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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
五章『古き緑』
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057 心ここにあらず

 何度呼びかけてもうんともすんとも言わない。名前で呼ぼうにも、この男については自分の同業者だということ以外に何も分からない。


 大丈夫ですか?

 名前は分かりますか?

 生きてます?

 反応は無い。どんな問いを投げかけても、彼はまばたきひとつさえ動かない。

 屍のようにうつろだった。色味の無い唇はぽっかりと開き、焦点の合わない目はそばのドアノブをぼんやりと向いている。


 彼が起きあがれないのは明白だった。

 力がまるで通っていない手足は放りだされ、白痴の色の強い顔をして呆けている様子はまともではない。人間。そう見るよりは糸の切れた操り人形の方がよっぽど近い。


「参ったな」


 コルネリウスは立ち上がるとこちらを振り返り、


「時間の無駄だ」


 と短く言った。

 それからコルネリウスは端正な顔を苦々しく歪めて、無秩序に寝転がる人間たちを眺め見た。種族や性別はそれぞれ十人十色といった具合に違ったが、茫然自失という一点だけは彼らに共通している。


「どうなってんだこりゃ。塔に仕掛けられた罠か?」

「予想もつかないね。とにかく……」わたしは床上に放り出された力の無い手に指をそっと添えた。脈はまだ打っている。「彼らの仲間入りは避けたいな」

「同意だな」


 細く浅いものではあったが彼らは息を吐いていた。胸が上下し、わずかな呼気が重なり聞こえる。

 重々しい鉄の鎧や布のローブ。腰には鞘に納まったままの剣が下がり、背には旅の荷が詰まったかばん。古塔調査に赴いた冒険者連中だ。

 辺りには血痕は無く、小競り合いや戦闘といった荒事が起きた痕跡も認められない。

 剣士の手は腰に下げた鞘には伸びず、魔法使いが杖に触れた様子も無い。

 ここで戦闘は起きていない。

 

「一斉に気を失った、としか思えない光景だな」

「集団催眠とか?」

「それで全員が寝落ちってか? 冗談言うなよ」


 笑えねえ。ニヤけた顏をするコルネリウスだったが、自分が今立っている場所が前人未到の古代の塔であることを思い出したのか、元の神妙な顔つきへとぱっと戻った。

 集団催眠以外では何があるだろうか。罠か、やっぱり魔法か。

 

「あるいは幽……」

「居ない」

「えっ」

「だからその何とかってのは居ないって。集団催眠でいいだろ」

「古代の遺跡なんだし無い話じゃないでしょ。とっくに亡くなった古代人の――」

「やめろ!」


 コルネリウスの悲痛な叫びが通路に長々と響いた。きいんと残響まで残るほどである。彼は革製のグローブをぎゅっと握りしめて、


「いいかユリウス! 俺はその筋は認めねえ! お前がその、ゆう何とかっつう概念から興味を失うまで俺は耳を塞いでるからな!」

「ええ……」

「終わったら俺の肩を叩いてくれ。いいな?」

 

 何のかんのとわたしが言う前に彼は広い背中をこちらへ向け、子供のように耳を塞ぐとついでに目まで閉じてしまった。

 やれやれ。

 そうして肩を竦めるとビヨンの小さな声が聞こえた。聞き間違えではなく、続く声もが震えている。


「……ね、ね~……二人とも、さあ」


 良くない兆候である。彼女が『ねえ、ちょっと。あれマズくない?』だとか『嫌なものを見ちゃったかも』なんていう不安や懸念を口にすると、その大体の場合はわたしたちの許へと不幸がせっせと訪れるのだ。

 わたしはコルネリウスの肩を叩くと、口を手で覆い、青ざめた顏をしているビヨンをあごでしゃくった。

 それから互いの顔を見合わせた。

『こりゃ何かあるぞ』

『きっとろくでもないことだ』

『よし、肚を決めるぞ』

『合点承知』

 十年以上の付き合いの上に寝食を共にする我が親友コルネリウス。今となってはアイコンタクトで大体の考えは察せられるというものだ。

 わたしと彼は無言のうなずきを交わし、同じく幼少よりの友である、駆け出し魔法使いの女――ビヨン・オルトーを振り返った。「どうかした?」と。


「入口が無くなってる」口をわなわなと震わせながらにビヨンが言う。顔面蒼白だ。

「一応聞くが、何の?」

「塔の入口の! 入口が! うちらが歩いて抜けた塔の入口が無くなってんの!」

「は?」

「……さすがは古代遺跡」


 古代人というのはどうにも厄介な相手らしい。

 ……やれやれ。

 


