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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
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055 木立ちの塔


「――《歪む土くれ》」


 右手の人差し指を立て、続けて中指と合わせて輪っかをかたどる。すると足元に変化が生じた。わたしの魔力が浸透した土は粘土、あるいは飴細工のように形状を歪ませ、あっという間に荒縄に姿を変えるとメルウェンの足に絡みついた。

 ナイフをわたしの胸に押し当てていた彼が目の色を変える。「なんだ?」彼の顔に薄笑いはなく、当惑の色があった。


 わたしの修得した魔法、《歪む土くれ》は名の通りに土の形状を自在に操る魔法。魔力をふくませた詠唱を大地に落とし、わたしのささやきが染み入った範囲の土は文字通りにわたしの従僕と変わる。

 魔法のランクは第二階位――全体で第七階位にまで分類されるルヴェリアの魔法のうち、ケツから二番目というのは随分と低いが、人間種族が扱える魔法が第四までだと思えば努力のほどがうかがえるだろうか。


《歪む土くれ》の変化は速効だ。わたしの右手の指先と土の動きとは密接につながっていて、指先を立てれば土の荒縄となって相手を追い、輪をかたどれば対象を捕縛する。

 集中をする時間さえあれば、自分やビヨンそっくりの人形や魔物の石像を造ることもできる。即興で造る自信はまだ無いが。


「足が……!」


 敵の意表は突いた。しかし奴はプロだ。驚きは一瞬で理解に変わり、冷める。わたしが狙い、突くのはその一瞬の集中の隙間だ。

 頭突きをかました。

 確かこれで二度目だ。この男も面食らっただろう。ケンカならばともかく、互いに武器を振り回しての戦闘で二度も頭突きを狙う剣士がいるとは思うまい。


「がっ、……てっえな! ぶぁ!?」


 間髪おかずに拳をメルウェンの顔に見舞う。肘を引き、頬、鼻っ柱を狙い、拳を二度三度と叩きつけた。

 かといってこの男もただやられるがままのサンドバッグではない。メルウェンもまた、拳を握ってわたしの腹やみぞおち、わき腹を強く殴りつけ、お返しとばかりに頭突きでわたしの顔をつぶした。


「さっさ、と! っぶ、足を離せ、ってんだよ!」

「った、っ、ぐっ、ご……! あんたが、ビヨンに、謝る、っだ、なら、離す」


 子供のケンカじゃあるまいに、お互いにがむしゃらに殴り合うしかできなかった。理由は分からないがメルウェンはわたしに突きつけていたナイフをとっくに放り投げていて、自由になった両手でわたしという肉袋を好き放題に殴りつけてくる。


 悔しいな、と感じた。

 嬉々として両手での殴打を繰り返す奴に対し、わたしは左手しか使えない。メルウェンの足を縛る土とリンクしている右手を解除するわけにはいかず、この男を離すまいとしてありったけの魔力を注ぎ、拳を握りしめ、メルウェンを拘束し続けることに集中と魔力を費やしていた。

 不利なことは分かっている。どれだけの痛みが重い流れとなって身を走ろうとも、やつを逃がすわけにはいかなかった。

 この男は素早く、身を隠す技に長けている。一度逃がせば次に捕まえられる保証はない。


「はは! ってえな……! ならおれがお前の彼女に謝んなければ――」とびきり重い一撃をみぞおちに叩き込んでやった。メルウェンの細身がくの字に折れるが、変わらず軽口を言う。「――っ、ケンカにつきあい続けてくれんのか? サイコーだな」

「冗談でしょう? 面白くない。そうなる前に黙らせます」

「ならやってみろよ、ルーキー!」

「上等」


 互いに同じタイミングで拳をあげ、真っ赤に腫れたまぶたの下で相手を睨み、とっくに切れていた唇を笑みにゆがめ、堅く握りしめた拳で相手の顔面を殴りつけた。



 汗みずくだった。

 森は静かで、空気は冷たく、時間が止まっているようにさえ思えた。

 わたしは息を荒くして仰向けに倒れていて、自分の胸に向けられた大振りのナイフを見ている。


「おれの勝ちだな。次はどんな手で楽しませてくれんだ?」

「っは……はあ……ボロボロの顔してよく言いますね……」

「ああ? これか」メルウェンが自分の顔を手で覆い、「ほらよ。綺麗なもんだろ」


 傷や汚れのいっさいが綺麗さっぱりに消えてしまった。

 わたしが魔力を使い果たし、肉を斬らせて骨を断つの精神で殴りつけて負わせた傷は手の一振りで消えた。徒労感はとてつもないものだった。自分の成果が消えたのを見て、無反応でいられる者はそう多くない。まったく……冗談じゃない。


