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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
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052 ベイカーの血


 ガーリン・アムリタ・ベイカーは組んだ両手の上に細いあごを置き、咳払いをひとつあげてわたしたちの注目を集めた。まるで高名な教授ぶっているようだ。そんな芝居がかった真似をせずとも、わたしは依頼人である彼女に十分に意識を向けている。膝の上で拳を握り、呼吸を潜め、彼女の血色の悪い唇からため息のように漏れ出る言葉を聞き逃すまいと集中をしていた。


 本来の依頼人であるガーリン・ベイカー氏は死んだ、と目の前の女は言った。蜘蛛の巣の張った骨董品の山に埋もれ、こちらをじっとりとした半目で見据える、カビが生えそうなぐらいにじめじめとした暗い雰囲気をまとう彼女――アムリタ・ベイカーはその跡継ぎというわけだ。


 わたしはベイカー邸の幽霊屋敷然とした外観と、土地は広いが荒れ放題の前庭、ありとあらゆる光を飲み込んでしまえそうな暗闇が奥深くまで続く廊下を脳裏に描いた。細々とした事情はともかく、一国の首都に豪邸を築くほどの資産を持つ名家であることは間違いないこのベイカー家。このくだりがサスペンスやミステリーの始まりだとするのならば、事件の発端は遺産問題が相応しいかな。

 

「お前たちは庭先の看板は見たか?」 アムリタ・ベイカーが表情ひとつ変えずに言った。

「ええ。ここに集合だぞ、と大勢へ一度に通知するには画期的なアイデアだと感じました」


 返す言葉は感心半分、皮肉半分だ。わたしの言葉の下に潜めた意味には気付かなかったらしく、アムリタ・ベイカーは鼻高々といった表情の顔をわずかに上向けた。


「ふん、そうだろうとも」


 しかし得意げな顔はすぐさまになりを潜め、眉間にしわが寄る。


「ギルドに提出をした依頼書と我が屋敷の庭先に掲げた地図との二つを見れば仕事の内容と場所はすぐさまに知れる。今時の冒険者といえば誰も彼もが金、金、金……自分が請けようとする依頼の発端がどんなもので、どういった事情が裏で巡っているのかを知ろうとする者はめっきり減った」


「お詳しいですね」 アムリタ・ベイカーの目をじっと見据えながらわたしは言った。彫りが深く、目元の影が濃い。


「古い友人にそう聞いたんだ。受け売りというやつさ。まあ……冒険者たちの考えの移り変わりは合理的だとは思うよ。事情を聞いて面倒事の糸に絡まれるのは誰だっていやだからな。黙々と仕事をこなし、必要最低限の言葉を交わして報酬を受け取る。私が冒険者の立場ならそうする。依頼について事情を知ってほしいというのはあくまで依頼人の側に立ってみての言葉だ。……ああ、全くもう」


 脱線したじゃないか、とベイカー氏がこぼし、わたしをぎろりと睨みつけた。わたしは相づちを打ったに過ぎないのだが、話が筋を逸れてしまう場合があると思えば今後は控えた方がいいだろうか。少なくとも今は口を挟まない方が賢明だ。


「本題へ移ろう。先代である私の父がまだどうにかこうにかして現世に食らいついていた時のこと……初夏だったかな、フラメル・カストロ首相から手紙が届いたのだ。内容は父が冒険者ギルドへと提出した古塔調査の依頼をユリウス・フォンクラッドなる男が請け、この屋敷を訪れた際の対応についてだ。期待に目を輝かせているところに水を差すようで悪いが、特別待遇をしろだの手厚く歓迎しろだのといった嬉しい話ではないからな。件の遺跡について詳しい話を聞かせてやって欲しい、とあっただけだ」


 わたしは口を引き結んだままで自分が受け取った手紙の内容を思い出していた。『霧の奥を見よ』と短い一言だけが書かれたメモを。そうして今度は調査対象についての話を聞けという。

 フラメル・カストロという老紳士は人を誘導するのが好みか、あるいは次々に提示される手がかりを追っていくミステリー物の小説が好みなのだろうか。


「さて――」


 革張りの椅子に腰掛け、わたしたちに話して聞かせる彼女の口元に視線を注ぐと口角に泡が立っていた。気付く様子はなく、彼女は語る。


「ベイカーの一族には〝暁の書〟という名で呼ばれる一冊の書物が受け継がれていてな。これがいかにも古書といった具合に古ぼけていて、今ではとうに失われた言語で筆されているんだ。これを現代の共通語に訳すことは実に難解であり難業であった。〝暁の書〟の解読はいつしかベイカーの一族の仕事となり、父から子へと受け継がれ、とうとう先代である父がその大仕事を終えたのだ。我がベイカーの血に脈々と受け継がれていったこの意志こそ! まさに願いと血を織った一族の悲願であったのだ! おい、さあ、拍手をよこせ」


 ちらと向けられた視線に従い、まばらな拍手を彼女へ送る。「大層なことを言ってるがあいつは何もやってないんだろ?」コルネリウスがわたしに顔を寄せてそっとささやいた。話を聞く限りでは確かにそうだ。わたしは小さくうなずいた。


