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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
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054 糸目の蛇


 わたしには我慢がならないことがいくつかある。それは仲間や友人への侮辱や剣先を向けられることにはじまり、他にもあるがその数はさほど多くはない。

 感情の琴線に触れる物事を目にした時、わたしの怒りは大きな流れとなって全身を駆け巡る。それが上に立つ人間からの物言いならば拳を握りしめて堪えもしようが、得体の知れない不審な男がビヨンにナイフを向けた今この瞬間には、わたしが我慢をする理由は何も無かった。

 

「<地削り>!」

 

 剣先を下向け、腕を十分な量の魔力で満たし、振り上げざまに放出する。シラエア・クラースマンより学んだ技、<地削り>。剣より放たれた圧力が大地に触れ、亀裂を生んだ。

 獣が地を噛み喰らうかのように、破壊の波は一瞬でメルウェンの足下へと届いた。彼は攻撃をきらい、軽い身のこなしで脇へと飛び退く。体をこちらへ向けたままで彼は後方へと跳躍し、森の中に後退した。


「そいつをやれんのか! 一ヶ月でこれたあ親父譲りの才能だな。おれもそんな便利で自信をもてて他人に羨まれるような血が欲しかったなあ!」

「くそっ……避けたか」


 草葉の奥へと消えていく姿を忌々しく睨みながらにわたしは言った。それから右手に握った剣を見て、シラエアとの鍛錬の日々を少しだけ思い出した。


「便利だな。前のままじゃ踏み込んで斬るか、魔法を打ち込むしかなかった」


 遠間から仕掛けられるというのは剣対剣にあって相当に有利な要素だ。貴重な魔力を消費はするが得られる効果は高い。

 わたしの魔力量は決して多くはない。魔法や<地削り>といった魔力を使用しての攻撃は……あと四回が限度だな。


「な、なになになに!? なんなの!」


 とビヨンが飛び起きた。樹木のくぼみに背中を預けた彼女は、タオルケット代わりに羽織っていたマントの下でばたばたと暴れ、あからさまに混乱した様子で周囲を見ている。

 それも仕方のないことで、彼女にしてみれば突然の破壊音でたたき起こされたようなものだ。寝ぼけ顔の彼女はわたしの顔を、それから抜きはなった剣と、割れた地面を見た。


「敵がきたの!? 魔物じゃないよね?」

「ケンカを売られた」正直にわたしは答えた。

「ケンカって……まさか買ったの? ユーリくんが!?」


 信じられないといった顔だ。ビヨンの中のわたしは温厚で、とてもじゃないがケンカを買うような人間ではないらしい。苦笑した。自分が温厚だという認識はあったが、それだからといって仲間に武器を向けるような人間を笑って許せる人間性は持っていない。


「実はそうなんだ。片づけてくるからビヨンはここでコールを待ってて。すぐに戻る」

「ちょっ、やだよ! みんなこっち見てるよ、ここでひとりで待機ってそんな――」

「後はよろしく。お叱りは戻ったら受けるから」


 頭の先からつま先までを魔力で満たし、わたしはメルウェンを追って駆けだした。ビヨンの叫びが後ろから聞こえたが、戦いの高揚の前ではまともに聞こえなかった。



 後悔先に立たず。気が逸って盾を持ってこなかったのは失敗だった。そろそろ自分は抜けている人間だということを自覚するべきだろうか? とてもじゃないが認めがたい。


 木立のあいだで銀色が閃いた。一回、二回、三回。素早く振るった剣の切っ先で弾き、返す刃で阻み、剣の腹で三発目の投擲を受け止める。

 閃きの正体は針のように細いナイフ。メルウェンが握っていた大振りのそれとはデザインが大きく違う。あの男は投擲用の投げナイフを携帯している。本数は不明だが、たった今防いだ三本で終わりではないだろう。

 スカウトらしい立ち回りだ。こうした手合いを実際に相手取るのは初めてで、緊張を覚える。


 深く呼吸をし、自分を囲む木々に警戒の視線をやっていると、何かが革に擦れる細く小さな音が聞こえた。次いで視界の端で銀色の閃きを見た。投げナイフが放たれたのだ。


 わたしは動体視力や遠くを見る力、諸々の意味合いを込めて目が良い。それは幼少のころから繰り返した稽古によって、才気の上から更に鍛えあげられていた。今では集中をすれば大概の物は――シラエアのような常人離れをした相手でさえなければだが――視認できる。

 いかに迎撃をされないように工夫を凝らし、形状を整えたナイフであってもわたしには見える。


 二度目の迎撃は容易かった。前方の木からメルウェンの声が聞こえる。けらけらとした笑い声が不快だ。


「やるじゃねえか、流石は若き〝迅閃流〟。同門として祝福をしよう!」

「それはどうも。シラエア師がそうであるように正々堂々と立ち合いませんか?」

「長剣にオモチャで挑むのはおっかねえよ。ところでおれのナイフ、後いくつあると思う?」

「質問を質問で……」

「返すな、か!?」


 頭上、太い木の枝から細身の男――メルウェンが姿を現した。宙ぶらりんだ。彼は足を枝に引っかけ、曲芸師さながらのように不安定な姿勢でナイフを次々に放ってくる。だが見える。適切なタイミングで剣を素早く振るい、わたしの剣は攻撃を阻んだ。