「魔法、使えるんじゃないですか」

「どうだかな。お前が知らない技能かも知れない。何にせよ手の内をそうポンポン晒していいわけ無いわな。で、次は?」


 わたしの《歪む土くれ》を指して言っているのだろう。他に手はあったかと考えるが思いつかない。そして、今から打てる手はない。


「……ありません」

「あっさり降参すんのな。お前、おれが本気で殺しに掛からないと頭のどっかで思ってんじゃないだろうな? だらしねえ。おれは殺す時は殺す。命のやり取りってのは――」


 ナイフの刃が消えた。

 鈍く輝いていた鉄は文字通りに消失していた。

 いつだ? 分からない。ナイフとメルウェンの顏とをわたしは視界におさめ続けていたが、変化に気付けなかった。メルウェンに視線を向ける。やつもまた驚愕の顔だった。


「誰だ!?」 スカウトが辺りに向けて声を張る。


 答えはない。返答の代わりに森の奥できらりと白い光が揺れ、見えた次の瞬間にはメルウェンのコートの裾が消失した。


「これは……火か?」


 コートの断面がわずかに赤熱し、オレンジがかった火の跡が一瞬だけちらりとのぞいた。黒ずんだ変色は焦げだろうか。正体は何にせよ、生身で喰らえば冗談じゃないケガを負うのは疑いない。

 光が連続して明滅した。光がちらつくその度に草や木の根が焼失し、光は木の幹さえもくり抜いて焼き貫いた。

 辺りが穴だらけになっていく。


「冗談じゃねえや。あばよ、ユリウス。命が惜しけりゃ逃げた方がいい、おれの見立てが正しけりゃあ、こいつを仕掛けてきてんのは――」


 ナイフを納めようとした鞘が燃え消えた。メルウェンが舌打ちをし、刃を失って使い道の無くなったナイフを草むらに放り捨て、跳躍をすると身近な木の枝に捕まり、軽やかかつ早急な離脱を試みる。


「あっぶねえな、畜生! 仕掛けてんのは〝銀閃〟のやつだ、さっさとズラかれ!」

「〝銀閃〟?」


 誰の二つ名だ? 疑問を考える時間は無い。このまま転がっていてはただ死を待つだけの贄だというのは彼の言い分の通りだ。寝転がったままに頭部を熱線で貫かれてはたまったものではないし、そんなみっともない最期を迎えたくはない。しかし、

 

「動かない……魔力を使いすぎたんだ」


 指先がぴくりと、足はずるずると引きずるようにして動かせるだけだ。魔力の枯渇による衰弱状態。メルウェンの拘束に思ったよりも多量の魔力を消費してしまった。反省すべき点だ。

 うつ伏せに倒れ、這いずって移動をした。手近な木の影に身を隠したい。


「動けねえのか? なら丁度いいわ。お前がイイ囮になってくれる。あばよぉ、ルーキー!」


 言ってメルウェンは枝から枝を野山の猿のように飛び移っていき、スカウトの身軽さをもって姿を消していった。身を動かせないわたしの視線に何かしらの力があったのならば、あの男は呪死すること間違いなしだ。次に会ったら拳の一発でもくれてやる。それからビヨンに謝らせてやらなくては。


 影に身を隠し、一息をついた。

 メルウェンを撤退させた光――おそらく高等な魔法だ――の使い手は何者だ? ビヨンではない。彼女の魔法のレパートリーは多く、わたしもそれらを把握しているから、今のような魔法を修得していないことは知っている。


 依頼の現地には大勢の冒険者が居た。誰かが騒ぎを聞きつけ、応援としてきたのか……もしくは……


「追い剥ぎか」


 後者の方がずっとあり得る話だ。弱った人間から装備や金品を奪う。楽な仕事だ。

 足音が後ろから聞こえる。ひとつ、ふたつ、みっつ。枯れ葉を踏み、ちゃりちゃりと金具が鳴っている。連中は武装をしている。

 

 体は満身創痍、魔力はほとんど無く、剣はどこかに落としていた。


「……死にたくないな」


 首に下げた朝焼け色のネックレスを指で撫でた。

 今の自分が打てる手を思案している時だった。背を預けていた木を誰かが数回ノックをした。

 

