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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
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056 遠い待ち人


 とびきりに巨大な筒状の白い陶器。塔を前にしたわたしが抱いた第一印象はこれだ。

 不自然なまでに綺麗な円状に整えられていた空き地はすっかり消え失せた。その代わりに場には白い巨塔がどっしりと据えられ、天を突かんばかりの図体でそびえ立っている。


 現場に集まっていた同業者連中はあからまな動揺と驚きを露わにし、根拠のない推論や裏なんてまるで取れていない断言があちこちで飛び交っている。この場の賑わいは夜の酒場を凌ぐほどだ。

 誰しもが塔の頂上部を見上げていた。野山に建てるにはあまりにも大きすぎる。<ウィンドパリス>の首府である<大星たいせいの塔>に勝るとも劣らない規模の塔だ。

 ふと、歴代のマールウィンド連邦首相が根城としているあの塔も古代の遺物という話だったな、と思い当たった。

 

 そうだ。あの塔を見上げた時も今と同じ印象を受けたものだ。

 つまり、あまりにも大きく、高く、頂上がまるで見えない。

 

「コールたちは塔が現われた時に現場に居たの?」首を上向けたままにわたしは訊いた。

「ああ。お前を助けに行こうとダッシュするぞ、と思った途端に後ろで悲鳴が聞こえてな。一体なんだと振り返ったらこれだ」

「出現に前触れは無かった」


 小さなガラス瓶を取り出してシエールが言った。鋭い眼差しで小瓶を見つめ、何度か振るう。うんともすんとも言わず、何も起こらない。

 

霧の探知機(ミストベル)にも反応が無かった。あの塔はごく自然に……以前よりこの場所にあったように現れた。そうだな……」思案顔だ。目を細め、唇に指をあてがい、うつむいて浮かべる顔は探偵のそれだ。「覆っていたベールを音も無く、一息に取り去った、と言うと近いと思うが、どうかな?」


「どうかなって。いや、振られてもな……分かんねえよ」話を向けられたコルネリウスがぽかんとした顏をする。「そういう例えに上手く返せねえし。急に現われたってのはその通りだけどよ」

「この場の全員がこんなに大きな塔が視界に入っていなかった、なんてワケないよ。不気味だね。うち、ちょっと怖いかな」


 巨大な塔、ね。高地に立ち、雲を貫きそびえるこの巨塔は当たり前だがひどく目立つ。

 首都<ウィンドパリス>ではとっくに観測され、大平原でも場所によっては見えているだろう。

 今頃はマールウィンドが誇る著名な識者たちが顔を付き合わせて話し込んでいるに違いない。いつの時代のものだ、何故今まで認識されなかったか、大発見だ、誰それの研究が……。新たに設置された名誉の椅子を巡り、立派な頭脳と弁での争いが幕を開けていることだろう。


 そうとも。この規模の建造物を見逃すことはあり得ない。古代より形を保ったままに時を刻んだ遺跡として、すぐさまに世に名を馳せるはずだ。

 親友に負ぶさったまま、わたしは観察に目を光らせた。

 純白の塔の根本には草葉が絡みついている。遠目に見る限りでは建物に目立った損壊は無い。ヒビや部分崩落といった、経年劣化の仕業による破壊はひとつも認められない。

 時間の流れという絶対的なルールに従わず、古代から現代へと時代を跨いで現われた特異な存在だと思えた。


 酒場で耳にした話を思い出した。

 ある古城には今より何百年も前に描かれた絵画があり、それは当主が代わり、季節が移ろう中でひっそりと忘れ去られていったという。数世代の後。ふとした切っ掛け、偶然の積み重ねの中で子孫がそれを見つけた。そしていざ絵画を覆うベールを取り去ってみると、そこには在りし日の輝きと美しさを保つ、まさにたった今描き上げたばかりかと見紛う、美の絶頂に至った婦人の人物画があったという。


 酒場の酔いどれ女とその仲間は『その絵はとんでもない高値で売れるって話だ』『屋敷を別名、宝物殿とも言う。何でかって、お前、金銀におぼれた金持ちの家だぞ?』なんて金の話ばかりをしていたが、わたしは時間を経てなおも維持される美しさに感心を覚えていた。

 

