059 植生施設
〝夕見の塔〟、二階
階段は一段一段の段差が随分と高い螺旋階段であった。
壁のくぼみには壺や花瓶といった調度品の類がぽつぽつと並び飾られていて、興味や関心を強くそそられる。
これらを持ち帰れたのならば依頼人のベイカー氏もきっと満足し、報酬に色のひとつでも付けてくれそうに思えたが、やはりというべきか、これらの調度品もわたしの指先が触れた途端に砂となって崩れてしまった。
「この調子じゃあ、依頼人の根暗女には土産話しか提供できそうにねえな」
「あり得ない話じゃないから怖いよね。参ったな」
古代の人間は現代人と比べると、きっと股下からの足が相当に長かったのだろう。でなくては一歩を踏むたびに足を思い切り上げる動作が必要になるような階段はきっと作らないはずだ。
汗みずくになりながらに無茶な作りの階段を登る。
前を歩くビヨンのローブの裾がちらちらとまくれ上がり、腿や膝裏が見えてしまうのが何というべきか、目の毒……ではない。目のやり場に困る状況であった。
「ユーリくん見てないよね!?」
「見てないよ!」
わたしのあまりにも速い返事が面白いのか、コルネリウスが笑い声を返して寄越すので何か一言を言ってやろうと思い、顔をあげるとまたもビヨンのローブがまくれ上がり――、
「……白か」
ばっ、と猛烈な速さで衣服を押さえ、幼馴染の女が顏を真っ赤にしてわたしを振り返った。
「見てないよね!?」
「見てないよ!」
この場で「見えちゃいました!」と正直に答える愚か者は居ない。それでなくともコルネリウスのように、つま先を杖で潰されるような恨みを買うのはご免であった。
じっと黙して登っているあいだにもビヨンはちらほらと振り返り、わたしを変質者を見るような目で見つめてくる。
正直に言って居心地が悪い。
ええい。普通の建物ならばもうとっくに五階以上は登っているだろうに。終わりはいつだろうか。
………………
…………
……
「どっはあ! よっしゃあ一番乗り! どうだ!」
「くそぉっ……っ! 僕の負けだ……っ!」
「コールくんが先頭だったんだからそりゃそうでしょ。ユーリくんも乗らなくていいのに」
「いやいやそういうわけにも……いか……ない」
思わず言葉に詰まった。
階段を登り終えた先。感覚で語るのならば塔の二階。
ここには『森』が広がっていたのだから、これには驚きもしようというものだった。
二人もわたしと同様に驚きに言葉を失っている。頭上ではギャアギャアと聞いたことのないけたたましい鳴き声をあげる鳥の鳴き声が響き、コロロロと獣が喉を鳴らす音が視界の先に広がるやぶの中で繰り返された。
「……痛っ!?」
コルネリウスがわたしの頬をつねった。今が夢かうつつか確かめたかったのだろうが、そんなことは自前の腕でやって欲しい。
「いや悪い。あんまりに下の階と景観が違い過ぎるもんで驚いてな」
「見渡す限りに森、森、森……。でもうちらの故郷に生えているような樹木とは違うね」
「と言うと?」
「見て」
言ってビヨンは手近な樹木の葉を千切り、手の平へ載せ、視線が集まった。楕円の形をした葉っぱ。何てこともないように思ったが――、
「これはヘインの木の葉っぱだよ。聞き覚えは……無さそうだね」
「いかにも」
「格好つけないでよね。えほん。ヘインの木はマールウィンド連邦、ひいてはリブルス大陸には存在しない植物なの。北海を隔てた向こうの大陸、北のイリル大陸にだけ育つ樹木なんだ。それも厳寒の大地……例えばルヴェルタリア王都の周囲なんかの北方にしか育たない特殊な木なんだよ」
「で、それがどうしてここに?」
「それは分からないけど……普通じゃないよってことを言いたかったの。このヘインの木のすぐそばにはリブルス原産の木――マリリスの木が育っているし、ここはちょっとおかしなことになってるよ」
「古代……昔の植物園だったりするのかな? 一階は職員用の部屋だとか。ここは研究施設だったって可能性もあるよ」
コルネリウスにちらと話の先を向けたが、彼はやんわりと肩をすくめると『さあな』の意思表示をし、