〝夕見の塔〟、一階。


 塔の内部へと続く横穴を延々と歩いていた。内部は薄暗く、足元には水が薄く張っているようで、一歩を歩む度にぴちゃぴちゃと液体を踏む音が通路に響いた。

 道はどこまでも真っ直ぐだった。塔の入口だというのならばそれらしく、暗闇の奥底にはわたしたちが辿り着く先の光が少しでも見えそうなものだったが、それさえも無い。

 

 真性の闇があるばかりであった。

 だからといって何のこともない。

 何せここは前人未到の古代遺跡なのだから。これも塔の仕掛けのひとつだろうと思い、わたしはいつか終わりが訪れると信じてひたひたと歩き続けた。


 踏みつけた水音が冷たく響く。そんな中、わたしは『洞穴の行軍中、気が付いたら隊の足音が一人分多くなっていた』という定番の怪談話を思い出した。

 しかし思い出しただけで、もちろん口には出さない。ちらと口にすれば最後、コルネリウスがこの暗闇の中でギャアギャアと取り乱すのは火を見るより明らかだ。

 

 顔立ちが良く、戦士らしい風体をしていて、とっつきやすい快活な性格。

 黙ってさえいれば女の方からほいほいと寄ってくるだろうに。そんな彼が実体の無い幽霊を怖がるというのが、付き合いから十年が経った今でもわたしにとって大きな謎であった。

 

「この洞窟どこまで続くんだろう……」ビヨンがぽそりと言った。

「合言葉を口にしない限り、ずうっと歩き続けることになる罠だったりしてな」

「いやあ、それはしんどい――」

 

 ふと、ぬめりとした膜を通り抜けた、ともすれば不快な感触がした。

 粘着質の薄膜を無理矢理に突き抜ける不気味な感覚。怖気が走る。

  

「い、今、何か触った……!? よ、よな?」

「ぎゃあっ! うちすっごいぞわっとした! 後なんかべちゃって! うげえ……何だったんだろ……」

「蜘蛛の巣かな?」

「マジか……こんなに暗いんだ。あり得ない話じゃないけどよ……くそ、暗くて見えねえ」

「正体が分からなくて良いのか悪いんだか」

「先に言っておくけど蜘蛛の巣だったら、うち、失神するからその時はよろしくね。置いて行かないでね」

「勘弁してくれ、背負うのはいつも俺じゃねえか。いてっ、おい暴れんなよ! どこ触ってんだビヨン!」

「ごめん、それ僕。この柔らかいの何?」

「そこはお前……あっ、俺の――おい、あれ何だ?」

「光……?」

「光だね」


 果てのない暗闇の先にきらりと――、一条の光が見えた。それは星の輝きのように何度か瞬くと静かに膨らみ、音もなく膨張を始めた。

 光は加速度的に巨大になり、視界一面の暗黒を自身のもつ白色で急速に塗り潰していく。


 光が迫る様を見ているのは、何と語るべきか、例えるのならば投げ縄を放られる魚の気分であった。間もなく光はわたしたちの足元から頭上を覆い、やがて全周囲を輝きで満たした。

 

 振り返ると光は背後の闇の最果てを目指して伸び続けていた。この通路はすぐに一面の黒から白に変じるだろう。

 

「おいおいおい、こりゃ一体どうなってん――」


 コルネリウスの顏が縦長に伸び、ビヨンの胴体が楕円に歪み、視界が像を結ぶ事を放棄し――……、

 

………………

…………

……


「――だ!?」


 灰色の壁面に黒い床。

 歪んだ視界が晴れたあと、わたしたちが立っていたのは無機質な屋内だった。

 床は鏡のように磨きあげられており、足元を見下ろすわたし自身と目が合った。ほんの一瞬、父フレデリックに見えたのは成長したわたしと彼が瓜二つであるからだろう。

 廊下だった。両側の壁にはそっくりの作りのドアが無数に連続している。

 

「どこだここ!?」

 

 コルネリウスの驚きの声が通路に響き渡った。

 どこだここ、だここ、ここ、ここ……。

 

「やまびこみたいだね」


 ビヨンがぽつりと呟き、やっほー、とありきたりな声をあげる。すると彼女の間延びした声は灰色の壁が続く通路の彼方へと消え、跳ね返った響きがすぐに戻ってきた。やっほー。

 

