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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
五章『古き緑』
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058 風化の部屋


 掃除の手の行き届いた屋敷がそうであるように、コルネリウスが静かにノブを回した扉もまた、チリや埃を少しも立てずにそっと開いていく。

 腰に吊った剣に触れながら、わたしたちの前に晒された古代の部屋――あるいは罠だ――を通路に立ちながらにじっと観察をした。


 十秒、三十秒、一分。

 

 無音だった。

 廊下に音は響かず、開け放たれた部屋から何者かが飛び出しても来ない。

 耳を澄ましたが隠れ潜んでいる風でもないようだ。『霧の探知機(ミストベル)』にも反応は無い。

 室内ギリギリに立つコルネリウスがわたしを小突いた。

 

「問題ないだろ。入ろうぜ」

「まあ……カカシになっていても仕方ないし、開けちゃったしなあ……分かったよ」

「せえので入ろうよ。合図はうちね。三、二、一、せえの――!? ちょっとユーリくん!?」

「ごめん。『三、二、せえの』かと思った」

「そんなわけないでしょ!?」

 

 一歩早いも遅いもそう変わらない……と言い返すのは蜂の巣を蹴飛ばすようなものだな。わたしは口をつぐみ、警戒はそのままにして室内を見回した。


「……普通の部屋?」

「普通の部屋だな」

「ほんとだ。普通だ」


 白い壁に木目の床。壁には鏡が掛けられ、シーツの敷かれたベッドが隅に置かれ、そばには観葉植物。こちらは誰かが毎日欠かさず面倒を見ているかのように、葉は青々としている。

 他には机と書棚が目を引いた。机上には燭台や魔法灯(まほうとう)とも違う、奇妙なオブジェが載っている。ドーム型の土台から骨を組み合わせた棒が伸び、その先端に透明の玉がくっついている。未知の道具だ。

 

 机にはペンがひと揃え備わっているだけで他に見るべきところはなく、書棚に意識を移した。

 

「すかすかな棚だね」ビヨンが上から下までを眺めて言った。

「お前の実家と比べるなよ、ビヨン」


 棚そのものは大きいが、実際に収まっていたのはたったの六冊だった。

 試しに背表紙に触れると、

 

「あれ、崩れたな」

「力でも掛けたか?」

「そっと触れただけだよ」


 わたしの指先が触れた途端にその一冊は砂と変わって崩れてしまった。原型はもうわずかも残ってはいない。

 不審に思ったコルネリウスもまた机の上のペンに触れた。しかし結果は同じだった。彼の指先が触れたペンもまた、さらりとした音を立てて砂に還ったのだ。単純な風化とは違う、わたしたちの知らない力が働いているように思えた。


「この分じゃあ何も調べられそうにねえな」

「他の部屋はどうかな?」


 胸の内側で好奇心が肥大していくのが分かる。わたしの片脚はもう廊下に踏み出していた。


「ユーリくん、一度スイッチ入るとこうだからなあ……」

「ふっ……これぞ俺の策よ。渋るユリウスをその気にさせりゃあ後はなし崩しだ。追跡犬みてえにどこまでも行くことを俺は知っている」

「コール、そういうのは僕本人の前で言うことではないんじゃ……」

「おっと失礼。悪いな、たまには俺だってミスる」

「いつもでしょ!」


 杖の底でつま先を潰されたコルネリウスの呻きを背中で聞きながら、わたしは廊下向かいのドアの前に立った。

 ベルでの警戒は怠らない。ドアノブは滑らかに回り、間もなく静かに開いた。

 



 最初の部屋と同じ作りだった。

 家具の配置、書棚の並び。よく見れば観葉植物の鉢植えの向きまで同じだったかも知れない。

 

 注意を払い、針の穴に糸を通すに等しい細心をもって植物の葉に触れた。

 すると途端にばさり、と青々とした観葉植物は鉢植えもろとも砂に帰してしまった。その変化は文字通りに『瞬時』であり、ただごとで無いのはもはや自明だ。

 

 部屋を出た足で、隣室、そのまた隣室と続けて扉を開き、複数の部屋の様子を確認して回った。この時のわたしの心中には好奇よりも得体のしれない焦りに似た感情が湧いていた。

 

 結果、どの部屋も――あらゆる部屋が同じ内装だった。

 夢だろうか? 馬鹿な、ここは現実だ。

 だがもし、もしわたしがたった一人でこの遺跡に入り込んでいたのならば、出口も見当たらず、行き場の無いこの有様に気が触れていたかも知れない。

 

「おかしくなりそうだぜ」言ったのはコルネリウスだった。彼はいかに触れようとも唯一崩れない壁に背を預け、「通路に寝転がってた連中、もしかしたら頭がどうかしちまったのかもな」


 と頬をかきながら言った。反論したのはビヨンだ。彼女は携帯しているノートの紙面につらつらとペンを走らせて出来事を記している。普段そうしているように記録をつけ、顏もあげずに、


「だからって同じ場所にみんな揃って転がるかな?」

「集団行動してたのかもしれねえだろ。それかあそこに踏むと作動する罠があったとかさ。ま、誰も答えは知らないんだろうが。死人じゃねえけどああなっちゃ口無しさ」

「まあね。さて……どうしようか?」


 わたしの問いに誰もが無言だった。

 変化を求めて開いた扉の中には結果として何も無く、通路に出口がある保証も無い。

 言葉の詰まる中、わたしは壁に掛けられた鏡をじっと見た。

 