 眼前にそびえる〝夕見の塔〟。これこそは酒場で聞いた話の具現だろう。目に見えぬベールに覆われ、時の経過を逃れてこの塔は現れた。ロマンチストな結論だが悪くはない。


「なるほどね」とビヨンとシエールの議論に相槌を打ち、わたしは手近な木の根に下ろしてもらって体の調子を確かめた。手足には風邪の引き始めに似た虚脱感がまとわりついていた。四肢の芯に鉛を注がれたようで、ひどく気怠い。

 魔力切れに特有の症状だ。これがどれだけのあいだ続き、どれだけの時間で回復するか、わたしにはすっかり分かっていた。

 魔力の量は低いがその分、回復が早いのが取り柄だ。こうでもしないと釣りあいが取れない。


「どうにか対処しないとな……毎度倒れてちゃ話にならない。魔力を使う行動は精々五回。持続型なら減りはもっと速い。帰ったらイルミナに相談だな」


 魔法は便利だ。搦め手に回復、隠遁。いくらだって使い道がある。

 利用のアイデアは数多いが、使用の対価となる魔力がわたしはどうにも少ない。

 それがために結局は切った張ったで場を乗り切る羽目になるので、わたしは自分の短所を改善したいと考えていた。


 あまり頼りたくはないが、魔法の師であるイルミナ・クラドリンに助けを乞うより他になさそうだ。大魔法使い(自称)で通っている彼女は住所不定、おそらく無職。一年前まではわたしの実家で居候をしていたが今はどうか分からない。


「まあ、どうせ居るんだろうな。もう何年も住んでるし今更出て行かないだろう」


 ところで……わたしが彼女に抱く苦手意識は何が切っ掛けなのだろう。

 ある時の奇天烈な行動を目にしたのを境に避けるようになったかと考えたが、ビヨンや妹のミリアとはまるで内容の違う、暴力的ともいえる特訓に嫌気が差したからかも知れない。あるいは初めて出会った時にはもう眉をひそめて見ていたようにも思う。

 右手を開き、閉じ、指の運動。グーパーを作りながら考えているとコルネリウスの気配がした。

 

「しかし随分ボコボコにされたな」


 見慣れた笑顔で話しかけてくれた。彼はわたしに鞘に収まったままの剣を放り渡し、横に腰を下ろした。そしてしきりに槍の柄をさすっている。戦いたいのだろうか。


「剣を使わないで拳でやり合ったのかよ?」

「まあ、後半はね」傷の回復に使う魔力はまだ戻っていない。しばらくは腫れた顏で出歩くしかなさそうだ。「相手も同じぐらい潰してやったから満足だ」


 必死に与えたダメージをさらりと拭われ、リセットされたのは伏せた。見栄を張りたかったのだ。

 

「回復は?」

「魔力がからっけつでね」

「ごめんね、うちが回復も扱えたら……」申し訳なさそうにビヨンが言う。

「お前は火力しか無いからな。それにしたって攻撃特化……だっけか? どういうことだよ。今からでも回復だとか防御だとか、そういう魔法を覚えられねえの?」

「その……」ビヨンがもごもごと口を開いた。どうにも言いにくいらしい。「素質が無いんだって。うちは回復に向いてないってこと……」


 仲間が心底落ち込んだ顏を見せた時、わたしはどう対応をすればいいのだろうか?


 にこりと微笑む。

 だめだ、腫れたまぶたに切れた唇でニコリと笑っても効果は無い。

 肩を撫でる?

 身近過ぎる。

 それに彼女はその、年頃だ。わたしたちは幼なじみで、旅の仲間だ。ここは安心させられるような言葉で十分だろう。

 