「これが塔の中か?」

「間違いないと思う」辺りを見回した。本で目にする宮殿の写真のように綺麗な場所だ。床にはゴミひとつさえ落ちていない。「……想像していたのとかけ離れてて驚いた。遺跡といったら経年劣化で壁が崩れてたり落石があったり、荒れ放題かと思ってたんだけど」

「綺麗すぎるよね。それにこの壁と床」足元を見下ろし、ビヨンが手を振った。「鏡みたいに綺麗。こういう内装はマールウィンド連邦の様式とは違うよ」

「古代の流行だったのかもな。……不気味だぜ。立ち止まっているのも何だし、少し進んでみねえか? じっとしてても何もなさそうだ」

「賛成」


 言ってわたしはビヨンに顔を向けた。彼女は帽子をぎゅっと被り直し、それから親指をぐっと突き立てた。

 では、前進だ。

 


 そうしてわたしの振り返りは終わり、生気の無い冒険者たちがゴロゴロ転がる通路へと話は戻る。

 

 足に装備したグリーヴの靴音が甲高く響く廊下を、ほんの三分ばかり進んだところに彼らは居た。

 ある者は壁によりかかり、ある者は大の字に倒れ、ある者はうずくまったままで口元から唾液をこぼしている。

 心ここにあらずと表するのが相応しい。

 彼らを最初に目にしたのはコルネリウスで、口を覆って引きつった悲鳴をあげたのがビヨンだった。


「回復魔法も効果無し。声を掛けてもあーともうーとも言わねえ。相棒、どうする? 俺はこいつらを置いて前に進んだ方が吉だと思うが」

「ビヨンは?」

「コールくんに同じ。うちらに出来ることは無いよ」

「……全員を抱えて動くのも出来ないしね。それに――」わたしは自分たちが歩いた廊下に顏を向けた。「入口も無いしね。行こうか」


 二人の了解を確認し、わたしは荷を担ぎ直すと廊下を別の方向へと歩きはじめた。

 無論、手元に地図は無い。風を頼りにして歩こうと指先を唾液に濡らしたが、肌が感じる動きは何もなかった。

 こうなれば勘で動く他にはない。わたしたちは時にジャンケン、時に人任せといった具合でいくつもの十字路を曲がり、変化を求めて歩き続けた。

 

「よお。このドアの中……どうなってるか気にならねえか?」


 コルネリウスがそう言ったのは――確か六個目の十字路を折れた辺りだった。

 何を馬鹿な。わたしは彼を見上げ、

 

「これはあからさまに怪しいよ。絶対にやめた方がいい」

「そうだよバカ! 違った、コールくん!」

「あれ、ビヨンお前、今普通に間違えた?」

「間違えてないよ。ねえ、通路にびっしり続くこのドアを見てよ! この作りだけでも物凄~く怪しいのに、よくよく見たらドアは全部同じ作りなんだよ? ただごとじゃない。開いたら化け物が飛び出してきてもおかしくないよ」


 そりゃもうドカン! と。ビヨンは両手を掲げると獣の手を真似るように指先をぎゅっと曲げて、コルネリウスを脅かした。


 怪物。

 聞いて、わたしはポケットからガラスの小瓶を取り出した。首都<ウィンドパリス>を発つ少し前、シラエアに手渡された旅の必需品――『霧の探知機(ミストベル)』を。

 霧と魔物は密接な関係にある。

 霧が現われれば魔物もまた出現し、人を襲う脅威となる。ルヴェリアという世界における古来からのルール、世界の決まりごとと言ってもいい。

 

 霧はその出現に伴って魔力を発する特性があり、この『霧の探知機(ミストベル)』はそれを極めて鋭敏に知覚する警報装置だ。

 シラエアからベルを受け取って以来、一度も使った試しはないのだが……記憶が正しければ、霧を感知すると中に取り付けられた銀の鈴が鳴り、小瓶の中に霧が現われるという。濃淡が危険度を判断する指標だったはずだ。

 コルネリウスやビヨンに見えるように突きだした『霧の探知機(ミストベル)』は無色透明のままであった。取り付けられた鈴も鳴らず、となれば付近に霧は無く、ひいては魔物も無いということになる。

 

「お前の勘よりも、相棒の小道具の方がずっと信用出来るわ。見ろよ、鈴はうんともすんとも言ってないぜ?」

「そりゃそうだけど……ガオオって出て来たらどうすんのよ」

「はっ、そんなもん――」


 コルネリウスは背後のドアノブにそっと手を掛け、

 

「拳で撃退に決まってんだろ!」

「……脳筋」


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