「ビヨンの物知りには助かるな。ユリウスの考えは肯定出来ねえけど否定も出来ねえ。何せ分からないことだらけだからな。唯一分かるのは、俺たち以外の動物が居るってだけだ。ユリウス、霧は?」
懐から小瓶を取り出した。中身は未だ無色透明のまま。鈴も鳴ってはいない。
「問題無いよ。居るのは普通の獣だ」
「サンキュー。じゃ、進むか。こっから先は武器を構えた方が――」
ビシリ。
真横の壁が軋み、顔を向けた時には既にレンガ造りの壁は大きく歪み、声を発しようとした瞬間には壁は砕け、
「うおおおおっ!?」
「ビシャアアアアッ! ギッ! ミャギッ! シィィイイ!」
四つ足の獣。ひょうたんに似たずんぐりとした体形をしており、顏は長く、黒い目は爛々とした輝きをしてぎょろぎょろとせわしなく動いている。
ビヨンが甲高い悲鳴をあげた。無理もない。壁を突き破って現われたのは三メートル余りの体長をもつ巨大ネズミなのだから。
「ネズミィ!?」コルネリウスがすぐさまに背中から槍を抜き、穂先を獣へ向けて言う。
「何を食べたらこんなに大きくなるんだ……けど、魔物じゃないなら問題ない。ビヨンは待機。魔力は温存して」
「デ、デカデカデカ、うち無理、さが、さがる」
「聞き分け良くて嬉しいね。やるぜ、相棒」
「ああ。さっさと片付けよう」
「シィィイイミッ! ジッ、シャアアア!」
いかに大きかろうとも所詮は獣。
いつか相手取った牛頭の怪物や、旅の間に相手をした霧の魔物に比べれば何てこともない。せいぜい『汚く黄ばんだ、いかにも病気をもっていそうな牙を突き立てられたら厄介だな』といった考えが剣を振るう途中に頭をよぎった程度だ。それであっても回復魔法による解毒をいくつか試し、適切な処置をすれば重い症状にはなるまい。
「ミ゛ッ……」
打ち倒した巨大ネズミの頭部にとどめを刺し、コルネリウスが槍に付着した血を丁寧に拭った。
「いやあ大物だったな」
「そうだね。ところで乾燥肉はまだ足りたっけ?」
何がおかしかったのか、コルネリウスは途端に顏をひきつらせ、
「ユリウスさん、もしかしてこいつを食べようとか思ってませんよね?」
「冗談だよ。はは、コールは敬語が似合わないね。笑える」
「笑えねえよ! 後処理は……いつもならビヨンに頼むところだが、今は凹んでどうしようもねえな。しゃあねえ、このまま行くか」
そうしてビヨンを呼び戻すとわたしたちは樹木の生い茂る二階を進み始めた。
一階の無機質な作りはともすれば『死』と同様の静けさを感じたものだが、二階で受けた印象は『生』であった。
レンガ造りの壁は太いツタや厚い葉に覆われており、それらを手で退かさなければ地のレンガ部分が見えないほどである。
ビヨンにわたしの手帳(日記だけはまめに続けている)を手渡し、マッピングを頼んだ。
「上手く出来る自信はないけど……」とは彼女の弁。
壁には扉の類は一切無く、曲がり角の辺りに決まって二つで一組らしき箱が置かれているのが印象深い程度であった。
「なんだろうな、これ」
箱の上部は押すと開く小さな窓のようになっており、中には細長い透明なひょうたんがいくつも収まっていた。
興味をそそられたコルネリウスはわたしの制止も聞かずに腕を突っ込むと透明なひょうたんをひとつ取り出してみせた。
「透明だ。ガラスみたいに見えるけど」
「そうだな。でも柔らかいぜ」
「これは砂に還らないんだね。すごい、押したら歪むけどすぐに元の形に戻る」
「……柔らかいガラス? 矛盾してるように思えるけど」
「古代の遺物ってやつじゃねえの? 持ち帰れるんなら丁度いいや、おれの荷物に突っ込んどく」
「お願いね」
探索はほとんど運任せだった。ビヨンの持つ杖の倒れた先へとわたしたちは進み、時にはジャンケン(酒場で聞いた東方伝来だという、議論決着の儀式だ)を用いて曲がり角を選んだ。
すると道中に野営の跡が見られた。
黒ずんだ木材、火が立った名残。それほど時間は経っていない。ここに誰かが居たのだ。
「見て。グループはひとつじゃないみたい」
