070 大噴霧
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イリル大陸、およびルヴェルタリア古王国内に霧の発生を検知
発生源……王都リーンワール大結界内……王城深部、〝黒門〟と特定
魔力濃度…………異常値を計測
〝黒門〟を中心に、時流・空間の歪みを確認
二界との境界に重大なエラーが発生しています
…………修正…………修正……………エラー
霧の侵食、想定速度の二十倍
自機の遠隔操作による対処では不十分と判断します
封印路への回廊閉鎖を提案
自己可決……実行……過重停滞陣を起動
陣消滅までの予測時間、およそ百二十分
………………
…………
……
………………極めて深刻な事態と判断
対霧戦力による緊急の対応・脅威の討滅を要す
対霧戦力を確認――……
ガリアン・ルヴェルタリア ……【死亡】
セリス・トラインナーグ ……【死亡】
ルーヴランス・ウルリック ……【消失】
エルテリシア・リングレイ ……【死亡】
ドガ・ヴァンデミオン ……【生存】
ドガ・ヴァンデミオンへコンタクト………………応答無し
固有魔力波を計測…………交戦中
バイタルおよび魔力量の変動値・パターンを計測……交戦対象を〝霧の大魔〟と断定
危機レベルを最上位に修正
ドガ・ヴァンデミオン単独では〝霧の大魔〟に勝利出来ません
撤退指示を下します
通信開始…………途絶
複数ルートから通信の再試行……届きません
〝霧の大魔〟より発生する霧が自機からの干渉波を遮断しています
――……イリル大陸内の映像を表示します
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「……ポンコツ、この中空に浮かぶ文字についての説明を頼む」
《うぐう……足を掴んで逆さにするのは止めてください……これは緊急事態の際に表示される警告です。自ら亡き後に発生するだろうと想定される災厄の内で、最も重く、最も危険なケースがルヴェルタリア国内で発生した場合にと、マスター・エルテリシアは千年も前より備えていたのです》
「あのルヴェルタリアに災厄――それも〝霧の大魔〟が現われただと? 何を馬鹿な。まるで笑えない。〝万魔〟は紛れもなき賢人だが、冗談は得手ではなかったらしい。そもそも大魔を滅ぼしたのは彼女らではないか。だろう?」
「おいおい、あんまりそいつを振るとまた壊れっちまうぜ」言ってアギルはシエールを嗜め、「……この警告ってのが仮に正しいだとするんなら、北はとんでもねえことになってるってわけだよな」
それから彼は豊かなあごひげに指を埋めると、神妙な面持ちで数秒押し黙り――、
「〝霧の大魔〟の復活にルヴェルタリアの窮地、か。たとえ酔っていてもそうそう信じられねえな」
「いやいや、どうだろうかな。おれはそうとも限らねえんじゃねえかと考えるがね」
ナイフの背を指でなぞりながらにメルウェンが言い、アギルが小首をかしげた。
「そりゃ一体何故だ?」
「考えてもみろ。おれらが塔に入る前にゃあ、霧の現われない祝福すべき凪の時期――〝ガリアンの祝福〟だった。魔物が無けりゃあ剣を握る必要も無し。まさに平穏そのものだ。しかし、だ。こいつにゃあ大きな問題がある。なにせ止まっていた霧がまた現われる時ってのは……」
「霧の大噴霧がある、か……確かにな。これまでただ一度の例外も無く、祝福明けの噴霧は大規模なものだった」シエールが言葉を引き継いだ。
「そうだろ? だから災害級の事態ってのをおれは不思議には思わねえ。それにあのルヴェルタリアだぜ? 大噴霧に対しては万全に備えていたはずだ。怪物みてえな騎士団長が十三人も居る上に、世界最強の〝四騎士〟まで擁していやがるバケモノ国家。敗ける場面なんて想像もつかねえ」
メルウェンは一度言葉を切り、冗談ぽく口元をにたりと歪ませて、
「ただまあ、本当に〝霧の大魔〟なんつうバケモノが現われたってんなら、億人が束になろうともどうしようもねえだろうけどな。そこの人形ちゃんよ、実際どうなんだ? 今なら『すんませんやっぱ嘘でした~』とでも言えば笑って許してやれるが」
シエールに体を掴まれっぱなしの人形が気真面目な顔のまま、そして冷静な口振りで言う。どうか信じてください、と。
《マスター・エルテリシアが自ら構築したシステムである以上、誤報などは決してあり得ません。今よりイリル大陸内の映像を出しますのでご覧ください。現状を確認しましょう》
人形はやはり人形なのか。エリシア三号は〝霧の大魔〟の出現は誤報ではないと断言し、場に緊張をもたらした。その上に彼女は奇妙な言葉を口にした。