 単調だ。相手が逃げ続けるのなら、一息に距離を詰めて潰す選択肢がある。


「切り結ぶのがお望みならやってやるよ! ルーキー!」


 と、メルウェンは既に肉薄をしていた。剣を振り上げたわたしの右腕の向こう、死角になる位置にこのスカウトは居た。

 低く屈んだ奴のコートの下に大振りのナイフが見えた。


 この距離、いったいいつの間に?

 わたしが防御をする為に剣を振り、腕をニュートラルの位置に戻すまでの数秒もない隙を狙って奴は接近を計ったのか?

 素早さに自信が無ければ到底実現できない速さだ。

 このまま剣を戻すのでは遅い。

 奴のナイフはとっくに振られている。


「ふっ!」


 わたしは膝を突き出した。顏にぶち当てれば相手は怯み、そのまま格闘戦に持ち込める。だが相手の反応は速く、ナイフの柄頭で膝の皿を思い切りに殴りつけられた。強い痛みを感じ、呻いたが怯んではいられない。痛みに向き合うのは後でいい。


 避けられないと判断し、片脚で後ろへ飛び退いた。メルウェンのナイフは革鎧を容易く断ち、その下の鎖帷子までもを切り裂いた。


「……くそ、鋭いな」

「面食らったか? ぼけっとしてんなよ、次行くぜ」


 後退したわたしをメルウェンが睨む。続けざまに両手にそれぞれ握ったナイフを振り、空気を断ち切った。間髪おかずにすぐそばで風が鳴き、木や岩、地面が砕ける。


「こいつも剣圧を飛ばせるのか?」


シラエアの<地削り>によく似た技だ。騙りの可能性は大いにあったのだが、なるほど、あの薄笑いの男も確かに〝迅閃〟の流れを汲んでいるようだ。


 後ろから挑発の言葉がいくつも聞こえる。父は勇ましく戦っただの、流派の誇り、正々堂々やれだの……。


「言われなくとも」太く大きな木へと走り、跳躍し、その幹を蹴りつけるとわたしは空中でバック転をした。「やりますよ!」


 強化した身体能力でのジャンプはおよそ五メートル近くの高さまで到達した。このまま奴の真上から思い切りに剣を振り下ろせば、その一撃は相当に重いものになる。それこそメルウェンのナイフ程度なら砕けそうなぐらいには。


 奴は退くだろうか? 目をくれるとメルウェンは実に嬉しそうな顔でわたしを見上げ、ナイフを向けていた。意味するところは『かかって来い』だろう。


 奴は強いのは分かっている。〝迅閃流〟の人間がぬるいはずはないだろうが、この飄々とした男が容易く倒せるような相手でないのはこれまでの身のこなしと、ナイフとは思えぬ鋭さ。


 肉薄しての接近戦は不利だ。メルウェンのナイフの振りは速く、こちらが一撃を与えるあいだに奴は何度ナイフを振れるか分かったものじゃない。

 その上、相手は魔力を温存している。手の内が分からない相手に長期戦は避けるべきだろう。


 だからこそ油断はしない。

 わたしは剣を握る右腕をふたたび魔力で満たした。振り下ろしに合わせ、メルウェンの顔面を狙って魔力を放出する。空中での<地削り>。今まで考えはしたものの実際に試みたことはなかったが、結局は放つ状況が変わっただけに過ぎない。効果は十分にあるだろう。


「全力で来いよ。おれがお前を見定めてやる」


 ずいぶんな言い方だな。こいつをナイフで受けるというならそれもいい。後悔するのは――、


「あんたの方だ! <地削り>ッ!」


 目に見えぬ破壊を伴った剣圧を地面に――メルウェンに叩きつけると足元の地面は抉れ、木の根や小石は木っ端に砕けた。わたし一撃は小さなクレーターを作り、ナイフで受けたメルウェンは俯き、小さな舌打ちを鳴らした。

 ただでは済まないはずだがどうだ? 後退しながらに彼を見た。と、彼はいつものような薄笑いを浮かべ、わたしへと猛然と襲いかかってきた。


「……浅かったか?」


 揺れる長い前髪のあいだに血の筋がうっすらと見える。メルウェンも無傷ではないのだ。五回の使用が限度のなけなしの魔力を使ったのだ。効果が無いのではたまったものではない。

 