「書には何とあったのですか?」


 ビヨンが聞いた。彼女は身を乗り出していて、その瞳はきらきらと輝き、頬は紅潮をしている。彼女の好奇心が沸いたのだ。一度こうなれば中々収まらない。

 アムリタ・ベイカーは人差し指をついと立て、随分と得意げな顔をして言う。


「書には<夕見の塔>という名の遺跡について実に事細かに記してあった。古代リブルス語を紐解いた我が父は、興奮も冷めやらぬままに塔の座標、内に隠された宝、建築の由来を割り出した。ああ……遺跡、遺跡よ」 アムリタ・ベイカーが実に恍惚とした顔で物語る。

「北天歴以前に存在したという今は失われてしまった魔導技術、塔と共に眠るであろう無数の歴史書や魔法の書! どうだ、古代の秘密を想像するだけでも心が躍らないか!? まるでワルツを踏んでいるかのようだ!」

「はい、分かります! もっと聞かせてください!」

「こら、ビヨン……」

「おや、彼女以外にはどうにもぱっとしない様子だな? 男衆よ、そこな若き魔女を見習うといい。これこそが話を聞く姿勢というものだろう。祖母に昔話をねだる時を思い出したまえよ。それとも、〝霧払い〟にも縁があると言えば、君たちの興味をひけるかな?」


 全くをもってそれは注意を引くに十分過ぎる、甘い言葉だった。アムリタ・ベイカーが口にした英雄の二つ名にわたしとコルネリウスの関心は強く惹かれた。眠たげであった意識は針を刺されたように覚めた。

 アムリタ・ベイカーにとって満足のいく反応だったようで、彼女はうむうむとうなずいている。陰気な顔に浮かんだ微笑みがどことなくチグハグだ。つっけんどんな態度の方が彼女には似合っている。


「人類至上最大の英雄、〝霧払い〟のガリアン・ルヴェルタリア。霧に飲まれようとする世界を救う旅の最中に彼は〝夕見の塔〟を訪れた、と、書には記録されていた。彼が塔で何をしたかは記されてはいないがね。真実は闇の中……ではなく封された遺跡の中、というわけだな」


「リブルス大陸には〝霧払い〟に縁故のある場所はそう多くないと聞いていました」


「いかにも。ガリアンの伝説は北のイリル大陸と西のローレリア大陸が主だからな。英雄が霧を払いし時より千年。後世へと知識や出来事を伝え残すにあたり、書物というこの上なく素晴らしい伝達手段がこの世にはあるのだ。ガリアン・ルヴェルタリアがこのリブルス大陸で何かを成したのならば、間違いなく文献として残っているはずだろう? それがほとんど見当たらないということは、つまり、そういうことさ」


 言ってアムリタ・ベイカーは肩をすくめた。彼女は言葉を切り、わたしたちの反応を確かめるようにして視線を横一文字にスライドさせた。満足げな顔だ。次いで革張りの椅子に深々と細い体を沈め、今度は夢を見るようにうっとりとした顏で天井を仰ぎ見た。


「……我がベイカーの血筋は知識欲に飢えている。言うなれば好奇の亡者だ。一族がいつからこうなったかは私は知らないが、先代のベイカーである父は、私が物心ついた時には既に立派な本の虫だった。父は妻子を振り返ることなく、その生涯を読めぬ言葉の解読に費やした……そしてその熱狂は私の中にも煮えている。私の風貌を見ろ。このやつれて痩せた体と頬のこけた顏を。好奇が私を苛むんだ。頭の中で嵐のように吹き荒れる何者かの言葉が絶え間なく響き、まともな睡眠も休息はもう何年も無い。体に煮えるこの好奇の熱を醒まさねば、心からの安らぎは得られないのだろう」


 くまの浮いた不健康そうな目でこちらを見据えてとつとつと彼女は語る。こつこつこつ、と指先で木の机を叩く音が連続して聞こえ始めた。


「〝暁の書〟の解読は父が終わらせた。一族の好奇を満たし、同時に渇望させる呪われた書は、終わった。そして次は<夕見の塔>という秘密が始まった。始まってしまったのだ。あの塔こそは古くより存在する無機の賢者。触れられない叡智。ああ……見たい。あの中に眠る蜜にこの細指で触れ、息を吐けなくなるその日まで解き続けていたい。なあ、知っているか?〝暁の書〟はこう締められていたんだ。『夜明けの赤にて霧の奥を見よ』。そう、古い言葉でな」


 ベイカー氏の様子が妙だ。組んだ両手の上に額を預け、顔を下向かせたままでぶつぶつと言葉を吐いている。細い肩は前後にゆらゆらと揺れ、つまさきで机を蹴っているのだろう。がたがたとした音が連続して聞こえる。


