053 触れるな
山腹や土中に埋まり、時には樹木と半ば一体化をした古代の遺跡――炎熱の国ヴィントゴアという古い王国の跡のようだ――が顔をのぞかせる、舗装のされていない道ならぬ道をわたしたちは歩き続けた。
道中、霧は一度もあらわれなかった。
首都を発ってより二日目の夜。星の大河を頭上に見ながらの野営を行った時のことだ。わたしたちは三人で焚火を前にして夕食を摂っていた。今夜はコルネリウスの手掛けたシチューだった。味は……まずまずいける。
「そういえば随分と霧を見てねえな」 コルネリウスがこぼした。ぱちりぱちりと火が弾けている。
「<ガリアンの祝福>で霧が失われているからかな。このまま無くなれば魔物も現れない。世の中が平和になるよ」
大あくびをしながらにビヨンが言う。わたしもそんな平穏な世界であればいいと願うが、きっと徒労だ。
「そうなれば嬉しいね。けど、期待はし過ぎない方がいい」
「どうして?」
「三百年前にも霧の晴れ間はあった。でも、ついこのあいだまで霧は現れ続けていたんだ。<ガリアンの祝福>は長く続かない……束の間の平和だ、また霧は出るよ」
「だろうな」コルネリウスが薪を火にくべながらに言った。「霧が無くなりゃあ、騎士も戦士も廃業だ。剣からペンに得物を持ち替えるってのは誰にでも出来ることじゃねえさ」
「霧が消えた後の世界がそんなに平和になればいいけどね」
「っつうと?」
「霧があるせいで使えない土地は数多いんだ。……たとえばハインセル王国跡地とかさ。霧がもし晴れたなら、そういう有効に利用を出来そうな空き地を巡って戦争が起こるんじゃないかって僕は思ってる」
「せんそう……ってなんだ?」
コルネリウスがきょとんとした顔で言う。わたしもこの言葉を知ったのは偶然で、辞書を開いていた時にたまたま目に入ったのだ。自ら知ろうとしなければ知ることもないだろう。
「人同士の争いだよ。国と国が戦うんだ。騎士や戦士、魔法使いを使って、殺し合いをする」
「そりゃ随分と無駄なことをするんだな。強い力――剣やら魔法を魔物じゃなく、人間に向けるんだろ? 俺には意味がわからねえ」
「無駄か、確かにね」わたしは肩を揺らせて笑った。「コールに同意。願わくば、霧が晴れ、争いの無いことを」
気付けばビヨンが寝入っている。もう夜も深い。わたしとコルネリウスはそれからしばらく二人きりで番をし、数時間後に眠った。
◆
目的地にたどり着いたのは野営の会話の翌日、出立から三日目のことだった。
そこが目指す場所だということはすぐさまに分かった。深い山中にも関わらず、大勢の姿が木々のあいだに見えたのだ。その数といったら十や二十ではとてもきかない。視線を左から右へと滑らせただけで、百以上の人間がこの場に居るのが分かった。
老若男女に多数の種族。純人間が居れば、巨躯の<ヴァーリン族>があり、<ドワーフ>や<ラビール>、名前は分からないが、共通語を流暢に扱う熊の一行まで居る。
軽装、重装に関わらず誰もが武装をしていた。間違いなく、わたしたちの同業者だ。
「酒場も顔負けの人出だな。ビヨン、ここか?」
「ちょっと待ってね」
ビヨンがローブに取り付けたポケットに手をつっこんで中身をあさる。木の実の殻に紙屑、ストロー、綿棒、使った紙……。
「ゴミは昨日の焚き火に放り込めばよかったのに」
「忘れてたの! あった……通った道と場所、周りの景色……うん、全部メモ通りだ。着いたよ、二人とも」
「うっし! で、肝心の塔は……」
「どこにも無い。シエールさんの話していたとおりだ」
実に奇妙な場所だった。調査対象の塔の姿はどこにも無く、円形の空き地がぽっかりと広がるばかりだ。不自然、あるいは作為的な光景、というのがわたしが抱いた第一印象だった。
この場は山深い場所の森林だ。一面に森が広がっていて、方位磁石を持つか、あるいは星座を頼りに歩ける能力の持ち主でなければ、人里へと真っ直ぐに下ることは難しいほどに。
ここはいわば森の空白、木々の切れ間だ。
わたしたちより先に到着をしていた冒険者の大勢が広場に立ち、不自然な空き地を調べている。地質がどうの、魔力がどうの。正確な円形を描いていると誰かが言った。
