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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
52/193

050 シエール・ビター

 古塔の調査。掲示板オーダーボードの前に立つとその依頼はすぐさまに見つかった。

 必ず請けろ、とシラエアに念を押された古塔調査の依頼書は、【新規登録】と白線で描かれた四角い枠内に束となってピン留めされていて、少なくない注目を集めていた。

 冒険者も人間だ。とうの昔に見慣れてしまった古い依頼よりかは、新たに舞い込んだ新鮮な依頼の方に興味の先は向く。


 数人の冒険者が新規枠に目を留めた。好奇と関心の目。依頼を前にした冒険者はそのほとんどがまず最初に報酬額へと視線をやる。この仕事は、自分の時間を割り当てるに値する金を得られるものなのか? 彼らの関心はそれに尽きる。内容と目標は二の次だ。


 一方で弱きを助け、強きを挫く正義心の持ち主といった、今時めずらしい真っ直ぐな心根をもつ冒険者はまったくの逆順で依頼書を読むという。

 つまり報酬なんぞは二の次で、目標や内容を何よりも重んじる手合いだ。あいにく、わたしはそういった人物を旅の中で実際に目にしたことは一度もなかったが。


 義憤に駆られ、良心が人の身を得たような彼らは、ひどいものでは目標の項目を数行読んだだけで受注カウンターへと向かい、どんな困難な依頼であろうとも威勢良く請け負うという。獣人に取り囲まれた村の救援、行方不明者の救出……。そういった人種は人助けをいたく好むらしい。我こそは窮地の救い手に他ならないと確信しているのだろう。


 こうして語るわたしはどちらの気質の持ち主だろうか? ビヨンはわたしを『心の優しい人』だと言うが、わたしが魔法の訓辞を授かったイルミナ・クラドリンは『冷徹な男』と評価した。


 人助けは嫌いではない。

 わたしが手をさしのべ、救いを得た相手から向けられる笑顔や感謝には、得も言われぬ充足をおぼえる。これらは感情と感情のやりとりでしか得られないものだ。

 だがそれと同時に、金銭と時間の価値もよく知っている。時間は何にも代え難い貴重な資源、重要な財産だ。

 依頼は数日がかりの仕事になるケースが多い。二日か、三日か。七日に及んで一週を消費する場合もある。同じだけの時間を消費するのならば、割の良い仕事を選択するのは賢いことだ。現実というシビアな天秤で物事を見るのは正しい。

 

 わたしはどちらだろう。これまでの旅をよくよく思い返せば、目標や内容を重視していた場合が目立つ。そうだ、そういう時には決まってビヨンにせっつかれるのだ。『人助けもいいけど、お金でも選んでよね』と。


「ぼけっとして大丈夫かよ?」

「何でもない。問題ないよ」


 考えに沈みながらも視線は掲示板オーダーボードへ向けていた。依頼書の紙束が次から次に千切られていく。古塔の調査は金銭を求める冒険者らのお眼鏡にかなうもののようだ。

 人数のまばらだった掲示板オーダーボード前には今や人垣が出来ていた。金の匂いに敏感な冒険者たちがどよどよとざわめいている。こうなっては中々割り込めそうにない。


「随分人気なんだね。どうしてだろう?」


 ビヨンがつま先で立って背伸びをしながら言う。彼女の大きな帽子がわたしの視界をふさいだ。


「さてな。百聞は一見にしかず。推理じゃあなく現物を見りゃ一発だろ」

「コール、今朝に何か変なもの食べた? そんな言葉を知ってると思わなかった」

「頭の良くなるオムレツを食ったんだよ。お前らも同じもんを食ったろ? 良かったな、今日の俺たちのオツムはいっそう冴える日だぜ」


 軽口を肩をすくめて返すとコルネリウスは掲示板へと歩き、ちょっと悪いね、とその長身を人の群れに無理矢理に割り込ませた。随分とガタイが良い、あるいは強面の連中が大半を占める人だかりに威勢も良く踏み込むとは。彼の度胸は相当すわっている。それともわたしが及び腰なだけだろうか? まあいい、コルネリウスの胆力には見習うべきところがあるのは確かだ。


 コルネリウスが腕を伸ばし、依頼書に指で触れると「おっと」と声をあげた。どうやら他人とタイミングがかぶったらしい。どうやら別の人間と顔を向けあっている。ビヨンの帽子のつばが邪魔をしてよく見えない。


「すまねえな。おっと……! ここはレディファーストだ。お先にどうぞ」


 わたしはビヨンの帽子を奪って自らの視界をひろげた。彼女が後でぶつくさ言うのは目に見えているが厄介は後でいい。

 見えた。

 コルネリウスがあからさまな作り笑顔で何事かを話している。確かあれは、そう……彼が言うところの『キメ顔』だ。

 となると相手は美人の女性ということになる。大概の女は落ちると豪語するコルネリウスの『キメ顔』だが、今回の相手には効果は薄いらしい。群衆の頭越しに聞こえてきた声はじつに冷ややかなものだった。


