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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
四章『燃え尽きる藍』
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049 霧の予兆

 宿屋<草編むうさぎ亭>のラウンジに三人の人影があった。全員が若い。少年とも大人ともいえぬ年頃に特有の活力にみなぎっている。事実、日付をまたいだというのに彼らの目は興奮に爛々と輝いている。

 火の灯っていない暖炉の前でカウチソファに腰を下ろし、市場で手に入れてきた果実や甘味をつまみ、若者たちは会話に興じている。さして難しい話ではない。彼ら三人のうちの一人が一ヶ月に及ぶ修行を終えて帰ってきたというのが話のタネだ。

 仲間が以前よりもこんがりと日に焼け、たくましい顔つきになって帰ってきたとなれば、彼が一体どんな日々を送ったのだろうかと興味をそそられるのは無理のない話だ。また、本人も仲間に経験を語りたくってうずうずとしていたものだから、今夜は長い夜になることは疑いない。

 

………………

…………

……

 

「笑えるなそれ。泡が立ってる飲み物をよく口に出来たな?」

「洒落にならない! 口にしたあとすぐに気絶して、三日も意識を失ったんだから。もう二度とごめんだ。金を積まれてもいやだよ」

「ユーリくんが騎士に抱えられて宿屋に戻ってきた時は驚いたねえ」

「一番驚いたのは僕だと思うけどね……起きたら枕元に手紙が置いてあったんだ。中には『終わりだ。お疲れさん』って書かれたメモが入っているだけだった」

「つまり?」

「特訓は終わりってことだと思う」

「ってこたあ本業に戻れるってことだな。おし! また頼むぜ、相棒!」


 季節は既に秋の口。中々去り行こうとしない夏をどうにか追い出そうと、秋が躍起になってその気配を色濃くする十月のころ。

 シラエアとの特訓は全身の骨と肉が悲鳴をあげるような過酷なもので、それらを無事に――五体満足で戻れたのだから無事と言っていいだろう――終えたわたしはコルネリウスらのもとへと戻り、驚きと歓迎、それから矢継ぎ早に繰り出される質問を順当に処理をしたあと、一年限りと定めた旅の大きな目的である<ウィンドパリス>での観光や、本業の冒険者稼業に精を出した。

 

 風の都、亡国の知恵を継ぐ都。いくつかの呼び名をもつ美しいこの街で日々を過ごす中で気にかかったことがいくつかある。それは<ウィンドパリス>の冒険者ギルドにおける依頼の割合だ。獣人や害獣・危険生物の討伐を目的とした戦闘依頼がなんと七割以上を占めていた。

 これは驚くべきことだ。わたしたちのような下位の冒険者が受注を許される依頼には雑用や工事現場の短期勤務、遺失物の捜索などなど、正直に言って面白くもなんともない、むしろ可能ならば避け続けたいようなつまらない内容がほとんどである。これは故郷を発ってからひたすらに北上を続けたこの旅で学んだ経験則だ。


 ところが一転して<ウィンドパリス>ではEランクーー悲しいことだが下から数えた方がずっと早い――のわたしたちでも受注を出来る討伐依頼が目白押しだ。

 わたしは疑問を覚えた。何故だ? 


 連邦の首都であるこの街には連邦騎士と冒険者ギルド、それぞれの本部があり戦闘人員には事欠かない。

 掲示板オーダーボードに貼られているような討伐依頼とはすなわち、身の危険を感じていたり近隣地域での厄介な生物を駆除して欲しいという、いわゆる一般市民の悩みから生じるものだ。

 そういった要望には国民の安全を守るという誓いを立てた、マールウィンド連邦騎士らが応じるものだと考えていたのだが、木目の掲示板オーダーボードに貼られた討伐依頼がなかなか消化されないところを見るに、騎士らは誓いを反故にするほどに腐敗をしているのか?