 依然として彼の動きは素早い。身のこなしは蛇のようにしなやかで、攻めの速さはまるで獲物を襲う鷹のように鋭い。

 わたしは攻撃の波を恐れず、逃げず、剣に剣で応じた。


 顔を狙う高速の一閃を首の傾きで避け、無防備なわき腹を狙う斬撃を鞘で受け止めた。

 速い。低姿勢で常に肉薄し、剣を振るわせる隙を与えないような密度の攻撃をメルウェンは継続して仕掛けてくる。このしつこさを長く相手にしていたくはないな。


「攻め手に欠ける……」


 鉄が鉄を弾く音をそばで聞き、苛立ちが募った。

 やられるばかりはわたしの趣味ではない。剣が振るえないなら、と目の前の顔へと思い切りに頭突きをかましてやった。目の奥で火花が散る。舌打ちをする奴の胸を狙い、剣先で刺突を放つ。このまま心臓を潰し、黙らせる。


「せっかく面白いんだ。もうちっと楽しもうぜ」

「逸らした!? 見もしないで――!」


 顔を上向けたままでメルウェンはナイフの腹を使い、刺突の軌道を逸らしてみせた。勘にしてはあまりにも正確すぎる。

 動揺の隙を突いて仕掛けられた足払いがわたしの足を打ち、姿勢を崩した。メルウェンは仰向けに倒れたわたしに覆いかぶさり、心臓を狙ってナイフの切っ先を振り下ろす。強烈な圧迫感だ。


「たまにはやられる気分も味わっとけよ、坊主」


 わたしの刺突の趣向返しか?

 付き合う必要はない。わたしは膝を突き上げて奴の急所を――つまり、股を狙った攻撃を仕掛けた。鉄板などのガードを仕込んでいればこちらの膝が更に痛むだけだが……賭けはわたしの勝ちだ。メルウェンが絶叫をあげ、もんどりを打って大地をのた打ち回る。


「おいいい、おいおいおいおい、あああいってえ! それは、お前、男としてよォ!」

「無しだろ、ですか? 勝てばいい、と父は言っていました。……あれ、言ってたかな? まあいいか。終わりです」

「くっそ……あーあ、みじめだぜ……金的なんざガキのころぶりだ……」

「消えた!?」


 うずくまっていたメルウェンの姿がたち消えた。


「馬鹿な」


 わたしは彼から目を離さなかった。あり得ない状況にわたしの中から冷静が消えた。

 周囲に視線をやる。背面、居ない。左右、居ない。上も下にも――。


「熱心に探してくれて嬉しいね。懐いたか?」


 目の前にメルウェンは居た。何てこともないように、初めて相対した時と同じ薄笑いでひょろりと立っていた。

 状況が把握できない。視界から消えたと思った男が実は移動をしておらず、きょろきょろと辺りを見回すわたしを道化と同じに見ていたというのか? 信じられない。


「――魔法ですか?」

「そうかもな。違うかも知れねえ」糸目を吊り上げ、にやついた笑みで言う。「ネタばらしはしねえよ。冥土の土産だってんなら教えてやるが、お前を殺したらフレッドにこの世の果てまで追い回されちまうからなあ」


 気付けばわたしの胸にはナイフの刃先が押し当てられていた。反った切っ先が革鎧に浅く沈んでいる。その気になれば鎖帷子さえもをあっさり貫くだろう。緊張からぴりっとした痛みが体を走った。


「チェックメイトだな。お前も奥の手があるんなら別だが……どうだ? やるんなら第二ラウンドでもいくらでも付き合うぜ?」

「奥の手は――」


 わたしは自分の両目を意識せずにはいられなかった。

〝紋章〟だ。

 使うか? ここで? 力を使った瞬間、わたしと入れ替わりに意識の表層に現れるあの何者かは――強い。わたしが勝機を掴み難いと思える、このメルウェン・リーナーでさえもあっさりと退けるだろう。


 代償としてわたしはわたしの肉体の制御を失う。〝紋章〟の使用は身体を譲り渡すことと同じ意味だった。一時的とはいえ、自分の肉体を失うと思うと使用に躊躇をする。そもそも〝紋章〟の使用には魔力の残量すべてと言ってもいい、大量の魔力を消費するのだ。

 そう易々と使っていい能力ではない。


『その目は他人に見せるんじゃねえぞ』


 北の英雄、ギュスターヴ・ウルリックの言葉が脳裏によみがえる。完全に隠し通すことはできず、シラエアらには知られてはいたがやはり他人に見せるべきではない。


 そして、制御できない力を扱うべきでもない。

 ならば――!

 

 対象は目と鼻の先だ。この距離なら外しはしない。

 ニヤついた顏が癇に障る男だ。

 わたしは小さな声で呪文を呟いた。

 

 聞こえぬように。自分の中にだけささやくように。

 

「歪な根。造りし輪。土精よ、魔のある限り意のままに――土の第二階位《歪む土くれ》」


 言葉、そして目に見えぬ力が土に染み、大地が歪む。


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