「ビヨンはそのままでいいよ」

「ユーリくん?」ビヨンが上目でわたしを見た。

「物凄い火力でどんどん邪魔者を消していってくれれば、僕は嬉しいから」

「おいおい……どんなフォローだよ、相棒……」

「……やれやれ、若いな」



 辺りの驚きは焦りに変わり、間もなく苛立ちに転じた。


「どこにも無いじゃねえか!」


 知らぬ男が塔のそばで声を張り上げ、その憤りがどこかの議論を燃やす薪となる。

〝夕見の塔〟には入口となる場所がどこにも無かった。

 建物をぐるりと回ってみるが、扉、あるいは横穴は見つからず、調度品さながらに滑らかな表面をコツコツと叩き、音を頼りに探るが成果は得られない。

 数十人の人間がいくら試したところで事態は変わらず、だからと言って帰ろうとする人間は居ない。


「そりゃあまたとないチャンスだしな」コルネリウスがぼんやりと言った。

「ああ」


 受けたのはシエールだ。背中を木に預け、塔の周りでガヤつく同業者の群れを遠巻きに見ている。


「塔が出現をしたのはこれが初めてのことだ。恐らくだが、数百年にわたって一度も無かったことだろう。極めて類希な事態だ。……お前たちも含むが、ここに集う冒険者たちはこれを『一攫千金の大いなるチャンス』だと考えている」

「まさしく」


「〝夕見〟の出現の価値は想像以上に遙かに大きい。私はこれは偶然によるものではないと考えている。塔の存在を知っていた連邦はこの状況を重く見るだろう。観測し、調査の人員を選出、出立させ、数時間後にはマールウィンドの紋章を首にぶら下げた連中がここへ現れることは疑いない」

「けどよ。来たって入口が無いぜ?」


「賭けてもいいが、奴らは力ずくで入口を作るさ。現代の技術が古代のそれを凌ぐかどうかは分からないが、あらゆる荒い手を試すに違いない」


 そして、とシエールが溜める。間が空いたことで次の言葉の効果が高まった。


「奴らが現われれば冒険者はつまみ出される。『ここは国が預かる。無法者は帰って酒でも喰らうか酒場で歌ってろ』とな。国とギルドは寄り添うように見えてはいるが、その実は犬猿の……まあ良い。肝心なところは、入口を見つけられなければ我々はつまはじきにされる、ということだ。分かったか? コルネリウス」