 いや……悪く考えるのはよそう。わたしはこれでも祖国を愛し、誇りを持っている人間だ。父フレデリックも連邦騎士だ。連邦騎士に疑いをもつことは、そう、決して良くはない。

 

 頭では納得をしたのだがしかし、一度気になってしまうと落ち着きが悪くて仕方がない。わたしは【はぐれオークの討伐(注:成人になり、群れを出奔した個体につき戦闘能力は高いと思われる。受注者は注意されたし】の依頼書をカウンターの受付嬢に手渡す時にさりげなく問いかけた。「どうしてここでは僕たちのような下位の冒険者でも討伐を受けられるのですか?」

 

 受付嬢が柔和な微笑みを浮かべる。素敵だが彼女が微笑み以外の表情を作ったところをわたしは一度も見たことがない。

 彼女の返事は短く、ある意味ではニュースのようなものだった。


「現在の<ウィンドパリス>の戦闘人員は大きく減っておりますので、討伐依頼の受注下限を緩和しているのです。もちろん、相応の危険は……」


 受付嬢が白手袋の指先で依頼書をなぞる。そこには長々とした文章で規約が記されており、つまるところそれは『危険あり。あらゆる事故・怪我・病気は自己責任』という意味合いのものだ。

 

「伴いますが」 と愛想笑い。

「危険は承知の上です。飼い犬を探す仕事よりも剣を振っている方がずっと心が躍る。そういった手合いはきっと少なくないでしょう。首都から戦闘人員が減っているというのは?」

「ご存知かも知れませんが連邦騎士は現在、決して少なくない数が隣国のファイデン竜王国への応援として遠征をしております」


「遠征ですか?」 ビヨンがパンフレットから顔をあげて言った。初耳らしい。

「竜王国の東、<帝龍山脈>のふもとで多くの獣人、霧の魔物が確認されています。どうやら国境の先、ハインセル王国跡より現れているようです」

「ハインセル……」


 若き日の父が終止符を打った、近年最悪の大災厄<ミストフォール>。かの地の魔力と空気は歪み、濁り、出自の知れぬ異形の存在が今なお歩き回っているという。

 北方のイリル大陸における忌み地を<イリルの大穴>とすれば、このリブルス大陸での忌み地は間違いなく、<ハインセル王国跡>だと言える。


「そういやあいかにも強そうな冒険者連中が何人も馬車に乗りこんでたな。『稼ぎ時だぜ』だなんだと言っていたが。あいつらもそうかもな」


 コルネリウスがあごをくいと上げ、よその冒険者パーティを指す。防具を着込み、剣を帯びた姿から彼らが戦闘に赴くだろうということは容易に想像が出来た。


「マールウィンド連邦と連携をしている当ギルドも有志を募り、増員として北西へと継続的に向かわせています。こういった事情から首都<ウィンドパリス>は……ある意味で人手不足というわけです。霧の噴出や獣人の攻撃など、それら有事の際の防衛にあたっての十分な戦力は常に保有をしておりますのでどうかご安心ください」


 そう言って受付嬢は言葉を切り、会話の締めとしてわたしが持ち込んだ依頼書に『許可』のスタンプを押印した。

 

………………

…………

……


 

 


 出発前に腹ごしらえをしようとギルド本部内の食堂へ向かい、人気の薄い一角のテーブルに腰を落ち着けた。三人分の注文を告げ、食事が運ばれるまでのあいだ、コルネリウスと『何をもってフォンクラッド流と呼ぶか』について議論を交わしていると、ビヨンが「あっ!」と小さく声をあげた。


「財布でも忘れたか?」

「ちがわい! 受付の人が口にしてたファイデン竜王国の異変ってこれじゃないかな」


 彼女の手元には一冊の雑誌がある。タイトルは『大カモメの手紙』。世にありふれた週刊の情報誌。幼少のころからビヨンはこれに目がなく、十五歳になった今でもチェックを続けている。旅先で購入をしたバックナンバーの山を持ち歩くわけにもいかないので、彼女は次の街へ移動をする時には郵送屋を用いて自身の実家へと宅配をしている。