 コルネリウスが席を立った。「おい、大丈夫か?」

 返事はない。わたしと彼が駆け寄り、ベイカー氏の肩、続けて額に触れた。ひどい汗だ。乾いた唇からは言葉が漏れ続けている。


「父は最後の言葉を、誰かへ向けたメッセージだと考えていた。答えは塔にある。塔は……塔は本当にあるんだ。ただ見えないだけでそこにある。父は出現の周期を特定してみせた。学会の木偶共……! 私が繋ぐんだ。金銭に価値はない、好奇を満たすんだ。ベイカーの血と呪いは私が次へ繋ぐ。繋がなくては……」

「ベイカーさん!」


 彼女の細い肩をつかみ、わたしは声を張り上げた。呼び声を聞いた彼女がびくりと身を震わせ、わたしとコルネリウスを順に見上げる。きょとんとした表情だ。直前の自分を忘れているような、あるいは別の人間へと向けた呼び声に注意を向けた、そんな顔を。


「何だ? ああ、またか、私は……」

「汗がひどい」 血色の悪い肌の上に汗が珠となって浮いていて、その上に胸がせわしなく動いていた。わたしは手のひらに向けて魔力を流し、言った。


「今回復を――」

「いや、いい」 淡い光を放ち始めた手を払い、目を細めてアムリタ・ベイカーは言った。「これは心の病だ。それに、私は魔法の光が好きじゃない」

「しかし……」

「話は終わりだ。塔には古い時代の残滓があり、〝霧払い〟に関した何かがある可能性がある。フラメル首相がお前たちに何を伝えたかったのかは分からないが、私が語って聞かせることの出来る話はこれが全てだ」


 アムリタ・ベイカーは椅子に背を預け、天井の蜘蛛の巣に視線を注いだ。巣を張った主はとうの昔に死んだらしく、ほつれている。


「お前たちは塔の由来を知り、場所も知った。仕事の内容もな。仕事……そうだ、ひとつだけ条件を付け加えさせてもらおう。話の駄賃だ。いいだろう?」

「構いません。なんなりと」


 彼女は力なさげに笑った。体の震えは収まっている。


「塔の中で見たことを私に精細に語って欲しい。中の様子を、古めかしい空気を、古代というものを私に語ってくれ。スケッチもあるとなお良い。どうか、頼んだぞ」


 と、彼女は椅子に体重を預けてまぶたを閉じ、深い呼吸を始めた。名前を呼び、肩をさすったが反応はない。


「寝たのか?」

「そうみたいだ」

「随分寝付きがいいんだな。相棒、いつまでもその本の虫を撫でてるとビヨンに食いつかれるぜ」

「うちはそんなことしないよ!」 ビヨンが声を張り上げた。帽子を手に取り、大きなリュックを背負い、彼女が言う。「それじゃあそろそろ行く?」


 ああ、とわたしは答えた。アムリタ・ベイカーが目覚める様子はなく、彼女自身もこれ以上話すべきことは無いと口にしていたのだ。出立するべきだ。


 コルネリウスが荷と槍を手に取りに行くあいだ、わたしはアムリタの机に目をやった。書きかけのノート、倒れたインク瓶、乾いたクッキー。ここは先代と彼女だけが住む屋敷だった。使用人も居ない、知識を求める二人だけの家。閉ざされた世界だ。


 と、真っ赤な装丁の本にわたしは気がついた。古い日付の新聞に隠れるようにして埋もれていたその本には無数の付箋が貼られていた。表題は〝暁の書〟。


「これがそうか」 


 それ自体が重石になるような分厚い背表紙をめくると見慣れない言葉がつづられていた。

 古代語だろう。今は使い者も居ない古い言葉。代々のベイカー家当主がその解読に命を捧げた、好奇を呼び覚ます文字。

 わたしは指先で数行の言葉をなぞり、最後の文字列を言葉に乗せた。


「人生に、色を……」


 詩だろうか。古代語で記された言葉は誰かへ向けたメッセージにも思えた。


「何してんだ? 行こうぜ、ユリウス」


 戸口に立つコルネリウスがわたしを呼び、彼の声にはっと自分を取り戻した。「先に行くからな」そう言って彼はビヨンと共に廊下へ姿を消した。


 すっかり寝入ってしまったアムリタ・ベイカーへと短い書き置きを残し、わたしは荷を整え、仲間の背中を追った。暗い廊下を早足で歩き、ルヴェルタリアの絵画を横目に見たときに気付いた。まるで落雷を受けたような閃きだ。


 わたしは言語に明るいわけではない。

 両親が必死に教え込んだ共通語を操れる程度の一般の知識しか持ち合わせてはいない。

 それだというのにわたしは書に記された古代語をあっさりと読み、音を口に乗せることさえ出来た。発音も正確なものだったと直感している。そして――あの文字にはどこか暖かな懐かしさがあった。

 幼い妹が兄であるわたしに手渡した稚拙な文字と内容手紙を、長い年月が経ったあとに読むような感傷を覚えたのだ。


「人生に、色を」


 詩の末行を再び言葉に乗せた。

 奇妙なことに、その言葉は誰もが当たり前に使う別れの挨拶の言葉だった。


更新遅くなって申し訳ありません。感想を頂けてとても嬉しかったです、ありがとうございます!

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