 くしゃくしゃの黒髪に真っ青な目。顏は精悍になっているのだろうか? 自分で見る限りではまだ幼さがあるように思える。

<リムルの村>へと帰ったら、父と二人で並んで立ち、どれだけ似たかと妹のミリアと母に聞いてみよう。


「ナルシズムに目覚めたか?」

「違うよ」


 言って、鏡の自分をじっと見ていたのは言い訳が出来ないな、と思い、少しだけ眉をひそめた。

 

 

 と、通路のどこかで大きな音がした。

 聞き間違いではなく、逃がすような音でも決してない。コルネリウスもビヨンも音に反応し、わたしたちは顔を見合わせた。

 

「聞こえたよな?」

「うん。ゴゴゴって」

「間違いなく」

「よっしゃ。と、くればだなグエァッ!?」


 出て行こうとするコルネリウスの首根っこ……にはどうあっても背丈が届かないので、彼のベルトを引っ掴む手があった。ビヨンだ。

 言うことを聞かない馬鹿な弟に言って聞かせる姉のような強い気迫を伴って彼女は言う。

 

「バカコール! 今出てどうすんのよ、迷宮にはとんでもない怪物が居るって話だってあるんだからね!?」

「怪物よりくの字に曲がった俺の腰の方が心配なんだが……それにここは遺跡だぜ、迷宮じゃ――」

「いい? こういうとこにはね」


 無視である。


「巨大な蛇が巣食っている、って定番の噂ってもんがあるの」

「デカい蛇だあ?」

「そう! それの体は大木のように大きいの! 通路なんて少しの隙間も無いぐらいみっちりと埋めて這って動くんだから」


 そんなもんあるわけねえ。コルネリウスは一笑に付した。彼はビヨンをからかうことに決めたらしい。力の無い笑いでへらへらしている。

 

「そんなにギリギリの幅でその蛇は移動が出来るの?」とわたし。

「さあ、どうにかこうにかじゃない? 知らないよ。出来るもんは出来るんでしょ」


 言うだけ言って適当なとこは適当な女だ。なんだかアーデルロールに似てきたような気がする。気の強いところを真似して欲しくはないのだが……。

 

「その場で回れ右も出来なそうなデブ蛇なんざ怖いもんかよ。行こうぜ相棒」

「ミストベルにも反応無し。何かが這うような音も無いし、その噂の出所はまた別のダンジョンでしょ。行こう、ビヨン」

「ちょっと、もう! 警戒は忘れないでよね!」


 コルネリウスは片手をあげ、ひらひらと左右に軽く振る。『はいはい了解』のハンドサイン。気の無い返事。こんなことをしては、後で彼のつま先が潰されるんだろうなと想像する材料としては十分過ぎるものである。

 わたしは胸の内で静かに合掌し、通路を歩きはじめた。

 

 ビヨンの危惧した成長をし過ぎたあまりに自死必至な巨大蛇の姿は当然無く、どころかわたしたち以外の姿は無い。

 開けっ放しのドアが不気味に並ぶ通路。わたしの認識のままだ。

 

「音はどっちから聞こえたっけか?」

「確か左手。記憶が確かなら一度通った道だよ」

「そうか? けどあのいかにもな音だ。何も無いってこたねえだろ」


 わたしよりも頭ひとつ分多いコルネリウスの背を追って、元来た道をさかのぼる。

 すると通路と通路が交差し織りなす迷宮地獄はそこには無く、通路の果てには終点が、もとい階段が出現していた。

 

 見飽きた景色に変化が生じれば興味が湧くのは当然だった。冒険者として、また太古にロマンを感じる青年として。

 わたしたちは誰からともなく駆け足になり、ドアを開けずとも中身の予想がつく通路を横切ると階段をしげしげと眺め見た。

 無機質な壁や床とは違い、階段は苔むしたレンガ作り。いかにも迷宮、古代遺跡といった雰囲気でいて『ようやくそれらしくなったな』と内心でごちた。


「ようやく終わりだ! 悪夢みてえな通路とはおさらばだぜ」


 言ってコルネリウスが階段に足を掛け、

 

「あ」


 とビヨンがぽつりと言った。

 

「何だよ?」


 しかめっ面で仲間の魔女見習いを見るコルネリウス。しかしその顏も、ビヨンの示した指先を見て冷え込むことになる。

 

 何の変哲もない木製のドア。もう何度も開けたドアだ。内装なんて今更確認しなくとも、他の部屋と全く同一の内装、触れれば砂となって消える部屋があるんだろうなと分かってしまう。

 が、そのドアは半開きだった。薄らと開いた隙間から何かの液体が漏れ出して廊下を汚している。

 コルネリウスがブーツのつま先で黒い液体を踏み、その場で薄く延ばすと赤黒い筋が床を色付けた。

 

「これは……」


 血だ。三人ともすぐさまに液体の正体を察し、ドアからさっと身を引いた。

 神秘や古代の秘密、文明には多大な興味があるがしかし、他人の死を嬉々として見たいとはまるで思わない。それはもうわたしとは関係の無い性癖の分野だろう。

 

 無言で階段を登り始めるコルネリウスの背を追い、わたしたちは塔の一階を後にした。

 

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