「『ファイデンを襲う魔物の脅威』……これか」

「長ったらしいなあ。読み終わったら要点だけ教えてくれると嬉しいね」

「三歳児でも飲み込めるように優しく砕いて教えてあげる。メニューでも読んで待ってて」

「やったね」


 願ったり叶ったりといった顔でコルネリウスが視線をよそへ向け、ビヨンは彼に対して「勝手に注文はしないでね」と釘を刺すことを怠らなかった。


 わたしは椅子を持ち上げるとビヨンの隣に寄せ、互いの手で週刊誌を開くとページに視線を落とした。


~~~


 リブルス大陸北西部を領土とする<ファイデン竜王国>に緊張が走っている。それというのも、魔物や獣人といった脅威が東の国境付近で数多く目撃されているからだ。

 竜王国は西部の沿岸地域、中央部の平野、東部の山岳地帯で形成されており、特に山岳地帯の様相たるや、光の五神の御業による自然芸術の粋と言えるだろう。


 東部の山岳地帯は美しいだけではなくドラゴンやワイバーンといった竜族の脅威がある危険地域としても有名だ。竜族の住処として<帝龍山脈>、<ヴォルテルマウンテン>とも呼ばれている。


 今回の問題はこの山岳地帯より少し先に横たわる、竜王国とハインセル王国との旧国境地帯に生じた。

 哨戒任務中の<ラビール族>の竜戦士は国境の先に奇妙な生物を見たという。彼への取材と証言は以下のものだ。


A氏『いつも通りに空を見上げていたんだ。はぐれのワイバーンが居たら退治しなきゃならんからなあ。ああ、それと霧の兆候もしっかり監視してたよ? なにせ、この国境の先はあの国(・・・)だからね。恐ろしくって……。そしたらまあ、なんちゅうことだろうかね。道の先に大きな影が見えたんだ。冒険者連中かとも思ったんだが、国境の先は霧に沈んだハインセルだろ? 連中が無茶を生業にしているのは知っちゃあいるが、いくらなんでもそりゃ無いだろうと目をこすったら仰天! オークやらミノタウロスに体が崩れた大虎まで、化け物がよりどりみどりだ! おら、もう慌てに慌てて急いで詰め所へ帰ったよ』

記者『それはそれは。大変でしたね。その時に霧の探知機(ミストベル)に反応はありましたか?』

A氏『どうだったかなあ、あんまり驚いたもんだから……覚えてねえやな。すまねえな』


 記者は彼の同僚らにも取材の先を向けたが、得られた証言は同じものだった。

 ハインセルの国境より多くの脅威が現れ、それは現在もなお継続して増え続けている。竜王国は防衛と討伐を目的として軍を向け、隣国であるマールウィンド連邦も応援として騎士団を向けた。過剰とも思われる戦力だが、ハインセルの魔物が外部に現れたのならば当然の措置とも言える。

 また、マールウィンド連邦の冒険者ギルドでは竜王国の応援へと向かう有志を募っている。これらは特例ではあるが討伐依頼として発行をされており、無事に任期を終えた者には通常よりも多額の報酬が支払われる。連絡先は枠外に……


~~~


「二国が戦線を同じにするなんてよっぽどだね」


 神妙な口振りでわたしは言った。ビヨンも思うところがあるらしく、好奇を刺激された彼女がこちらに顔を向ける。


「ハインセルの魔物はそんなに違うのかな?」

「……魔物の強さや脅威は霧の濃度によって変わるって話を聞いたことがある。明確なランク付けがあるわけではないけど、ハインセル王国を滅ぼした霧はとりわけて重くて淀んでいたらしい。足をとられて歩みが遅くなる様は沼のようだったって。そんな霧から現れた魔物もまた……ってところじゃないかな」

「なるほどね。ま、ともかくうちが一番気になるのは……これ! 多額の報酬! あーあ、うちらで請けられたらなあ」

「ルーキーには許可が降りないだろうね。僕たちはこつこつやるだけだよ」

「そろそろ俺もおしゃべりに入りたいな。会話のネタだけでも教えてくれると嬉しいぜ」

「強い人たちがとびきり強い魔物とどんぱち戦ってるんだってさ。分かった?」

「あー……おう。昼飯食いながらユリウスに聞くことにするわ。ありがとよ、物知り(・・・)


 どうしてハインセルの外部に魔物が現れたのだろうか? ハインセルは四方を山々に囲まれた盆地だ。山の標高は高く、天然の要害としても機能しうるそれを歩み越えるなど……いや、相手は魔物なのだ。人ではない存在に人間の理屈はまるで通じないだろう。

 しかしわたしが目覚めてからの数年どころか、ここ十数年でハインセルの魔物が外部に現れたという事例は一度も無いはずだ。

 異変の切っ掛けになるような出来事は何かあっただろうかと、そう思考するとすぐさまに思い至った。


「<ガリアンの祝福>……」

「祝福? ああ、北の大穴の霧が晴れたってやつか。めでたいけどありゃイリル大陸の話だぜ。それがどうした?」

「霧の魔物が活動範囲を広げるなんて何かおかしいんじゃないかって。それで、最近変わったことがあったかなと思って……思いついたのが<ガリアンの祝福>だったんだ」


 なるほどね、とコルネリウス。


「新聞の一面を飾るなんざ確かに大事件だな。霧が無くなって困った魔物が適当に出歩いた先が竜王国だったのかもなあ」

「なにそれ。餌に困った動物が大移動をする、みたいに言わないでよね」

「冗談だって。案外そうかも知れねえなって思っただけさ」


………………

…………

……


 その日の晩、宿泊をしている宿屋<草編むうさぎ亭>の玄関ドアを開け放つと、宿を切り盛りしている女主人クレールが慌てた顔で駆け寄ってきて「ユリウスくん、ちょっとちょっと」とわたしを見上げて言った。