「俺たちも行くか?」
「うずうずしてるね。行ってきてもいいよ、コール。僕は休めそうな場所を探しておくから」
「よっしゃ! 悪いな」
「ビヨンはどうする?」
「うちは……」わたしと空き地に交互に視線を送り、頬をかいた。「ユーリくんと居る。この人混みだし、はぐれたら見つからなさそうだもん」
「人間違いしてまた知らんやつに声を掛けそうだしな、お前」
「もうしないってば! からかわないでよ。ほら、行った行った。ついでに情報でも聞いてきてよね」
了解了解。コルネリウスは愉快そうに笑い、重たいリュックをわたしに預けると空き地へと足を向けた。
軟派な彼のことだ。話しかけやすそうな女性をすぐさまに見つけ、いかにも好青年といった顔をつくり、情報を手にして帰ってくるだろう。その女性の好みや出身地、趣味嗜好といった要らぬ情報まで耳にするのは必要なかったが、聞き込みは彼のもつ優れた技能のひとつだ。
わたしとビヨンは冒険者たちを遠巻きにしながら連れだって歩き、人混みより少し離れた場所に腰を落ち着けた。
木陰で、さらに山中だからか、漂う空気はひんやりと冷たく、若い枝の先に芽吹いた葉っぱには露がまだ残っていた。
「……若い人が多いな」
参加者の面々にじっと視線を注ぎ、遠目に見渡すと、若い人間――外見による判断に過ぎないが――の比率が随分と多いように思えた。
酒場で事情を説明してくれたシエールが言っていたとおり、半ば詐欺のような依頼だということを知らない、金銭目的のルーキーたちだろう。
わたしたちもその中の一組であるのだから、あまり悪くは言えないが。
ビヨンは樹木に背中をあずけて座り込み、わたしを見上げると「少しだけ眠るね」と口にした。わたしは了解の合図を返し、彼女の横に座り、両腕で剣の鞘を抱いて休むことにした。
塔はいつ現れるのだろうか。アムリタ・ベイカーはなんと言っていたかな。記憶を探ったが、依頼人の言葉を詳細に思い出すことはできず、わたしは葉と葉のあいだをすり抜けて落ちる木漏れ日に視線を注ぎ続けた。
………………
…………
……
肩を二回たたかれ、はっとした。
寝入っていたわけではない。ただあまりにもぼうっとしていたようで、他人の接近にまるで気づけなかった。不覚だ。このことをもし知ったなら、父に、あるいはシラエアにどやされるな。
自分にあきれながら、手甲を装着したわたしの右手はとっくに剣の柄に触れていた。必要ならばすぐに――一瞬で抜ける。
自制した。
呼吸は荒く、心臓の脈動がはっきり分かるほどに意識は研がれている。いつだってやれる、戦える。だが、不審の正体を確かめる前に相手を切りつけてはならない。その戒めと注意がわたしの中にはあった。それではただの辻切りだ。血に酔う剣士になってはならない。
「おいおい、シラエアの婆さんに教わったのは誰彼かまわず切りつけることだったのか? そりゃああの婆さんの専売特許だろ。相手が悪党ならともかく、おれらが無闇に辻斬りでもすりゃあお縄だぜ。ルーキー」
ひょうひょうとした声を背中で聞いた。一度耳にした声だ。紐付けされた記憶は声の主の顔までもを思い出させる。だからか、彼を相手にした以上、右手を剣から離すという考えは跡形もなく霧散した。
「無視すんなって。ユリウスくんよ」
「あなた……どこで僕の名前を」
やはりこの男だ。名はメルウェン・リーナー。人を食ったような態度。糸のように細い目と半笑いの口元。相対するのは二度目だ。信用のおけない人物だという印象はまるで変わらない。
彼はわたしのすぐ背後に立っていたが、こちらが振り向くとじりじりとした歩調で数歩を下がった。剣から手を離してくれよ、とメルウェンがその両手をあげる。
「俺もお前も同業者だろ? <ドーリン>のギルドカウンターにちょいと問い合わせりゃあ、お前の名前はすぐに知れたぜ。ユリウス・フォンクラッド、コルネリウス・ヴィッケバイン、ビヨンオルトー。超がくっ付くぐらいのど田舎から上京をしてきた仲良し三人組。おい、元気にやってたか?」
「おかげさまで」