「いや、結構だ。紳士ぶりは買うが由来は調べた方がいいぞ、若いの。この依頼に興味があるのか?」


 浅黒い肌に銀色の頭髪の女性が見えた。マールウィンドでは珍しい風貌。数秒ばかり見つめればそうそう忘れられそうにない外見だ。見えるのは横顔だけだったが、すっと通った鼻筋と艶のある唇に目を奪われた。なるほど、美しい。

 相手が女性となると、コルネリウス・ヴィッケバインという男の舌はよく回る。彼は目尻を下げ、口の端をわずかに上げて、紳士的かつ穏やかな表情を作った。キメ顔その二だ。


「誰も彼もがちらっと見ただけで手に取っていくから気になってね。ほら、こうしてる今も……だろ? 俺はコルネリウス・ヴィッケバイン。よろしく」

「私はよろしくをしたくない」


 浅黒い肌の女は冷ややかだ。差し出された手にはちらとも視線をくれず、コルネリウスを連れてわたしたちのもとへずんずんと向かってくる。仲間か? 女の問いに対してコルネリウスは厳かにうなずいた。


「いいか、この依頼は曰く付きだ。お前たちは……ルーキーか? 忠告をしておくが、こいつは請けるだけ時間を無駄にする。若い日の時間を惜しむのなら請けるのはやめておけ」

「どうしてだ?」

「依頼の古塔はおそらく存在しないからさ。詳しい説明をしてやるから適当な席に着こう。私は……シエール。シエール・ビターだ。よろしくな」


 銀色の長いまつげに知性を感じさせる真っ青な瞳。すらりと伸びた横髪の隙間から覗く長耳に気付いた。エルフ特有の耳だ。彼女の体にはダークエルフの血が流れているのだろう。

 シエール・ビターはコルネリウスではなく、大きな帽子を抱いたわたしを真っ正面から見据えてそう言った。とっくにキメ顔を崩したコルネリウスがこちらへとげんなりした顔を向ける。

 言葉は無かったが、意味するところは「なんでお前なんだよ!」だろう。お望みならわたしは喜んで身を引こう。女性を眺めるのは嫌いではないが、関心をもたれるのは不得手だ。


 連れだって着席をしたのは冒険者ギルド内の食堂だった。朝食とも昼食ともいえない微妙な時間帯らしく人影はまばらだ。厨房の中の店主と目が合うとわたしは軽く会釈をした。すると彼も片手をあげて笑顔をよこす。父の過去が招いた縁もたまには悪くない。


「ここにしよう」


 シエールは辺りに人気がないテーブルを指定してそれぞれが腰を落ち着けた。すぐそばに鎮座をする水瓶を担いだ女神像――大陸にかつて在ったという古い国の女王を象ったものだ――を見上げていると、亜人デミのウェイトレスがふさふさとした犬の尻尾を揺らせながらにやってきた。人なつっこそうな性格を押し出した顔のウェイトレスが愛想の良い笑顔で言う。


「いらっしゃいませ! ご注文は?」


 とっさにわたしはビヨンへと視線をやった。だが先制をしたのは彼女の方だった。隣席から返ってきた視線は鋭く、お茶だけにしろという意思がひしひしと伝わってくる。

 一行の財布を握る人間にこうも凄まれて自分の欲求を通せると思う人間はそう多くないだろう。少なくともわたしの意気は萎えた。


 と、コルネリウスの唇が動いた。

 わたしの隣に座った彼は直前までメニューを開き、高額メニューと酒の項目を行ったり来たりしていた。賭けてもいい。数秒もせずに彼は懐事情をまるで無視した欲望のままの注文を口にするだろう。それは――、


「水を四つ頼む」 シエールが青い瞳でウェイトレスをじっと見据えた。


 ウェイトレスの笑顔がひきつったものに変わる。困惑を露わにしないあたり、彼女はプロだ。


「ええと……何かお食事をひとつだけでも……」

「不要」


 断とした語気で放たれた言葉は、相手にこれ以上の発言を許さなかった。気力を削いだといった方が正しいかな。言葉による制止は周囲にも及び、コルネリウスはその口を引き結んだ。欲のままを口にすれば痛い目を見ると察したらしい。

 ビヨンはたったの一幕でシエール・ビターという人間にある種の心酔を覚えたようだ。きらきらとした目線を送っている様子は、あこがれの人物を見る年頃の少女のようである。

 真似はしないでほしいな。


「どうして誰も彼もが古塔調査の依頼に食いつくと思う? 正確に言うならば、ルーキー連中が、だ」


 シエールが唐突に言い、わたしは卓の上に広げられた依頼書に目を向けた。古塔調査の見出し。内容についての依頼人からのコメント。そして報酬額。

 