「どうしました? 鼻先に石鹸のあわがついたままですよ」

「そんなのいいのよ! ねえ、あなたに待ち人が来てるのよ。今は居ませんって言ったのだけれど『なら待たせてもらうよ』ってずーっとラウンジに座ってるの」

「女か!?」 コルネリウスが驚き顔で言う。

「そうなのよ!」

「おいおいお~い、どこで女を作ったんだよ。特訓ってほんとに剣の特訓だったのか?」


 にやにやとした顔でコルネリウスが言う。わたしは肩をすくめ、あくまで冷静に対処をするだけだ。こうした場合に慌てた風に返事をするとますますからかわれる。


「女遊びだったらあんなに剣術が上達してるわけないでしょ。すぐに会いに行きますね」

「それがいいわね。彼女、ユリウスくんが帰ってきたら一人で来るようにって念を押していたわよ。仲間を連れてきたら右腕を斬り飛ばすってこう――」


 右腕を掲げ、もう片手の指先で手首を斬るジェスチャーを女主人がしてみせる。悲しいことに待ち人の正体はすぐに知れた。今度はどんな無理難題を振ってくるのだろうか。戦闘になることは無いだろうが、万が一ということもある。逃走経路は考えておこう。……ラウンジの窓から飛び出すのが早いかな。


「女? 女って? どこで捕まえたの?」

「あとで話すよ。コール、ビヨンを連れて部屋に戻ってて」

「了解だ。あとで話してくれよ? 行くぞ、ビヨン。おい! 踏ん張るなよ! 普段は力まねえのに、なんだって今に、こ、の!」

「ぐぬううう……! この目で確かめるうう……!」


 二人が引っ込むのを見送るとわたしはラウンジへと足を向けた。女主人クレールは親身になってわたしを心配している。「あの人、気を使って出したコーヒーも茶菓子も全部ひと口でぱっぱと終わらせちゃうの。愛想も無いし白いフードは不気味だし、もう、幽霊みたい」とあからさまに怖がっている。


「白いフードね」


 わたしの待ち人は火の無い暖炉の前に設置された肘掛け椅子に深々と座っていた。白いコートを着込み、フードで顔を覆っている。得物は壁に立てかけてあり、木目の浮いた鞘には確かに見覚えがあった。


「お待たせしました。ええと……師匠」

「フラメルから話を預かってきた」


 彼女は――シラエア・クラースマンは名乗らない。挨拶はなく、目深にかぶったフードの内側で目的だけを口にする。


「明日、冒険者ギルドの掲示板オーダーボードに【古塔の調査】という依頼が貼られる。あんたはギルドへ向かい、これを三番カウンターで受注しな。話は通してある」

「分かりました」 どうしてわたしに指名を……疑問は口にしない方が良さそうだ。

「『これは君の身になることだろう。無事を祈る』とのことだ。これをあんたに手渡しておく」


 シラエアが取り出したのは小瓶だった。コルクで栓がされており、内側には銀色の鈴が吊されている。試しに手元で数回振ってみたが鈴は少しも揺れなかった。


「それは霧の探知機(ミストベル)だ。形状は様々だが、そいつは携帯性に優れている。見てくれはしょぼいが値は張るんだ。無くすんじゃないよ」

「塔の調査に必要なのですか?」

「今回に限らずいつだって必要なものさ。使い方は簡単だ。霧の兆候を感じるとまず鈴が鳴り、それから小瓶の中に霧が現れる。霧の濃淡が危険度の目安だ。薄けりゃまあまあ危険、泥のように濃いなら死ぬほど危険。理解したね?」

「大体は」

「話は以上だ。フラメルの奴が何を考えているのかは分からないが、この指示には間違いなく裏があるはずだ。気をつけな」


 言ってシラエアは席を立ち、刀を腰に下げると足早に立ち去っていった。立ち替わるように女主人がぴょこりと顔を出して「の……飲む?」と湯気の立つコーヒーの乗った盆を差し出してくれた。

 わたしは微笑みながらに礼を告げ、コルネリウスらの待つ部屋へと向かった。

 明日からの行動を説明しなくてはならない。

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