「怖い目をしてんなあ。親父はそんなじゃなかったぜ? ニルヴァルド……いやあ違うな、フレデリックは元気か?」
メルウェンの放った言葉にわたしの意識は弓の弦のように、より一層張りつめた。右手は剣の柄をしっかりと握り、あとひとつ――たとえば挑発だとか――の後押しがあれば鞘走りの音を立て、抜刀するだろう。
今すぐさまに抜かなかったのはひとえに警戒心からだ。この男の手の内はほとんど分からない。恐らくは弓手、スカウトだというぐらいだ。
冒険者としての階級もわたしたちより数段上。格上の相手と判断するのが妥当だ。
わたしが<ドーリンの街>の受付嬢へ告げた父の名は『フレデリック』ではなく、<ミストフォール>の仮初めの英雄『ニルヴァルド』だったはずだ。
わたしには父の名を伏せる約束がある。それはこれからも守り続けるだろう。だが目の前に立つ薄笑いの男はその秘密を知っていた。
「知らない人です」 わたしは素知らぬ顔で言った。
「つれねえこと言うなよ。今更とぼけたって無駄だ」
無言でやつを睨んだ。
「おっかねえ。どうしてお前がそれを! って面だな。そりゃあ同門の人間だからさ。おれとお前の親父、フレデリックとは同じ道場で、同じ師匠の下で同じ剣を学んだ仲だってことだよ。理解したか?」
「かつての友人? ……またか」
また父の過去をたどって知らぬ他人がわたしのもとへ現れた!
因縁、という概念は確かに実体をもってこの世にあるらしい。このままではやたらにインチキくさい迷信であっても、わたしは信じてしまいそうだ。
旅を進めるにつれて、父の過去はわたしのもとへと縁を運んできた。が、いままでただひとつの例外もなく、わたしのもとへは厄介なものしか現れなかったが。
何故だ? 理不尽とはまさにこのことだろう。身に覚えのない因縁がわたしにすり寄ってくる。勘弁してほしい。
両手で降参のポーズをして、蛇のように薄い顔をビヨンへ向けているこの男、メルウェン・リーナーの出現は幸運の先触れには思えなかった。こう言ってはなんだが、彼の顔立ちは相当のトラブル面だ。
「ビヨンには近づかないでください。あなたが用があるのは僕でしょう」
「若いころのフレッドみたいな目をするんだな。まるで炎みてえだ。お前のコレに触れたらもっとすごいものを見せてくれんのか?」
小指を立てていたずらっぽい顔をこちらに向ける。下品だな。
「彼女は大事な仲間です。少しでも触れれば――」こう名乗る時がまさか来るとは思わなかったな。わたしは剣を抜いて、「〝迅閃流〟の剣であなたを斬ります」
メルウェンは目を見開き、両腿にくくりつけた革製の鞘を手のひらで撫でた。三日月型の口をより一層に歪ませ、ややうわずった声をあげる。
「はあ……ババアの剣とやり合うなんざあ久しぶりで興奮するな。それもフレッドのせがれと来やがった。これで燃えねえわけがねえ。はっはは、ユリウス君よお、来いよ。親父と同じで、剣を握ってる時が一番生きてる実感がするんだろ?」
言いつつメルウェンは両腿の鞘から大振りのナイフを抜いた。銀色の刃が木漏れ日を反射し、木の根に光りを映す。
彼は弓手のはずだが、弓を装備してはいないようだった。矢筒を背負っているだけ。飾りか?
メルウェンは手の中で二つのナイフを弄んでいる。リーチの短い得物を扱うからには接近戦を狙うだろう。わたしにはアーデルロールとの戦いの経験がある。互いに幼い年齢ではあったが、彼女の二刀流は確かな腕だった。なればこそ、多少は食らいつけるはずだとわたしは踏んだ。
わたしはメルウェンに視線を注ぎ続けた。右手の人差し指で小さな円を描き、握り込む。油断は無い。奴の足の運びは決して見逃さない。
「フレデリックは立派な騎士であり、私の……」 胸に走る傷跡、森で目覚めた自分、過去の失われた記憶を思い出した。「父親です。力に酔う人では決してない」
「血は争えねえよ。爛々と輝いてるその目を見りゃあ分かる、お前の中にもあいつと同じ剣鬼の火があるってことがな。さあ、戦闘の合図はどうする? コインか? カウントか? それとも……」
ナイフの先を横向け、ビヨンの帽子のつばに触れた。
「これか?」
血液が一挙に沸騰し、怒りに冷めた。