「えいぞう……?」
聞きなれない言葉に不思議を感じてわたしは小首をかしげたが、次の瞬間には驚きに目を見張ることになった。
中空に写真が浮かんだ。これだけでも驚嘆に値するのだが、なんと写真が動き始めたではないか。
雪原には白雪が舞い、白亜の城壁が地平までを埋め尽くし、城壁ではかがり火がちらちらと揺れている。『えいぞう』とやらの描く写真の精巧さは現実の光景と全く相違ない。あたかも自身がその場に居るかのようだ。
「これは……」
「ルヴェルタリア古王国が王都<リーンワール>だ」わたしの呟きをシエールが拾う。「しかし霧が見えないが。どういうことだ?」
《時間にズレがあるようです。外界時刻と同期中……少々お待ちください。随時映像を更新します》
城壁を映した画がちらりと揺らぎ、次に映し出されたのは黒い大地――……かつて〝霧の大魔〟が死したと伝えられる忌み地、今なお霧が漏れ出る災厄の〝イリルの大穴〟だった。
冒険に出る前に目にした新聞では『〝大穴〟周囲の霧が晴れ、地の果てまでを呑むような虚無の黒穴を直に目に出来る』と文字が走っていたが、中空に浮かぶ映像はひどい濃霧に包まれていた。
《これは一週前の映像になります》とアリシア三号が言う。
どうやら世界の閉塞の時間――〝ガリアンの祝福〟による霧の晴れ間は確かに終わったらしい。それが証拠に、濃霧より異形の魔物の群れが奇声をあげて次々に姿を現し、人界を食いつくさんと大口を開き、爪を立てていた。
この雪上に、尽きぬ霧の中にわたしは居ない。この足が立つのは遠く離れたリブルス大陸だ。それだというのに、雪原をうごめく魔物の群れを目にして感じる恐れは尋常なものではなかった。
この震えは魔物の外観――丸太のような胴体から無数の足が生えた個体、街ひとつを軽々と押し潰せそうな巨龍、あらゆる獣の部分部分を継ぎ接ぎにして生み出された怪物。悪夢が現実に溢れだしたようなおぞましさだ――の異形に由来するのか? それとも本能からの恐怖か?
息を呑むわたしには確信がひとつあった。この怪物の群れが野に放たれれば世界はひどい傷を負うだろうという、滅びの先触れと呼ぶに相応しい恐ろしい確信が。
だが――……雪原には獣の暴虐を阻む軍勢が在った。
果てのない雪原の上に銀色がきらめく。
姿形は大小に異なり、集った人類種族は百を数えるだろう。
全員が銀色の騎士鎧に身を覆い立っている。
古い角笛の音色が高らかにとどろいた。音は暴虐の獣が大地を踏み鳴らす轟音を一時ではあるが容易く消し去り、戦の音を耳にした騎士らがしゃなりと――身に帯びた銀剣を一斉に抜きはらう。
無数の剣が霧中に掲げられ、数多の槍が獣を睨む。
彼らは遠い父祖より誇りを受け継いだ北天の勇者。
霧を払った英雄の末裔――ルヴェルタリア王への忠誠を己の魂に誓った北の強者共。
世界最強の騎士団。千年に渡って霧と戦い続ける人界の盾にして剣――ルヴェルタリア古王国が誇る、北天十三騎士団の大軍勢が戦列を拡げていた。
『……鉄羊、天牛、影蛇、風鷹、雷馬の五団を前へ』
馬上の騎士が魔物を睨み、右腕を向けて言う。背には聖樹と十三の星の紋様が描かれた群青のマントがはためき、装飾の施された剣を腰に帯びている。
『ふっ、団長閣下よ。歴史に残るような大号令を口にする暇はどうやら無いな。いや実に残念だ。残念極まりないよ』
大地を鳴動させながらに唸り声をあげ、雪煙をあげて迫りくる怪物を前にして巨人の女が言った。
話を向けられた男は表情をピクリとも動かさず、淡々と言葉を返す。
『そうだな。常々に考えていた文言を口に出来ないのは少々口惜しいが、早口でまくし立てては笑い種だ。ふむ……どうやら愚者が逸ったらしい。〝巨人公女〟よ、頼めるか』
『了解した――……重宝剣、抜剣』
身の丈十五メートルはあろうかという巨躯の女騎士が、己と同等の寸法をもつ大剣を背より抜き放つ。
彼女――〝四騎士〟の四、〝巨人公女〟メルグリッド・ハールムラングが蒼氷の瞳をついと上げる。
視線の先には巨龍の姿。口腔には火炎がちらちらと揺らめき、狂気の瞳には殺戮を願う心ばかりがある。
メルグリッドは声もあげず、喜びに震えるでもなく、ただそうであるように大剣を掲げ、容易く龍の首を刎ね飛ばした。
死骸の降る中で最強の一角が言う。
まるで乱れていない銀氷の長髪の下、艶やかな唇をそっと歪め、
『騎士共よ。我が背に続け』と、ただ短く。
ささやきにも似た声の後、銀と魔の二者が北の地で激しく衝突し、映像はぶつりと消えた。
あけましておめでとうございます。
今年もこつこつと更新を進めていきたいと思います。