「報酬金額の多さですか?」

「正解だ。一目見れば分かることだが、こいつは報酬として金貨二十枚を得られる。下位ランクから請けられる依頼にしてはこの金額は異常だ。相場破壊といっても良い」

「金貨二十……銀貨にして二百枚分ね。相当だな。高級防具を買い込んでも釣りが出そうだ」

「うちらのランクの報酬だと銀貨五枚がいいとこだものね」

「銀貨五枚ならば最低限の人間らしい暮らしは出来る。が、その生活に余裕は決して無い。生活レベルを上げたいと望んでやまない連中がこの依頼を見れば、その目の色は当然変わるだろう」


 目が覚めるような青色を塗った爪先で依頼書を小突きながらにシエールが言う。「そうして……」次いで受付カウンターを指さした。カウンターは数台並んでいるが、どれにもずらりとした行列が出来ていて中々の盛況ぶりだ。


「ああなるわけだ。徒労に終わるとも知らずにな」 シエールが長い横髪をかきあげた。美人の仕草はいちいち絵になる。

「徒労……古塔が存在しないと仰っていましたが?」

「この依頼が掲示板オーダーボードに貼られるのは今回が初めてではない。過去に何度も――私が知る限りでは六回は貼られているが、一度も達成されていない。ただの一度もだ」 シエールが念を押して言った。「どうしてか? 理由は単純なものだ。なにせ誰も塔を目にしたことがないのだからな」


 塔を見たことがない? わたしの驚きはコルネリウスが引き継いだ。


「そりゃあ詐欺じゃねえか? 冒険者の期待を煽っておいて肩透かしってのはひどいぜ」

「私も同感だがね。依頼は今も一定の間隔で貼られ続けている。依頼人は大層な富豪だから金で融通を利かせているのかも知れないが」

「存在しない塔を調べろというのは無茶ですね。ギルドは依頼人に対して注意をしないのですか?」 あるいは拒否か。いいや、とダークエルフの女が首を横に振る。

「それもまた金の力かもな、話に聞く限りはそういったことは無いようだ。話を戻そう。依頼人が指定をする場所は何もない原っぱだ。周囲を探そうと、どれだけ待とうともなにも現れやしない。ある者は騙された怒り、ある者は見切りをつけてその場を立ち去る。そして一人、また一人と現場を離れて解散になるのが通例だな」


 彼女の言葉には説得力があった。シエールは冒険者のあいだに流れる噂を、無知な新人が思わず信じてしまいそうな雰囲気でいかにもそれらしく語っているのではないのだろう。

 これは直感だが、おそらく彼女は当事者だ。わたしは探りを入れた。遠慮はなく、単刀直入に。 


「シエールさんは何度か参加経験があるのですか?」

「まあな。懲りずに毎回参加をしているのがこの私だ。おいおい、おかしな奴を見る目をするなよ? 金が目的ではない。私は塔に……遺跡に行ってみたいのさ。趣味のようなものだ」

「趣味、ですか」

「いや……生き甲斐と言った方が正しいかな。私は冒険者だ。冒険者とは〝冒険をする者〟に他ならない。私は未知を知り、神秘に触れうるこの仕事に誇りを持っている。そうとも……冒険者とは金のために仕事を選ばず、他人の犬として振る舞うような職ではないはずだ」


 目を細めて語るシエールの言葉は山と積もった心中の吐露だった。唇から漏れ出る細い息にわたしは感情を感じ、昨今の冒険者の前途を彼女が憂慮をしているのだろうと考えいたるのは容易かった。


 目を伏せていたのは数秒だったが、場の沈黙に気付いたシエールは気まずそうだった。彼女はすまんなと前置き、


「長々と話してしまったな。目上の小言だと思って飲み込んでくれ。要はこいつは時間を無駄にする可能性が極めて高い、曲者の依頼だということだ。あそこで喜色満面の顔を浮かべている連中も後々で後悔するだろう。しかしな、冒険をする者にはこうした経験は必要なことだろうと私は考えている。君たちがこいつを請けることを、私は止めない」


 両手を広げ、上目遣いにこちらを見るシエールの表情は問いかけだった。どうする、若いの? 彼女が答えを待っている。


 わたしは仲間たちに目を配った。ビヨンはエメラルドグリーンの瞳でこちらを見つめ返し、コルネリウスはいつも通りの快活な笑みを向け、親指の先でカウンターを指した。どうやら二人はシエールの言う、本来の冒険者の資質を持っているようだ。そして、わたしもそうであることを祈る。


「僕たちは……この塔に行ってみようと思います。時間を無駄にするかもしれない、いや、その可能性がずっと高いでしょう。けど、僕たちは自分たちが知らない世界を見るために冒険者になったから。塔が無くってもいいんです。それもまた仲間と並んで目にする、未知の世界ですから」


 白状しよう。今やわたしは古塔に惹かれていた。フラメル首相の指示ではない、純粋な興味と感心の声に自らの好奇心があつく脈を打っている。シエールはわたしの顔に何を見たのだろう? 端正な顔に微笑を浮かべた。


「そうか。ならば我々は塔の前で再会するだろう。では、私は行くよ。またな、ルーキー」


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