「待たせたな」、と。



 銀色の髪に浅黒い肌。真っ青な瞳をわたしへ向けて、シエール・ビターは「待たせたな」と静かに言った。

 

 わたしは今、コルネリウスに背負われ、塔が現われるとされている円形状の空き地を目指して森を移動している。

 三人がわたしの前に現われたいきさつは簡単なものだ。


 剣を片手に森へと突っ走ったわたしを見送ったビヨンは、単身で追うわけにはいかないと考えて群衆の中からコルネリウスを(幸いにして彼は人間の中でだいぶ背が高い方なので、すぐに見つかった)捜した。

 彼は現場に居たシエールと談笑と無謀な誘いをしていた。ビヨンは彼の背中にビンタをくれてやり、わたしがたったひとりでケンカに向かってしまったから助けに行こうと耳元で叫んだ。

 事情を聞いた、あるいは聞いてしまったシエール・ビターは「知人を放ってはおけないな」と助太刀に来た次第である。

 

「――な、簡単だろ?」にっかりと笑ってコルネリウスが言う。

「コールの説明はざっくりしているけど分かりやすくて助かるよ」

「ユーリくんは魔力を使い過ぎだよ。イルミナ師匠にも釘を刺されてたよね?」


 横を歩くビヨンが口をとがらせて言う。わたしに弁解の余地は無かった。それでも黙っているわけにはいかず、その場限りの言葉を吐く。


「僕は燃費が悪いんだ」バツが悪い。「これからは気を付けるから」

「魔力切れで動けなくて死んだ、なんて絶対許さないからね!」

「相棒は器用なツラして実は間抜けだからな。ちゃんとお守りしとけよビヨン」

「……これからは気を付ける」

「僕の真似?」


 空き地へと戻る前、コルネリウスの背に乗るか、シエールの背に乗るかの二択を迫られた。

 男として、またわたし個人の趣向としてシエール・ビターという麗人に背負われるというのは、男冥利に尽きるというか本懐というか、一言で表現するのならば『幸福』という言葉がこれ以上なく相応しいものだ。

 屈み、こちらを振り向いたシエールが「乗らないのか?」と澄ました顏で言い、わたしは火に向かう蛾のように誘いに乗ろうとした。

 が、ビヨンの視線と握りしめた杖がそれを許さなかった。

 

「メルウェン・リーナーか。厄介な男に目を付けられたな」

「知っている方ですか?」

「シラエア・クラースマンの門下。得手は長剣。上位の冒険者だが仲間はおらず、常に単身で行動をしている。〝薄笑い〟のメルウェン・リーナー。軽薄な言動と不愉快な面構えが印象に残るイヤな男だ」


 シエールがわたしの横でふっと笑った。酒場で見た時とは違い、具足に籠手、胸鎧と全身に防具を装着していた。

 木漏れ日を受けて白銀の鎧がきらりと輝く。

 

「あの男の剣を前にしてよく生き残れたな?〝迅閃流〟と奴の長剣は生半可なものではないはずだが」

「長剣ではなく、二振りの短剣を使っていました」記憶を振り返る。矢筒と短剣、投擲用のナイフ。それだけだ。「身軽がウリかと……彼はスカウト然とした装備でした」

「スカウト?」


 言葉を受けたシエールは素っ頓狂な声をあげた。それは冷静で、知的な雰囲気をもった彼女らしくない反応でいて印象に残るものだった。

 彼女は小首をかしげ、あご先に指を添えて思案をする。

 

「……他に何を使う?」

「投げナイフと恐らくは弓を。魔法も扱います。回復に姿隠し、気配遮断。剣士というよりも暗殺者のイメージが強いです」

「そうか。汚い仕事にも手を染めると聞くが、それこそ私のイメージからは遠いが……まあいい。ありがとう、ユリウス。話の例に、私もひとつ面白いことを聞かせてやろう」


 それはいい、とコルネリウスが笑う。

 

「聞いたら驚くぜ」

「そんなに?」

「ああ。私も大層驚いた。嬉しい三割、驚き六割、警戒が一割。――塔が現われたのさ」


 耳にした次の瞬間、わたしは空き地をはっと見上げた。木々の向こう、重なり合った葉の暗幕の先に異質な建築物が、存在しない嘘っぱちの依頼だとまで言われた古塔。

〝夕見の塔〟が森の先に現れていた。


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