「ひい、ふう、みい。多いな。五グループ……十五人以上は居る」
床を覆う草葉を尻に敷いたのだろう。植物の潰れ具合と放置された乾パンの袋や、一度限りの使い捨ての携帯砥石。
大勢がここで休息をした痕跡があちらこちらに残されている。
「こんな大所帯が居るんだな。俺らとは随分離れてるか? 気配が無いぜ」
「これは……」わたしはしゃがみ、野営の痕跡を念入りに確かめると、「半日は経過してる。この階には居ないんじゃないかな」
「どれだけ広いかにもよるけどね。うちらは休む?」
「僕はまだいける。コールは……大丈夫か。ビヨンは?」
「んん……元気!」
親指をぐっと突き立てて答える。が、彼女が自分の具合を詳細に伝えず、ただ一言「元気!」と答える時は大概疲労をしている時である。
わたしは荷を解くと足元に置き、「少し休もう」と短く言った。
一時間余の小休止。そのあいだにビヨンは思い出せる限りの〝夕見の塔〟外観のスケッチを終え、わたしはコルネリウスと二人で脅威への対処の意見を交わした。
言ったところで結局はいつものパターンに落ち着くのだが。わたしが攻撃を受け止め、コルネリウスが一撃を加えて仕留める堅実な攻め。そこにビヨンの攻撃魔法が加われば、三人で望める攻め手としては十分すぎるものだ。
荷を背負い、装備を点検し、さあ進もうと言葉に出そうとした時のことだった。
「何か聞こえない?」
とビヨンが言ったのだ。そういえば一階でも彼女が異変を見つけたな、と思いながらにわたしは耳を澄ませた。
するとどうだろうか。地響きに似た音が遠く細く聞こえており、それは正体を探ろうと意識を澄ましているあいだにもどんどんと大きくなっている。
「はっきり聞こえるぜ。地震とは違う、何かが猛烈な速さで動いている音だ」
その場に伏せ、床に耳を押し付けながらにコルネリウスが言う。顏は神妙そのもの。普段の軽薄は欠片も浮かんではいない。
「猛烈な速さ?」
聞き返すこの瞬間にも音は膨らみ、すぐそばの通路でどん、どん、と何かが衝突している音、いや、轟音が響いている。
聴覚を澄ましながら装備の点検を急ぐ。剣、盾、荷物、とっさの手段、万全だ。
「ああ。そうだな、例えば――」
ガンッ!
前方、より正確に言えばわたしたちが歩いてきた通路。その突き当りの壁に、石造りの巨大な球体が猛烈な勢いで衝突をした。
球体はコルネリウスの背丈よりも大きく、となれば二メートルを上回るサイズということになる。
「えーと……デケえ玉……とかさ」
一度の衝突で通路突き当りの壁は見る影も無くひび割れ、崩れてしまった。それでも球体の運動は止まらず、身じろぎをするかのようにゆっくりと揺れると、わたしたちを目掛けて回転を始めた。
一回、二回、三回。数を重ねるたびに回転速度は上昇し、遠間に聞こえた地響きが目の前で再び轟きはじめる。
現実を認識するまでの沈黙は一瞬で破り去った。
「まずくない?」わたしは辺りに視線をやり、
「絶対まずい。まずい、まずいまずいまずい」この休憩場所が逃げ道のない一本道であることに今更に気付き、
「走れ! このままじゃ潰されんぞ!」
コルネリウスが叫び、わたしたちは脱兎のごとくに逃げ出した。
先行しているであろう同業者もこれに追われたのか? いや、落ち着け、何を考えてる。考え事は後だ。まずは走ろう。走らなくては、
「潰されるううう! おっきゃああああ!」
「黙って走れビヨン! お前の好きな押し花みてえになっちまうぞ!」
「道は!?」
「勘だ! 俺に任せろ!」
「ほんとに頼れるの!? ああ、でも、もう――」
果てしなく不安であった。彼は強運と呼ぶにはあまりに平凡なツキの持ち主である。が、わたしも混乱の極みにあったのだろう。この窮地に痛快にも威勢良く声をあげる彼はやはり頼もしく見え、彼に一行の命運を託したのだ。
「コールに任せた!」
「おう……!」
彼の案内が冥府への道、ならびに押し花に似た末路を辿らないことを祈るばかりであった。
背後でメシャリ、と壁が砕けた音がした。ああ、神よ……。




