人生に、色を。またね』
《メッセージの再生を終了。
これより外界に復帰します。
想定外の場所に出現するかも知れませんが、脱出後の保護は万全です。
それでは、良い生を》
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