「何で俺だよ!?」

「入口……。この調子では見つからなさそうですが」


 青かった空は徐々にオレンジに色づき始めている。ベテランらしいシエールに期待を寄せてはみたが、彼女は塔をぼうっと見上げるばかりで動く気配がない。

 コルネリウスにも、ビヨンにもアイデアは無く、ただ時間ばかりが過ぎていく。

 やがて傾いた陽光が白い塔に当たり、表面を夕焼けの熱が洗った。


「色を吸っているみたいだ」


 首のネックレスに触れながらわたしはつぶやいた。頂上部に射した緋色は中腹、根本へと範囲を広げた。まるで明け色に染めた筆で白い塔を塗りたくるように。


 夜の黒に沈みつつある森の中で唯一、太陽の色に輝く古代の塔。

 神秘的な光景だった。その赤は暖かく、救いだ。寒い冬に揺れる暖炉の炎のように。あるいは世を救った〝霧払い〟の明け色の瞳のように。


 音が消えた。

 最初は周囲の人間が塔の美しさに息をのみ、議論を止め、探索を中断し、言葉を止めたのかと思った。

 だがどうやら違う。全くの無音、虚無の静けさが場に満ちた。


「ビヨン? コール?」


 すぐ横に居た仲間は誰一人としていない。シエールも、大勢の冒険者も、誰も。

 体は金縛りにあったように動かない。元より強い虚脱感はあったが、本当に鎖で縛り付けられているように身動きが取れないのだ。


 視界の色素が抜けていく。木立の影は黒くくすみ、まだ明るい木の葉は黄色く褪せていく。古い写真――セピア色へと世界が変わった。


 記憶の中に居るのか、見せられているのか。

 誰のものを? 分からない。

 山羊の声が聞こえる。いつか聞いた老人の声がする。


 足音がした。

 わたしの真横を数人が通り過ぎる。首も、視界もぴくりとも動かせず、草葉を踏みつける音だけがわたしの聴覚が知り得るすべてだ。


 彼らは歩をゆるめずに塔へと真っ直ぐに進んだ。

 六人だ。影が色濃く、顔はよく見えず、シルエットとぼんやりとした特徴しか分からない。


 三メートルはあろうかという巨体の男。

 大男と同等の背丈の女。槍を背負っている。

 魔法使いらしいつば広の帽子をかぶった女。

 それから剣を下げた三人。男が二人に女が一人。


 六人は身振り手振りで議論を繰り広げているが、わたしの耳は言葉を拾わない。

 やがて彼らは塔へ踏み込むことを決めたらしい。だがどうやって? 入口は無いのに。


 彼らは歩き出したが、たった一人だけその場に残った。

 彼は辺りをきょろきょろと見渡し、最後にわたしを見た。

 朝焼けのように赤い二つの瞳でわたしをしっかりと見据え、一度だけうなずいた。



「相棒」


 自分が気を失っていたと気づくのにしばらくかかった。

 コルネリウスが肩を揺すらなければわたしはもっと長く寝入っていたに違いない。


「コール。今の見た?」


 は? と彼が首をかしげる。


「見たって何をだよ? 今日は俺に変なフリをしてくるのが多いな。俺は気の利いたリアクションは得意じゃないぜ、おい」


 日はとっぷりと暮れていた。辺りは闇夜に沈み、鈴に似た虫の声がすぐそばで聞こえている。

 そしてあれだけ居た大勢の人間が消え失せていた。きょろきょろと見回したが一人も見当たらない。わたしとコルネリウス、それから魔力に感応して灯る携帯ランプで読書にふけるビヨンの三人だけだった。


「全員入ってったぜ」

「どこに?」

「塔が開いたのさ。夕日が射して、それから間もなくだ。マジですごい勢いだったぜ。覚えてるか? ガキの頃、学校に行く道にパン屋があったろ」

「行列ができてた店?」

「そうそう。開店するとドバーッと人がなだれ込んでた店。あんな感じだ」


 わたしはビヨンを見た。彼女は本を閉じ、メガネをケースにしまったところで、わたしと目が合うとやれやれといった顔をする。


「今の例えは微妙だけど、人が一気に雪崩れ込んだのは本当だよ。シエールさんはユーリくんの意識が無いのに気付いて、起きるまで待つつもりだったみたいだけどやっぱり痺れを切らしたみたいで。『時間がない。すまないが私は先に行く。中で合流しよう』って言い残して先に行っちゃった」

「まあ仲間ってワケじゃないしな。お近づきにはなりたいが」

「コールくんじゃ無理でしょ。豚と白鳥だよ」

「言い過ぎじゃねえか? ま、いいや。動けるか、相棒?」


 立ち上がり、拳を握った。力がみなぎっている。体調は十全だ。


「いけるよ。待たせてごめん」

「塔の中で魔力切れは絶対に避けてよね。うちじゃ守りきれないかも知れないし」

「俺と二人ならどうにかなんだろ。相棒がつぶれたら俺が背負って塔をダッシュしてやるよ」

「心強いね。でもビヨンの背中の方がいいな」

「フられたな」

「うちじゃ支えきれなくて潰れちゃうよ」


 腰のベルトに鞘を吊し、装備を点検した。

 リュックには薬品に携帯食料、ロープ、携帯ランプ。必要な物は揃っている。


「じゃあ、行こうか」

「おう」

「先を越されてないといいなあ……遺跡物を持って帰れば高く売れるよ」

「何も残ってなかったら他人から……冗談だよ、コール」


 日が隠れ、月明かりの下でわたしたちは塔に歩み寄った。

 冷たく、無表情だった白い表面に丸い穴がぽっかりと開いていた。

 風が通っている。悲鳴に似た、鋭く細い風の音が耳を貫いた。


 横穴の壁面にはオレンジ色の灯りがちろちろと揺れ、恐れを知らず、過去に敬意を払わない愚か者を招いている。

 わたしたちは互いを顔を見合わせ、拳を重ねると闇の中に一歩を踏み出した。



 重たい夢から起き上がる間際、わたしは声を聞いていた。

 ささやきと言ってもいいか細い声。その音は優しく、穏やかだった。

 

『青く美しい春はもうすぐ燃え尽きる。

 歩む先に季節は無い。夏は消え、秋は伏せ、冬は死んでしまった。

 明日、あなたは怒りに満ちた森を歩く。手元にはロウソクがひとつだけ。

 心細くとも、悲しくとも、ただ歩いて欲しい。

 青い思い出があなたを動かす心の薪。約束と誓い、十三の光があなたを守る。

 いつか夜は明ける。かつて射した朝焼けの瞳はまた昇る。どうか、人生に色を』

 

 ……。


四章『燃え尽きる藍』了

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